不器用なシュトレン

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12月25日(土)21:10 〈湊と乃愛のクリスマス〉

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 夜の公園は、想像以上に明るかった。
それに、とても21時とは思えない人の多さ。いくら園内が広いとはいえ、こう立ち止まる人も多いと進みづらくて仕方ない。
これも全部、今日がクリスマスだからだ。
水族館を併設しているこの大きな公園は、このあたりの地域ではなかなか有名なイルミネーション・スポットだ。道沿いの木々は色とりどりの光で彩られているし、ところどころに写真映えしそうなオーナメントまで配置されている。
しかし今、湊はそんな美しい景色を楽しんでいる場合じゃなかった。
走りながら、行き交う人々の中に“彼女”を探す。
カップルばかりの中で、女性が1人でいたらわかりやすそうなものだ。それなのに――

(――だめだ、どこにもいない…)

もうダメなんじゃないか。そんな考えが一瞬頭をよぎる。電車に乗っている時間以外はずっと走ってきたせいで、体力ももう限界に近い。
それでもまだ足は勝手に動くし、目は自然と彼女を探してしまう。
ただ、湊は必死だった。


事の発端は、およそ5時間前に遡る――


* * *

 夕方、17時45分。
大学を出た湊は、重い足取りで“ある場所”へ向かっていた。
今日、大学は1日休みの予定だった。しかしまさかの補講が入り、その上補講に出ていたゼミ生は全員招集されて、教授の研究発表の資料準備を手伝わされる羽目になったのだ。
「クリスマスになんてことさせるんだ」と、学生のほぼ全員が思っていただろう。
だが、湊としては別に構わなかった。予定もなにもなかったからだ。
しかし、この後の展開が問題だった。
教授が「今日はありがとうね。お礼にクリスマスケーキ予約しておいたから、取ってきてみんなで食べてね」と、まさかのサプライズを用意してくれていたのだ。
そんなことする先生じゃないと思っていたのに…いや、待てよ。数か月前に先生の誕生日祝いでサプライズをしたから、これはそのお返しか、とその場の全員が理解する。
そして教授がケーキを予約した場所は、例によって彼女のいるパティスリーだった。
喜ぶゼミ生たち。
誰が言いだしたか、ケーキを取りに行く係をじゃんけんで決めることになり…

湊は見事全員に負けて、係に任命されたのだ。

つい1週間前だったら、じゃんけんなんかせずに喜んで自分が取りに行っただろうと思う。
けれど今は、彼女に会いたいと思えるほど気持ちの整理はついていない。
あの日…22日以降、湊の気持ちは沈んでいた。

24日、彼女はどうなったのか。上手くいっていたら良いと思うけれど、さすがにまだ聞くほどの心の準備はできていない…。
そもそも、チケットを渡したのは気持ち悪かったかもしれない。そう思うと余計に合わせる顔がない。
彼女の好きな人…どんな人だろうか。“真面目で一生懸命なところが可愛い人”…。年上か、なんなら社会人かもしれない。スーツをかっこよく着こなしていて、頼りがいがあって優しくて…笑った顔が可愛いとか。なるほど、勝てるところは全くなさそうだ。

いくら考えても結論が出るわけがないのに、そんなことばかり考えてしまう。
彼女にも会いたいけれど、まだ会いたくない。意気地なしだと、自分でも思う。

(ほんと、情けないよなあ…)

数えきれないほどのため息が出る。

(25日は休めないって彼女は言っていたな。だから今日、絶対に店にいるはずだけど…どうしよう。彼女の前で、どう振る舞えば良いかがわからない…)

そんな不安を抱えながら、湊は歩き続けた。
ところがパティスリーに着くと、パティスリーの前は大勢の人で賑わっていた。
どうやら、予約のケーキを取りに来た人たちのようだ。

(これだけ人がいるなら、彼女と気まずくなる暇なんてないかもしれない)

良かった、と湊はひとまず胸をなでおろす。ただ先生からもらった予約票を店員さんに渡して、普通にケーキを受け取って帰るだけでいい。

「順番にお渡ししますので、道に沿って一列に並んでお待ちください」

店先に出ていた、彼女ではない別の店員さんの声に従って、湊も列に並ぶ。
順番は思ったよりもすぐに回ってきて、湊はやや緊張しながら店に入った。

いつもの場所…ショーウィンドウの裏側に立つ彼女と目が合い、いつもの笑顔で迎えてくれる。

「予約票はお持ちですか?…ありがとうございます。クリスマスデコレーションの7号サイズですね」
「はい、たぶん…。ゼミの教授から受け取りを頼まれたんです」

訊かれてもいないのに、緊張のあまりゼミのことを口走ってしまう。
だが彼女はそれには何も返さず、「少々お待ちください」と言って、ショーケースの中からひと際大きな箱を取り出した。
そして、箱を少し開けて中を見せてくれる。サンタとトナカイ、そして苺がたくさん乗った豪華なケーキだ。

「こちら、ご確認ください」
「あ、はい。大丈夫だと思います」
「ありがとうございます。あと、こちらは先日お忘れになった控えになりますので、お持ち帰りください。素敵なクリスマスを」
「え、これ…?」

ケーキと一緒に渡されたのは、3日前に湊が彼女に渡した、水色の封筒だった。
動揺する湊だったが、営業スマイルの彼女にケーキを渡されて、そのまま流れるように店から出されてしまう。

「ありがとうございました。メリークリスマス!」

店先にいた、別の店員さんにも笑顔で送りだされる。
その場で立ち止まるのも気が引けて、湊は少し歩いて店から離れた。適当な場所で立ち止まり、大きなケーキを片手で持ちながら、どうにか封筒を開ける。
中には、2枚の紙――湊が渡した、水族館のチケットが入っていた。
そしてチケットの1枚目の表側には、ピンク色の付箋が貼られている。
そこには、

『使えずに終わってしまったので、お返しします』

女の子らしい丸い字で、そう書かれていた。


* * *

 大学にケーキを持って帰りみんなで食べて、目的もなくだらだらと過ごして…湊がやっと帰宅したのは、夜の19時半頃だった。
「クリスマスに予定がない奴らで集まって宅飲みしないか」という誘いには、少し心が揺れたが断った。傷心の今、酒なんて飲んだらきっとろくなことにならない。
湊は自室に入ると、ベッドの上に思い切り寝転がった。
そしてカバンの中から、彼女に返された封筒を取り出す。
何度見ても、中にはチケット2枚と付箋しか入っていない。

『使えずに終わってしまったので、お返しします』

ぼんやりと、その文面を眺めた。
日付指定のチケットだ。返されても、もう使えない。それなのに、どうして彼女は返してきたんだろう。やっぱり親しくない奴からいきなりチケットをもらうなんて、気持ち悪かったのだろうか。それも当然か…辛い。
けれど使えなかったということは…好きな相手を誘えなかったか、もしくは断られてしまったということになる…?それなら自分にとっては、もしかしたら喜ばしいことなのかもしれない。
でも――

(もう彼女には、会いに行かない方がいいんだろうな…)

その考えは、ほぼ確実なように思えた。
彼女から淡々と事務的に、チケットを押し返されてしまった事実。まるで、「余計なお世話だ」と言わんばかりに……

(だめだ、もう考えるのをやめよう)

考えれば考えるだけ、落ち込むだけだ。
そう思った湊は、もう見ないようにしようとチケットを封筒に戻した。だがその際、封筒に付箋が引っ掛かり、剥がれて落ちてしまった。
一瞬、湊はこのままチケットごと全部捨ててしまうことも考えた。しかし彼女からもらったものだと思うと、捨てるなんてしばらくはできそうにない。結局、付箋を元の位置に貼るためにチケットをまた封筒から取り出した。

その時、チケット表面の至る所に、非常に小さい文字が書き加えられていることに気づいた。

『12月24日(金) 限定』の数字と曜日のところには薄く線が引かれ、『12月25日(土)』と直されている。
水族館の名称が書かれた場所の下部には、小さく『(○○水族館)…がある公園』と書かれていた。その上イベントの開演時間は、『18:00~19:00』に小さく×が書かれ、その近くに『20:45~21:00』とかなり小さい文字で書き加えられていた。

湊はチケットを見たまま、数秒間固まった。
だがすぐにベッドから跳ね起きると、適当に上着を羽織り、その勢いのまま家を飛び出した。
今は19時48分…早歩きで駅に向かいながら、水族館のある公園までの経路を検索する。着時間は…21時25分。

(だめだ、全然間に合わない…!)

だが急げば少し早い電車に乗れるかもしれない。乗り換えも走れば…。

(やるしかない…!)

湊はスマートフォンをポケットにしまい、あとはただ全力で走った。


 そうして、今の時刻は21時10分。
湊は残った体力の全て使い公園内を走りながら、ひたすら彼女を探していた。
当初の着時間より、15分は短縮できた。それでも、彼女が指定した時間からは10分も過ぎている。

(もう、とっくに帰ってしまったかもしれない…)

頭ではわかってる。「もう遅い」「諦めたほうがいい」と。
けれど、「ほんの少しでも可能性が残っているなら」と…縋りたい心は抑えられない。

そうして走っているうちに、湊は公園の中心部…大きなクリスマスツリーのある広場に来た。
見上げる程の大きなツリーに、眩い光の装飾。写真を撮ったり、笑い合ったりするカップルたち。
…そして、それらを少し離れた場所から見ている、白いコートの女の子。

(もしかして……)

湊は祈るような気持ちで、少しずつ彼女の方に向かう。
散々走ったせいか、興奮のせいか…心臓が激しく脈打っている。
彼女はまだ、湊には気づいていない。けれど近づくたびに、湊からは彼女の顔が見え、確信を強めていく。
そしてあと、3メートルくらいの距離。
そこで彼女は湊に気づいて、互いの目が合った。

「あ………」

驚いたような、戸惑うような彼女の声と表情。
――よかった。やっと、たどり着いた。

「遅くなって…すみません。寒い中、待たせてしまって…」

一気に押し寄せてきた息切れを落ち着かせながら、湊はどうにか言葉を出す。
近くで見た彼女の目は、3日前と同じように潤んでいた。

「どうして、来てくれたんですか」
「あれを見たら、僕は来ない理由がないです」
「あんなの普通は気づかないですよ」
「偶然見つけられたから良かったです…でも、どうしてあんな」
「それは……本当は、諦めなきゃと思って」

そして彼女は涙を目に溜めたまま、話し続ける。

「いくら好きでも報われる見込みがないなら、早いうちに諦めた方がいい…でもどうせなら最後に、ちょっとでも夢をみたい…って思って。でも本当にあなたが来るなんて、思ってなかったから…」

彼女の言葉が、自分に向けられている。
戸惑いや期待が入り混じった涙目で、自分を見つめてくれる。
彼女にこんな表情をさせているのが自分だと思うと、苦しくて…嬉しい。
自分は夢でも見てるんじゃないかと思ってしまう。
けれど…この息苦しさも緊張も体の熱さも、全部、現実だ。

「好きです。初めて会った時から、店員さんのことが」

言葉が、自然と湊の口をついて出ていた。彼女の息をのむ音が聞こえる。

「一目惚れだったんです。可愛くて優しくて、こんなに素敵な人がいたんだって。あなたに会いたくて店に通って、でもなかなか勇気が出せなくて、その……でも僕は本当にあなたのことが、」

――大好きです。

焦って恥ずかしくなって緊張しすぎて、自分でも何を言っているのかわからない。あまりにも不器用すぎる告白になってしまった。
それにこの後は、どうすればいいのだろう。「付き合ってください」とか言ってもいいのだろうか。

(でも、その前に…)

一番訊きたかったことがある。

「あの、僕は箱崎はこざき湊っていいます。店員さんの名前も、訊いていいですか」
見波みなみ乃愛です。箱崎さんは、大学生?ですよね」
「はい。3年です」
「じゃあ私と同じですね。あと…私もあなたが好きです。初めて会った時から」

そう言って、彼女は…いや。見波さんは、口に両手を当てて恥ずかしそうに笑った。
その仕草や表情が、またすごく可愛くて堪らない。

確信した。きっと自分はこれからもっと、彼女のことが好きになる。
彼女とずっと一緒にいたい。大切にしたい。他の誰よりも。
だけど今はもう少し、この時間が続いて欲しい。


どこまでも幸せな、クリスマスの夜が――

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