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第四章:三人の旅
第百二十一話:世界一英雄らしい英雄
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夕飯時になってクラウス達がダイニングに呼ばれると、そこにはサンダルの姿があった。
先程と同じく挨拶を済ませると、全員で食卓を囲む。
豪華な装いの家ではあるものの、堅苦しいのを嫌うナディアが先導して適当に座って下さいと言えば、各々身近な席へと着席した。
クラウスの右隣にマナ、左隣にはサラ、前にサンダルが座り、その右マナの前にはタラリアが座り、何故か左側は一席空けてナディアという形。
その理由は聞かない方がいい気がして、クラウスはサンダル達に一家に倣って食事を始める。
すると、サンダルはクラウスの表情をまじまじと見て言った。
流石は世界一英雄らしい英雄と呼ばれるだけあって、その表情は整っている。
とは言え美顔に関しては母で慣れているクラウスにとっては、ただその造形に感心しながらも、「どうしました?」と普通に返すだけ。
「ふーむ。なるほど、両親にとてもよく似ているな」
クラウスの対応を気にしていたのは、サンダルの隣に座るタラリアだけだった。父に見つめられれば、男だろうが緊張する、というのが今まで少女が見てきたパターン。
普通に対応するだけで、タラリアにとってクラウスは随分な大物に見えてくる。
そんなことを知らず、クラウスはいつもの調子で答える。
「両親に、ですか」
今まで、あまり気にはしていなかったものの、母に似ていると思ったことは無い。
剣の原形こそ母の剣を意識しているものの、顔の造形は母の様な圧倒的な美を宿しているわけではないし、何よりも目付きが真逆だ。
すると、サンダルは懐かしげに言った。
「ああ、その目は父親似だね。聞いたことはないかい?」
クラウスは、父がどんな人間なのかをまるで知らない。
母が話さないならそれで良いと思っていたし、聞き出すのは母に悪いと思って聞いて来なかった。
そう、クラウスは思っている。
「母は余り父の話をしない人なので……」
どれだけ探っても無い記憶は、思考誘導によりそう結論付けられた。
クラウスは何も違和感を抱くこと無く答える。
それを見て、サンダルは一瞬の間の後悪かったとでも言うように笑い始めた。
「……ははは、そうか。オリヴィア姫はあんまりそういう話はしないのか」
「ふふ、家ではオリヴィアはなんの話するんです?」
最早母の今の名前がオリーブだということなど気にもせずに、二人の英雄は楽しそうに尋ねる。
英雄達の前では、母は相変わらずオリヴィア姫なのだと思うと、クラウスも何処か面白くなってきてしまう。
「僕がここに来た理由でもあるんですけど、母は昔から英雄の話をよくしてくれました。子守唄は英雄の話でしたし、僕が泣いた時には英雄の話で立ち上がらせてくれるくらい、英雄の話ばかり聞いて育ってきましたよ」
「その中でも特に、レインの話だろう?」
「ええ。やっぱり母のレイン好きは有名なんですね」
同じくらい聖女の話もしていたけれど、熱の入り方は少しレインの方が上だったことを覚えている。
それは、レインが魔王になったことを聞いてからはより顕著で、まるでレインを正義にする為にレインの話をしていたのでは、と冷静になれば思う程。
そんなクラウスの言葉に対して、ナディアは再びくすくすと笑う。
「それはそうですよ。オリヴィアの健気さには、私もライラも堂々とライバルだ、なんて言えない位でしたから。だから私は負けるのを分かっていてあの魔女、サニィに直接喧嘩を売っていたんですから」
「それは嘘だ」
ナディアの言葉に、即座に反応したのはサンダルだった。
「負けるのが分かってて、なんて私の前では強がる必要は無い」
そう、女性なら誰しもが頷いてしまいそうな表情で訴えかける。
しかしそれも、目の前の【魔女】にはなんの効果も示さない様だった。
「は? あの聖女の尻を追いかけてもレインさんに勝てないからって代わりに私に狙いを変えたあなたが何格好付けてるんですか」
「いや、私は君のことを誰よりも愛している」
「それは嘘です」
サンダルの主張にナディアは「聖女様が救ってくれたんだ。私はあの方に一生仕える。とか言ってたじゃないですか」とつっかかれば、サンダルは「いや、捏造しないでくれるかな」と対抗する。
いつの間にやら、最も英雄らしい英雄は、最も英雄らしくない英雄に乗せられて、最も英雄らしくない姿をクラウス達の前に晒していた。
「…………」
その様子には、流石にクラウスも押し黙るしかない。
隣のマナは一心不乱に料理にかぶりついているし、サラは良いぞーと盛り上がっている。
そんな所に助け舟を出してくれたのは、二人の英雄の娘のタラリアだった。
「……あの、いつも二人はあんな感じです。あんま、気にしなくて良いですから。というより、外だとあり得ない光景なので、サラちゃんみたいに楽しんだ方が得ですよ……」
両親を横目に、テーブルに少しだけ身を乗り出してクラウスに伝えてくる。
引っ込み思案ながら、中々に苦労は絶えない様だった。
「……なるほど。君も大変だね、タラリアちゃん」
まだ十三歳の多感な時期だろうに、両親が英雄で家ではこうだと思えば、それは随分な苦労だ。
それはもう、比較対象が英雄を辞めた母を持つ自分と、天真爛漫なサラを見ているだけでは想像が付かないくらいに。
しかしタラリアは、クラウスの同情とは別の部分が気になったらしい。
「……う、……え、と、リア、って呼んで下さい。お父さんやサラちゃんもいつもそう呼んでくれるので……」
それはきっと、引っ込み思案ながら最大限の努力だったのだろう。顔を真っ赤にしながら、世界一の美少女と評されるタラリアは、もじもじと訴えてきた。
「了解、リアちゃん」
それに応えない理由は無い。
魔女の娘として苦労しているこの少女の労いになるのならいくらでも。そう思ったところで、一心不乱に胃袋に食事を詰め込んでいたマナが口を開く。
「ね、まなもりあってよんでいい?」
「あ、うん。いいよ、マナちゃん」
二人の会話は、スムーズだった。
人見知りながら最近は周囲に多くの笑顔を振りまいて来たマナと、そんな同族の気配を察したのだろうか、年上のタラリアはえへへと笑い合う。
……。
そんな娘達の変化に先に気付いたのは、母親の方だった。
「ほら、あなたが無駄な抵抗をしてる間に愛娘はちゃっかりと距離を縮めることに成功してますよ」
一つ離れた席から、ナイフを持ったナディアは言う。その切っ先はしっかりとサンダルの方に向いていて、噂には聞いていたもののナディアのスキンシップの激しさに一瞬背筋に冷たいものが走る。
が、それはナディアのせいでは無いことにすぐに気が付いた。
「……クラウス君。もしもリアに手を出すようなら、私は君を殺さなければならない。覚悟しておきたまえ」
その目は、本気だった。
人を食うオーガが、勇者に向ける目に程近い、本気の殺意。
最も英雄らしい英雄の、最も英雄らしくない一面を再び垣間見ると、タラリアが英雄の前へと飛び出して制す。
「違うからお父さん! お母さんも変なこと言わないで!」
顔を赤くしながらあわあわと両手をばたつかせて言うタラリアは、なるほど世界一の美少女だと納得させる可愛いらしさがある。
以前のサラと似た様な反応ながら、サラの様に勝利の魔法など使えない気の弱さが、少女ならではの愛らしさを助長していた。
と、冷静に分析を挟みながら、「……あの、僕は一応サラがいるので……」と答えれば、先程まで英雄達を煽っていた魔法使いはとんでもないことを言い始める。
更にそれは連鎖的に……。
「私はリアちゃんなら別に構わないけどなー」
「なんでサラちゃんも乗っちゃうのー!?」
「まなもいーよ」
「なんで!?」
「クラウス君。表に出なさい。サラ君やオリヴィア姫には申し訳ないが、今日が君の命にゅガッ……」
ゴッというあまりにも鈍い音が、突然全てを搔き消す大音量で室内に鳴り響く。
いつのまにか、殺気を放つサンダルの背後には、ナディアが車椅子のまま移動していた。
その手には二人の間に挟んでいた空の椅子が握られており、その一部には血痕が見える。
「世界を守る英雄がそんな隙だらけでどうするんですか、情けない。ごめんなさいね。この人少し頭おかしいんです。ただ、タラリアを手に入れたくば、きっちりと世界を平和にしてからにして下さい」
今までに無い、ナディアの真剣な声。
それに返す正しい言葉は、タラリアを手に入れるつもりの無いクラウスには咄嗟に出ては来なかった。
「えー……と、今のところ初対面の女の子を囲う予定はありませんが、……はい」
そう答えてみれば、シーンとした部屋の中、幼馴染の笑い声が聞こえてくる。
「あはは。なんでクラウスも答えてんのさ。これ、英雄ジョークだから」
サンダルの頭に治療の魔法をかけながら、サラは笑う。
しかし結局、魔女の行動を読めるのなら、その人は魔女とは呼ばれはしないのだ。
「え? ジョークではありませんよ?」
「え? 違うんですか?」
「まあ、決めるのはタラリアとあなたなので私がこれ以上口を出すことは無いですが」
「え? 僕の意思は?」
いつの間にやらクラウスを置いてサラとナディアの間で交わされている会話。
タラリアは、既に突然倒れたサンダルに寄り添って救護の姿勢を取っていた。
クラウスの疑問に、サラとマナが答える。
「マナも私もすんなりと受け入れて拒否する力がクラウスにあるの?」
「くらうすにはないかも」
「あれ……途端に自信が無くなって来たな……。
って、僕はそんな節操無しじゃないから。マナは娘でサラは妻として、ちゃんとするつもりだから」
今まで母が全てで生きてきたクラウスに、突然の女性関係に立ち向かえる力は無いに等しい。
改めて口に出して覚悟を決める意を表明すると、サラは両手を腰に当てて胸を張った。
「という訳だからリアちゃん。クラウスは私たちのものだ!」
「いや、最初から分かってるよサラちゃん。私別にそういうつもりじゃないから! 最初からずっとそう言ってるから! わたしお母さんみたいにすぐ惚れる軽い女じゃないから!」
クラウスにとって、サラの行動は全く意味の分からない行動だった。
しかし母親だけは、それがどういう意味を持つのかしっかりと理解していたらしい。
「ふふ。こんな早く大声を出せるなんて、なかなか早く打ち解けられたみたいですね、タラリア。クラウスも同じ様に英雄の子どもなんですから、サラと仲良くなれたあなたならきっと仲良く出来るはずですよ。何かあった時には頼っても良いですしね」
引っ込み思案のタラリアが大声を出すことは珍しい。
それがどんな理由にせよ、初対面の相手の前で声を張り上げている。
顔は恥ずかしいのか真っ赤にしているものの、その表情は何処か『頑張っている』感じだ。
「あー、なるほどそういうこと。びっくりしましたよ……」
藍の魔王を倒した世代の英雄の子どもは、今ここに全員集まっている。
英雄が世界に与える影響は途轍もなく大きいことを、クラウスは身にしみて分かっていた。大会を見て、改めて実感していた。
そんな英雄家の中で、唯一の一般人が、目の前にいるタラリアという少女だ。
彼女の引っ込み思案に何か理由があるのだとすれば、英雄の子にしか分からない悩みを解決出来るのは、同じく英雄の子だけだろう。
きっとこの魔女と呼ばれる母親と勝利の幼馴染は、そんなことを考えていたんだろう。
「あはは、リアちゃん引っ込み思案だからね。せっかく世界一可愛いんだから、そうやって自分をアピールしていけるともっと魅力的に見えるよ」
「うー……。全然アピールなんかしてないよぉ……」
更に顔を赤くしながらしなしなと椅子に座り込むタラリアは、なるほど嫌味ではなく世界一の美少女という称号をあげても良いと思う様な、そんな儚さと小動物的な可愛らしさを持っていた。
「りあかわいいね、くらうす」
「ん、ああ、そうだねマナ」
そんな美少女を優しく見守っていると、再び地の底から響く様な声と凍てつく殺気がクラウスにまとわりつく。
「クラウス……君、……表に……でな……へぁ……」
それはすぐに再びどさりいう音と共に消えた殺気だったものの、今日一番の寒気は、その後にやってきた。
「これで大丈夫です。象でも死ぬ麻酔なので大人しくなるはずですよ」
ナディアの手に握られていたのは、千枚通し。
その先端からは、赤い血と共に透明な雫がぽたりとこぼれた。
後に響いたのは、「うわあああああ! これマジのやつだああああああ!!」と叫ぶ幼馴染の絶叫だけ。
娘曰く「お母さんはクラウスさんに会えて嬉しいみたい」ということだったのだけれど、それを理解するのは到底不可能だと、クラウスは即座に悟ったのだった。
先程と同じく挨拶を済ませると、全員で食卓を囲む。
豪華な装いの家ではあるものの、堅苦しいのを嫌うナディアが先導して適当に座って下さいと言えば、各々身近な席へと着席した。
クラウスの右隣にマナ、左隣にはサラ、前にサンダルが座り、その右マナの前にはタラリアが座り、何故か左側は一席空けてナディアという形。
その理由は聞かない方がいい気がして、クラウスはサンダル達に一家に倣って食事を始める。
すると、サンダルはクラウスの表情をまじまじと見て言った。
流石は世界一英雄らしい英雄と呼ばれるだけあって、その表情は整っている。
とは言え美顔に関しては母で慣れているクラウスにとっては、ただその造形に感心しながらも、「どうしました?」と普通に返すだけ。
「ふーむ。なるほど、両親にとてもよく似ているな」
クラウスの対応を気にしていたのは、サンダルの隣に座るタラリアだけだった。父に見つめられれば、男だろうが緊張する、というのが今まで少女が見てきたパターン。
普通に対応するだけで、タラリアにとってクラウスは随分な大物に見えてくる。
そんなことを知らず、クラウスはいつもの調子で答える。
「両親に、ですか」
今まで、あまり気にはしていなかったものの、母に似ていると思ったことは無い。
剣の原形こそ母の剣を意識しているものの、顔の造形は母の様な圧倒的な美を宿しているわけではないし、何よりも目付きが真逆だ。
すると、サンダルは懐かしげに言った。
「ああ、その目は父親似だね。聞いたことはないかい?」
クラウスは、父がどんな人間なのかをまるで知らない。
母が話さないならそれで良いと思っていたし、聞き出すのは母に悪いと思って聞いて来なかった。
そう、クラウスは思っている。
「母は余り父の話をしない人なので……」
どれだけ探っても無い記憶は、思考誘導によりそう結論付けられた。
クラウスは何も違和感を抱くこと無く答える。
それを見て、サンダルは一瞬の間の後悪かったとでも言うように笑い始めた。
「……ははは、そうか。オリヴィア姫はあんまりそういう話はしないのか」
「ふふ、家ではオリヴィアはなんの話するんです?」
最早母の今の名前がオリーブだということなど気にもせずに、二人の英雄は楽しそうに尋ねる。
英雄達の前では、母は相変わらずオリヴィア姫なのだと思うと、クラウスも何処か面白くなってきてしまう。
「僕がここに来た理由でもあるんですけど、母は昔から英雄の話をよくしてくれました。子守唄は英雄の話でしたし、僕が泣いた時には英雄の話で立ち上がらせてくれるくらい、英雄の話ばかり聞いて育ってきましたよ」
「その中でも特に、レインの話だろう?」
「ええ。やっぱり母のレイン好きは有名なんですね」
同じくらい聖女の話もしていたけれど、熱の入り方は少しレインの方が上だったことを覚えている。
それは、レインが魔王になったことを聞いてからはより顕著で、まるでレインを正義にする為にレインの話をしていたのでは、と冷静になれば思う程。
そんなクラウスの言葉に対して、ナディアは再びくすくすと笑う。
「それはそうですよ。オリヴィアの健気さには、私もライラも堂々とライバルだ、なんて言えない位でしたから。だから私は負けるのを分かっていてあの魔女、サニィに直接喧嘩を売っていたんですから」
「それは嘘だ」
ナディアの言葉に、即座に反応したのはサンダルだった。
「負けるのが分かってて、なんて私の前では強がる必要は無い」
そう、女性なら誰しもが頷いてしまいそうな表情で訴えかける。
しかしそれも、目の前の【魔女】にはなんの効果も示さない様だった。
「は? あの聖女の尻を追いかけてもレインさんに勝てないからって代わりに私に狙いを変えたあなたが何格好付けてるんですか」
「いや、私は君のことを誰よりも愛している」
「それは嘘です」
サンダルの主張にナディアは「聖女様が救ってくれたんだ。私はあの方に一生仕える。とか言ってたじゃないですか」とつっかかれば、サンダルは「いや、捏造しないでくれるかな」と対抗する。
いつの間にやら、最も英雄らしい英雄は、最も英雄らしくない英雄に乗せられて、最も英雄らしくない姿をクラウス達の前に晒していた。
「…………」
その様子には、流石にクラウスも押し黙るしかない。
隣のマナは一心不乱に料理にかぶりついているし、サラは良いぞーと盛り上がっている。
そんな所に助け舟を出してくれたのは、二人の英雄の娘のタラリアだった。
「……あの、いつも二人はあんな感じです。あんま、気にしなくて良いですから。というより、外だとあり得ない光景なので、サラちゃんみたいに楽しんだ方が得ですよ……」
両親を横目に、テーブルに少しだけ身を乗り出してクラウスに伝えてくる。
引っ込み思案ながら、中々に苦労は絶えない様だった。
「……なるほど。君も大変だね、タラリアちゃん」
まだ十三歳の多感な時期だろうに、両親が英雄で家ではこうだと思えば、それは随分な苦労だ。
それはもう、比較対象が英雄を辞めた母を持つ自分と、天真爛漫なサラを見ているだけでは想像が付かないくらいに。
しかしタラリアは、クラウスの同情とは別の部分が気になったらしい。
「……う、……え、と、リア、って呼んで下さい。お父さんやサラちゃんもいつもそう呼んでくれるので……」
それはきっと、引っ込み思案ながら最大限の努力だったのだろう。顔を真っ赤にしながら、世界一の美少女と評されるタラリアは、もじもじと訴えてきた。
「了解、リアちゃん」
それに応えない理由は無い。
魔女の娘として苦労しているこの少女の労いになるのならいくらでも。そう思ったところで、一心不乱に胃袋に食事を詰め込んでいたマナが口を開く。
「ね、まなもりあってよんでいい?」
「あ、うん。いいよ、マナちゃん」
二人の会話は、スムーズだった。
人見知りながら最近は周囲に多くの笑顔を振りまいて来たマナと、そんな同族の気配を察したのだろうか、年上のタラリアはえへへと笑い合う。
……。
そんな娘達の変化に先に気付いたのは、母親の方だった。
「ほら、あなたが無駄な抵抗をしてる間に愛娘はちゃっかりと距離を縮めることに成功してますよ」
一つ離れた席から、ナイフを持ったナディアは言う。その切っ先はしっかりとサンダルの方に向いていて、噂には聞いていたもののナディアのスキンシップの激しさに一瞬背筋に冷たいものが走る。
が、それはナディアのせいでは無いことにすぐに気が付いた。
「……クラウス君。もしもリアに手を出すようなら、私は君を殺さなければならない。覚悟しておきたまえ」
その目は、本気だった。
人を食うオーガが、勇者に向ける目に程近い、本気の殺意。
最も英雄らしい英雄の、最も英雄らしくない一面を再び垣間見ると、タラリアが英雄の前へと飛び出して制す。
「違うからお父さん! お母さんも変なこと言わないで!」
顔を赤くしながらあわあわと両手をばたつかせて言うタラリアは、なるほど世界一の美少女だと納得させる可愛いらしさがある。
以前のサラと似た様な反応ながら、サラの様に勝利の魔法など使えない気の弱さが、少女ならではの愛らしさを助長していた。
と、冷静に分析を挟みながら、「……あの、僕は一応サラがいるので……」と答えれば、先程まで英雄達を煽っていた魔法使いはとんでもないことを言い始める。
更にそれは連鎖的に……。
「私はリアちゃんなら別に構わないけどなー」
「なんでサラちゃんも乗っちゃうのー!?」
「まなもいーよ」
「なんで!?」
「クラウス君。表に出なさい。サラ君やオリヴィア姫には申し訳ないが、今日が君の命にゅガッ……」
ゴッというあまりにも鈍い音が、突然全てを搔き消す大音量で室内に鳴り響く。
いつのまにか、殺気を放つサンダルの背後には、ナディアが車椅子のまま移動していた。
その手には二人の間に挟んでいた空の椅子が握られており、その一部には血痕が見える。
「世界を守る英雄がそんな隙だらけでどうするんですか、情けない。ごめんなさいね。この人少し頭おかしいんです。ただ、タラリアを手に入れたくば、きっちりと世界を平和にしてからにして下さい」
今までに無い、ナディアの真剣な声。
それに返す正しい言葉は、タラリアを手に入れるつもりの無いクラウスには咄嗟に出ては来なかった。
「えー……と、今のところ初対面の女の子を囲う予定はありませんが、……はい」
そう答えてみれば、シーンとした部屋の中、幼馴染の笑い声が聞こえてくる。
「あはは。なんでクラウスも答えてんのさ。これ、英雄ジョークだから」
サンダルの頭に治療の魔法をかけながら、サラは笑う。
しかし結局、魔女の行動を読めるのなら、その人は魔女とは呼ばれはしないのだ。
「え? ジョークではありませんよ?」
「え? 違うんですか?」
「まあ、決めるのはタラリアとあなたなので私がこれ以上口を出すことは無いですが」
「え? 僕の意思は?」
いつの間にやらクラウスを置いてサラとナディアの間で交わされている会話。
タラリアは、既に突然倒れたサンダルに寄り添って救護の姿勢を取っていた。
クラウスの疑問に、サラとマナが答える。
「マナも私もすんなりと受け入れて拒否する力がクラウスにあるの?」
「くらうすにはないかも」
「あれ……途端に自信が無くなって来たな……。
って、僕はそんな節操無しじゃないから。マナは娘でサラは妻として、ちゃんとするつもりだから」
今まで母が全てで生きてきたクラウスに、突然の女性関係に立ち向かえる力は無いに等しい。
改めて口に出して覚悟を決める意を表明すると、サラは両手を腰に当てて胸を張った。
「という訳だからリアちゃん。クラウスは私たちのものだ!」
「いや、最初から分かってるよサラちゃん。私別にそういうつもりじゃないから! 最初からずっとそう言ってるから! わたしお母さんみたいにすぐ惚れる軽い女じゃないから!」
クラウスにとって、サラの行動は全く意味の分からない行動だった。
しかし母親だけは、それがどういう意味を持つのかしっかりと理解していたらしい。
「ふふ。こんな早く大声を出せるなんて、なかなか早く打ち解けられたみたいですね、タラリア。クラウスも同じ様に英雄の子どもなんですから、サラと仲良くなれたあなたならきっと仲良く出来るはずですよ。何かあった時には頼っても良いですしね」
引っ込み思案のタラリアが大声を出すことは珍しい。
それがどんな理由にせよ、初対面の相手の前で声を張り上げている。
顔は恥ずかしいのか真っ赤にしているものの、その表情は何処か『頑張っている』感じだ。
「あー、なるほどそういうこと。びっくりしましたよ……」
藍の魔王を倒した世代の英雄の子どもは、今ここに全員集まっている。
英雄が世界に与える影響は途轍もなく大きいことを、クラウスは身にしみて分かっていた。大会を見て、改めて実感していた。
そんな英雄家の中で、唯一の一般人が、目の前にいるタラリアという少女だ。
彼女の引っ込み思案に何か理由があるのだとすれば、英雄の子にしか分からない悩みを解決出来るのは、同じく英雄の子だけだろう。
きっとこの魔女と呼ばれる母親と勝利の幼馴染は、そんなことを考えていたんだろう。
「あはは、リアちゃん引っ込み思案だからね。せっかく世界一可愛いんだから、そうやって自分をアピールしていけるともっと魅力的に見えるよ」
「うー……。全然アピールなんかしてないよぉ……」
更に顔を赤くしながらしなしなと椅子に座り込むタラリアは、なるほど嫌味ではなく世界一の美少女という称号をあげても良いと思う様な、そんな儚さと小動物的な可愛らしさを持っていた。
「りあかわいいね、くらうす」
「ん、ああ、そうだねマナ」
そんな美少女を優しく見守っていると、再び地の底から響く様な声と凍てつく殺気がクラウスにまとわりつく。
「クラウス……君、……表に……でな……へぁ……」
それはすぐに再びどさりいう音と共に消えた殺気だったものの、今日一番の寒気は、その後にやってきた。
「これで大丈夫です。象でも死ぬ麻酔なので大人しくなるはずですよ」
ナディアの手に握られていたのは、千枚通し。
その先端からは、赤い血と共に透明な雫がぽたりとこぼれた。
後に響いたのは、「うわあああああ! これマジのやつだああああああ!!」と叫ぶ幼馴染の絶叫だけ。
娘曰く「お母さんはクラウスさんに会えて嬉しいみたい」ということだったのだけれど、それを理解するのは到底不可能だと、クラウスは即座に悟ったのだった。
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