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第六章
41 黄金の海を渡って
しおりを挟む——やがて、夜が明けた。
世界列車で南部に到着し、民宿で一泊してから、転移魔法を繰り返し、数日経った昨夜にようやくファルンの隣国へ到着した。
朝日で目を覚まし、パンを一ついただいてから宿を出る。この国はファルンの同盟国なので、街から向こうへの移転魔法は合法だ。
体の重みを感じながら、人通りの少ない路地へ移動する。魔道具である指輪にまじないを唱え、転移魔法を発した。
現れた黄金の蔦が俺を取り込み、次の瞬間には、
「と、遠すぎた……」
俺はファルンの大樹城付近へ移動している。
ようやく、この地へ辿り着いた。
見覚えのある広大な自然の景色。一年中咲き誇る白い花が点々とする草原の向こうに、イクセル大樹城が聳え立っている。
五年ぶりにこの地を訪れた俺の感想はそれだった。移転魔法の影響で体の重みが更に増し、気が滅入る。
自分で選んだとはいえ、この五年間暮らしていたあの国はファルンから遠すぎた。
年がら年中雪の積もっている国だ。比較的温暖なファルンとはかけ離れている。
移転魔法を使わずに自分の足だけで帰ってきたなら、二、三年はかかるのではないか? この魔術を使えてよかった。
それにしたって、戻ってくるのに一週間もかかってしまうとは。
師匠に会ったらすぐにでも出国するつもりだったけど、一泊くらいはしてもいいかもしれない。
ああ、でも、この油断のせいで、前回はロイの元へ送り込まれていたのだ。
「……まさか、ベルマンが師匠だったとはな」
歩きながら呟き、俺は両腕で自らの体を抱きしめた。
考えるだけでゾッとする。でも確かにあの時、師匠が消えた瞬間にベルマンが現れたのだから辻褄が合う。
ベルマンが語った己の悲惨な過去も、きっと実在する人物の過去なのだろう。
ロイは、ベルマンが師匠だと知っているのだろうか……。
「ご帰還ですか、エディ様」
考えながら大樹城へ歩いていると、どこからともなく声がかかる。
振り向けば、可愛らしいうさぎがひょこんと花の隣に座っている。
この愛らしいうさぎは仮の姿で、真の姿は俺よりも何倍も大きな魔獣である。師匠の使い魔として大樹城付近に常駐しており、こうして大樹城を尋ねてきた者を迎えているのだ。
初めて大樹城を訪れた時も、このうさぎがイクセル魔法使いへの届け物を預かってくれた。
懐かしい知人……知兎を目にして、胸がホッと緩む。
俺はしゃがみ込んで、彼女へ笑いかけた。
「ああ、久しぶりだな」
「随分お疲れのようですね」
「まぁ。長旅だったからな」
彼女らイクセルの魔獣たちは、人間の争いになどてんで興味がない。くりっとした丸い目で俺を見上げ、単調に「そうですか」と言う。
「此度は何用で?」
「師匠に会いに来た」
「イクセル様は大樹城をお留守にしております」
「えーっ!」
俺の大声にもうさぎは動じない。なんてこった。
「嘘だろ……どの国にいるんだ?」
はぁ、しくった。また移動しなければならないのか。ユコーンの花の液さえあれば自分でイージェンを使えるのだけどな。
などと考えていると、うさぎは言った。
「ユコーンの花畑におります」
「あ、なんだ。そうなんだ」
「お繋ぎしますか?」
「俺が直接行くから大丈夫」
兎はあっさりとしたものだった。「そうですか」と頷き、「では」と告げる。
気付くと目の前には小さな白い花が残っているだけで、もう兎はいない。彼女の変わらない淡々とした対応に、張り詰めていた心が解れる。
ユコーンの花畑はピテオの端に存在している。把握している者は世界でもかなり少数だ。
中立組織の幹部と、イクセルの仲間たち。それと俺。
この並びで一介の魔法使いである俺が並ぶのは不自然に思えるが、当然でもあった。
ピテオを指定したのは、俺なのだから。
「あぁ……」
「綺麗だな」転移魔法で花畑へ移動する。ここに訪れるのは五年ぶりだ。
五年前、ファルンへ帰ってきた時に一度立ち寄っただけで、すぐにロイの別荘へと運ばれてしまったから。
見渡す限り、ユコーンの花が広がっている。黄金の光を放つユコーンが咲き誇る様は幻想的なほど美しく、まるで夕暮れに染まった海が広がっているかのようだ。
この地を知る者しかここにはやって来れない。今の所、俺の他に人の姿は見えない。
師匠は一体何処にいるのだろう? 考えて、俺は太陽の位置を確認した。
陽の傾きから方角を特定する。この花畑の北の方には、俺がかつて暮らしていた屋敷が残されている。
残虐な襲撃を受けた、悲惨さがまだ残っている屋敷だ。師匠がいるならばそこだろう。
屋敷へ歩きながら、思った。
まるでここは、永遠の夕刻に閉じ込められているみたいだと。
俺は一人、不思議な心地で黄金の海を渡っていく。
そう言えば、ファルンに着いてから目の色を変えていない。五年前は、琥珀色から翠へと変化の魔術を使っていた。そのおかげで、ロイにも食い付かれることはなかったのだ。
まぁ、いいか。
大元帥閣下のロイに会う機会なんてないのだから。
ユコーンの花の海に浮かぶかつての屋敷に辿り着き、その敷地内へと踏み入れる。
直前だった。
「――サラ」
——初めは幻聴かと思った。
両足が勝手に止まる。俺は硬直し、立ち止まっている。
サー……っと、風が花の海を渡る音が耳に届く。
他には何の音もない。
あぁ。
とうとう、ロイが俺の名を呼ぶ幻聴まで聴こえ始めたか……俺は重い気分で声がした方へ振り返った。
そして、彼の姿を目にした。
「ロイ……」
少し先、ユコーンの花畑の中にロイが立っている。
これは、幻覚ではない。
俺は目を見開いた。ロイが歩き出し、ゆっくりと、黄金の海を渡ってくる。
「ど、うして……」
あまりの驚きで漏れ出た言葉たちがロイに聴こえていたかは分からない。静かな混乱が俺を襲うが、困惑している場合ではないと即座に判断し、にっこりと微笑みを浮かべて見せた。
「オークランス閣下。お久しぶりですね」
俺は一介の魔法使いで、ロイはロイ・オークランス大元帥だ。立場を今一度把握し、俺も彼の元へ歩き出した。
言ってから、思い出す。そうだった。五年前の交流で、敬語を外したのだった。
「五年ぶり、か?」
平然と語りかけながらも、胸には混沌とした言いようのない感情が溢れかえっていた。
気を抜くと、ロイ、と声が漏れそうになるのを、奥歯を噛み締めて堪える。
ロイがいる。
彼がもう、目の前にいる。長い黒髪が風で揺らぎ、煌めいていた。
涼やかな無表情も、思わず微笑みかけてしまいそうになる程愛しかった。見上げてしまうくらい背の高い彼の向こうで、雲が風に流されて何処かの青空へ泳いでいく。
五年経ってもロイの美しさは変わらない。五年経ってもロイへの想いは膨らむばかりで、心が一瞬にして情熱で満たされた。
あぁ、でも、少し変わったかな。年を重ねて威厳が増している気がする。もっといい男になったみたいだ。目の奥が燃えるように熱くなった。鼻がつんと痛くなり、涙がこぼれそうになる。必死に堪えて、黙りこくるロイへ笑いかけた。
「五年前は悪かったな。途中で仕事を放棄してしまって。急用ができたんだよ」
ロイは黙って、俺を見下ろしている。
やはり、怒っているのだろうか。俺は情けなく眉を下げた。
「前金なら、すぐにでも返すから。それにしてもどうしたんだよ……こんなところで」
予告のない状況で当惑するが、過度に狼狽した様子を見せないよう、慎重に、明るく告げた。
「そっか。大元帥閣下だもんな。イクセル様に教えてもらったのか?」
「サラ」
俺は、ふ、と息を止めた。
ロイがその名を口にしただけで、目の前が歪んでしまう。
瞬きの間で涙が目の膜を覆った。あ、瞳の色を変えていない……。ロイが俺の名を呼んでくれた。どうして黙っているんだろう。ロイが、「サラ」と言った。
様々な想いで思考が整理できない。こんなにも頭の中は渾沌としているのに、純な俺の心は「サラ」の響きにただ歓喜し、感情が涙となって込み上げる。
俺は唇を噛み締めた。
そして、開く前にロイが告げた。
「俺は此処でずっと、サラを待っていたんだ」
変化も施していない琥珀色の瞳を晒して、俺は目を瞠ったまま、ロイを見上げている。
……俺を待っていた?
どうして……。
待っていてくれた?
何故……。
ロイ・オークランス閣下が、ただの魔法使いに何の用があって、王都からかけ離れたこの地で待ち構えていたのだ? もしかして、名前をエディではなくサラと詐称したのが何かの罪に当たる? このユコーンの花畑の存在を知っているのが問題か? いや、ルロオ一族の件かもしれない。だとすれば、俺の功績を大元帥閣下から讃えられるのだろう。
一瞬で思考を巡らせながらも、自然な間に感じられるよう、笑みを浮かべて言葉を返した。
「そう、か。閣下が俺を待ち望んでいたなんて光栄だな。良い話だと嬉しいんだけれど……一体何の御用で?」
「俺は」
茶化すような口ぶりの俺に対し、ロイはどこか、見惚れるような、放心するような表情で呟いた。
「サラに会いたかった」
「……ありがとう」
動揺を悟られないよう、低く返す。
ロイは更に言った。
「サラに会いたかったんだ。俺は」
それはまるで、独り言のような響きだった。
「ああ……やっぱり」
何か確信に気づいたように、ロイはふっと吐息混じりに呟く。
ロイの表情に、微笑みが浮かんだ。その琥珀色の瞳にたっぷりと光を煌めかせながら、彼は目を細めた。
そしてロイはささやいた。
「俺は、サラを愛している」
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