雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第五章:最古の宝剣

第百五十三話:なまいきって

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「お待たせクラウス」



 夢うつつの中、そんな声が聞こえた。

 今すぐにでもまた気を失いたい程に気怠い意識の中、左手に何か硬いものを持っている感触がある。

 軽く握ってみると、どうやらそれは剣の柄の様だった。

 旭丸は破壊されたのにどうしてだろうと考える。

 普段右手に持っているはずの剣を、何故か左手に持っていることも不思議だ。



 答えは、目を開けてみると直ぐに分かった。



 左手に握っていたのは鈍色の剣。

 なんの飾り毛もなく、ただ敵を殺す為にのみ存在しているかの様な、シンプルな湾刀。

 緩く反った剣身は光沢も無く、柄は剣身の余り部分に粗く縄を巻き付けただけの物で鍔すら無く、限界まで制作の手間を省いている様にも見える。



 それは一見すれば、超低コストで作られた鈍らの様だった。



 それでもクラウスは確信する。



 ――これがあれば、魔王すら軽く殺せる。いいや、これじゃないな。僕が深く知っている剣だ。



 どうしてなのかそんな不思議な確信を持って、その剣を手に、クラウスは立ち上がった。



 ――。



 マナがクラウスに駆け寄って行く光景を、その場の全ての者達が見守っていた。

 それは手を食いちぎられよろめいているドラゴンすら例外ではない。欠けた手を咥えて止血を試みながらも、マナの邪魔をする様子は全く見られなかった。

 サラは直前の死のイメージを今更実感して腰を抜かし、英雄達は何かを理解したのか、静かに固唾を飲んだ。



 マナはクラウスの左手を握ると、黒い霧と共にその姿を変えて行った。

 一瞬の後に現れたのは、クラウスの手に握られた、飾り気のない一本の剣。

 人形の様な可愛らしさを誇るマナとは似ても似つかない様な、無骨な剣だった。



 クラウスは左手の剣を確認すると、ゆっくりと立ち上がる。

 既に満身創痍と言って差し支えない様子でふらふらとしながらも、ドラゴンに向かって行く。



 そこからの戦いは、一方的と言うのも可哀想だと思ってしまう程の、単なる食事だった。

 そう。それはきっと、戦いですら無かったのだろう。



 ――。



 クラウスがドラゴンによろよろと近付けば、ドラゴンは怯えた様に後ずさった。

 半ばパニックになっていたのだろう、飛んで逃げることもせず、一歩後ずさると、その場で縮こまった様に硬直する。



 クラウスはそんなドラゴンに、一歩一歩近付いて行く。

 瑠璃色の瞳を爛々と輝かせ、目の前の敵をただ殺そうとする幽鬼の様に、ゆっくりと。



 その光景は、異常という他無かっただろう。



 手が欠けてしまったとは言え、それ以外無傷の山の様なドラゴンが、満身創痍の小さな人間一人に怯えて、縮こまっている。

 今にも倒れそうな足取りの者が勝利を確信して、大半が無傷の巨大な生物が、敗北を確信して震えている。



 しかしその理由を理解するのに、時間はかからなかった。



 震えるドラゴンは焦れたのか、欠けた手を再び振るい、クラウスを叩き潰そうとしたのだ。

 巨大な質量の物が地面を叩こうとして、砂埃が舞い上がる

 しかしその質量が地面を叩く音が聞こえることはない。

 叩こうとしたドラゴンの手首から先が、クラウスが振るった剣に触れた瞬間に消失したからだ。



 まるで元から何も無かったかの様に、クラウスの剣を中心にして、ドラゴンの掌が丸ごと消える。そんな異常な出来事を見て、驚く者は、本来ならいないはずだった。

 始まりの剣はマナを喰らう。

 陽の剣であるクラウスは陽のマナを常に吸収し続けており、勇者に対して強いという特性も持ち合わせている。

 しかしながら魔法の無効化が出来る訳でも無ければ、勇者の力が通用しない訳でもない。

 徐々に耐性は高めてきているものの、未だにエリーやイリスの精神介入の影響を受け、【英雄エリー】と【エリー伯母さん】が同一人物だとすら気付かない。

 つまり、クラウスやマナの能力は、今まで吸収したマナの量に依るのではないかと、誰しもが考えていた。



「なんて威力だ……」



 そう呟いたのは英雄の中の誰だっただろうか。

 汎用品とは言え、それなりに高性能で纏めてあったはずの旭丸を、クラウスの膂力で振るって傷一つ付かないのが120mクラスのドラゴンの鱗だ。

 魔法でダメージを与えようとすれば、詠唱を交えた時間のかかる魔法を行使しなければ不可能だし、エリーやサンダルであっても、愚直に鱗の上から叩いてダメージを与えることなどしないだろう。

 英雄達が揃えば安全に倒せる、と言うのは決して、短時間で簡単に決着が付く、という訳ではない。

 複数の魔法で動きを封じ、鱗の隙間を狙い、目玉を抉り、じわじわと嬲り殺しにするからこそ安全に倒せるのが巨大ドラゴン討伐だ。



 70mならば、クーリアの渾身の一撃で首を落とすことが出来るだろう。

 90mならば、サンダルと半身不随のナディアの二人でも怪我を覚悟で挑めば倒せるだろう。

 100mならば、なんとか剣が通るだろう。

 120mは、安全には倒せても、簡単には倒せない。



 それこそ聖女サニィの様に分解するか、英雄レインの様に問答無用で真っ二つにする力を持っていれば別だ。

 ライラの様な反射も有効だろう。

 しかしそれでも、剣を軽く振るっただけで手首が消失する様な、そんな力は存在しなかった。



 サニィは分解する為に蔦でドラゴンを締め上げて身動きを封じていたし、レインの技術は超高度な集中力を要するらしいし、ライラは70m程度のドラゴン相手にすら、一度反射を失敗して大怪我をした過去がある。



 それがクラウスの一撃は、いや、正確にはマナの一撃は、まるで頭を撫でられて不快だったから手で払ったかの様な、そんな気軽さで、ドラゴンの手首を消しとばしたのだ。



「いや、あれは威力が高いんじゃないよ。範囲が広いの」



 一部始終を見て理解したらしいエリーは、はぁ、と溜息を吐きながら、状況を話し始めた。



「よく見て。あれは斬ってる訳でも消しとばしてる訳でもない。ただ、食べてるだけ。よく分からないけど、物質化したマナを元に戻して吸収してる、とか、そんな感じ」



 言われて目を凝らせば、クラウスが剣を振るう度に、ドラゴンの身体には齧られた様な跡が浮かび上がるのが分かる。

 まるでドラゴンよりも更に巨大な生き物が、剣を一振りする度に一齧りする様に、ドラゴンはその体積を減らして行く。

 齧られる苦痛から絶叫を上げるドラゴンの、その声が無くなるまでの時間は、最初の一撃から僅か8秒程度のものだった。



 ――。



 ドラゴンが跡形も無くなった後、クラウスは再びその場に倒れ込んだ。



「はあ、もう動けない。マナ、ありがとう」



 そんな一言で、手に持った剣は再び少女へと姿を変えた。



「ん、まなはくらうすのけんだったみたい」

「ああ、マナは強かったよ」



 仰向けに倒れているクラウスにマナが顔を寄せれば、クラウスはその頭をわしわしと撫で付けた。

 一度使っただけで、クラウスはマナの全てを理解し、またその全てを自然に受け入れる。

 その剣がマナだと気付くのと同時に、その能力も、何故か馴染む左手での扱いも、そういうものなんだと受け入れることが出来てしまった。



 何一つ、疑問に思わない。

 それが異常なことにすら気付かないままに、クラウスは尋ねる。



「ところで、このドラゴンは何で僕を殺そうとしなかったのかな」



 その質問にしばし首輪傾げる様に逡巡した後、マナはこう答えるのだった。



「んーとね、まなのかくせーのためにわざわざたべられに生まれてくるなんて、なまいきっておもった」
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