雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第五章:最古の宝剣

第百五十話:ふたりの師匠

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 ……。……。



 時は少し遡り、ミラの村の復興も随分と進んだある日のこと、時間を見つけては村に顔を出していたグレーズ王妃エリスは、同じくエリーの元へと弟子入りしたマヤと共に剣を振るっていた。

 マヤは新たに贈られた汎用型の宝剣である旭丸を手に、エリスは義父である前王と、かつての騎士団長の遺産を手にして、木剣を振るうエリーに何度も叩きのめされる。

 真剣を手にしているにも関わらず木剣の相手に二人掛かりでもまるで敵わないことに悔しさを感じながらも、エリスはあることが気になっていた。



「ところでお師匠様は、実戦や大会では何故ガントレットで戦うのですか? 確かに英雄エリー様と言えば凡ゆる武器に精通してると聞き及んでいますが……」



 自分達なら力不足が原因で剣を抜いてはもらえないということならば、簡単に納得が出来る。

 しかしエリーの、エリザベート・ストームハートの伝説と言えば、全てが腰の剣を抜くこと無い勝利だった。

 二本の剣を腰鎧に固定し、左手に装備した籠手と素の右手、両脚のみで全ての大会を優勝し、アリエルを守り、凡ゆる魔物を倒してきたのがストームハートだ。

 圧倒的に強いのだから、相手を舐めていても倒せる。以前はそんな風に見えていたのだけれど、弟子入りして観察を続ける内、どうやらそうでは無い様だという結論に至った。



 エリスが真剣に問うと、エリーは優しげに微笑む。



「前も言ったけど、お師匠様なんて呼び方しなくても良いんだよ。エリスはオリ姉の義妹なんだから私の妹みたいなものでもあるんだし。しかも昔の私に似てるし?」



 まるでオリ姉が師匠を呼ぶ様で少し恥ずかしい、と以前言っていたのをエリスは思い出す。

 しかし以前は強くなるため、自分自身に対する覚悟の意味も籠めてそう呼んでいた。

 どうしたものかと考えていると、エリーは本題を思い出して言う。



「っと、それはまあ良いか。

 私がガントレット、と言うかほぼ素手で戦う理由、エリスは何でだと思う?」



 何故それを聞いたのか分かっているだろうに、エリーは敢えてそう問うた。

 エリス自身、理由は何度も考えてみた。

 何度も考えても、結論は見えなかった。

 英雄エリーと言えば凡ゆる武器を得手不得手無しに使いこなし、無手格闘戦でも英雄ライラを負かしたことがある達人。

 しかしそうではあっても、やはり最も多く使っていた武器は師匠の名前を冠した長剣【レイン】だったと聞いている。

 きっと腰に付けた片方はその【レイン】なのだろう。

 それは予測出来るものの、やはりエリスはそれを抜いた場面など一度として見たことはなく、またどんな魔物と戦った時にもその腰の剣を抜いたことは無いと聞いている。



 だから、エリスはそれをエリーに聞こえる様に思考した後、はっきりと口にした。



「想像も付きません。

 二本の剣を腰に固定して、敢えて素手で戦う理由など。どれだけ考えても、射程も短く攻撃能力も落ちてしまいます。不利なだけとしか思えません。

 それに、お師匠が素手で戦うことで、なめられてるって感じてる方も多い様です」



 それだった。

 大会でのエリザベート・ストームハートに対するブーイングの酷さと言えば、ますますアルカナウィンドへの反感を強くしているのではと思える程のもので、「剣を抜けよ!」「舐めてんのか!」そんな野次が飛び交うのがいつものこと。

 そんな中でも、圧倒的な強さでただの一度も膝を付くことなく優勝してしまうのだから、最後には野次を飛ばしていた者達すら全て諦めてしまう。

 腰に付けている二本の剣はあの二本だから抜けないことは分かっているエリスだけれど、それを使わずとも木剣でも英雄クラスと呼ばれる自分を手玉に取れるのだから、せめて汎用品の剣くらい持ってこれば良いのでは、そんな風に思っていたこともまた事実だった。

 それでもあえて素手で戦うのだから、それなりの理由があるはずだ。



「様を消す方向なんだ……。ま、いいや。そうだね、舐めているわけではないけれど、確かに不利だね。マヤはどう思う?」



 答えを聞いたエリーは苦笑いをしながら、隣でぜーはーと肩で息をしている新たに育てることに決めた勇者のマヤに視線を向けた。



「ふう、ふう……。

 え、えーと、私はー、んー、素手といえばライラ様というイメージです。ドラゴンと並ぶ化け物のタイタンを、ライラ様は一瞬で消しとばしたと聞いていますから。

 あ、でもそれはライラ様の力が……」



 疲れていたのか、頓珍漢なことを言い出すマヤにエリスは首を傾げる。

 ストームハートが何故素手なのかという質問に英雄ライラを持ち出すことに意味はない。

 ライラの力はダメージの移動。

 本来自分へ向かうはずだったダメージを相手に押し付けることで、藍の魔王殺しの英雄達の中でもトップの攻撃能力を誇っていたライラは、直接身体が接触することをその力の条件としていた。

 だからこそ英雄ライラは素手でしか戦う方法が無かっただけ。

 エリーの心に関する力とは、余りにもかけ離れている。



 しかしエリーはマヤの話を聞くと、何故か唐突に笑い始めた。



「あっはっは、やっぱり面白いねマヤは。エリス、そういうことだよ」

「そういうこと、と申しますと?」



 何故かマヤの発言が繋がっているらしい師匠の言葉に反対側に首を傾げながらついつい尋ねてしまう。

 そしてつい出てしまった質問に対する師の答えは、エリスの想定を軽々と超えるものだった。





「私がライラ」





「え?」



 何故か右手の親指を立ててよく分からないことを言い始める師に、思わず間抜けな声を出してしまう。

 その顔と混乱した心の中が面白かったのか、自分のことをライラだと言った師は、笑いながら言った。



「ははは。私はエリザベート・ストームハートで、エリーでしょ? それでいてアリエル・エリーゼの侍女兼護衛、ライラでもあるのよ」

「え? ん??」



 一瞬、アルカナウィンドの侍女権護衛のことをライラと呼ぶ慣習でもあるのかという考えが過ぎったものの、ライラとは確かに個人を指す名前だということを思い出す。

 そしてライラは20年前の藍の魔王討伐作戦で逆転の要になるものの、確かに命を落としている。

 且つ、英雄達は死者を冒涜する様な馬鹿なことを口にすることを、最も嫌っている。

 本当は、魔王となったレインのことを魔王と呼ぶことすら嫌がっていることを、流石にもう、知っている。



 整理しきれない頭の中を察したのだろう、師はこれまでの大笑いとは違う、優しげな微笑を湛えて語り始めた。



「私はみたいに全てを反射することは不可能だけど、この右手はある程度のダメージを相手に跳ね返せる。私は右利きだし、左手には力が無いからガントレットを装備して補ってるけどね」



 師は生のままの右拳と、篭手を装備した左手を交互に眺めると、近くの木へと軽く拳を放った。

 バキッという音と同時、その木は明らかに動作以上のダメージを受けているのが、その凹み具合からしても手に取る様に分かる。

 しかし、それがどういうことなのかは分からない。

 勇者の力は基本的に膂力と一つの超常的な力のみ。本来のものとは違う使い方をしていた場合には力が増えた様に感じるけれど、元を辿ればそれは一つの力によって成されるもの。

 全く性質の違う二つの力を持つことなど勇者が生まれて千年以上、ただの一度として無かったはずだった。

 それは、あのレインやサニィとて、同じこと。



「えーと、どういうことかいまいち……。お師匠さ、英雄エリーの力って、心を読みある程度介入すること、ですよね?」



 相手の手の内を読み、精神に働きかけることで相手を弱体化させ、そして天性の戦闘センスとレインから学んだ技術で圧倒的な強さを誇る正真正銘の天才。

 それが、かつて義姉となったオリヴィアから聞いたエリーだった。

 そこにダメージの転移などという戦法は存在せず、聞いたことすらない情報。

 しかし目の前の木を見れば、かかっている力は明らかにかけた力の三割程は増している様だった。



 この話になってから何度目か分からない混乱に頭を悩ませていると、これまでの会話の最中に息を整えたであろうマヤが、元気よく手を挙げた。



「あ、分かりました! エリー様はライラ様の力を、なんとかしてかんとか受け継ぐことが出来たんですね!?」

「え、それは不可能なのでは?」



 いつもなら、何を言っているのだろうと感じてしまう荒唐無稽な結論。

 しかし流石に、エリー達に聞いていたマヤの力の予測を、これまでの経験からもそろそろ信じる気にもなってくる。

 しかし思わず出てしまった疑問はあるけれど、勇者の力は子どもにも遺伝することなく、生まれた時の環境と運のみだ。

 それと似た様なことが出来るのは、今のところ全ての勇者の大元である一人の存在だけなのだから、それと同じ力を持つことを許される訳が無い。

 普通に考えれば、そう思ってしまうのも無理からぬことだった。



 元気になったマヤと、更に悩み始めたエリスを見て、師は苦笑いをする。



「あはは、マヤ正解。私はライラさんの力を、ほんの少しだけ受け継いだんだ」

「まさかお師匠さまの本当の力は、クラウス君と同じ……!?」



 勇者の力を奪うことが出来る唯一の存在が、今のところはその大元であるクラウスだ。

 オリヴィアの力を奪い取ったクラウスの力が、必中ではなく限りなく正確な剣になっていることから、完全には奪い取れない様子ではある様なのだけれど。



 驚き一瞬の恐怖感に目を見開いたエリス。

 彼女を見て、エリーは思わず吹き出した。



「ぶふっ、それは無いよエリス。私は紛れもなくただの勇者なんだから。

 でも今思えば、あの時なんの迷いもなくアリエルちゃんの所に向かう決断が出来たのは、ライラさんのおかげかもしれないね。後10秒くらい遅れてたら、アリエルちゃん死んじゃう所だったし」

「えーと、それは藍の魔王討伐直後、のことでしょうか?」

「そそ。あの時の決断の早さは、私がライラさんだったからってことだと思うんだよね」



 アルカナウィンド女王アリエル・エリーゼが藍の魔王を擁護する発言をしてすぐのこと、それを聞いて失望した過激なエリーゼ信徒の一部が暴走。

 命を狙われた所にストームハートと名乗る竜の仮面の人物が突然現れ、エリーゼ女王を助け瞬く間に場を鎮圧したという話は有名だ。

 その時から素手だった様子から、エリーとエリザベート・ストームハートを同一視する人物は少なかったとも聞いている。



 しかし、だからと言ってエリーがライラでもあるという理由にはなっていない。



「んん? ますます意味が……」



 本日何度目か、首を捻って悩み始めるエリスの頭をぽんぽんと撫でると、エリーは真剣な表情になった。

 今までの修行の中でも見たことがない、自身が無さげな、真剣な表情へ。



「……そうだな、そろそろ、この世界の行く末を、あなた達にもちゃんと知っておいてもらった方が良いのかも知れない。



 の計画を。

 自分の弱さに甘えて弟子に心情を吐露するのは、情けない様な気もしちゃうけれど……」



 それは親しい友人が、自分に悩みを打ち明けたあの時に似ている様だと、エリスは思った。

 その空気の重さに、口の軽いマヤすら、息を呑む。

 きっと二人は師を信頼しているのだろう。

 いつの間にか姿勢を正して、本気で聞き入るつもりになっていた。



 それを確認して、英雄エリーは語りだす。



「ま、簡単に言うとね、私の力って――」



 ……。



「つまり、やっぱり月光は、師匠の為の剣、なんだよね」

「……その剣の力は、元の姿を忘れない。でもお師匠は……なるほど、そういうことですか」

「え? どう繋がるのか私には全然分かりませんよ? エリー様? エリス様?」



 いつも無条件に真実に辿り着くマヤは、どうやら考えなければ分からないことを理解することは、苦手な様だった。
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