文バレ!①

宇野片み緒

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第三章 初心者がやってきた!

「ところで、好きな作家は」後編

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 もう来ないと決めかけた時分に、体育館の入口から小さな頭が六つ覗いた! 上下で黄色と黄緑という明るいカラーの体操服に、ひっつき虫をところどころに付けている。会話をとめてそちらを見ると、遭難からやっと抜け出した雰囲気のチビ六人は、発見された妖精のように肩を跳ねた。あまりの小ささに、中学生が迷い込んだと一瞬思ったほどだ。
「こ、ここは、新古今高校でしょうか」
 一人が言った。頷いてみせると全員ぱあっと顔を綻ばせた。俺の方も顔が明るくなる。だって、身長が一人として俺と大差ない! 続けて彼らは口々にあたふた喋る。
「こんにちは、歌仙高校です。遅くなってごめんなさいです!」
「本日、練習試合の依頼をしてたんですけど、まだ大丈夫ですよね」
「えええ、すみませんん。大丈夫なわけないですよねえ、一時間遅刻ですからあ、僕たち」
「あっ。文バレですよ。歌仙の文芸バレーボール部ですよ」
「えっと、すみません、あ、あの。地図を読み間違えまして、あの、あの、いちかばちかでフェンスを乗り越えてみたら、一瞬で着いて、ええと、びっくりしました、あの」
「迷子になってましたから。でも今、無事に着けましたから!」
 歌仙の六人はソウルの手招きで目を輝かせて、ぴよぴよと体育館に入ってきた。なんだ、このホビットたちは。内田が嬉しげに、つぶらな瞳でかけより、
「一年生が多いんですか?」
 とその中の一人に聞いた。あっ、はい、と言われた少年は答える。やつらと同じく背の低い内田は、ホビットの輪に完全に溶け込んでいる。七匹ぴよぴよしている。近寄ったら俺も溶け込んでしまうのが容易に想像できるので、遠巻きに見ておく。一年生ですか、とやつは順番に聞いている。四人目で、わあ同級生がいっぱい、ときゅるんと微笑んだ内田に、
「いや、僕たち全員が一年生ですから」
 その中では背が高いほうの、パッツン前髪が印象的な少年がさらりと言った。内田が、きゅるんの顔のまま固まる。それからふっと笑みをなくした。
「え、オール同期かよ。敬語使って損した」
 突然の素はやめろ!
 歌仙高校の文芸バレーボール部は、つい二週間前に一年生ばかりで立ち上げた、できたての初心者チームらしい。こちらと同じく部員数は六人。全国大会出場規定人数ギリギリの弱小クラブである。実戦に慣れようとこいつらは、最も近所の新古今高校へ、手始めに練習試合を申し込んでみたのだという。まあ、徒歩十分圏内で壮大に迷子になって来たがな。
「にしても皆して、ザ一年生って身長っすな。たかいたかーい」
 ジョージが無遠慮に歌仙の中から最も小さい、七三前髪の真面目そうな坊っちゃんを持ち上げた。そんな扱いを受けたのに気を悪くもせず、彼は逆三角の口でむしろ感動して言った。
「はっ、高くなった。すごい、僕の目線があがった!」
 小さな坊ちゃんはそのまま嬉しげに続ける。
「はじめまして。高いところから失礼しますよ。僕、歌仙高校文芸バレーボール部初代キャプテンの桐島っていいます。よろしくおねがいします! 僕が一生懸命、部員を六人集めたんですよ。そして今日が僕たちの、初試合なんですよ」
 ジョージはからから笑って、抱っこしている彼を見上げた。
「ああ、初なんだ。そりゃ気合い入ってるわけだわ。がんばって」
「はい。がんばりますよ!」
「うぃーす。なあ桐島くん、敬語使ってるけど俺も一年ね」
 すとんと下ろして、やつは腰をかがめてブイサインをする。桐島と名乗った少年は、背が高い上に態度もでかいジョージを見上げて、えっ同級生なのと呟き大きなツリ目を真ん丸にした。くそっ、なんて純粋でかわいいんだ。俺はあんな後輩がほしかった。
 いつの間にか、審判の位置に古井先生が来ていた。敵陣が緊張気味の声を張る。
「よろしくお願いしまあす」
 初々しい。もはや小学生に見える。先攻を決めるじゃんけん、キャプテン同士の命懸けの儀式が始まる。俺がパーを出し、桐島がグーを出した。やつは途端に固まり、
「う、うあ、始まってないけど帰りたい」
 震える声で仲間にぎこちなく振り返った。
「キリちゃん、諦めちゃだめ! いける、いけるよ」
「試合前から泣いちゃだめだから、大丈夫だから」
「そうだよキリちゃん、僕たちがついてる」
「お、落ち込まないでキリちゃん。あの、せ、先攻がなんだっ」
「ほらあ、キリちゃんん、ピンチはあ、チャンスだよお」
 歌仙の一年生たちは一斉に励ました。この七三のおチビは、部員たちからずいぶん愛されているらしい。まあ設立メンバーのリーダーだから当たり前か。呼ばれ方も親しげだ。
「文芸バレーボール部の、桐島キャプテン、か」
 呟いて白い排球を持つ。俺はバックレフトの位置でそれを高く上げ、少しのイタズラ心で、とある小説のタイトルを相手コートへ叩き込んだ。
「桐島、部活やめるってよ」
 小さなキャプテンは突然ぶわっと頬を赤くして、
「やめませんよおおおおお」
 すごく怒った様子で打ち返してきた。
「誰がボケろと言ったーッ!」
 ボールが回転しながら落ちてくる。ちょっと待て、知らないのか。有名な小説だぞ。映画化もされたタイトルだぞ、もう百年近く前にはなるが、かつて一世を風靡した青春群像劇だぞ。内田が飛び跳ね、激しいアタックを返した。
「お前のことじゃねえ」
 エエーイがない。相手が一年生ばかりだからタメ口なのだが、これはひどい。機嫌が悪すぎやしないか。古井先生が首から下げた懐中時計を手に取り、秒読みを始める。パッツン前髪の選手が、フロントレフトからボールを叩く。
「そんなわけないから! キリちゃんはここには一人しかいないから!」
 会話じゃなくて試合をしろ! 内田はあざとく頬をふくらませて、
「小説の登場人物だよおっ」
 と打ち返す。歌仙はざわめき、あたふた返してきた。
「ま、まぎ、紛らわしいよおっ」
 内田が、キャラかぶり、と呟いたのでこんなにイラついている理由をようやく理解した。やつはうさぎのように高く跳ね、
「この無知ども。エイッ」
 いつも通りの高い声で、歌仙側に軌道の読みにくいアタックをぶちこむ。
「バカにするなあーっ!」
 子供っぽい口げんかのままでラリーが続く。
「あと四十五秒」
 古井先生が秒針を見つめながら呟いた。これはまずい。ヒイロが舌打ちをする。この秒読みは失格へのカウントダウンだ。
「おい、早く文バレに戻さないとやばいんだぜ」
 速見が審判に目をやって小さく言う。先生は時計をじっと見つめている。内田は深呼吸をして、落ちてきたボールを受け、
「すみません戻します。桐島、部活やめるってよ。エエーイッ」
 もう一度言い放った。相手は揃ってじだんだを踏み、
「だから、キリちゃんやめないからー!」
 またもやパッツン前髪がアンダーハンドで返してきた。こいつ、語尾が「だから」ばかりでうるさい。それにしても一体なんのつもりだ歌仙。戦意喪失か?
「これじゃ試合にならないじゃないですかあっ」
 内田はバックライトで噴火した。フロントレフトの速見が、
「あのな、小説のタイトルなんだぜ」
 と困り顔で言い、三度目のタイトルコールで排球を打った。歌仙、いい加減に普通の返しをしてくれ。でないと、お前たちも、俺たちも。
「なんなんですか! それ、いったいどんな本なんですか!」
 相手のバックレフトが、なおも反抗的な態度で打つ。俺たちは怪訝に顔を見合わせた。この期に及んでまだ自滅ルートを選ぶとは、まさか怒りで我を忘れているのか。それとも。
 ルールを知らない?
 文芸バレーボールのルールにこんなものがある。試合中に雑談が始まってしまうと、それがたとえ文芸に関する内容であっても、雑談の開始から一分が経過した時点で、どちらのチームも失格。先ほどのやめませんよをスタートに、古井先生が懐中時計から目を離さなくなってしまったのはそうゆうわけだ。一分間のカウントダウンは既に始まっている。あと三十秒。初心者集団である歌仙高校はもしかして、いや、もしかしなくても。ヒイロが、
「青春小説」
 とラリーを続けた。さすがヒーロー、質問に答えつつ流れを文芸バレーボールに戻してきた。これに何か青春小説のタイトルが返れば、軌道修正は完了だ。
「へえーっ、学園モノなんですかあ?」
 返ってきたのは悲しきかな、会話だった。このホビットども、やはりルールを知らないらしい。林で迷子の時点でわかっていたが、どこまでも抜けた集団だ。
「素?」
 内田が嫌そうに呟く。ジョージが振り向いて笑いかけてきた。
「こりゃ、どう返せば打開っすかねマトペさん」
 古井先生はまだ時計を見ている。急募、ルールを知らない相手を救う方法。
「だめだ。どう返しても会話になる」
「ですよな。俺も思いつきやせん」
「あと二十秒」
 審判が渋い声で告げる。ヒイロが舌打ちをして、オーバーハンドでこう繋いだ。
「ところで、好きな作家は」
 おおっ! 話を変えて逆に質問するという手があったか! よし、作家名が返ってきたら、それに関することを言えば抜け出せる。さすがすぎるぜヒーロー。
「あと十秒」
 このダンディボイスがなんの秒読みをしているかすら歌仙はわかっていないようだが、もう大丈夫だ。さあ好きな作家を言うんだ。俺たち先輩が失格の危機から救ってやるからな。しかしバックレフトのさっきから特に怒りっぱなしのやつがムッと唇を噛み、
「なんで今、話を逸らしたんですかーっ!」
 確信した。もうこいつら、絶対に誰一人としてルールを把握していない。恩を仇で返されたヒイロが、少々傷ついた様子で俯いた。
「誰のために逸らしたと」
 バックレフトが打ったボールが落ちてくる。カウントダウンは止まらない。
「失格になるんだよ」
 ソウルが大声でそのボールを上にあげ、続けて、と俺を見てきた。排球は宙にある。やつらに訴えかける言葉を叫ぶ。間に合え。
「ルールにあるんだ、あと五秒で、俺たちもお前らも失格だ!」
 歌仙のホビットたちは不思議そうな顔をした。だから、と声を張る。俺が上にあげたその球をヒイロが勢いよく打った。
「いいから早く好きな作家を言え!」
 相手はしばらく、わけがわからないといった顔をしていたが、
「はっ」
 ようやく理解して叫んだ。桐島がそのボールをぺちと叩いて、
「夏目漱石です」
 声を張ったのと尺八が鳴ったのが、ほぼ同時だった。ボールは床に落ちて、その場でわずかに揺れた。古井先生は紫紺色の着流しの袖をついと持ち上げ、
「はい、両者失格。残念ながら、ほんの少しだけ間に合わなかったね。これが全国大会じゃあなくて、よござんした」
 深々と頷いた。そして和紙の皺のように微笑んで問う。
「楽しかったかね?」
 あ、はい、と信じられないほどのしょうもない終わりに対して、感情のない声が出た。歌仙も皆ぽかーんとしている。少しアホ面の一人が「うっそ」と呟いた。
「夏目漱石か。俺も好きだ」
 ヒイロがぽつりと言った。桐島は、びえーと泣き出して顔を覆った。部員たちがキリちゃんキリちゃんとその背を撫でている。
「初めにキャプテンがいじわるしたから、こうなったんですよ」
 内田が頬をふくらませた。
「それを口げんかに発展させたのは内田な」
「ふええ」
「ふええじゃねえよ」
 しかしまさか、あの有名な文献を知らないとは思わなかった。初心者とは言えここまでルールを知らないとも思わなかった。新球技とはいえ、ルールブックは出版されているのに。
「よしよし怖かったねえキリちゃん」
 ジョージが大笑いの調子でしゃがんで、小さな坊っちゃんを下から見た。優しさからの行動ではないな絶対。取り巻きが「うん、怖かった」「失格、怖いね」と同意した。
「でも、でもっ。僕は部活、やめませんよ。その小説の桐島さんは知りませんけど、僕は絶対にやめませんよ。だって、だって歌仙の文バレ部は、僕が立ち上げたんですよ」
 坊っちゃんは何度も言って潤んだ目をこすっている。
「マトペさんが泣かせた」
 ジョージがこちらを見て、わざと不満気に口を尖らせる。
「ああもうわかった。俺が悪かった、ごめんな」
 桐島の丸っこい頭を撫でた。背伸びせずに届く高さというのは新鮮だ。
「う、うあ。僕たちこそ、ずびばぜんでじだ。せっかく時間をとって頂いたのに、迷子だし、こんな結果だし、ごめんなさい。僕、次はちゃんと、ルールブックを読んでから来ますよ」
「読んでなかったのかよ」
 桐島は顔をあげて、不意に言った。
「僕、下の名前、書籍っていうんですよ」
 泣いたあとだが、強気な目をしている。
「桐島、書籍?」
「はい。すごく文学的で、気に入ってるんですよ。いかにも文芸バレーボール部のキャプテンって感じで、大好きなんですよ。だから僕、いえ僕たち、強くなって出直しますよ。全国大会では、先輩たちのチームに絶対、勝ってみせますよ」
 真面目な表情で見上げてくる。まだルールすらわかってないくせに、生意気なことを言う。なんとなく、万葉高校と戦った時の自分を思い出した。
「確かに文学的な名前だが、俺には負けるな」
「え? 先輩は誰さんですか」
「小野マトペ」
 デコピンを食らわせて強気に言った。額を少し痛そうにさすり、決意のこもった目で桐島書籍は睨んでくる。万葉のジョンには、あの時の俺がこんなふうに見えていたかもしれない。
 まさか開始一分で試合が終わるとは思ってもいなかったから、今日はこのあとの予定をまるで用意していない。開始前もぐだぐだしていたのに終了後もこうなるとは。
「もう一回試合するか?」
 聞くと桐島は、
「いいえ。後日、出直してきます」
 と胸を張った。コートを新古今と歌仙の計十二人で片付けてから、たまには休息も必要ということで、総員ずいぶん早めの解散をすることにした。
 スマートフォンの地図アプリを開いて、歌仙は突っ込み不在で騒きだす。
「校門の位置を描いてないなんて、ひどいから。帰れないから」
「こ、この矢印は、な、なに、何を表してるのかな」
「来た道を辿ったほうが確実だ。もう一度フェンスを越そう」
「だめだよお。地図通りに行かないとお、また迷子になっちゃうよお」
「ねえ、地図では上が北なんだけど、上ってどっち?」
「上? つまり階段? 階段を登ればそこは北なの?」
 会話が続くほどに混乱していく。これは迷子になるわけだ。ヒイロが舌打ちをしてから面倒そうに、適切な道案内を口頭で伝えた。ホビットたちは目を輝かせて礼を言い、彼らの村へ帰っていった。後日出直すと言っていたので、きっとまた会うことになるだろう。
 部室にて、制服に着替えながらジョージが肩をすくめて笑った。
「いやあ、楽しい一分間っした。このあと、またファミレスで祝勝会します?」
「勝ってないだろ」ヒイロ。
「負けてもないよ」ソウル。
「中途半端だな」俺。
「失格エンドってのは、もやっとするんだぜ」速見。
 愚痴を言いつつ全員笑顔だ。全面コンクリートの小さな部室には、壁一面の本棚と、持ち運びのできる手持ちのホワイトボード、そして長机が一つあり、その上には文庫本が山積みになっている。本はほとんどがソウルの私物だ。バレーボールの参考書なんかはヒイロの物も少し混じっている。タオルやペットボトルも散らばっていて、文系か体育系かはっきりしない。文バレ部の部室はどこもこんな感じだろう。
 内田が例の夏服に着替えながら唐突に言った。
「そうだっ。話は変わりますけどね。聖コトバのキャプテン、ミカエルさんでしたっけ。あの人も、制服はスカートなんですよ」
 少し意味深な沈黙が流れてから、全員が顔を引きつらせてフフッと言った。想像してみたのだが、異様に似合っていそうだから逆に引いた。恐らく、キルトを着ているイギリス人みたいに全く違和感がないだろう。聖コトバの制服はそうゆう雰囲気の格調高いデザインだ。澄んだ水色が基調になっているセーラー服で、金色のポーラータイが付いている。
「というかアトムそれ、誰からの情報?」
 ジョージが内田の目の前にしゃがんで言った。
「通学途中に遭遇した」
 見下ろして、先輩に対する時の数倍は雑に答える内田歩夢。
「あ、実際見たのな。写真撮った?」
「撮ってねえよ。黙れよ遠道」
「えー。なんなのアトムは、俺にだけ冷たい態度とって。ソウルさんどう思う?」
 急に振られたソウルはメガネをハンカチで拭いながら、文系男子特有の穏やかさで微笑む。
「仲良しだなって思う」
 口を尖らせるジョージは無視して、ソウルは部室の山積みの本の上に、突然カバンから取り出した真っ黄色の檸檬を一つ、ことりと置いた。
「おお山ノ内、名シーン再現なんだぜ!」
 速見がサムアップをする。俺の幼なじみは嬉しそうに、
「うん。梶井基次郎の檸檬ごっこ。作り物だから大丈夫」
 とメガネをかけ直した。何が大丈夫だ。それは要するに、ここにずっと檸檬のサンプルを飾っておかせろという意味だな。まあ、手のひらサイズのいたずらなので許す。壁も床も灰色の汗くさい空間に、黄色い作り物は初々しく映えていた。
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