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第六章 羽ばたきの数
「いつもそう言われるけどね」後編
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戻るとジョージが開口一番「マトペさんメールめっちゃ塩対応」。
「今テレビいいところですよっ」
早々に風呂を済ませたらしい内田が、肩からタオルをかけた格好で言った。その薄くて白いタオルは私物らしく、地元にあるのか「極楽銭湯」と書かれている。上下とも灰色の大きめのスウェットには「寝る」にも「寝子」にも見える墨字が大判プリントされていた。ベッドから毛布を引きずり出して足にかけている。朝に見た私服と打って変わって、部屋着が完全に若。
「風呂早くね?」「ふええ、でも汗かいてたんで」
壁の時計は夜の七時を示している。他のメンツは体操服のままテレビにかじりついていた。先ほどの唄唄い対方丈戦の続きを映している。途切れたところより少し進んだようだ。
「展開どう」「いったん巻き戻しやす?」「や、説明で良い」
ジョージの説明によると、ハシバミ、アケビ、スグリ、と登場人物名が続いて今は唄唄い側にボールがあるとのこと。話を変えるチャンスをわざと逃して、方丈も唄唄いもそのまま試合を進めている。出方を伺っているのだろうか。怪訝な顔で、内田が口を開いた。
「ねえ遠道。さっき方丈高校が言ったハシバミって、ブナ目カバノキ科ハシバミ属で落葉低木の、あのハシバミのことで合ってるんだよね?」
「えっ豆知識すげえ! たはは、そうじゃなくて、ハシバミって名前の女の子が出てくんの。ちなみにアケビもスグリも登場人物の名前ね。このアケビとスグリは双子で、すごい息ぴったりで元気な女の子二人なんだよ。一巻からずっと出てきてるけど、気まぐれで自由奔放で、自分たちの名前まで毎度毎度気分で変えちゃうんだな。だから六巻では、アケビと呼んで、スグリと呼んでって言ってんだけど、一巻ではアップルとレモンだった。ほぼ巻ごとに変わんの。名前を変える上にそっくりだから、ずっと見分けがつかねえの。俺ね、全巻読んだのに双子の区別つかなかったのが悔しくてめっちゃ読み返した。たぶんもう五十回はリピートしてる」
俺いない間ずっとこんな調子で語ってたのか? 内田が呆れて笑い「そこまで聞いてない」とジョージの口の前に手をかざした。画面の中のピエロが、スグリという出題に対して返す。
「巻貝の家」
アアーッ唄唄いさん分かってらっしゃる! と、うちの赤毛が立ち上がって拍手した。こそあどの森の双子は、森の西にある大きな湖の上に建つ巻貝の形をした家に住んでいるのだ。
「唄唄いさんの名前ピエロさんな」「ピエロさん分かってらっしゃる!」
「ちなみにピエロさん偽名な」「まじすかピエロさんわけ分かんない!」
好きな本を語る時テンションが上がるのは誰しもだが、ここまで上がられると笑える。
「遠道が楽しそうすぎて、さすがに気になってきた。今度読むね」
内田が困ったようにはにかんで、肩をすくめた。速見も親指を立てて言う。
「オイラも読んでみるんだぜ」
あざーっす、と文系らしくない語調でジョージはブイサインを返した。
「俺も勧める。すげー良いから読んで」
便乗して言うと、ソウルが「初めに小野に勧めたの俺だから」と朗らかに笑った。
「小二の頃だっけ?」「小三じゃない? 夏休み」「あー、そうだった」
「あ。俺もそのくらいの時に読んだ」
不意にヒイロが告げ、俺とソウルとジョージで、やたら嬉し気な「まじか」がかぶった。
そこで突然、試合の話題がずっと変わらない理由に気づいた。これだったんだ。客席の一体感。こそあどの森シリーズを読んだことがある者全員が作り出している、懐かしい、嬉しいという気持ち。昔読んだ大人たち。今読んでいる子供たち。大きくなってから読み返して、なぜか涙ぐんでしまうあの時間。ここで話を変えてしまうのは、あまりにも無粋なのだ。そしてそのことを、方丈高校も唄唄い高校も分かっている。
「ぬまばあさん」
と試合の言葉は続いた。第七巻のエピソード。森の湖の奥に、こわーい童謡に登場する「ぬまばあさん」が住んでいるという噂を双子がスキッパーの元に持ってくるのだ。気まぐれで遊ぶのが大好きな双子なので「スキッパー、たいへん!」とか何とか言って、大慌てでやってくるのはいつものことだけれど、どうも今回は本気で「たいへん!」と言っている。なんでも、実際に会って、ぬまばあさんに食べられそうになったとか。
方丈高校の、キツネ顔の女子が楽し気に歌い出した。
「♪ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬまばあさん」
トスが上がる。ここで三十分の小太鼓が叩かれ、会場中が、
「♪ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬまばあさん」
と言い(歌い出しはリフレインなのだ)試合は一旦止まった。
この暖かい雰囲気はなんだ。文芸トークが穏やかに長引き続けて、一時間経つんだろうか。だとしても、そんなにも長い時間、同レベルでお話しできるのはえげつないことだ。絶対どこかでどっちかが、すみません知りません、と言う羽目になるはず。残り三十分、どうなる。
映像なので、すぐに続きが始まった。ぬまばあさんのうたの暗唱が子守唄のよう。しかも唄唄い高校は朗読が実に上手いので、いよいよそう聞こえてくる。
ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬまばあさん ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬまばあさん
いつもいねむり ぬまのそこ こどもがくると でてくるぞ
つかまえられたら さあたいへん
おおきなおなべで ぐつぐつぐつ……♪
ヒイロがうつらうつらと船をこぎ始めていた。時計を見ると七時半。やつは、眠気覚ましのように少し首を振ってからふらりと立ち上がった。
「明日起きれなくなりそうだ。先に風呂行ってくる」
「えっ起きれなくなる判定早っ、俺そのセリフ夜中一時くらいに言いやすぜ」
ジョージの返しにヒイロは顔をしかめ、
「十二時以降はおばけの時間だろ」
真面目そのものの語調で言い放った。それから踵を返し、着替えなどを持って部屋を出た。
少し沈黙があってから、ソウルがうろたえた様子で口を開く。
「えっ? 本気? おばけ信じてる? どうゆうこと。あの子いつも何時に寝てるの」
「いや寝る時間以前によ、一体どうゆう家庭環境ならおばけ信じる十七歳になるんだぜ?」
速見もうろたえている。画面の中の二校が、二番も歌い終えかけていた。
「というかヒイロさん大浴場行くんすね。てっきり部屋の風呂で済ますと思ってた」
残像を探すかのようにジョージが背筋を伸ばして、やつが出ていった扉を見る。スウェット姿の内田が、自分は部屋の風呂で済ませたわりに、目をぱちくりさせて嬉しそうに頷いた。
「確かに。しかもホテル側が用意してくれてた浴衣を持っていったよね。僕は着慣れてるやつがいいと思って、普通に家から持ってきたの着たけど。池原さん浴衣絶対似合うよねっ」
「それな。絶対似合うから着てみてくだせえよーつって嫌だって返される予想をしていた俺」
「ね。まさかの自ら着てくれるやつ。最高。戻ってきたら拝も」「拝も拝も」
一年生コンビ、ヒイロ大好きかよ。
画面の中から、尺八の高い音が響いたのは、その時だった。
「一対零」点を入れたのは、唄唄い高校の方だった。
やばい。集中してなかった。「ごめん速見、今の見てた?」
「見てたけどよ、原因は知識の方じゃなくてよ、方丈がボールを受けそこなったんだぜ」
「うわ、そりゃ悔しいな」
俺は顔をしかめた。ミスをしたのは、さっきロビーで見かけた方丈の選手だった。誠実そうな顔立ちの男。道理で、神妙な顔でスクリーンを睨んでいたわけだ。でもこうなると、予想が違ってくる。引き分けになるはずなのだ。ここで一対零になるなら、この先は。
「早送り出来る?」
不意にソウルが言った。驚いて視線をやると、彼はド正論を述べた。
「ごめん、盛り上がってる時に。唄唄いと方丈はもちろん気になるけど、他のチームの戦い方も見ておくべきだと思うんだよ。次に当たるかもしれないだろ。時間があれば早送りなんて極力したくないけど、今はないから。方丈が一点取り返すシーンだけ見て、次行きたい」
賢い。こうゆう時、俺がキャプテンでいいんだろうかという気持ちにさせられる。一倍速で映像を進める。ラスト一分で、方丈は「カラス」という言葉で点を取り戻した。これも登場人物の名前。いや、人では、ないか。その一点は、ピエロが言葉に詰まり、敵に点を渡してしまうという意外な結末だった。知識が追い付かなかったというより、何かに驚いたような沈黙で。
「カラスは動物のカラス? それともまたハシバミみたいに人の名前?」
と内田が聞いた。どっちもかな、とジョージが返した。
「今テレビいいところですよっ」
早々に風呂を済ませたらしい内田が、肩からタオルをかけた格好で言った。その薄くて白いタオルは私物らしく、地元にあるのか「極楽銭湯」と書かれている。上下とも灰色の大きめのスウェットには「寝る」にも「寝子」にも見える墨字が大判プリントされていた。ベッドから毛布を引きずり出して足にかけている。朝に見た私服と打って変わって、部屋着が完全に若。
「風呂早くね?」「ふええ、でも汗かいてたんで」
壁の時計は夜の七時を示している。他のメンツは体操服のままテレビにかじりついていた。先ほどの唄唄い対方丈戦の続きを映している。途切れたところより少し進んだようだ。
「展開どう」「いったん巻き戻しやす?」「や、説明で良い」
ジョージの説明によると、ハシバミ、アケビ、スグリ、と登場人物名が続いて今は唄唄い側にボールがあるとのこと。話を変えるチャンスをわざと逃して、方丈も唄唄いもそのまま試合を進めている。出方を伺っているのだろうか。怪訝な顔で、内田が口を開いた。
「ねえ遠道。さっき方丈高校が言ったハシバミって、ブナ目カバノキ科ハシバミ属で落葉低木の、あのハシバミのことで合ってるんだよね?」
「えっ豆知識すげえ! たはは、そうじゃなくて、ハシバミって名前の女の子が出てくんの。ちなみにアケビもスグリも登場人物の名前ね。このアケビとスグリは双子で、すごい息ぴったりで元気な女の子二人なんだよ。一巻からずっと出てきてるけど、気まぐれで自由奔放で、自分たちの名前まで毎度毎度気分で変えちゃうんだな。だから六巻では、アケビと呼んで、スグリと呼んでって言ってんだけど、一巻ではアップルとレモンだった。ほぼ巻ごとに変わんの。名前を変える上にそっくりだから、ずっと見分けがつかねえの。俺ね、全巻読んだのに双子の区別つかなかったのが悔しくてめっちゃ読み返した。たぶんもう五十回はリピートしてる」
俺いない間ずっとこんな調子で語ってたのか? 内田が呆れて笑い「そこまで聞いてない」とジョージの口の前に手をかざした。画面の中のピエロが、スグリという出題に対して返す。
「巻貝の家」
アアーッ唄唄いさん分かってらっしゃる! と、うちの赤毛が立ち上がって拍手した。こそあどの森の双子は、森の西にある大きな湖の上に建つ巻貝の形をした家に住んでいるのだ。
「唄唄いさんの名前ピエロさんな」「ピエロさん分かってらっしゃる!」
「ちなみにピエロさん偽名な」「まじすかピエロさんわけ分かんない!」
好きな本を語る時テンションが上がるのは誰しもだが、ここまで上がられると笑える。
「遠道が楽しそうすぎて、さすがに気になってきた。今度読むね」
内田が困ったようにはにかんで、肩をすくめた。速見も親指を立てて言う。
「オイラも読んでみるんだぜ」
あざーっす、と文系らしくない語調でジョージはブイサインを返した。
「俺も勧める。すげー良いから読んで」
便乗して言うと、ソウルが「初めに小野に勧めたの俺だから」と朗らかに笑った。
「小二の頃だっけ?」「小三じゃない? 夏休み」「あー、そうだった」
「あ。俺もそのくらいの時に読んだ」
不意にヒイロが告げ、俺とソウルとジョージで、やたら嬉し気な「まじか」がかぶった。
そこで突然、試合の話題がずっと変わらない理由に気づいた。これだったんだ。客席の一体感。こそあどの森シリーズを読んだことがある者全員が作り出している、懐かしい、嬉しいという気持ち。昔読んだ大人たち。今読んでいる子供たち。大きくなってから読み返して、なぜか涙ぐんでしまうあの時間。ここで話を変えてしまうのは、あまりにも無粋なのだ。そしてそのことを、方丈高校も唄唄い高校も分かっている。
「ぬまばあさん」
と試合の言葉は続いた。第七巻のエピソード。森の湖の奥に、こわーい童謡に登場する「ぬまばあさん」が住んでいるという噂を双子がスキッパーの元に持ってくるのだ。気まぐれで遊ぶのが大好きな双子なので「スキッパー、たいへん!」とか何とか言って、大慌てでやってくるのはいつものことだけれど、どうも今回は本気で「たいへん!」と言っている。なんでも、実際に会って、ぬまばあさんに食べられそうになったとか。
方丈高校の、キツネ顔の女子が楽し気に歌い出した。
「♪ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬまばあさん」
トスが上がる。ここで三十分の小太鼓が叩かれ、会場中が、
「♪ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬまばあさん」
と言い(歌い出しはリフレインなのだ)試合は一旦止まった。
この暖かい雰囲気はなんだ。文芸トークが穏やかに長引き続けて、一時間経つんだろうか。だとしても、そんなにも長い時間、同レベルでお話しできるのはえげつないことだ。絶対どこかでどっちかが、すみません知りません、と言う羽目になるはず。残り三十分、どうなる。
映像なので、すぐに続きが始まった。ぬまばあさんのうたの暗唱が子守唄のよう。しかも唄唄い高校は朗読が実に上手いので、いよいよそう聞こえてくる。
ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬまばあさん ぬ、ぬ、ぬ、ぬ、ぬまばあさん
いつもいねむり ぬまのそこ こどもがくると でてくるぞ
つかまえられたら さあたいへん
おおきなおなべで ぐつぐつぐつ……♪
ヒイロがうつらうつらと船をこぎ始めていた。時計を見ると七時半。やつは、眠気覚ましのように少し首を振ってからふらりと立ち上がった。
「明日起きれなくなりそうだ。先に風呂行ってくる」
「えっ起きれなくなる判定早っ、俺そのセリフ夜中一時くらいに言いやすぜ」
ジョージの返しにヒイロは顔をしかめ、
「十二時以降はおばけの時間だろ」
真面目そのものの語調で言い放った。それから踵を返し、着替えなどを持って部屋を出た。
少し沈黙があってから、ソウルがうろたえた様子で口を開く。
「えっ? 本気? おばけ信じてる? どうゆうこと。あの子いつも何時に寝てるの」
「いや寝る時間以前によ、一体どうゆう家庭環境ならおばけ信じる十七歳になるんだぜ?」
速見もうろたえている。画面の中の二校が、二番も歌い終えかけていた。
「というかヒイロさん大浴場行くんすね。てっきり部屋の風呂で済ますと思ってた」
残像を探すかのようにジョージが背筋を伸ばして、やつが出ていった扉を見る。スウェット姿の内田が、自分は部屋の風呂で済ませたわりに、目をぱちくりさせて嬉しそうに頷いた。
「確かに。しかもホテル側が用意してくれてた浴衣を持っていったよね。僕は着慣れてるやつがいいと思って、普通に家から持ってきたの着たけど。池原さん浴衣絶対似合うよねっ」
「それな。絶対似合うから着てみてくだせえよーつって嫌だって返される予想をしていた俺」
「ね。まさかの自ら着てくれるやつ。最高。戻ってきたら拝も」「拝も拝も」
一年生コンビ、ヒイロ大好きかよ。
画面の中から、尺八の高い音が響いたのは、その時だった。
「一対零」点を入れたのは、唄唄い高校の方だった。
やばい。集中してなかった。「ごめん速見、今の見てた?」
「見てたけどよ、原因は知識の方じゃなくてよ、方丈がボールを受けそこなったんだぜ」
「うわ、そりゃ悔しいな」
俺は顔をしかめた。ミスをしたのは、さっきロビーで見かけた方丈の選手だった。誠実そうな顔立ちの男。道理で、神妙な顔でスクリーンを睨んでいたわけだ。でもこうなると、予想が違ってくる。引き分けになるはずなのだ。ここで一対零になるなら、この先は。
「早送り出来る?」
不意にソウルが言った。驚いて視線をやると、彼はド正論を述べた。
「ごめん、盛り上がってる時に。唄唄いと方丈はもちろん気になるけど、他のチームの戦い方も見ておくべきだと思うんだよ。次に当たるかもしれないだろ。時間があれば早送りなんて極力したくないけど、今はないから。方丈が一点取り返すシーンだけ見て、次行きたい」
賢い。こうゆう時、俺がキャプテンでいいんだろうかという気持ちにさせられる。一倍速で映像を進める。ラスト一分で、方丈は「カラス」という言葉で点を取り戻した。これも登場人物の名前。いや、人では、ないか。その一点は、ピエロが言葉に詰まり、敵に点を渡してしまうという意外な結末だった。知識が追い付かなかったというより、何かに驚いたような沈黙で。
「カラスは動物のカラス? それともまたハシバミみたいに人の名前?」
と内田が聞いた。どっちもかな、とジョージが返した。
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