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5 森良幸平 二十歳
38 きっかけ
しおりを挟む「時川、今からこいつを殴りにいこうぜ」
「この回答者、現実でもこんな調子なのかな」
「ネットでも嫌われてる奴がリアルで好かれてるわけねぇよ!」
ぼうっと画面を眺めていると、谷田が慌てた様子で肩を抱いてくる。
「幸平、こいつは俺らが殴りにいくから大丈夫」
「……諦めるのが、吉……」
「真に受けんな!」
「吉……?」
思わず呟くと、谷田は幸平の肩を掴み直し、激しく前後に揺すり始めた。されるがまま前後に揺れていれば見兼ねた時川が「やめなさい」と谷田の腕を掴む。
「この回答者さ、こいつ何で笑ってんの?」
「何でだろうな」
「ムロくん呼ぼうぜ。あの子、罵倒得意じゃん。あの子ネット民とか一番嫌いだろ。ムロくんにこいつを罵倒してもらってスッキリしよう」
「谷田くん、地味に室井くんを気に入ってるよな」
「あっ、幸平! だから読むなって!」
携帯を奪われてしまうので、幸平は手持ち無沙汰になり、その辺にあったクッションを両腕に抱えた。谷田に取り上げられる寸前、携帯の時刻表示が目に入った。
まだ午後二時。昨日は朝から晩までバイトが入っていたが、今日は夕方からだ。バイトまではまだ時間がある。
目の前では谷田が室井に電話を掛けていて、時川が隣で「うーん」と首を傾げている。こうした風景を、あと二時間ほどは眺めていられるのだ。
時川が、不可解そうに首を傾げる。
「この質問者、本当に幸平くんじゃないのか?」
彼としては独り言の範囲らしい。幸平は時川をぼんやりと見つめ、心の中で答えた。
――それは俺ではない。
だって、その人と俺は少し違うから。
……会うたびに一万円を渡されていることを二人には言っていない。
あまり口にしてはいけないような気がしたからだ。この回答を読んで、己の判断を確信する。
男はセックス脳でやることがゴール……。
そんな考えがあるだなんて思いもしなかった。陽太がそう考えているとは思えないけれど、世間にはそうした思考の人たちもいる。
幸平にとってセックスは、大切な交わりであり、陽太の傍にいるための手段でもある。この回答はかなりの衝撃で、まだ言葉が出てこない。
ならば『一万円』には、幸平が思いも寄らない意味があるのではないか。
今まで敢えて深く考えようとして来なかったこれには、もっともっと衝撃的な回答が与えられる。
それは、もう立ち上がれないほどの打撃を心に与えるのではないか。
「幸平、お前、まさか諦めるなんて言わないよな?」
あの質問した女性も、幸平と同じように悩んでいる。
彼女はどこにいるのだろう。一人でいるのだろうか。一人ぽっちで、顔の見えない誰かに頼るしかないくらいに、恋に苦しんでいる……。
「おい、幸平!」
「え、あ……何?」
また肩を掴まれて、幸平は我にかえる。谷田は「こんな大声出してるのに何で気付かねぇんだよ、才能か?」と言った。才能……確かに昔から、大声であればあるほどぼうっとしてしまうことが多い。
時川が「離しなさい。谷田くん、君、すぐ幸平くんを揺さぶるのやめろよ」と谷田を諌めている。
「だって幸平気付かねぇんだもん。幸平、お前、俺の話聞いてなかっただろ」
「うん。聞いてなかった」
「素直だなぁ。時川、今の聞いたか? こんなに素直な子いねぇよ。こんな良いやつに、溝口さんどうして……」
「谷田くんは、幸平くんに『諦めんな』的なことを言ってたよ」
時川は谷田の腕を幸平から外しつつ報告してくれた。諦めるな……。
「諦めないよ」
幸平は告げる。
二人の視線が一斉に集まる。
正確に言えば、「諦めるやり方がわからない」だ。
もうこれは長い恋だ。中学の時、陽太に拒否された時も、高校で遠い距離を感じていた時でさえも、幸平の恋は密かに生きていた。
諦められるならその頃とっくに終わっている。顔の見えない他人に『吉』と占われて終わらせることのできる感情ではない。
恋の諦め方など知らない。恋を止めるきっかけが分からない。
でも、幸平は考える。
やり方やきっかけが分からなくとも、このまま次第に陽太との距離が開いていけば……。
幸平が終わったと思っていなくても、『失恋』したことになるではないかと。
「……」
「とりあえずさ、溝口さんに連絡してみようぜ」
「私もそうするのがいいと思う」
「な、幸平!」
谷田が携帯を手渡してくる。幸平のはっきりとした返事に、二人の顔が明るくなっているのが分かった。
「うん」
幸平は小さく微笑んで携帯を受け取る。
幸平は画面を見下ろしもう一度「うん」と頷き、顔を上げた。
「告白する」
「うんうん……はっ!?」
「ほう」
「こ、告白!? 本気で言ってんのか幸平! お前どんな思考回路なんだ幸平!」
「うるせ」
谷田の大声に時川が嫌な顔をしている。幸平は携帯を握りしめた。
……これは高校三年の時と同じだ。
このまま何も言わなければ、徐々に、否応なしに、陽太と離れて他人みたいになってしまう。
けれど卒業式の日にそうしたように、幸平から彼に思いを伝えれば、もう一度陽太と新しい関係を築けるかもしれない。
一度目の告白ではセフレになれた。
ならば、次は、恋人になりたい。
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