雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第五章:最古の宝剣

第百六十話:膝の上の

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 全身が痛い。



 足の先から顔面まで、巨大な敵にめちゃくちゃにされたのだから当然だ。

 骨は限界まで歪み、叩きつけられた衝撃で肺の空気は何度も空になり、吸い込んだ時には砂塵を巻き込んで何度も咳き込んだことを覚えている。

 それでも死ぬどころか骨すら砕けず最後まで戦えたのだから、勇者として理想的な肉体だと言われるのも納得だった。



 二度、気を失った。



 一度目は剣が砕け、サラとマナのピンチを目の前に踏みつけられた無念の気絶。

 二度目は、全てが終わって気が抜けたことによる、安堵の気絶だろうか。



 とにかく、全てが終わったのだということだけははっきりと覚えたまま、まどろみの中から目覚めていく。



 戦いの影響から痛みを訴える全身の中で、二ヶ所ほど、心地良い場所があった。

 その二つともがよく慣れた感触と体温で、全身に広がる痛みを和らげていく。



 左胸に乗るのは熱めの温度と少々の圧迫感のある布団。

 後頭部には程よく暖かで張りのある枕。

 体は硬い地面に横たわっているのにそんなものがある理由も、簡単に理解が出来た。



「母さん、ここは普通サラが膝枕してくれてるシーンだと思うんだけど……」



 目を開けるまでも無く覚えのある感触。サラよりも鍛えられているそれに当てはまるのは、一人しか居なかった。



「まあ、私の膝枕に不満を言うなんて……」



 目を開けると予想通り母であるオリーブが、何処か不満げな顔を見せる。

 しかしそれも一瞬、直後にふっと力を抜いて笑みをこぼす。



「…………成長したわね」

「なんだそれ」



 ――。



 クラウスが突っ込みを入れながら体を起こそうとすると、オリーブは額を押さえて膝に軽く押し付けた。

 膂力では象と蟻程の差があるはずなのに、何故かクラウスはそれに逆らうことが出来ない。

 ただの人の身でありながら魔物と渡り合う技術と未知の力だろうか、オリーブに逆らう気力すら、湧いてこない。



 クラウスが再び膝の上に頭を付けるのを見ると、オリーブはいたずらっぽく笑う。



「息子の成長に、少しの感動と寂しさが、ね。でも残念、お母さんでした」



 今だに十代に見えるエリー叔母さんの母、不老の勇者らしいアリスとは違うけれど、母のその見た目は余りにも若々しい。



「母さん、そんなだったっけ?」



 いつもは息子の心配ばかりして無理をしている様に見えたのだけれど、今の笑顔は少し違う様子だった。

 憑き物が落ちたとでも言うのか、心から安堵している様にも見える。



「ふふ、久しぶりにクラウスと会えたのだし、さっきまで英雄のエリーさん達も居たからね。少し昔を思い出して」

「昔はそんなんだったんだ」



 英雄エリーに会った記憶がないクラウスはオリーブの言葉の違和感に気付くことも無く納得する。



「いいえ、昔は"ですわ"って言ってたわ」

「……ん?」



 母が元々英雄オリヴィアだったことは知っている。

 知っているけれど、その口調には覚えがない。

 現王妃のエリスもそんなことは言わないし、かと言って掘り下げることでも無い様な気がした。



「久しぶりの愛息子に、少しテンションが上がってるみたい」

「そう」



 母の言葉を疑うこと無く、クラウスは母を信用することにした。



 母が、かつての英雄オリヴィアが安堵していた理由はそんなことでは無く、単純に息子が頑丈だったことこそが理由だと、気付くこともなく。

 120mのドラゴンにあれだけ叩き潰されて、ほぼ傷らしい傷がない。

 例えこれからどんな世界が来ようが、クラウスが勇者を喰らい世界の敵となろうが、クラウスを殺すことなど不可能だと、実感したことが理由などと、気付くことは無かった。



 私は英雄なんじゃなく、ただの母親。



 正体を知ったクラウスが尋ねた時に返って来た言葉は、思い出されることはなく、クラウスは嬉しそうな母に心境を吐露することにした。



「……ねえ母さん、一人じゃドラゴン討伐出来なかったよ」



 英雄から受けた、初めての依頼。

 元から簡単に勝てるとは思っては居なかったけれど、世界で二番目に強いとされるサンダルとは同レベルに戦えるほどに成長していると思っていた。

 いざという時には待機している英雄達が助けてくれるから、気楽に。

 そんな依頼だったはずだった。



 しかしそれでも、初めて英雄から託された依頼だ。



 憧れだった人達に、実験的なものとはいえ、認められるチャンス。

 魔王が存在しないのだから英雄になるのは難しいとは思ってはいたものの、一歩近付けると思っていた。



 それが蓋を開ければ、何から何まで惨敗だった。



 身体こそ痛みで動きたくないけれど、自身の命の危険を感じるほどでは無い。

 一瞬気を失った一撃も、意識がサラとマナに向いてしまって受け身を取り損ねた、程度の認識しかなかった。

 今までも母のおかげか英雄達のおかげか、命の危機など今までの人生で一度も感じてはいない。

 つまり今回は初めて気を失う様な戦闘を行ったにも関わらず、死に物狂いで戦うことすら出来ていない惨敗だったのだ。



 クラウスはそれがなんだか無性に、恥ずかしかった。



 すると母は、大丈夫とでもいうように語る。



「私の全盛期でも、エリーさんでもあれは無理。もちろん全盛期の私に無理ってことは、サンダルさんにもね」



 とても珍しい言葉だった。

 私が守るから大丈夫。

 子どもの頃、王都への道すがら、魔物が現れた時には幾度となくそんな言葉でクラウスを安心させてきた母親がオリーブだった。

 それは実際に今まで守られて来たし、母よりも強いエリー叔母さんに師事を受ける様になっても母の妙な強さは信頼していた。

 それでも、母はクラウスを守るとは言っても、誰かに比べて強いとは言ったことが無かった。



 それを今言う理由を、クラウスは考える。



 比較対象として出したのは、現在最強とされるエリザベート・ストームハートではなくサンダル。

 それはつまり、母親の全盛期はストームハートを下回るのでは。



「つまり、ストームハートでも厳しい?」

「うーん、良いところまでは行くと思うんだけれどね」



 思った通りに言葉を濁す母を、これ以上追い詰めるつもりはクラウスには無かった。

 ただでさえ勇者でなくなって、かつての強さがまるで無くなったことは辛いはず。それでも戦いに身を染めるのだから、力の足らなさを誰よりもその身に感じているのが母だった。



 だから、方向を変えることにする。

 母が進んで話したがる方へ。



 実はストームハート、今のエリーには全盛期でも負けていることが悔しくて言葉を濁しただけだとは、気付きもせず。



「英雄レインなら?」



 そう、尋ねた。

 彼の英雄の話に母はいつもの様にみるみると笑顔になっていく。



「もちろん簡単ね。英雄レインだけじゃなくて、聖女サニィもね。

 聖女の120m消滅魔法は前に話したわよね。

 あれは禁忌になってるから今は誰にも出来ないけれど、レインは剣一本で簡単に倒しちゃう。

 クラウスにも見せてみたかったな」



 何度も聞いたドラゴン討伐の旅の話を、母は嬉しそうに語り出した。

 昔は第三者の目線で語られていた話も、今は当事者オリヴィアとして。

 史上最強と謳われる英雄のドラゴン討伐を、一通り聴くことにした。



 ……。



「そっか。でかいって、強いんだな……。僕は自分がそこまで強いとは思ってないけど、レインが倒せるなら、何処かに希望があるって思ってたよ。例え針の穴くらいの可能性でも」



 何度も聞いた話から、ドラゴンはドラゴンで隙のある生き物だと思っていた。

 高い知能を持ちながら、人間を劣った生き物だと認識する傲慢さ。

 ブレスを吐けばそれに集中してしまう習性。

 飛ぶことに魔法を併用するが故に、集中さえ削げば飛ばせなくすることも可能な不完全な肉体。



 圧倒的な巨大と硬さがあっても、話を聞く限りでは何処かにチャンスがありそうだった。



「でも、一人じゃどうやったって無理そうだった。大きくて硬い。ただそれだけで、母さんやエリー叔母さんから教わった僕の技術は何も役に立たなかった」



 関節の隙間、逆鱗、目、口の中、何処を狙おうにも、圧倒的な巨体はそれを軽々とカバーしてくる。

 実際に対峙してみれば、鱗の上からダメージを与えられない限りは、倒すチャンスは無さそうだった。



 母はうんうん、と頷きながら言う。



「アレは私達でも複数人で倒す規模だもの。そもそも、ドラゴンっていうのは英雄レインが現れるまでは国家規模で相手をする様なものだったから。

 それに、アレを一人で突破出来る力を持ってたのは、私達の代でもライラさんくらいだったから」



 ダメージを反射出来るライラが、超巨大なタイタンを僅か二撃で仕留めた話は有名だ。

 世界で最も高い魔物討伐実績を持ち、かつて世界第二位と呼ばれた英雄ライラ。

 聖女サニィの友人にして、ナディアのライバル。



「英雄ライラなら、一人で倒せた?」

「うーん、彼女は硬い敵を破壊するのは得意だったけれど、ドラゴン相手だと魔法もブレスもあるもの。きっと難しいわ。アレはそんなレベル」



 実際の体術戦で、当時はまだ一位だったオリヴィアよりも弱かったエリーに土を付けられているという記録も、ライラには残っている。

 そんな彼女にはドラゴンの単独討伐という記録は残っていないことからも、その難しさは別格だということが分かる。



 そうなると、当然出て来る一つの疑問がある。



 結局のところ、クラウスは余りにもあっけなくドラゴンを倒してしまったのだ。

 いや、それは正確ではない。

 簡単に倒してしまったのは、胸に頭を預けて眠る、暖かいものだった。



「……うん、そうだよね。…………ねえ母さん、マナって、何者なの?」



 マナとサラを狙って振り払ったドラゴンの腕は、確実に二人を捉えていた様だった。

 それでもサラは風圧で飛ばされた程度の位置で呆然としていて、マナは無傷で駆け付けてきた。



 その後のドラゴンの手には、巨大な齧った様な跡。



 そして、確実に剣に変身した、マナを持って戦った覚えがクラウスにはあった。



 クラウスの問いに、オリーブは少しだけ困った様な顔をした。



「見ての通りの可愛い女の子。なんて言えたら良いんだけれど、……この子は剣。全ての魔物の頂点に立つ魔物、と言うと語弊があるから、どんな魔物でも倒せる剣、って言っておこうかしら」

「どんな魔物でも倒せる剣?」

「正確には、食べちゃう剣、かもしれないけれど」

「それは、魔王も?」

「うーん、そうね。魔王もきっと食べちゃうわ。ただし、この子がいる間は魔王は生まれないのだけれど」



 母は、そんな事実を語った。

 信じがたい事実も、実際に体験してしまったのなら仕方がない。

 混乱するクラウスは同時に、何があってもマナを守れ、と言われた理由に深く納得せざるを得ないのだった。



 視界の端には、クラウスと同じくらい難しい顔をしたサラが、「やっぱりマザコン」と呟いているのを聞かない様にしながら。
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