雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第六章:魔物と勇者と、魔法使い

第百六十七話:少しずつ変わる世界

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「おはよ。結局エイミー先生も一回戦負けみたいだよ」



 朝、クラウスが目を覚ますとサラは挨拶も早々に、呆れがちに言った。



「おはようってえ、あれだけ言ってたのに?」



 世界で最も敵に回してはいけない人物の一人、エイミー・ヘイムスイミー。サラが先生と呼ぶだけあって、その実力もまたエレナに勝るとも劣らないと聞いていた。

 そんな人物まで一回戦負けとなれば、クラウスも呆気にとられるしかない。

 しかしそんなクラウスに、サラは今度こそ大きく溜息を吐く。



「一人だけ枠を増やすのなんて無理だから、パパを一戦増やしたんだってさ」

「……ああ、そうなるわけね」



 考えてみれば当然だった。

 トーナメント方式の大会で突然一人分の枠を増やせる訳などない。

 となれば、身内で処理する他方法は無い。

 つまり常勝でかつ身内のルークが自ら、いや、エレナによって対戦相手を仕組んだならば、周囲に被害を与えることもなくエイミーを退場させられるというわけなのだろう。



 そんな事実を察したクラウスもまた軽く息を吐くと、それを確認したサラはゆっくりと話し始めた。



「うん。

 だから一回戦敗退も当然ではあるんだけど、会場ではみんな大きな衝撃を受けてたみたい。

 開始直後、エイミー先生はいきなり自分の脚にナイフを突き立てて、パパも膝をつくんだから」



 前回大会、準優勝者のルークが膝をつくことは一度として無かった。

 準決勝でのイリス・ウアカリとの戦いでは互いにぼろぼろになりながらも最後にイリスが膝をついたところで決着。

 決勝に至ってはストームハートによって眼前に拳を突き付けられたところでの降参だった。



 そんな大魔法使いが一回戦の開始直後に膝をつくということがどういうことなのか、分からない者は一人もいない。



「自分の痛みを相手にも反映する、だっけ?」



 それが『殉狂者エイミー』が、決して戦ってはいけないと言われる理由だった。



「そう。呪いを受ける以前はこれで魔物を倒してたみたいだから、これでもかなりぬるくなったらしいんだけどね」



 前回の魔王戦よりも前、エイミーはある魔物によって呪いをかけられていた。

 かつて魔王が世界に放った呪いの出来損ないとでも言うべき呪い。ただただ、死への恐怖が増幅する呪い。

 その呪いの影響で、エイミーは魔王戦に参加することが出来なかった。

 それでも己が受けたダメージを相手にも投影する魔法は、エイミー独自の魔法として使われ続けていた。



「自分に刃物を突き立てるなんてよく出来るものだね」

「そりゃ、聖女サニィの死で殉教しようとする程の信者だから。死ねなくなった今でも、生き延びたことには罪を感じてるみたい」



 渋い表情でクラウスが言うと、サラもまた眉を潜める。



「なるほど。自分を罰する一環として、ということね」



 エイミーはただひたすらに、聖女の信奉者だ。

 その感覚だけはなんとなく、英雄に憧れを抱いているクラウスにも理解が出来るものだった。



「結局パパが苦痛に顔をしかめるのなんて殆どの人が見たこと無いってことで、エイミー先生の恐ろしさは知れたみたい」

「観客達にとっては噂でこそ聞いていたものの、ルークさんに通用する初めての魔法使いだったわけか」



 現在では勇者よりも魔法使いの方が優秀だと言われることが多い。

 聖女が記した魔法体系によって魔法教育は飛躍的に成長した。

 その上で魔法使いに重要な要素がイメージである以上、周囲が優秀な魔法を使えれば使える程にそれをイメージし易くなる。

 その結果、全体の平均では確かにデーモンを単独で倒せる者の数は勇者よりも魔法使いの方が多くなっただろう。



 それでも、上澄みだけを掬い取ってみればそうはいかなかった。

 大会でベスト16に残る者は、ルークを除いて全員が勇者だということも珍しくはない。

 突き詰めれば突き詰める程に、思考しなければならない魔法使いよりも、身体能力そのものが高い勇者の方が有利になっていくことも、また当然だった。



 そんな中でただ一人の例外が英雄ルークだった。

 全ての大会で準優勝、ベスト4以上で唯一の魔法使い。

 そのルークに初手で膝をつかせたとなれば、その衝撃は相当なものだっただろう。



「そういうこと。それともう一つ」



 クラウスが納得したところで、サラは少しだけ悩ましげに人差し指を立てる。

 次に出た言葉も、クラウスが知る限りでは初めてのものだった。



「グレーズの代表はエリスさん以外のもう一人も一回戦敗退だって」

「え、去年の人か? えーと、……名前は覚えてないけどストームハートに負けた人」



 前回の初戦でストームハートに派手に投げられたグレーズ軍の魔法使いのことは、クラウスもなんとなく覚えていた。

 強いと言えば強いけれど、自分の周囲と比べればパッとしなかった若い魔法使い。

『模範的な強い魔法使い』という様子の青年。



 クラウスがそれを思い出していると、サラは首を小さく左右に振る。



「んーん、去年のエリックって人ではないみたい。新人の魔法使いなんだけど、いまいちパッとしなかったってさ」



 となると、去年と同じく有望な若手を出してみた、というところなのだろう。



「中心国の一つのグレーズ王国が二人とも一回戦敗退なんて初めてだからさ、大騒ぎみたいだよ」



 世界は現在、全ての国々が表面上は・・・・手を取り合って平和を守ろうと努めている。

 その中でもグレーズ王国は先の魔王討伐戦で目覚ましい活躍を遂げたエリーとオリヴィア、更には聖女の出身地ということもあり、大陸の代表国として存在している。

 つまり、本来ならば最も勇者と魔法使いの層が厚い国であってもおかしくはない。



 それなのに、代表者二名ともが一回戦敗退。



 グレーズ王国軍は、クラウスの母であるオリーブが直接稽古を付けている軍。

 だから弱いわけがないと、クラウス自身も信じ込んでいた。



「他……は英雄達が負けるわけがないか」



 ショックを隠すように、クラウスは視線を上げる。



「うん。グレーズには今、戦える英雄はいないから。……それでも、エリスさんなら英雄以外には負けないって、私も思ってたんだけど」



 サラもショックを受けたのは同じだった。

 少しだけ顔を俯かせながら上目混じりにクラウスを見ると、クラウスはやっと持ち直したのか視線をサラに戻すと頷いた。



「ああ。確かに、前回のレベルならエリスさんとサラ、カーリーの三人が英雄達に次ぐ実力だった」



 もしも英雄無しの大会であれば、その三人の誰かが優勝していた。

 それは会場に居た全ての人々が実感したことだっただろう。



 ……。



 少しの沈黙のあと、サラはぽつりと呟いた。



「今回は色々大変だね。突然強い勇者が台頭してくるのはあり得ることだけど、パパもエイミー先生と戦って疲れないわけがないし」



 エイミーの狂気じみた戦い方は、聞くだけでも気疲れしてしまう。

 それを思えば、直接相手をしたルークに疲労がたまらないわけがない。

 その上で、前回と違うことが多く起こっている。

 精神力が重要な魔法使いにとって、それはもしかしたら、大きな痛手なのかもしれない。



「そもそも、エイミー先生が出て来た理由すら分からない」



 長らく表舞台から消えていた殉狂者エイミーが今になって表に出て来る意味を、サラには予想が出来なかった。

 何度も会ったことはある。裏では国境なき英雄の一人として、世界の平和には貢献しているのだと、両親に聞いてもいる。

 それでも、地位や名誉にはこれっぽっちも興味がなさそうなあの狂った魔法使いが出て来る意味が、サラには分からなかった。



「その辺りはエレナさんは教えてくれないのか?」

「んー、凄く楽しそうだった、とは言ってたけどね。なんか良いことでもあったのかな?」

「興奮を冷ます為に、とか? そんな馬鹿な」

「それもそっか……」



 興奮したから大会に出ました、というには余りにも大きなイベントだ。

 となると、目的はそちらではなく、もう片方。



「で、狛の村第二ってのがなんなのかもママは教えてくれない」

「そこはエレナさんだから諦めるしかないか……」

「すぐに分かるらしいけどね」

「すぐに分かる、か……。最近は情報が多過ぎて混乱しそうだ」

「そうね。ま、気にはなるけど今は大会の結果は置いておいて、私達は魔物を減らすことを考えるしか、ないかな」



 最近は様々なことが起こり過ぎている。

 ドラゴンの出現に始まり、マナの正体、魔物の駆逐、サラの単独戦闘。

 その上でこれ以上の心配ごとは、避けたいところだった。



 それでも、クラウスは英雄に憧れる者として、英雄の息子として、これだけは伝えることにしたのだった。



「そうだな。サラも疲れたらいつでも言ってくれ。もう、ドラゴンからすら守ってみせる」



「ん、ありがと。でも大丈夫だから、安心して」



 そんな二人に、「そんな馬鹿な」ことが訪れるのは、旅の目的地に着いた時のこと。

 二人は何も知らずに、むにゅむにゅと寝息を立てるマナを抱くと、朝食の準備を始めるのだった。
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