雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第六章:魔物と勇者と、魔法使い

第百七十八話:蒸かし芋

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 夜、三人が泊まるテントに一人の青年が尋ねて来た。

 幸いにもマナは既に眠っていたので、起こさない様に注意しながら二人は外に出る。

 改めてキャンプファイアに火を灯すと、それを挟んでクラウスとサラ、青年は互いを少し警戒する様にゆっくりと腰を下ろした。



「始まりの剣か……」



 ぽつり、と青年は呟いた。

 視線は炎に落として、いかにも独り言だと主張しながら。



「俺達をここまで追い込んだ元凶が居たのなら、刺し違えてでも殺してやる。そう思ってた。でも、それは少し違ったな」



 パチパチと鳴る薪の音と殆ど同じ小声で続ける。



「そもそも、聖女は危険性を記してたんだ。それを無視したのは俺達の親だった。何より……」



 はぁ、と溜息を吐いて、言いたいことを言い切ったのか、青年はゆっくりと視線を上げる。



「昼間は無礼な態度をとってすまなかった。先程君達のことをエイミー殿から聞いたんだ。

 俺はディエゴ。彼の騎士団長の様になってほしいと願って付けられた名だ。尤も、両親の意図とは違って、化け物だけどな」



 はははと笑いながらも、少し寂しそうに言った。

 自虐と言うよりも、たった今それを認めた様な、諦めの表情。

 少なくともサラは、そう感じたのだった。



「いえ、こちらこそ突然訪ねてすみません」



 クラウスにはどう伝わったのだろうか、丁寧頭を下げる。

 ディエゴは構わない、とゆっくり首を振ると、視線をクラウスに固定して口を開いた。



「君達の旅は、魔物を滅ぼすことなんだってな。俺達には決して出来ない偉業だ。

 魔物が居なくなれば、勇者は必要無くなる。俺達みたいな化け物が作り出される必要も無くなる。

 そうなれば、世界はきっと平和になるな」



「……」



 まるで全てを悟ったかの様な優しげな雰囲気に、クラウスもサラも何も答えられない。

 ディエゴの結論は、二人にはとても想像出来ない程の苦悩の末に辿り着いた答えの様に見えて、口を挟む余地がないのだった。

 勇者に対して覚える殺意は、決して望んだものではない。それでも感じてしまうソレに、ディエゴがかつて出した答えは自らを殺すことだった。

 例えエイミーに救われたのだとしても、それまでの経験は彼女すら完全に信じられなくなってしまう程のものだった。

 二人はまだ、ディエゴについて何も知らない。



 ディエゴもまた、自分の過去について話すつもりはなかった。



 勇者の両親の元に生まれたひとりっ子だったこと。

 魔人としての力が強かったこと。

 勇者に対する殺意のせいで暴れることも多く、父から虐待を受けていたこと。

 それでも優しかった母のこと。

 母が漏らした弱音を、聞いてしまったこと。

 遂には抗えぬ本能に負け母を殺し、父に殺されかけ、騒ぎを聞きつけた隣人が父を止めた隙にその父をも殺し、そして逃げたこと。

 冷静になって自分がしたことの重大さを思い出し、絶望したこと。



 それから死を決意するまでにあったこと。



 ディエゴはそれら全てを受け入れた様に、尋ねた。



「俺達も半分魔物だ。食うのか?」



 その質問に、挑発的な意図は全く無かった。

 それでも仕方ないという、単純な質問。



「いえ」



 クラウスはディエゴの目を見たまま、短く答えた。



 ここに来た目的は魔人を喰らうことではなく、なんとなくに過ぎなかった。

 本当はドラゴン戦の場に居たエイミーに囁かれたからなのだけれど、それは置いておいて。

 そしてエイミーに頼まれた依頼は、この場から魔物を駆逐して魔人達に安寧をもたらすこと。



 だからそう答えた。



 しかし、ディエゴは分かっていた。

 魔人ということは、その体内に陰のマナを宿しているということだ。魔人が死ねば、その骸から漏れ出たマナが、再び魔物を作り出す。

 そしてそれは、魔人だけではないことも。



「だが、マナを回収しない限り君達の旅は終わらない」



 ただの事実だった。

 マナの目的は、世界からマナが消えること。

 全てのマナを取り除き、世界をただの人の世界に戻すこと。



「それは……」



 改めて直面した事実に、クラウスは言葉を返せなかった。

 それを見て、ディエゴは微笑む。



「なに、困らせるつもりは無い。束の間の平和が欲しいってだけなのさ」



 生まれて初めて、ディエゴ達魔人が生きていても良いと言われた場所が魔人の集落だった。

 かつて狛の村と呼ばれたそれと同じ、陰のマナを体に宿した人々だけが住む場所。

 平穏な生活でこそないにしろ、人々に殺意を向けることも、殺意を向けられることも無い場所。



「今、俺達は日々魔物にも勇者にも警戒しながら過ごしている。そんな中、魔物の脅威が無くなるだけでも有難いんだ」



 新たな狛の村が出来てから、18年程が経っただろうか。

 子どもも老人も一人も居ない、全員が25歳から30歳程の青年だった。

 エイミーの助けがあるにしても、彼女はいつでも村に居られるわけではない。誰しもが日々怯えを残したまま過ごしていた。



「つまり、俺達を食うのは最後にして欲しいってだけのお願いさ」



 魔物が居なくなったら少しだけ、村の人々を平穏な人間でいさせてほしい。

 ディエゴのそれは、そんな願いだった。



 そんなお願い・・・に応えたのは、クラウスの中にずっとあった、あの憧れ。



「……確かに、僕は今この村を救うことしか考えていませんでした。でも話を聞いても貴方達を殺すつもりはありません」



「それじゃ旅が終わらんだろう」



 困らせるつもりは無いとの言葉通り、ディエゴは渋い顔をする。

 それを受けても、クラウスの表情は動かなかった。



「亡くなるまで待ちたいと思います。貴方達は今、人間でしょう?」

「そう言ってくれると有難いが……」

「僕は昔から、英雄に憧れています。守れる人は守りたい」



 クラウスの真剣な表情に、ここまでずっと光の無かったディエゴの目にようやく人間らしい光が灯った。



「ハッハッハ。なるほど、君も確かに人の子だな」



 心底嬉しそうに、そう笑う。

 まるで人を信用出来なくなってしまったことなど忘れてしまったかの様に、ディエゴは笑った。



 人間そのものは悪くない。



 ディエゴは、そう確信するように。



「ありがとう。それじゃ、どうしても俺達を殺さないといけない時には言ってくれ。悔いを残さない様にだけはしたいんだ」



 覚悟を語る。



「分かりました」

「そこで素直に頷けるか……」



 あっさりと答えるクラウスに呆気にとられて少し、ディエゴは再び真剣な表情に変わる。

 瞳にはまだ光を灯したまま、口を開く。



「とまあ、ここまでは単なる前座だ。君達のことを直接知りたかった。

 試すような真似をしてすまなかった。

 本題は別にある」

「本題、ですか」



 単純な話だった。

 信用しきれないのとこれとは、全く別の話。



「ああ、エイミー殿を呪いから救って欲しい」



 かつて一匹の魔物にかけられた呪い。

 死に対して異常な恐怖を感じてしまう呪い。

 不可能と言われた不死の魔法に手を出し、逆に命を縮めてしまう程の。それでも、やめられないほどの呪い。

 英雄達ですら解けなかった呪いを、解いて欲しい。

 そんな無茶な願い。



「俺で良ければ命でも差し出す。

 俺達魔人にとって彼女は恩人だ。人を殺さなくても生きていける様にしてくれた恩人だ。

 何を懸けてでも返さなければならない恩がある。

 だから」



 下手をすれば英雄達が必死で隠している事実をクラウスに勘付かれるかもしれない、危うい願い。

 それでもディエゴは、クラウスを頼ることだけがただ一つの希望だと知っていた。



「彼女が死に恐怖し苦しんでいるのは知っている。どうか彼女を……」

「……」



 どう答えれば良いのか、クラウスは分からなかった。

 クラウスにとって自身は無能な勇者で、ただ剣であるマナを扱えるだけの存在。

 英雄性が無いからこそいまだに憧れ、魔物から守って欲しいと言われればいつでも引き受けてしまう。

 ただ、出来ることはそれだけのはずで、この願いに下手に答えることは出来ない。



 そう、考えていると。



「あの、私から良いですか?」



 隣から声が掛かった。

 今まで黙って二人の会話を見届けていたサラが、初めて口を開く。



「今はまだ無理です。私もクラウスも力が足りません。でも、数年待ってもらえれば、きっと」

「出来るのか?」

「確約は出来ません。でも、努力はします。二つ、心当たりがありますから」



 英雄ですら無理だったことを成せる心当たり。

 英雄達も気付いていながら、それでも無茶な延命で引き止めるしかなかった心当たり。

 サラも本当は気付いていた。

 自分とクラウスが釣り合う様にとばかり考えていたせいで、その為の修行が、まだ少し足りないけれど。



 それを聞いてディエゴはふうと息を吐く。



「……分かった。生け贄が必要なら言ってくれ。聖女は自分と鬼神を生け贄に呪いを解いたんだろう?」

「あはは、分かりました。頑張りますね」

「ありがとう」



 ――。



 ディエゴが帰ってから、二人は手土産と言われた蒸し芋を食べることにした。

 少量の塩で味付けされた、素っ気ない蒸かし芋。

 それでもそれはきっと彼らの精一杯の礼なのだと思うと、実際よりも美味しく感じる。



「あんなこと言って大丈夫だったのか?」



 クラウスは尋ねた。

 方法の検討が全く付かなかった。

 ディエゴが言った聖女の方法は、聖女がマナを感じ取れるからこそ成せる唯一の方法。

 マナを感じることが出来ない魔法使いには、呪いの元となっているマナを取り除くことなどイメージすることが出来ない。

 だからこそ、例え英雄であっても解くことは出来なかったのだ。



 サラは、ゆっくりと首を振る。



「分からない。

 でも、あの人は先生とは逆に死にたいみたいだった。と言うより、生きていてはいけない、って感じかな? だから、生け贄の話を曖昧にして生きてもらうことにしたんだよ。

 せっかく先生が救ったのに、あの人が死んじゃったら意味ないじゃん」



 答えた第一の目的は、それだった。

 ディエゴは村の人々とエイミーが大切で、でも自身は大切ではない。サラにはそう見えて仕方がなかった。

 頻りに自分を生贄にと言っていたのも、理由を付けて命を終わらそうとしているから。

 ずっと観察していたサラには、そのように見えていた。



「自分を生け贄に差し出す、か。確かにそれまでは生きてくれるだろうね」



 クラウスも納得する。

 言われてみれば、ディエゴは自分のことを一言も話さずに、村とエイミーのことだけを話していた。

 そして同時に、サラがその場限りの方便で誤魔化すようなことをしないということも、知っていた。



「それで、心当たりっていうのは?」



 サラが言ったということは、何かがあるということ。



「一つは私が持ってる神器、たまらんタマリン。聖女の力受け継いでるこのタンバリンを私がもっと使いこなせる様になれば、可能性がある」

「二つ目は?」

「それは、内緒」



 サラは意地悪そうに微笑みながら、そう言うのだった。

 口の端には芋の欠片が付いていて、子どもの様だったけれど。



 ――。



「信頼出来る人が側に居る。彼はある意味そんな状況にいる俺だった。

 その結末が幸福であると良いと、願わないわけにはいきません」



 村に帰るのをディエゴを待っていたエイミーがクラウス達について尋ねると、ディエゴはそんなことを答えたのだった。
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