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第七章 ココペリにて
Scene1 部屋
しおりを挟む「俺も先にお風呂入ろうかな。部屋のやつ」
試合を流すテレビの音を背後に、ソウルが立ち上がった。
「ふえっ、部屋のやつですか。山ノ内さんって温泉とか好きそうなイメージありました」
床に座ってテレビ観戦している内田が、上目遣いで彼を見た。それを言うなら、内田が部屋の風呂だったのも意外なんだが。ソウルは、らしくない嫌そうな顔で返した。
「うん。温泉は好きなんだけど、ここは単に大浴場だし。あと俺って目が悪いだろ。度の入ったゴーグルを着けていかないと、どこに何があるか分からないんだ。別に、ゴーグルが恥ずかしいとかじゃないんだけど、万葉高校の山田とかが偶然居合わせたら、だっせえーとか言ってきそうでウザいし。もう部屋の風呂でいいやみたいな」
え、不機嫌。あの穏やかなソウルが投げやり。ウザいって言ったぞ。微かな笑みが怖い。
「ふええ、そんな事情が。もうレーシックしたらいいのに」
「そうは言っても、家が眼鏡店だしなア」
言いつつ旅行鞄から下着と寝巻きを取り出しソウルは、うーんと悩んだ声を出した。
「どうした?」
「いや、寝巻き持ってきたけど、せっかくだし浴衣を着ようかなって。浮かれすぎ?」
「さっき浮かれたやつが一人、浴衣持って大浴場いったから全然いいと思う」
「そっか」
棒読み。ソウルなら大笑いしそうなとこなんだが。この愛想のなさはなんだ。
ああ、思い当たった。もうすぐ夜ご飯だからお菓子食べちゃダメと言われて、我慢してる時のやつだ。こいつは昔から、お腹がすくと機嫌を損ねるのだ。持参している大量の菓子はあるが、予定されている夕食の時間が近いので耐えているのだろう。真面目なものだ。
それはそうと、俺はむしろ浴衣を着るやつが増えてほしい。実を言うと自分が寝巻きを持ってきていないからである。事前にホテルの情報を調べて浴衣があると分かったので、荷物を減らすべくあえて置いてきたのだ。ロビーから部屋に戻った時、目に入った内田の服装が当然のように寝巻きだったので、内心かなり焦った。
「山ノ内が着るならオイラも着るんだぜ」
速見がサムアップをする。
「お。じゃあ俺も着るわ」
見たか、この自然な便乗!
「うぇーい、んじゃ俺も浴衣着るって言いたいとこだけど丈が足りない可能性」
「ふええっ、じゃあ僕も浴衣に着替えますって言いたいとこだけどぶかぶかの可能性」
一年生コンビの息がぴったり。それを聞いて速見が、がっくり肩を落とした。
「オイラ、横幅が足りない可能性!」
しかしホテル・ココペリの対応が素晴らしく、よく見ると各ベッドに置かれている浴衣はそれぞれサイズが異なるようだった。ソウルが、たぶんこれが速見の、と言って一際でかい浴衣を渡した。ジョージが、腰かけていたベッドの浴衣を広げる。
「あー、これは俺んじゃない。SSサイズだ。マトペさんどうぞ」
「内田のだろふざけんなッ」「痛っまさかの全力」
座っていたので届いたため、またとない機会と思い頭を強めにはたいておいた。
ちょうどそのタイミングで、ヒイロが戻ってきた。扉が開いた瞬間─イケメンなのは重々承知だったが─浴衣が似合いすぎて、全員で凝視したまま固まってしまった。その反応を見て、我らのヒーローは眉間にしわを寄せ、襟がちゃんと左前か触れて確かめた。
「違う合ってるそうじゃなくて浴衣めっちゃ似合う! ヒイロさん浴衣めっちゃ似合う」
ジョージが声を上げたのをきっかけに、呆然と眺めていた俺たちは我に帰って、そう、そう、と同意した。ココペリ側が用意してくれていた、真っ青な生地に金の千鳥格子があしらわれた綺麗な浴衣だ。サイズが違えど全部同じデザインなのだが、こんなに似合うやつの横で同じものを着るのが途端に恐れ多く思えてきた。
「ち。あったので着ただけだ」
ヒイロが面倒そうに、目をそらしてボソッと返す。ソウルが自信なさげに、
「俺はやっぱり寝巻きでいいかな」
と苦笑する。「いや着ろよ俺も着るから!」ついかぶせ気味に言ってしまうと、幼なじみはきょとんと一つ瞬きをしてから、クイズが解けた時みたいな笑い方をした。
「あっは、そうか。わかった、着る着る」
これ、俺が寝巻き持ってきてないのバレたな。でも笑顔が出たってことは機嫌直ったか?
「じゃあ行ってくる」
メガネの文学少年は、ゴーグルを持って部屋の風呂に向かおうとして、
「あ、だめだ。今から行ったらギリ間に合わない」
足を止めた。夕食の時刻のことだ。日本再生協会が立ててくださったスケジュールでは、八時半から夕食となっている。チームによっては六時半からだったり七時半からだったり。何せ大人数なので食事時間は三つにグループ分けされているのだ。なお大浴場は、温泉じゃあるまいし部屋の風呂を利用する者も多いので、特に時間制限はない。今は八時五分。
「あー、先に行っといて良かった」
内田が独り言をこぼした。あざとアピールなし。もはや完全に素。踵を返して来て、ベッドに腰かけるソウル。残念そうに肩を落とし、珍しく愚痴を言った。
「というか八時半って食事の時間として変だろ。風呂いつ行けばいいんだよって感じ」
浴衣姿のヒイロが無意識に追い打ちをかける。
「俺は気づいたから先に行った」
お、お前やめとけ。今のソウル冗談通じないから。
「えっへへ、僕もですっ」内田。やめとけ。
「小野聞いた? こいつら余計なこと言ってくる」
これは相当ご機嫌ななめだ。ヒイロと内田が、予想外の反応に「えっ」と同時に息を飲んだ。この二人が同じ反応で並ぶ図って、かなり珍しい気がする。
「なあ、ソウルもうさ、持ってきた菓子食えば」
「あと二十五分でご飯だから我慢する」
「そう言うけど我慢限界来てる感じじゃねえか。すっげー機嫌悪いの見てて分かるもん」
「いやだって夕飯が八時半から始まるとかまじでクソ。去年は六時半のグループに当たれたのに今年は八時半ってどうゆうこと。どうゆう基準で決めてんの」
「ランダムだと思う」
ソウルは普段の穏やかさの欠片もない表情で、深いため息をついた。幼なじみの俺は、これはご飯食べたらすぐ元に戻るやつだと分かっているので気にしないが、他のメンツは何事かとざわつき始めた。気にするな、の意味を込めて軽く片手を挙げて見せる。
「というか八時半に夕飯って遅いんすか?」
不意にジョージが言い、空気が変わった。「え、遅くない?」とソウル。
「いや、俺ん家が特殊かもしれねえんすけど。いつも店十時に閉めて、俺と親父その後に食ってるんで、八時半ってめちゃくちゃ早えって思うんだな」
速見が納得したように頷き、大きな声で言った。
「オイラの家は八時のことが多いけどよ、全員揃って食べるって決まりにしてるから日によってまちまちなんだぜ。姉ちゃんが残業あった日とか、九時超すこともあるんだぜ」
「え、姉ちゃん居んの。初耳だわ」
俺の発言で論点がものすごい勢いでズレてしまった。
「おおう、言ってなかったか! 全っ然オイラと似てないんだぜ。オイラは母ちゃん似だからよ。姉ちゃんは父ちゃんに似てて超美人なんだぜ。うちの父ちゃんイッケメーンでよ」
そう言ってスマートフォンを取り出し、速見は姉の写真を見せてくれた。
確かに。超美人とは悪いけど言えないが、感じのいいお姉さんだ。細くて背が高く、言っちゃ悪いが体型の違いが一番驚いた。お節介そうな感じで、ツリ目が速見と似ているかな?
それから思いついたように速見は、
「この中で兄弟姉妹いる人はいっ」
とアンケートを取り出した。なんとソウルとジョージとヒイロが手を挙げた。俺と内田だけが一人っ子と、ここに来て発覚。普段出ない話題だ。五人兄弟のソウルが目を丸くする。
「え、うそ、俺以外みんな一人っ子だと思ってた。何が居んの」
空腹から気が逸れたおかげか、ずいぶん機嫌が直ったようだ。しかし、何が居んのってそんな無人島探索みたいな言い方。
「妹がいる。多分こここさんと同級生。九歳だったよな」
ヒイロが打ち明けた。へえっ、と一同驚いた。ヒイロって一人っ子イメージが特に強い。
「うそ、うちの妹と同級生? 学校同じかも」
「池原ほのか」「うっわ」
引く、という雰囲気で声を上げたソウルに驚いて、ヒイロは首をかしげた。
「本当に学校同じなのか?」
「あ、全然違う。けどほら、ココが一方的に知ってるっていうか。小学校の全国模試ってあるだろ。池原ほのかさんいつも一位じゃない?」
「そうだな」
その同意は、特に得意気というわけでもなく、当然のことを認めただけに聞こえた。ソウルが少し悔しそうに顔をしかめてから、すぐ朗らかな笑顔に戻して言った。
「ココいつも二位か三位か四位か五位なんだよな。だから上位の人の名前覚えてて」
「こここさん頭いいんだな」「一位の妹いる人に言われるとムッとするなあ」
時計を見ると、八時十五分。ぼちぼち行く? と皆にジェスチャーで問う。頷きが返る。
「遠道も兄弟いるんだね。知らなかった」
内田が、テレビ消していいですかとジェスチャーで問いながら述べた。オッケーの指。
「うん。ちょいと厄介な兄がね。みくの実の父なんだけど、今どこにいるのかわかんない」
よっこいせ、とベッドから立ち上がりつつ、いつもの軽口のようにジョージの声がした。
「何それ、だいぶやばい」
「やばいっしょ、たはは。俺の住んでる辺り、こんなんばっかりだよ」
ルームキー持ってるの誰? のジェスチャーをソウルがした。速見が、ここなんだぜ! と言わんばかりに高く掲げた。靴を履きながら、内田とジョージは会話を続けている。
「遠道と僕の家、確か案外近所だったよね。わかる。うちの組も五人くらい行方不明」
「まーじか! たっはは、俺らの住んでる地区、治安ひどすぎやしねえ?」
「五人だよ。そっち一人でしょ? 元気出しなよ」
「母数が違う、母数が」
一年生コンビの家庭事情がまじでやばい。笑いながら言えるのが、強いと思う。
「あ、道理でみくちゃん? 名前みくちゃんで合ってたっけ。ジョージにも似てたんだ」
ソウルが、速見の投げた鍵をキャッチして言う。
「そうなんすよ。兄貴と栞さんの間の子なんすわ。赤い天パは遠道家の遺伝子なんだな」
「はあー良かったあ。隠し子かもって本気で思ってた。ほら、ジョージのことだし」
「んなアホな! 姪っ子っすよ、俺どんなイメージなんすか。ガチの安堵やめて」
会話をしながら、行こう云々は全部ジェスチャーでやって、部屋を後にした。
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