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第四章
34 本当の話
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城の敷地外に出るまで見送る。その姿が消え失せてから、ようやく踵を返す。
テラスに戻ってくると、先ほどまでテーブルにあった食器も片付けられていた。山から王都まで展望できるこの場所から、ロイの場所が辿るであろう山道を見下ろしてみるが、馬車はもう見えない。
移転魔法を使ったようだ、王宮への礼儀として馬車を使うが、その過程でわざわざ山道を通る必要はない。
移転魔法、か……。
その魔法を一度だけ受けたことがある。
十三歳まで過ごしていたエストゥナの娼館から、ファルンへ逃げてきた時だ。
俺を移転魔法で逃がしてくれた方は、あの時殺された。
「……っ」
薄暗い夜の街はもう此処にない。晴れやからな日差しの下、一番高いところから王都を見下ろせる場所にいるのに、俺はまだ足元が崩れるような感覚に陥る。
「はぁ……」
「リネ様」
ため息をつくと、ちょうど背中に声がかかる。
振り向くと、ロイに長年仕える使用人の一人だった。彼女は目尻に皺を寄せて微笑むと、「いいお天気ですねぇ」と親しみの込めた笑顔で歩いてくる。
俺は笑顔を作って、頷いた。
「そうですね」
「リネ様にお手紙が届いておりますよ」
「ありがとうございます」
「ティーセットをご用意しますか?」
「いえ、もう部屋に戻ります」
「そうですか。何か御用があれば仰ってくださいね」
俺に手紙を渡すと、彼女はにっこりと笑みを深くして、一礼する。
立ち去る背中を見届けてから、椅子に腰掛けた。
オーラとは文通を続けている。身請け人のまだいない彼はメルス遊郭街を出ることはできない。時折ロイと共にメルスを訪れるが、俺もロイがいないとメルスへは立ち入れないので、そう気軽には会えない。
その代わりに、手紙は頻繁に交換していた。今では俺よりオーラの方が忙しいので、返事が遅れるのは彼の方だ。
最後に手紙を出したのは一昨日なので、意外にも早い返信である。この二年間、ずっと変わらず、手紙を開ける前はいつだって胸が躍っている。
けれど、手紙の差出人は、オーラではなかった。
「……ジェイ様」
あの人だ。
オーラの名を使って、時折ジェイ様からも頼りが届く。
一瞬で冷えていく心。俺は一気にその文章を読み尽くす。
最後の文に目を通した時には、指先が震え出していた。数秒後、手紙が氷へと変化していく。
彼は魔法使いだ。これは、最後まで読むと粉々に崩れいてく不思議な手紙だった。
この手の中にはもう何もない。冷たさすらも、残らない。
空虚を掴み、俺は、テーブルに額が付くほど俯いた。
「ピテオが、岩渓軍の奇襲を受けた……?」
ジェイ様からの急報には、たった一時間前にピテオの最南端の村が、山を超えた岩渓軍に奇襲を受けた旨が書かれていた。
ジェイ様はイクセル魔法使いと繋がっている。イクセル様及び、国際中立機関はこれを、ファルンへの宣戦布告として南境戦争と名付けると決めたようだ。
『南境』だけで止まるか、拡大するかは今後の戦況で変わっていく。
「ああ……」
とうとう、渓谷を越えて、岩渓軍がやってきた。
戦争が始まってしまったのだ。
「あ……あ……」
ここはピテオから離れた、王都だ。まだ侵攻されることはないはず。それにこの城にも強力な防衛魔法がかけられているので転移魔法での侵入はできない。
頭で分かっていても、体が受け入れられない。部屋に駆け込んだ俺は、ベッドの近くに膝を抱え、ひどく震える体を抱きしめた。
手先が冷たい。しかし背中に吹き出した汗でシャツが張り付いている。奥歯が震えて、火打ち石のようにガチガチと音を立てている。
ピテオが……。
ロイの愛する故郷がやられた。
どうして?
わかってる。トゥーヤに近いからだ。
でも……ロイの傍にいる俺が関係しているのでは?
だから、ピテオが、選ばれたのでは……。
カーテンを閉め切り、部屋に鍵をかける。扉の向こうから優しいメイドの声がかかっても、怖くて返事をできなかった。
もうロイが故郷への残虐を知る頃だろうか。
ロイはきっとすぐさまピテオへ向かったはず。
だから王都にはいない。それが心細くて、仕方なかった。震えながら何度も「ロイ」と名前を呼んだ。虚な口調で声にしていたか、心の中で叫んでいたか、もう分からない。時間感覚すら曖昧になる。外は青空のはずなのに、俺の世界は真っ暗で、ただ一人きりだった。
ロイ……。
ロイの、故郷が襲われた。
ロイが一番愛するのは故郷と、そこに住まう人々だ。
ロイは多くの人々と関わり合って、生きている。
ずっと一人だった俺とは違う。
「……ネ」
ジェイ様はファルンを去った。あとは、俺だけ。
だだっ広い世界の中で、俺だけが暗闇にいる。
「——リネ!」
「……あ」
肩を揺さぶられているのにも気付かなかった。ハッと我にかえり見上げると、そこにはロイがいる。
「……あ、ロイ……」
「リネ、顔が真っ青だ」
彼の顔を見た瞬間、目の奥が熱くなった。気を失ってしまいそうな程の安堵で、力が抜ける。
「リネっ!」
ロイは咄嗟に支えてくれた。部屋にはいつの間にか明かりが灯っている。時計は深夜を指していた。
夕刻には帰ると言っていたがこの時間になってしまったのは、やはりロイは……。
「どうしたんだ、リネ」
血の匂いがする。
あぁ。
嘘じゃなかったんだ……。
俺は力の失せた唇から溢した。
「ピテオに……行っていたんだな……」
「な、ぜ……、それを知っているんだ」
ロイが愕然とした表情で俺を見つめる。
きっとまだファルン王国全土にその襲撃が伝わっていない。街から隔離されたこの城に籠っている俺が、ピテオへの襲撃を知るはずがないのだ。
ロイはパッと表情を変えた。心底俺を心配する目つきに変わり、「リネ、体が冷えている」と俺を抱きしめた。
触れられたところから熱が灯る。極度の安心感で、腰が抜けていた。
けれど、血の匂いがする。
もう、始まってしまったんだ。
「何か温かいものでも——……」
「ロイ、別れてほしい」
呟くと、ロイが固まった。
「……は?」
と乾いた音が耳に届く。
俺は深く息を吐いた。
ロイが俺の肩を強く掴み、真正面から見つめてくる。
「な、にを言ってるんだ」
「別れてほしいんだ」
「な、なぜ。なんで?」
「ごめん」
ロイの顔が恐ろしい速さで青ざめていくのが分かる。
それから何かに気付いたように唇を震わせ、揺れる声で、囁いた。
「俺が、血に塗れた軍人だから——……」
「違う」
違う。
違うんだ。
自分の言葉がロイを傷つけたと知って、俺は口の中に一気に熱が散るのを感じた。
生み出される声が、熱い。混乱した頭で、
「ち、違うんだ」
と、必死に絞り出した。
もう。
「ロイ。俺は本当は……ファルンの生まれじゃないし、リネでもない」
もう、止まらなかった。
ロイが目を見開く。
俺と同じ琥珀色の瞳がそこにある。でも俺は、ロイと同じではない。
「どこで生まれたかはわからない。けれど物心ついた時には、エストゥナという国の娼館に売られていた。そこで育って、男娼になった。そこで俺は……」
路上の泥よりも、酷く汚れた人生を生きてきたのだ。
「トゥ、」
唇を破るほどに噛み締める。ロイが心配して俺の頬に手のひらを寄せようとした。
俺はそれを振り払うように首を振り、吐き出した。
「トゥーヤの、岩渓軍の奴らを相手にしていた」
ロイの手が止まるのを、視界の隅に捉える。
あぁ、止まってしまった……。
しかしもう口を噤んでいるのは耐えられない。
言葉に迷いながらも、俺はできる限りの本当を、震える声で紡いでいった。
「俺は彼らの軍部機密を知ってしまった。彼らにとって俺は使い捨てで、最後には殺すつもりだったんだろう」
十年近く前の恐怖が頭に蘇る。
迫る死の残滓は生きていて、あの記憶に触れた心がまた壊れそうになる。
「でも俺は、どうしても死にたくなくて……ただ、怖かった。だから逃げて、此処まで来たんだ」
でも、言葉にした。
支離滅裂に、本当の過去を吐露する。
「ロイ、もう無理だ。エストゥナから俺を逃がしてくれた人も、岩渓軍に殺された。きっと俺のことを奴らは探している。俺が知っていることや、見たもの、全部封じるために殺される」
逃がしてくれたあの人はジェイ様の仲間だ。殺された。
ジェイ様も、もうファルンから逃げ去った。殺されないために。
帰ってくるかは分からない。
あとは、俺一人だ。
「ロイを危険に晒したくない。岩渓軍は、ファルンの自衛軍も魔法軍も、魔山軍ですら破って、君の故郷に奇襲を仕掛けたんだ。きっと俺の居場所だって見つかってしまう。そうしたら、ロイやロイの家の人たちを危険に陥れる。だから俺は……、ずっと、メルスにいたんだ。メルスにいれば名前も変えられるし、身分を明かされることもない。だから……、ロイは自分のせいで俺が逃げられなかったって悔やんでたけど、俺なんて初めから逃げる場所なんてなかったんだ」
——『俺のせいでリネは自由になれなかった』
二年前、ロイは言った。
だがそれは間違っている。
俺には初めから自由なんてなくて、残されているのはどう生き延びるか。それだけだった。限りなく細く、狭く、暗い道を選んでいるだけ。ロイが奪ったんじゃない。初めから俺には、自由なんてものはなかった。
ロイとの暮らしの全てが幸せすぎて、忘れていたのだ。
俺がたまたま生き残っただけで、とっくに未来を奪われた人形であること。
「名前なんて変えたって意味がない。リネが俺であることなんて見破られる。リネなんか……何の意味もない。もう嫌だ。俺のせいで、ロイと、ロイの周りにいる皆を傷つけたくない」
このまま共にいたら、ロイや、ロイの近くにいる人たちまで傷つける。
脳裏に突きつけられるのは、この城が血に塗れた光景だった。
みんな、死んでしまう。俺がここにいるから。見たこともない恐怖の景色に脅かされて、俺はつぶやいた。
「ロイ、俺はもう君から離れたい」
テラスに戻ってくると、先ほどまでテーブルにあった食器も片付けられていた。山から王都まで展望できるこの場所から、ロイの場所が辿るであろう山道を見下ろしてみるが、馬車はもう見えない。
移転魔法を使ったようだ、王宮への礼儀として馬車を使うが、その過程でわざわざ山道を通る必要はない。
移転魔法、か……。
その魔法を一度だけ受けたことがある。
十三歳まで過ごしていたエストゥナの娼館から、ファルンへ逃げてきた時だ。
俺を移転魔法で逃がしてくれた方は、あの時殺された。
「……っ」
薄暗い夜の街はもう此処にない。晴れやからな日差しの下、一番高いところから王都を見下ろせる場所にいるのに、俺はまだ足元が崩れるような感覚に陥る。
「はぁ……」
「リネ様」
ため息をつくと、ちょうど背中に声がかかる。
振り向くと、ロイに長年仕える使用人の一人だった。彼女は目尻に皺を寄せて微笑むと、「いいお天気ですねぇ」と親しみの込めた笑顔で歩いてくる。
俺は笑顔を作って、頷いた。
「そうですね」
「リネ様にお手紙が届いておりますよ」
「ありがとうございます」
「ティーセットをご用意しますか?」
「いえ、もう部屋に戻ります」
「そうですか。何か御用があれば仰ってくださいね」
俺に手紙を渡すと、彼女はにっこりと笑みを深くして、一礼する。
立ち去る背中を見届けてから、椅子に腰掛けた。
オーラとは文通を続けている。身請け人のまだいない彼はメルス遊郭街を出ることはできない。時折ロイと共にメルスを訪れるが、俺もロイがいないとメルスへは立ち入れないので、そう気軽には会えない。
その代わりに、手紙は頻繁に交換していた。今では俺よりオーラの方が忙しいので、返事が遅れるのは彼の方だ。
最後に手紙を出したのは一昨日なので、意外にも早い返信である。この二年間、ずっと変わらず、手紙を開ける前はいつだって胸が躍っている。
けれど、手紙の差出人は、オーラではなかった。
「……ジェイ様」
あの人だ。
オーラの名を使って、時折ジェイ様からも頼りが届く。
一瞬で冷えていく心。俺は一気にその文章を読み尽くす。
最後の文に目を通した時には、指先が震え出していた。数秒後、手紙が氷へと変化していく。
彼は魔法使いだ。これは、最後まで読むと粉々に崩れいてく不思議な手紙だった。
この手の中にはもう何もない。冷たさすらも、残らない。
空虚を掴み、俺は、テーブルに額が付くほど俯いた。
「ピテオが、岩渓軍の奇襲を受けた……?」
ジェイ様からの急報には、たった一時間前にピテオの最南端の村が、山を超えた岩渓軍に奇襲を受けた旨が書かれていた。
ジェイ様はイクセル魔法使いと繋がっている。イクセル様及び、国際中立機関はこれを、ファルンへの宣戦布告として南境戦争と名付けると決めたようだ。
『南境』だけで止まるか、拡大するかは今後の戦況で変わっていく。
「ああ……」
とうとう、渓谷を越えて、岩渓軍がやってきた。
戦争が始まってしまったのだ。
「あ……あ……」
ここはピテオから離れた、王都だ。まだ侵攻されることはないはず。それにこの城にも強力な防衛魔法がかけられているので転移魔法での侵入はできない。
頭で分かっていても、体が受け入れられない。部屋に駆け込んだ俺は、ベッドの近くに膝を抱え、ひどく震える体を抱きしめた。
手先が冷たい。しかし背中に吹き出した汗でシャツが張り付いている。奥歯が震えて、火打ち石のようにガチガチと音を立てている。
ピテオが……。
ロイの愛する故郷がやられた。
どうして?
わかってる。トゥーヤに近いからだ。
でも……ロイの傍にいる俺が関係しているのでは?
だから、ピテオが、選ばれたのでは……。
カーテンを閉め切り、部屋に鍵をかける。扉の向こうから優しいメイドの声がかかっても、怖くて返事をできなかった。
もうロイが故郷への残虐を知る頃だろうか。
ロイはきっとすぐさまピテオへ向かったはず。
だから王都にはいない。それが心細くて、仕方なかった。震えながら何度も「ロイ」と名前を呼んだ。虚な口調で声にしていたか、心の中で叫んでいたか、もう分からない。時間感覚すら曖昧になる。外は青空のはずなのに、俺の世界は真っ暗で、ただ一人きりだった。
ロイ……。
ロイの、故郷が襲われた。
ロイが一番愛するのは故郷と、そこに住まう人々だ。
ロイは多くの人々と関わり合って、生きている。
ずっと一人だった俺とは違う。
「……ネ」
ジェイ様はファルンを去った。あとは、俺だけ。
だだっ広い世界の中で、俺だけが暗闇にいる。
「——リネ!」
「……あ」
肩を揺さぶられているのにも気付かなかった。ハッと我にかえり見上げると、そこにはロイがいる。
「……あ、ロイ……」
「リネ、顔が真っ青だ」
彼の顔を見た瞬間、目の奥が熱くなった。気を失ってしまいそうな程の安堵で、力が抜ける。
「リネっ!」
ロイは咄嗟に支えてくれた。部屋にはいつの間にか明かりが灯っている。時計は深夜を指していた。
夕刻には帰ると言っていたがこの時間になってしまったのは、やはりロイは……。
「どうしたんだ、リネ」
血の匂いがする。
あぁ。
嘘じゃなかったんだ……。
俺は力の失せた唇から溢した。
「ピテオに……行っていたんだな……」
「な、ぜ……、それを知っているんだ」
ロイが愕然とした表情で俺を見つめる。
きっとまだファルン王国全土にその襲撃が伝わっていない。街から隔離されたこの城に籠っている俺が、ピテオへの襲撃を知るはずがないのだ。
ロイはパッと表情を変えた。心底俺を心配する目つきに変わり、「リネ、体が冷えている」と俺を抱きしめた。
触れられたところから熱が灯る。極度の安心感で、腰が抜けていた。
けれど、血の匂いがする。
もう、始まってしまったんだ。
「何か温かいものでも——……」
「ロイ、別れてほしい」
呟くと、ロイが固まった。
「……は?」
と乾いた音が耳に届く。
俺は深く息を吐いた。
ロイが俺の肩を強く掴み、真正面から見つめてくる。
「な、にを言ってるんだ」
「別れてほしいんだ」
「な、なぜ。なんで?」
「ごめん」
ロイの顔が恐ろしい速さで青ざめていくのが分かる。
それから何かに気付いたように唇を震わせ、揺れる声で、囁いた。
「俺が、血に塗れた軍人だから——……」
「違う」
違う。
違うんだ。
自分の言葉がロイを傷つけたと知って、俺は口の中に一気に熱が散るのを感じた。
生み出される声が、熱い。混乱した頭で、
「ち、違うんだ」
と、必死に絞り出した。
もう。
「ロイ。俺は本当は……ファルンの生まれじゃないし、リネでもない」
もう、止まらなかった。
ロイが目を見開く。
俺と同じ琥珀色の瞳がそこにある。でも俺は、ロイと同じではない。
「どこで生まれたかはわからない。けれど物心ついた時には、エストゥナという国の娼館に売られていた。そこで育って、男娼になった。そこで俺は……」
路上の泥よりも、酷く汚れた人生を生きてきたのだ。
「トゥ、」
唇を破るほどに噛み締める。ロイが心配して俺の頬に手のひらを寄せようとした。
俺はそれを振り払うように首を振り、吐き出した。
「トゥーヤの、岩渓軍の奴らを相手にしていた」
ロイの手が止まるのを、視界の隅に捉える。
あぁ、止まってしまった……。
しかしもう口を噤んでいるのは耐えられない。
言葉に迷いながらも、俺はできる限りの本当を、震える声で紡いでいった。
「俺は彼らの軍部機密を知ってしまった。彼らにとって俺は使い捨てで、最後には殺すつもりだったんだろう」
十年近く前の恐怖が頭に蘇る。
迫る死の残滓は生きていて、あの記憶に触れた心がまた壊れそうになる。
「でも俺は、どうしても死にたくなくて……ただ、怖かった。だから逃げて、此処まで来たんだ」
でも、言葉にした。
支離滅裂に、本当の過去を吐露する。
「ロイ、もう無理だ。エストゥナから俺を逃がしてくれた人も、岩渓軍に殺された。きっと俺のことを奴らは探している。俺が知っていることや、見たもの、全部封じるために殺される」
逃がしてくれたあの人はジェイ様の仲間だ。殺された。
ジェイ様も、もうファルンから逃げ去った。殺されないために。
帰ってくるかは分からない。
あとは、俺一人だ。
「ロイを危険に晒したくない。岩渓軍は、ファルンの自衛軍も魔法軍も、魔山軍ですら破って、君の故郷に奇襲を仕掛けたんだ。きっと俺の居場所だって見つかってしまう。そうしたら、ロイやロイの家の人たちを危険に陥れる。だから俺は……、ずっと、メルスにいたんだ。メルスにいれば名前も変えられるし、身分を明かされることもない。だから……、ロイは自分のせいで俺が逃げられなかったって悔やんでたけど、俺なんて初めから逃げる場所なんてなかったんだ」
——『俺のせいでリネは自由になれなかった』
二年前、ロイは言った。
だがそれは間違っている。
俺には初めから自由なんてなくて、残されているのはどう生き延びるか。それだけだった。限りなく細く、狭く、暗い道を選んでいるだけ。ロイが奪ったんじゃない。初めから俺には、自由なんてものはなかった。
ロイとの暮らしの全てが幸せすぎて、忘れていたのだ。
俺がたまたま生き残っただけで、とっくに未来を奪われた人形であること。
「名前なんて変えたって意味がない。リネが俺であることなんて見破られる。リネなんか……何の意味もない。もう嫌だ。俺のせいで、ロイと、ロイの周りにいる皆を傷つけたくない」
このまま共にいたら、ロイや、ロイの近くにいる人たちまで傷つける。
脳裏に突きつけられるのは、この城が血に塗れた光景だった。
みんな、死んでしまう。俺がここにいるから。見たこともない恐怖の景色に脅かされて、俺はつぶやいた。
「ロイ、俺はもう君から離れたい」
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