文バレ!②

宇野片み緒

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第七章 ココペリにて

Scene5 翌朝

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 穏やかな会話の中で眠れたおかげだろう。いい目覚めだった。夜中に目が覚めることもなく、うなされることも、いきなり涙が出てくることもなかった。
 実は、去年はこれらが全部起こったのである。初の全国大会という大舞台に緊張し、俺は開催前の夜もろくに眠れなかった。ソウルの口癖を思い出しながら自己暗示したが、その時に限っては逆効果だった。大丈夫だよ、と言うその本人すら心配の種なのだから。練習試合とは違う、全国大会。真剣勝負。自己暗示の、大丈夫だよ大丈夫だよ……はいつしか、きおくきおくきおくきおく……と音を変えて脳裏を回り出した。
 寝不足と不安で本調子じゃなかった。空元気は案の定バレて、全員に心配されたのをよく覚えている。それでもなんとか二回戦まで突破し、二日目につなぐことが出来た。予習が功を成して、試合中に足を引っ張ることはなかった。なかったと、信じたい。だがホテル・ココペリに戻ると我慢の糸が切れて、自然と涙が出たのだ。実は昨日ペットが死んだと、ありがちな言い訳をしてしのいだ。俺の幼なじみは、その時もやっぱり、全て気づいていたんだろう。俺が、何を心配しているのか。ピーちゃん死んじゃったんだ、残念だったね、などと咄嗟に話を合わせてくれた。うちにペットは元々いない。
 深夜、明朝体やらゴシック体やら教科書体、いろんな字体で、日本再生大学のアリーナの壁中に、きおくキオク記憶と浮かび上がる悪夢で目が覚めた。全員眠っていて、飛び起きるところを見られなかったのは良かった。ソウルが穏やかに眠っていて、不思議だった。理不尽なことに、その寝顔に苛立ってしまった。なあ、お前は怖くないの。当事者のお前が、なんですやすや寝てんの。そうゆうふうに考えた自分が恐ろしくて、ごめん、ごめん、と一人で泣いていた。結局、泣きつかれて眠ることが出来たんだが、三時間くらいしか睡眠を取れなかったんじゃないだろうか。切り替えろ、と自分に命令した。
 きおくきおくと叫ぶおばけは、試合中は俺の中にいなかった。しかし、おばけを消すことに気を取られて、一日目より不調だった。二日目の朝一に行われた、三回戦。詩吟高校─最終的に三位になった強豪校─と戦い、負けた。三位になるような強豪と戦って負けたんだから俺のせいじゃない、と最低な発想をした。悔しがる先輩たちを見ながら、すごく申し訳ない気持ちだった。速見が励ますように俺の背を叩いたのも、ヒイロが敵を睨んで舌打ちしたのも、全て俺を責めているように感じた。そして、幼なじみは、俺だけに聞こえる小さな震える声で告げたのだ。大丈夫だよ、じゃなかった。
「ごめんな」
「なんで謝んの?」
 そう返したら、いよいよ悲しくて、心が空っぽになった。

 そんな去年を知らない一年生コンビの、明るい声がしている。
「たっははは、びっくりした。ちょいとアトム、そりゃベタすぎるっしょ。おはようさん」
 両頬をぷっくーと膨らせて、内田がベッドから落ちた体制のまま仰向けになっている。涙目で、いたあい、と甘えた声を上げた。ドッスという大きな音が目覚ましになり、ほとんど皆目を覚ました。ヒイロとソウルがまだ寝ている。
「おいおいおいアトムちゃん、頭は打ってないな?」
 速見が慌てて飛び起きた。浴衣が着崩れていて、ほぼ半裸である。
「ふええ、大丈夫です、おはようございます」
 ぐずりながら上体を起こす内田。
「ケガがなくて安心したんだぜ。オハヨウ!」
「それよりも服着てくださいよ」
 心配してくれた先輩にそれはないだろ内田。
 去年と打って変わって心情が穏やかで、俺はこっそり安心した。
「おはよう」
 発した声も、ちゃんと明るい。よかった。寝ている幼なじみの肩をゆする。
「ソウル、朝」「んあ、何?」「朝」
 互いに家に泊まることが多いので、ごく自然な動作なのだが、去年これで美々実さんに、名推理したというような得意気な顔で「さては同棲しているな」と言われた。してない。
 ちなみに。男女で別々の部屋を取るのが通説なんだろうが、美々実さんは去年、自ら進んで俺たちと同じ部屋だった。キャプテンは常にチームメイトの側に居ないといけない、皆で一緒にいるほうが楽しい、一人で別室はさみしい等々、最もなことを仰っていたが、それ以前に男五人対女一人に平気で飛び込んでいく精神が心配。桐島書籍も、姉ちゃんが危機感なさすぎて心配と嘆いていた。あの子供っぽいキリが言う程だ。本当に心配。
 俺の真似をして内田が、
「池原さん、朝」
 と肩をゆすりだした。ヒイロは眠ったまま眉間にしわを寄せてヴンッとうめき、チビの手を払いのけた。その反応に一同大爆笑。
「家でもやってそうですよね、今の払いのけ方」内田。
「やってそう。妹さんとかに」ジョージ。
「お兄ちゃん起きて!」俺。
「ヴンッ」速見。
 一連の茶番に、起き抜けのソウルが腹を抱えて引き笑いを始めた。朝から絶好調だな。ヒイロは、薄く目を開けて、なんだうるせえ、と独りごちた。寝ぼけているらしく、目をこすって起き上がりながら、さらにこんなことを言った。
「ほのか、朝っぱらから友達呼ぶなよ。あれ、ここ俺の家じゃない」
 完全にツボに入ったソウルが、膝から崩れ落ちて、「無理、笑い死ぬ」と身をよじった。我らのヒーローは俺たちの姿を認めるや、あ、と呟き、少し目を泳がせた。そして冷静に。
「おはよう」
「なかったことにならねえぞーッ! 寝ぼけてたな今、完全に自宅モードだったぞ今ァ!」
「ち。今年はうるせえな小野」
 台詞だけだと、俺は嫌味に感じたかもしれない。驚いたことに、ヒイロは微かだが笑って言ってくれた。たぶん、今年は元気そうで安心した、という意味。たぶんだけど。
「うるせえだろ」
 胸を張る。「胸張るとこですか?」内田が怪訝に首をかしげた。

 試合は十時からだ。今はまだ六時半。
 朝ごはんを食べに、昨日の夜と同じ会場へ向かった。朝は時間が決められておらず、六時から九時の間で、自由に行っていいことになっている。おそらく七時半から八時半が一番混む時間帯だろう。早朝の会場は、思った通り人がまばらだった。新古今高校です、と入り口で告げる。和食の御膳がそれぞれに手渡された。
「朝はバイキングじゃないんだなア」
 少し残念そうにソウルが呟いた。
「でもかなりうまそうじゃん」
「米よりパンが口に合うんだ。ほら、俺ってば、四分の一ほど異国の血が流れているし?」
「なんで急に格好つけたし」
 席に着く。速見が嬉しそうに箸を持った。
「家の朝ごはんと似てるんだぜ。オイラの家、毎日朝は和食で一膳三菜しっかりでよ」
「健康的だな。俺いつも、朝は牛乳と食パンだけだわ。これうっま」
 お吸い物を飲みながら答える。柚子胡椒の効いた、上品な味だった。
「僕なんて、普段は朝ごはん何も食べないですよっ」
 内田が熱心に鮭をほぐしている。ジョージが肩をすくめて笑った。
「だから身長伸びないんでねえの?」
「なんだよ。遠道が伸びすぎなんだろ。いつも何食べてんの」
「朝? ホットケーキかフレンチトーストかサンドイッチ」
「カフェかよ。手作りでしょ知ってる」
「手作りでーす、うぇーい」
 ふと、黙々と御膳を食べる金持ちに目が行く。速見が口を開いた。
「ところで池原サンは普段、朝ごはんに何を食べてイラッシャルんだぜ?」
 ヒイロは手を止め、思いっきり顔をしかめた。
「なんだその口調。普通のもの食ってる」
「普通のものとは」
 チッ、と不機嫌な音がした。
「母親が、洒落た朝を演出したいのか、シリアルとかスムージーとか出してきやがる」
 よっぽど不満なのか、深いため息もついた。
「なるほど。じゃあ今日の朝ごはんの方が普段より満足なんだぜ?」
「満足。和食は好きだ」
 ヒイロのお母さん、会ったことはないが、話に聞く限りでは、優しいが怖い人という印象だ。笑顔でプレッシャーを与えてくる感じの。うちの母とはまるで違う。俺、母さんに、たまにクソババアとか言うもんな。そしたら母さんは、このクソ反抗期が、とか同レベルで言い返してくる。どっちが子供だかって感じになって、ケンカ売ってしまった俺が後悔する羽目になるのだ。それが母さんの狙いなんだろうけど。俺はいつも、あの人に敵わない。池原家では「シリアルとスムージーはやめてくれ」すら口にできないのか。窮屈そうだ。
 早々に食べ終わったジョージが、じゃあ、と立ち上がった。
「俺ちょいと、このホテル探検してきやす。十時までまだまだ時間あるっしょ」
「ふえっ、何それ楽しそう。僕も行くっ」
 内田がそう続けて、残りのごはんをかきこんだ。
「九時までには部屋戻れよ。最終ミーティングしたいから」
 ゆっくりと味わいながら伝える。
「うぃっす」
 軽く敬礼をして、ジョージと内田は場を後にした。食べるの早いな、と思ったがどうやら俺が遅いだけだ。ソウルの皿はとうの昔に空だったし、速見もいま食べ終わった。ヒイロももうすぐ食べ終えそうだ。俺だけ半分近く残っている。ソウルが懐かしそうに目を細めた。
「同じ量だとそうなるんだよなあ。給食の時間、食べきれなくて泣いてたの思い出す」
「おっ前。本当、お前はさ、そうやってどんどん俺の嫌な過去を言ってくよな本当」
「楽しい」
「楽しいじゃねえんだよ。メガネ割るぞ」
 幼なじみはまた、ごめぇん、と穏やかに笑うのだ。

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