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〈最終話〉 バレンタインにやらかしてしまった僕は。

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 焼き始めてから、20分後――

「すごい…ちゃんとできた……」
「へぇ。わりといい感じじゃん」

オーブンから出したガトーショコラは、全てきれいに焼きあがっていた。表面は少しだけひび割れているけれど、きっとこれはそういうものだろう。最後に少しだけ振りかけた粉砂糖が、まるでチョコの山に降った雪のようで、すごく美味しそうに見える。
本当に、本当に頑張って作った甲斐があった。味が分からないのが不安ではあるけれど、須藤さんもご機嫌だしきっと問題ない。
でも…これ6個もあるけど、全部あげるのだろうか。せっかくだから味見も兼ねて1つくらい…

「食べたいの?」

その声に、ギクッと体が固まる。丁度良すぎるタイミングで須藤さんが顔を覗き込んできた。しまった、つい物欲しそうな目をしてしまっていたのかもしれない。
けれど、ここでわざわざ訊いてくれたということは…

「もしかして、いいんですか?」
「は?ダメに決まってるけど」
「そうですよね」

…分かっている。少しでも期待した僕が良くなかった。
だが、相手は須藤さんだ。チョコを欲しがってしまった罪が、すぐに許されるわけもなく。

「もしかして、今日1個もチョコもらってないの?」
「普通にもらってないです」
「ふーん。ま、聞くまでもなかったか。ところで、いつまで突っ立ってんの。さっさとラッピングしてよ」
「え…ラッピングもですか?」
「当然でしょ。はい、これ見本」

須藤さんは、僕の目の前にスマホの画面を突き付けた。
袋の口部分が波打つように折られて、リボンで束ねられている。よく見る一般的な形だ。
なるほど。僕が今日チョコをもらってないことを確認したうえで、別の男にプレゼントするチョコのラッピングをさせるとは…。須藤さん、恐ろしすぎる。
チョコ作ってる時点で今更だけど、地味につらい。

「ねえ、早くして」
「はいすみません」

いけない、急いで従わないとまた不機嫌になってしまう。
須藤さんの冷ややかな視線を感じながら、僕は少し冷めたガトーショコラを、1ずつ袋の中に入れていく。今思えば、クッキーだったらこんなサイズの袋は要らないだろう。
それでも、6個全部入れたらかなりぎゅうぎゅうになった。正直見栄えが良いとは言えない…。

「須藤さん。全部入れるとこんなパンパンですけど、本当に」
「別に気にしないし」

食い気味に跳ね返されてしまった。まあ、須藤さんがいいなら僕も別にいいのだけど…。
袋の口を波のように折って、リボンを一周回して結ぶ。後はこれを蝶々結びにすれば終わり。
…なのだが。

「あの。もうあとリボン結んだら終わりですけど、どうですか」
「どうってなにが。もしかして蝶結びできないの?」
「そうじゃないですよ。最後の仕上げだから、須藤さんがやらなくていいのかなって」
「なんで。普通に嫌だけど」
「えぇ…でもせっかく、須藤さんがあげるものだから」
「だから何?何をそんな気にしてんの」

逆に気にしないんですか。これ、好きな人に渡すやつですよね…?
そう思ったけれど、ピリピリし始めた須藤さんの機嫌をますます損ねてしまいそうで言えなかった。
それにまさかこれをもらう男も、その辺の男子高生が作った須藤さん要素ゼロのガトーショコラを渡されたとは思うまい。須藤さんが良いなら良いんだ。きっとバレることもないだろうし。
相手の男は、少し気の毒だけれど…。


 結局最後の蝶結びまで全部僕がやって、バレンタインのプレゼントは完成した。
我ながらそこそこ良い出来だと思う。ガトーショコラが袋にぎゅう詰めなのはちょっとアレだけど、見た目よりも量がたくさんある方が嬉しいタイプかもしれないし。きっとこれをもらった男はさぞ喜ぶだろう。いや、そうでないと困る。
そんなことを考えていたら、ちょうどチャイムが鳴った。
ハッとして時計を見る。まさかの19時。チョコづくりに必死で全然気が付かなかった。

「こんな時間になっちゃってすみません!急ぎますよね」
「なんで?…あー、そういえば今日20時から里香と通話する約束したっけ。でもまだ1時間あるし」
「いや、そうじゃなくて。完全下校のチャイム鳴ったから、もうみんな帰っちゃいますよ。渡すのは学校の人じゃないかもしれないですけど、でももうこんな時間ですし…間に合うんですか?」
「そんな焦んなくても、渡すのなんて一瞬でしょ」

それでいいのか。いや、須藤さんが良いならいいんだけど…って、今日これで何回目だそう思うの。
ん?ちょっと待て。そもそも何で僕が焦らなきゃいけないんだ。少し落ち着こう。チョコは完成したんだし、僕の役目はもうこれで終わり。つまり――

須藤さんから、ついに解放されるということ……!

「そんなことより、それ」

僕の心と示し合わせたように、須藤さんも僕に右手を伸ばした。
すぐにその意図を察して、僕は急いで袋を手に取る。これを須藤さんに渡せば終了だ。今度は絶対に落とさない。

「どうぞ。今日は本当にすみませんでした」

頭を下げながら、両手で手渡す。
しかし、何故だか須藤さんはなかなか受け取ってくれない。
それどころか、突然恐ろしいことを喋りだした。

「バレンタインって、正直どうかと思うんだよね。女子から先にチョコ渡さなきゃいけないとかさ、なんか癪じゃん?負けを認めるみたいで、絶対無理」

…須藤さんが何を言いたいのか全然分からない。もうこれは必要ないってことだろうか。そうだとしたら、突然何が起きたんだ。ここまで数時間頑張ったのに、そんな酷い仕打ちが果たしてあるのか。
混乱やらショックやらで、チョコを差し出した手が固まってしまい動かなくなる。
それでも不安に耐えられなくて、僕は恐る恐る顔を上げた。すると――

須藤さんは、目を細めてかすかに笑っていた。まるで勝ち誇っているかのように。

「それ、ありがとね。大事に食べるから」
「へ?…あ、はい。どうぞ」
「私、ガトーショコラ大好きなの。覚えておいて」

…何かがおかしくないか?須藤さんの言っていることも、ますますよくわからない。
だってこの流れじゃ、まるで。

「初めての手作り、もらっちゃったね」

――まるで僕が、須藤さんにチョコを贈ったみたいじゃないか。

僕とガトーショコラを交互に見て、頬を緩める須藤さん。ちょっとした悪戯をした後のような、もしくは照れているかのような。
須藤さん、こんな表情もできるんだ…。そう思ってしまったら、なんだか変な動悸がしてきた。
そのうえ頭も心も、見事にフリーズしている。きっと僕は今、少し口を開けたアホみたいな顔をしていることだろう。
一方の須藤さんはそんな僕を見るのが楽しいようで、にやにやと笑っている。そして、

「あんたの好みも今日なんとなく分かったから、ホワイトデーは期待しててよね。じゃ、また明日」

弾むような声でそう言って、そのまま家庭科室を出て行ってしまった。

僕はまた、その場に1人取り残される。
周りが一気に静かになって。空調音をかき消すほど激しく鳴っている心臓の音が、やたらと耳につく。

何ももらえないバレンタインだった。それは別に良い、いつも通りだ。
けれど今年は、逆に持っていかれてしまった。最後の最後に、全部。

やっぱり女の子は怖い。
どうしよう。明日からどうすればいい?いや、とりあえず落ち着こう。
でもその方法すらわからない。顔も胸も変に熱い。須藤さん以外のこと全てが、今はもうどうでもよくなっている。
こういう時はどうすればいい。どうすれば。


バレンタインにやらかしてしまった僕は今、目の前が真っ白です…。
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