雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第四章:三人の旅

第百十二話:いや、いいよ

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「クラウス、ちょっと剣貸して」

 夜、いつもの様にキャンプの準備を始めると、サラはクラウスに向かってそう手を伸ばした。
 サラが居れば簡易的な仮住居程度ならすぐに作れるのだけれど、そういうことはせず基本的にキャンプ支度はクラウスがやることになっている。
 それはこの旅がクラウスの旅だということ以上に、レインとサニィがいつも野宿で旅をしていたことが理由。
 マナやサラの無事を考えても、エリー叔母さんに鍛えられたクラウスの手慣れた半自動迎撃技術の前にはどちらも大差が無いという理由で、嵐でも来なければいつもキャンプはクラウスが有り余る膂力を武器に拵えることになっていた。

 それはともかく。

 クラウスは何の躊躇もなく出されたサラの手に旭丸を乗せる。
 普段はマナにすら触らせない様にしている剣も、サラが相手なら話は別だ。
 サラは旭丸がクラウスに手渡された時に、それを目撃している魔法使い。
 すなわち、手入れ仕切れなかったこの剣を、新品同様に戻せる数少ない存在だ。

「なるべく丁寧に使ってるつもりなんだけど、月光の様にはいかないものだね。頼んだよ」
「今のクラウスの力で振り回されて原型を保ってるだけで充分優秀な剣ではあるんだけどね。
 それに英雄エリー曰く、月光は世界一扱いにくい剣らしいから、クラウスだって上手く使えないかもよ?」

 受け取りながらそんな話題を交えつつ、サラは鞘に納まった旭丸を抜く。
 ぱっと見は綺麗に保たれているそれも、よくよく見てみれば細かな刃こぼれや無数の傷が付いている。
 流石に正確な剣筋のクラウスが振るっているだけあって芯のずれはないものの、斬れ味は最初より随分落ちている筈だ。

「世界一扱いにくい、か。今は英雄エリーが持ってるんだよな」
「うんうん。一切のしなりが無い上に斬れ味もただの業物でしょ? だから、切断というよりは叩き潰して引き裂く感じになりがちなんだってさ。腕への負担も大きいらしいよ。
 それに比べたらこの旭丸は斬れ味を増してあるから凄く使いやすいんだって」

  言いながら、手入れをする前の旭丸で丸太を叩き始めるサラ。
 何をやっているのかと疑問に思っていると、何度か叩いて納得したのかうんうんと頷いた。

「私実は月光を持たせて貰ったことあるんだけど、今の旭丸の方がまだ月光よりも切れるね」
「それは羨ましいな。僕はエリーに会ったことも無いのに」

 いや、何度も会ってるよ。と言うかあんたの師匠だよ。
 何度そう言おうと思ったことかわからない。
 しかし相変わらずクラウスはそれに気付くこと無く、エリー叔母さんと英雄エリーを別人物だと認識している。
 それは地面に敷いたマットの上でむにゃむにゃと言いながら眠っているマナも同じで、何度クラウスが英雄譚を聞かせてもエリー叔母さんと英雄エリーが同一人物だとは気付かない様だった。

「英雄エリーは今もちゃんと生きてるからね。見えない所からひっそりと世界を守ってるんだよ」

 クラウスにとって英雄エリーは世間の認識と同じく、消えてしまった英雄だ。
 師匠が魔王になった苦しさから英雄を辞めた、だとか、師匠をその手にかけた辛さに耐えられなかった、だとか、師匠もオリヴィアも死んでしまって心を傷めた、だとかいう色々な噂がされている。
 そんな中でサラの言葉を聞いて、クラウスが嬉しそうな顔を浮かべるのも、また当然だった。

「ちなみにクラウスは三代目だけど、月光が欲しかったら英雄エリーを倒すしか無いんだよ」
「そんなルールがあるのか」
「いや、無いけど」

 間抜けなクラウスと言うべきか、安心出来るクラウスを見ていると無性にからかいたくなってしまうのはサラの癖だった。
 かつては苦手だったそれも、よくよく見てみればスキンシップを取りたいだけだと考えれば、クラウスも悪い気はしない。

「無いのか……。でも僕は月光に憧れはあるけど、使うつもりは無いかな」
「なんで?」

 クラウスにとって、レインの様な英雄になることは夢だった。
 守ろうと思えば世界ですら一人で守れる英雄。
 しかしたまたま出会った最愛の人と、二人で命を懸けて世界を守った英雄。
 母が、最も楽しそうに語る英雄に。

 クラウスは続ける。

「あれはレインの剣で、レインを受け継いだ母さんやエリーにこそ相応しい剣だからね。そのレプリカなら嬉しいけど、本物はちょっと荷が重いかな」

 クラウスにとってその剣は、最強の英雄の証だ。
 未だどんな英雄にも、エリー叔母さんにも勝てない自分では受け継ぐに値しない。
 そんな気持ちが、クラウスの中にはずっと存在する。
 自分の実力は概ね把握している。
 それでも、大会で見た英雄達、ストームハートにはまだ勝てるイメージが湧かない。
 そう、感じていた。

 しかし、それはそれというケースもある。

「でもオリヴィアさんが受け継いで欲しいって言ったら受け継ぐんでしょ?」
「それはもちろん」
「何その即答……。ほんと、お母さん第一の中途半端な決意だね。お母さんにだけは真剣って言えるのかもしれないけどさ」

 その場合、すぐにでも英雄達を抜ける様に死にものぐるいで努力するだけの話だ。
 受け継ぐに値するまで努力を重ねることなど、勇者では無くなってしまった母の悔しさに比べたら大変なことでもなんでもない。

 まあ、それも、少し前までの話。

「でも、今は少しだけ増えたかな」
「増えた?」
「うん。強くなる理由かな。今は母さんだけじゃなくて、サラやマナを守る為に世界最強が必要になるなら、世界最強になる覚悟はあるつもりだよ」

 少しだけ格好を付けて言ってみた言葉は、しかしサラにはあまり届かない様だった。

「いや、もう今より強くなる必要はないよ……」

 その後サラが旭丸を修繕する魔法が焚き火よりも虚しく輝いている様に見えたのは、クラウスの気のせいでは無いだろう。
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