雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第十五章:帰還、そして最後の一年

第二百二十四話:人間に溶け込む魔物

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 極西の港町、そこに一匹の狐は居た。
 生まれてから八百程の年を数えただろうか、妖艶な一匹の女狐。尻尾の数は五。
 全ての魔王誕生を知っており、ドラゴンの絶滅した今となっては最も古い魔物となった一匹の狐。
 かつて幾つもの国をその魅了の魔法で滅ぼした魔性の美女。
 そんな女狐が、そこでは現在人として暮らしていた。

 世界の意思によって伝えられるレインの位置が、度々途切れる。
 それは現在、この港町に降り立った辺りから、だ。
 隠れなければ、あの魔法使いに殺されてしまうかもしれない。
 かと言って迂闊なことをしてしまえば、目立つ。ならば、このまま人として貫き通すしかあるまい。
 いつもの様に人として働いて、いつもの様に人として生活をする。
 そうすれば、よっぽどの不運でない限り、弱った自分は見つかることはないだろう。
 そう考えた矢先だった。

「たまきさん、後で少し話したいことがあるんだけど、良いかな」

 狐は自身の働くフグ料亭、『海豚亭』で、一人の男に声を掛けられる。
 有名な冒険者で、多くの魔物を倒し、この高級料亭の常連となっている美益荒男。
 今この国にいる冒険者でも最も格好良いのではと噂になっている青年だった。

 今の妾は、人間だ。

「あら、わたくし今日は閉店まで仕事ですので、また今度で宜しいでしょうか」
「それなら待つよ」

 長い金髪をかき上げながら、青年は告げる。
 強さは恐らく、デーモンを軽く倒せる程度。勇者としては十分に優秀だ。

「いえ、そんな、悪いので」
「少し話したいだけなんだ」

 今の妾は、人間だ。

「そういうことでしたら、申し訳ありませんがお待ちいただけるでしょうか」
「分かったよ」

 この男はこの男で、引くつもりは無いらしい

「分かりました。それでは仕事終わりに、裏路地で」
「待ってるよ」

 今の妾は、人間だ。
 普通に仕事をして、客の満足するおもてなしをする。
 いつも通りの一日。

 ――。

「サニィ、殺すか?」
「いえ、少し待って下さい。不審な動きを見せてからでも間に合います」

 二人は、その狐を見張っていた。
 かつてレインに向けて本気の殺意と、好意を向けていた九尾だった狐。
 それが何故か、町で働いている。
 入港直前にその存在に気付いたサニィが、姿を隠す魔法を使ってその様子を探っていたのだった。
 一先ず、気付かず働く姿に不審な点は無かった。

「どうやら男の人に口説かれてるみたいですね」
「魅了か?」
「いえ、使ってません。ただの見た目でしょう」
「そうか。俺としては、殺した方が良いように思うが」
「そうですね……」

 レインに対して、サニィの歯切れは悪かった。
 サニィは一度魔王化したことがある。魔物の心理は理解出来なくとも、人型で人間の様に行動していると、何か思うところがあるのかもしれないと、レインは思う。

「一先ず、夜に顔は格好良い男と会うみたいなので、尾けましょう」
「さっきから全然関係無い男が可哀想だな」
「きっと完全な下心なので」

 何故か若干男に対して攻撃的なサニィについて、レインも夜まで待つことにした。
 念の為、世界の意思とやらを騙せる様、一度転移で南の大陸に移動した後、レインの残り香をコピーして置いた後に。

 夜9時を回った頃、海豚亭の裏口から一人の美女が出てくる。
 緑の黒髪、白磁の肌に、清楚な雰囲気を纏った絶世の美女だ。その造形だけを見れば、本当に魔王の様に美しい。男ならば誰が惚れても全くおかしくはない。
 それがレインであっても、負けるのは仕方がないとサニィすら思ってしまう程の美貌。
 もちろん、そんなことになったらあなたを殺して私も死ぬとなるのが魔王サニィなのだが、それは置いておいて。

 そんな美女を、長い金髪を靡かせた美益荒男が待っている。腰には日本のロングソード。それなりの品で、見た目にも拘った一品だということが分かる。

「ほら、あの男、顔だけは格好良いでしょ? 何あの長髪」
「何キレてるんだお前……」
「私はあんな風に格好付けるだけ付けて実力の伴ってない馬鹿が嫌いです。見て下さい。なんで柄とか一切の手垢もなくあんなピカピカしてるんです?」
「知らんが……。ってかその理論だと月光も汚れないが」
「あれ、使ってないんですよ。ただ見栄えを良くする為だけの剣です」
「お、おう」

 何がそんなに不満なのかよく分からないレインは、怒っているサニィをどうどうと宥めながら美男美女を見守る。
 側から見る分には、女の方が格上過ぎるものの、それなりに悪くないカップルに見えなくもない。
 問題なのは、美女に比べて男が貧弱過ぎることか。筋肉量とか、そういうものではない。
 あの男は一度も死線を潜っていない。
 デーモンを倒せるから、それで満足と言わんばかりの、性根の部分。きっと、自分より格上に襲われれば、後ろに守るものがあっても逃げ出すだろう。
 そう見え、……。
 サニィがキレていた理由を不意に理解したレインは、サニィを宥めるのをやめて二人を見張る。

「それで、今日はどうしたのですか?」

 歩きながら、美女が言う。
 艶やかな声色にも、魅了の魔法が使われているのではないかと思うほどの魅力がある。

「僕は、君を初めて見た時から決めていた。君はとても魅力的な女性だ」

 イラっという音がサニィから聞こえる。
 これはイリスに再び治療して貰った方が良いだろう。

「僕は必ず君を幸せにする。いつだって、君が居る家に戻ってくる。だから、僕と結婚して欲しい」
「ごめんなさい」

 即座に返されたその言葉に驚いたのは、男だけではなかった。
 男は自信があったのだろう。
 それはどうでも良いが、サニィとレインは素直に驚いていた。
 この狐は魅了を駆使して男を堕落させる類の魔物だ。それは本能的に、どんな男であっても骨抜きにしてしまう様な、その上で喰ってしまう様な、そんな類の魔物の筈だ。
 それが、男の告白を受け入れないなどということが、あるわけがなかった。

「わたくしにはお慕いしている方がいます。あなたの想いを受け入れることは出来ません」

 努めて冷静に、狐はそう答える。
 魔物ならば、勇者を殺すはずだ。圧倒的に優位に立った今、レインとサニィが姿を消している今、殺さない理由はないはずだ。

「そ、その男は僕よりも良いのかい?」

 狙いが外れたのだろう男は、無様に尋ねる。

「ええ、あなたよりも遥かに」

 そう答えてしまったのが、男のプライドを深く傷付けた。今迄は全て、魅了を使っていればなんとかなってきた。
 捨てれば無様に這いずり頭を垂れて来たし、狐の言葉は相手の全てになっていた。
 狐は、ただの魔物だった。
 それが相手を傷付ける一言だと、全く気付かなかった。

「くそ、このアマ!」

 男は豹変する。ピカピカの剣を抜くと、女に斬りかかる。

「終わりか」

 それまでの出来事に驚愕していたレインも、やはり魔物かと剣を構える。これで斬りかかった男を殺すのであれば、正当防衛だ。
 罪に問われることもない。
 結局は、人間社会に紛れ込んだ一匹の魔物でしかない。男を惚れさせておいて、そのプライドを傷付けて殺す。
 悪いのは全て斬りかかった男だ。
 上手いこと人間社会に順応したものだと、関心する。

 しかしその結末は、少しだけ違った。
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