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第二章

15 別荘

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 俺はロイが踵を返す前に「オークランス様」と声をかけた。
「破片は残ってないか?」
 ロイはこちらに身体を向け直し、鸚鵡返しで「破片?」呟いた。
 俺は真剣にロイを見つめた。
「オーラ様に襲いかかった魔物の肉片だ」
 すると、ロイの顔が僅かに険しくなる。オーラが襲われたあの瞬間が脳裏を過ったのだろう。
「呪いの分析をしたい。リゾットも残っていればいいのだけど」
「保管してある」
「よかった」
 言って、すぐさま確認した。
「オークランス様は触れていないな?」
「あぁ」
「では、ベルマンにご指示を」
 ロイは一度だけ頷き、「承知した」と告げる。
 それからはこちらに背を向け、部屋を去っていく。
 俺は医者を待ちながら、包帯に巻かれた腕を見下ろす。
 もとより半年も滞在するつもりはないのだ。
 想定外の事件のせいで状況が激変してしまった。これさえ無ければ、ロイの体力を回復する果物の木でも植えて、来月には去るつもりだったのに。
「やられたな……」
 まさか呪いの侵入が起こるとは。
 だからこの屋敷は警備が甘くて嫌だったんだ。この海辺がよくない。海岸線は防衛に不向きだ。
 リゾットはまだ研究が必要だけれど、果物はビーチ近くにあった畑から採れたものだろう。真夜中のうちに誰かが侵入してきて、果物に仕掛けたのか?
 これは、師匠の想定内なのだろうか……。
 まだ分からないが、あれらはさして殺傷力も高くなかった。戦場で使われていた爆弾や呪いには到底及ばない威力だからこそ、ロイも察知しなかったのかもしれない。
 どちらにせよアレらは、俺が娼館で見てきた呪いの一つだから分かったのだ。
 魔狼族の末裔のロイは、魔法を使うことくらいはできるが、魔法使いではない。あくまで彼は、軍人なのである。
 類稀なる戦闘力でトップに上り詰めた。彼に呪いや魔法が迫ることは今までもあったけれど、それはロイの周りに何百人も構える魔法使いや魔術師たちが撃ち落とし、根こそぎ狩り尽くしていた。
 とにかく手薄だ。もしや、俺にも感知できない凄腕の魔法使いが屋敷に潜んでいるのか?
 リゾットくらいの呪いなら俺が処理できると思ったから、放置していたとか……。
 何にせよ、あの呪いの分析を進めなければ。そして敵を討ち取り、直ぐにでも出ていこう。
 敵……懐かしいのは、トゥーヤの軍隊だ。
 しかしリゾットは、トゥーヤの魔法とは空気が違うような気がした。
 残党ではない。ならば誰が?
 あの呪いは、魔族の血を標的とすることに特化しているようだった。
 この屋敷で魔族の血に親しみがあるのは、俺とロイだけ。
「……まさか」
 俺が狙いなのか?

















 ロイの屋敷に連れてこられて、もう二ヶ月が経っている。
 リゾットと果物に潜んでいた呪いの分析を終えて分かったことは、これはやはり魔族の血を継ぐ者を狙った呪術だということ。
 仮説通りだ。果物に関しては、匂いに反応したのかもしれない。
 魔狼族の血を宿すロイの傍に常にいたオーラは、彼の匂いを纏いすぎている。だからイチジクはオーラに反応したのだ。そうして彼は危険な目に遭ってしまった。
 とは言え近頃のオーラは、ロイといる時間が減っている。
 それは、ロイが俺の元へやってくるからだった。
「サラ。体の調子はどうだ」
 テラスで本を読んでいると、いつの間にかロイが扉を開けてこの領域に入り込んでいた。
 彼の挨拶はいつもこれである。おはようや今晩はなどの定型的挨拶を排除し、いの一番に体調を確認してくる。
「それなりに」
 俺の返答もいつもこれだ。
 良くも悪くもない。事実である。むしろそちらはどうだと訊ねたい。体調はいいのか。俺に話しかけても、気分は悪くならないか?
 呪いを仕掛けられたあの日から、ロイは俺を見かけると話しかけてくるようになった。
 初めは俺もギョッとした。ロイは俺に屋敷から出て行ってほしいくらい、嫌悪か恐怖かその両方を抱いていたはずだ。
 一朝一夕で取り払える感情ではない。それはロイの本能に由縁するのだから。
 実際、ロイは俺に話しかける前に、一呼吸置いている。
 きっとまだ、生理的な『いやな感じ』が抜けないのだ。それでも俺に話しかけてくるのは、自身の態度を悔いているからだろう。
 俺に恐怖し、俺を退けようとした自分の暴言を省みている。せめてこれ以上は俺が居心地良くこの屋敷で働けるよう、努力してやがる。
 それがロイだ。彼は大元帥だ何だ言われているが、実際のところ、それほど恐れるべき男ではない。
 それよりも、ロイが俺を眼下にした時の彼の方がよっぽど暗澹たる心境だったろう。ロイが白状した通り、ロイは俺に恐怖したはずだ。
 心を抉られるほどの恐怖である。
「それなり、か。悪くないようで良かった」
 再会……ロイにとっての『出会い』から二ヶ月経って、彼はなぜか俺に慣れてきている。
 俺は「怪我はもうすっかり完治している。腕のいい医術師がついてるんだな」と笑いかけた。
 まぁ、俺も俺で大概だ。ロイに微笑みを向けるのも、随分と上手くなった。
 ロイは心から安心した表情で答えた。
「ああ。彼は優秀だ。それにサラも治りが早い。さすがだな」
「どうも。ところで、夕餉前にどうした? 何か用事か?」
「いや、これと言った用はない。今日のサラは何をしていたのだろうと」
「いつも通りだ」
「いつも通り、膜を張っていたのか」
 感心と呆れが混じり合った言い方だ。俺は苦笑がちに頷いた。
 ロイの許可を得たことで、日中は付近を歩き回っている。やはり気になるのは海岸である。海岸は良くない。敵の侵入を防ぐのが困難だ。
 防衛に不向きなこの場所になぜロイが豪勢な別荘を建てたか甚だ疑問だった。人は海に惹きつけられるのか? そうやって砂浜に罠を仕掛けている最中、不意に思い出した。
 海の近くで過ごしてみたいと話したのは、俺だ。
 だからロイはこの別荘を建てたのかもしれない。結局、奥様である『リネ』はロイと共に此処を訪ねることができなかったが、ある意味成功している。
 俺は、夢見た別荘にやってくることができたのだ。
 中でもこのテラスはお気に入りである。朝、目が覚めて少し肌寒い風に身を晒しながらも、ここで珈琲を飲む時間が好きだ。
 またはこうして、水平線の彼方に沈んでいく夕日を眺めている時間。青空が頭上いっぱいに広がり、雲ひとつないよく晴れた午後。星の瞬く風のない夜。
 どれもこのテラスで過ごすと、美しいひとときに思える。
 俺は、この屋敷を守らなければ。
 ロイは「だが、働きすぎて体調を崩さないように」と、真剣な表情で再度言った。
 俺は、揶揄うように笑ってみせる。
「本来の仕事がないので、割と暇なんだよ」
「……」
 ロイは聞こえていなかったのように、軽やかに言う。
「そうだ。今晩は夕食を共に取ればいい」
「はい?」
 突拍子のない発言に思わず眉を顰める。一応、眉間の皺を解き、俺は泰然と返す。
「俺には配膳の仕事がある」
「皆でやればいいだろう」
「皆って……」
「オーラが作った料理は、不思議と気力が湧くんだ」
 どうしてもロイの目からは、俺が具合が悪く見えるらしい。
 オーラが作った料理など存在しないというのに、ロイは何と無邪気なのだろう。俺も俺で、大概である。そう、それなりに馬鹿。こんなロイをどうしても愛おしく思えてしまう。
 ロイが元気をもらっている料理は全て俺が魔法を込めて作ったものだ。事実を知らないロイはオーラの嘘を決して疑わず、俺に誘いさえかけてくる。
 だが、別に、訂正する必要もない。訂正したところでロイが信じてくれるか否か……。
 オーラの嘘は上手いのだから。
「俺はあくまで仕事で来てるんだ」
「夕食くらいいいだろう」
「嫌だよ」
 と。
 不意に、視線を感じた。
 ロイ越しに目を向ける。テラスに出る扉は透明なガラスになっていて、その人影の正体が明瞭となっていた。
 ……オーラ。
 彼は無表情で、こちらには入り込まず突っ立っている。
 目が合った。
 すると、真顔だったオーラの表情が変化する。
 苦しげに……辛そうに、こちらを睨みつけて、次の瞬間には去って行ってしまう。
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