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第五章 そして、全国へ
あの頃のこと
しおりを挟む欅平さんが気にかける後輩は、無論ヒイロだけじゃない。一年生の夏頃こう聞かれた。
「小野ちゃん。山ノ内って、過去になんかあったのかい」
突拍子もない質問にたじろいで、過去、と不自然な早口で返した。その返事が、あった、と言ってしまったようなものだった。先輩は苦虫を嚙み潰したように笑みをしかめる。
「おめえ、山ノ内が無茶しそうになったとき、やめろって叫ぶ癖あるだろう。俺さまの杞憂かもしれねえが、昔、例えば体育の授業中に大怪我したとか? あるんじゃねえかと思ったわけだ。なに、ないならそれでいいし、あったとしても話したくねえなら言わなくていい」
「体育ではなかったんですけど」と切り出した。お、とだけ言い先輩は聞き役になった。嘘を見抜くのが上手い人に、隠し事は無理だろう。でも全部を話す気にはなれなかった。
「小学四年生の夏だったんですけど。ソウルはその頃、競技かるたをやってて。俺、よく試合を見に行ってたんですよ。なんだろう、その日はもともと体調が悪かったのかもしれないし、疲れがたまってたのかもしれないし、つまり……」
全部言うと、ソウルの立場が─ソウルの言葉を借りると─「守られる側」になってしまう。それをあいつは嫌がるんだ。大丈夫だから言うな、大丈夫だから、と何度も。
「試合中に、倒れてしまって。まあ、数十分くらいしたら普通に前を覚ましたんですけど」
嘘がある。欅平さんは、はっはは、と安堵の表情で目を丸くした。
「なんだ、そんなことかい! 案ずるな小野ちゃん。山ノ内はもう高校生だろう。体調管理くらい自分で出来るさ。さすがに昔と同じことは起こらねえ。いちいち大声でヤメローッなんて言うから、俺さまはてっきり大手術するような事故でもあったのかと思ったぜ」
先輩は豪快に俺の背を元気づけるように叩いた。笑って「ですよね、すみません、心配性で」と返したが、悟られたかもしれない。作り笑いも嘘も下手だな、俺。
試合中に倒れたのは本当だ。すぐに目を覚ましたのも本当。ただ、普通に、じゃない。
小学四年生といえば、母の職業がバレて俺が無視を受けていた頃だ。まだお互いに、そうちゃんまとちゃんと呼び合っていた頃。競技かるたの近畿大会だった。ソウルの小柄な背中を客席から見つめて、俺は心の中で応援していた。中盤、やつは大ピンチになり、目を強く閉じ深呼吸をした。そこからの光景が、いつもフラッシュバックする。文バレの試合中、ソウルがため息をついて、鋭く敵を見据える度に。あの時、俺の幼なじみはメガネを外し、沼のように深い目で場を見つめた。小さく言う。
「札の場所は全て覚えた」
そこからの試合はまるで別人だった。集中力の塊のようで、見ているだけで戦慄した。なのに試合が終わった途端に気絶されて、俺の脳裏は真っ白になった。医師から、人は神経を一気に使うと倒れるものだと諭された。涙が出た。
数十分後に目を覚ましたときソウルは「誰?」と聞いてきた。メガネがなくて見えないのだろうと思い渡した。でも、続いた言葉は。
「ごめん。そういう意味じゃなくて、本当に誰かわからない」
記憶喪失だった。そんなことが起きるのは、物語の中だけの話と思っていた。他に異常はない。学校にも普通に登校してくる。いつも通りの生活をすれば思い出しやすいと医師に言われたそうだ。俺は休日も会いに行って、共有している過去をたくさん語った。兄弟たちの話。身長をついに抜かれたときのこと。そうだ、家族ぐるみで海に行った話も。「山ノ内家は揃って度入りのゴーグル持ってきてたよな」と俺が笑う。どんな話も、そうなんだ、とソウルは楽しそうに聞いてくれたけれど、そうだったね、と同意してくれる瞬間は長いこと訪れなかった。
「そうなんだって、そんな返事おかしいだろ。俺とお前の話だろ」
「うん、わかってる。でもごめん、思い出せない」
ソウルはいつも謝ったから、俺はその度に悲しくて泣いた。
俺を無視していた連中が、さすがにそれどころじゃないと思ったのか、打って変わって声をかけてきた。まとちゃんだいじょうぶ? そうちゃんいなくてだいじょうぶ? その手のひら返し具合も、内容も腹立たしくて俺は泣きながらキレた。
「何なの、お前ら何なのバカにすんじゃねえよ。いなくてだいじょうぶ? ってなんだよいるし、そうちゃん自体はいなくなってねえし、ふざけんな今まで無視してたくせにわーん」
わーん、で机に突っ伏しての号泣である。ださい。そう言いながら、思い当たった。いや、そうだったらいいなっていう俺の希望だった。ソウルは記憶喪失のふりをしている。無視が止んでくれるのを見越して、俺のために。自惚れもはなはだしいし、ソウルが独断でそういうことをするとも思えなかった。でも願った。演技だろって尋ねたら、バレちゃったーって笑顔が返ってくるんだ。元に戻るんだ。だがもちろん、そんなことなかった。
それから三ヶ月も経って、季節が変わってしまった寒い日に、不思議なくらいすうっと記憶が戻ってきて、幼なじみはやっと、そうだったね、と返してくれた。
「ごめんまとちゃん、大丈夫だよ。もう大丈夫だよ」
やつは柔和に微笑んだ。これは夢じゃなかろうか、と思って目頭が熱くなった。俺は子供の頃は相当な泣き虫で、嬉しくても悲しくても、いちいち大泣きしてしていたのだ。ソウルの「大丈夫だよ」っていう口癖が、本当に好きだな、と思いながらずうっと泣いていた。
あと、これは余談だが。
そうゆう過去があるせいで、小学校と中学校では、そうちゃんまとちゃん呼びでも、常に一緒に行動していても周りは「あいつらだから仕方ない」という態度だった。
しかしだ。中学の卒業が近づき、進学組と就職組も決まって来た頃、皆がこぞって言いだしたのだ。高校数が少ないので、同じ高校に行くことについては突っ込まれなかったが。
「お前ら、さすがに高校では、そうちゃんまとちゃん呼びやめとけよ」
「俺らは見慣れてるし事情知ってるし大丈夫だけど初対面のやつには引かれると思うから」
またまた大げさな、と笑ったが、皆どうも本気だった。
そんなわけで、高校デビューで至急呼び名を変えたのだが、歌仙高校のキリちゃんユグちゃんまっちゃんカイちゃんまなちゃんのんちゃんを目の当たりにして、ちゃん呼び普通にいるじゃねえかという気持ちと、変えて良かったという気持ちがせめぎ合っている──。
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