上 下
39 / 65
5 森良幸平 二十歳

38 きっかけ

しおりを挟む





「時川、今からこいつを殴りにいこうぜ」
「この回答者、現実でもこんな調子なのかな」
「ネットでも嫌われてる奴がリアルで好かれてるわけねぇよ!」
 ぼうっと画面を眺めていると、谷田が慌てた様子で肩を抱いてくる。
「幸平、こいつは俺らが殴りにいくから大丈夫」
「……諦めるのが、吉……」
「真に受けんな!」
「吉……?」
 思わず呟くと、谷田は幸平の肩を掴み直し、激しく前後に揺すり始めた。されるがまま前後に揺れていれば見兼ねた時川が「やめなさい」と谷田の腕を掴む。
「この回答者さ、こいつ何で笑ってんの?」
「何でだろうな」
「ムロくん呼ぼうぜ。あの子、罵倒得意じゃん。あの子ネット民とか一番嫌いだろ。ムロくんにこいつを罵倒してもらってスッキリしよう」
「谷田くん、地味に室井くんを気に入ってるよな」
「あっ、幸平! だから読むなって!」
 携帯を奪われてしまうので、幸平は手持ち無沙汰になり、その辺にあったクッションを両腕に抱えた。谷田に取り上げられる寸前、携帯の時刻表示が目に入った。
 まだ午後二時。昨日は朝から晩までバイトが入っていたが、今日は夕方からだ。バイトまではまだ時間がある。
 目の前では谷田が室井に電話を掛けていて、時川が隣で「うーん」と首を傾げている。こうした風景を、あと二時間ほどは眺めていられるのだ。
 時川が、不可解そうに首を傾げる。
「この質問者、本当に幸平くんじゃないのか?」
 彼としては独り言の範囲らしい。幸平は時川をぼんやりと見つめ、心の中で答えた。
 ――それは俺ではない。
 だって、その人と俺は少し違うから。
 ……会うたびに一万円を渡されていることを二人には言っていない。
 あまり口にしてはいけないような気がしたからだ。この回答を読んで、己の判断を確信する。
 男はセックス脳でやることがゴール……。
 そんな考えがあるだなんて思いもしなかった。陽太がそう考えているとは思えないけれど、世間にはそうした思考の人たちもいる。
 幸平にとってセックスは、大切な交わりであり、陽太の傍にいるための手段でもある。この回答はかなりの衝撃で、まだ言葉が出てこない。
 ならば『一万円』には、幸平が思いも寄らない意味があるのではないか。
 今まで敢えて深く考えようとして来なかったこれには、もっともっと衝撃的な回答が与えられる。
 それは、もう立ち上がれないほどの打撃を心に与えるのではないか。
「幸平、お前、まさか諦めるなんて言わないよな?」
 あの質問した女性も、幸平と同じように悩んでいる。
 彼女はどこにいるのだろう。一人でいるのだろうか。一人ぽっちで、顔の見えない誰かに頼るしかないくらいに、恋に苦しんでいる……。
「おい、幸平!」
「え、あ……何?」
 また肩を掴まれて、幸平は我にかえる。谷田は「こんな大声出してるのに何で気付かねぇんだよ、才能か?」と言った。才能……確かに昔から、大声であればあるほどぼうっとしてしまうことが多い。
 時川が「離しなさい。谷田くん、君、すぐ幸平くんを揺さぶるのやめろよ」と谷田を諌めている。
「だって幸平気付かねぇんだもん。幸平、お前、俺の話聞いてなかっただろ」
「うん。聞いてなかった」
「素直だなぁ。時川、今の聞いたか? こんなに素直な子いねぇよ。こんな良いやつに、溝口さんどうして……」
「谷田くんは、幸平くんに『諦めんな』的なことを言ってたよ」
 時川は谷田の腕を幸平から外しつつ報告してくれた。諦めるな……。
「諦めないよ」
 幸平は告げる。
 二人の視線が一斉に集まる。
 正確に言えば、「諦めるやり方がわからない」だ。
 もうこれは長い恋だ。中学の時、陽太に拒否された時も、高校で遠い距離を感じていた時でさえも、幸平の恋は密かに生きていた。
 諦められるならその頃とっくに終わっている。顔の見えない他人に『吉』と占われて終わらせることのできる感情ではない。
 恋の諦め方など知らない。恋を止めるきっかけが分からない。
 でも、幸平は考える。
 やり方やきっかけが分からなくとも、このまま次第に陽太との距離が開いていけば……。
 幸平が終わったと思っていなくても、『失恋』したことになるではないかと。
「……」
「とりあえずさ、溝口さんに連絡してみようぜ」
「私もそうするのがいいと思う」
「な、幸平!」
 谷田が携帯を手渡してくる。幸平のはっきりとした返事に、二人の顔が明るくなっているのが分かった。
「うん」
 幸平は小さく微笑んで携帯を受け取る。
 幸平は画面を見下ろしもう一度「うん」と頷き、顔を上げた。
「告白する」
「うんうん……はっ!?」
「ほう」
「こ、告白!? 本気で言ってんのか幸平! お前どんな思考回路なんだ幸平!」
「うるせ」
 谷田の大声に時川が嫌な顔をしている。幸平は携帯を握りしめた。
 ……これは高校三年の時と同じだ。
 このまま何も言わなければ、徐々に、否応なしに、陽太と離れて他人みたいになってしまう。
 けれど卒業式の日にそうしたように、幸平から彼に思いを伝えれば、もう一度陽太と新しい関係を築けるかもしれない。
 一度目の告白ではセフレになれた。
 ならば、次は、恋人になりたい。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。

石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。 実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。 そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。 血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。 この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。 扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。

天織 みお
恋愛
「おめでとうございます。奥様はご懐妊されています」 目が覚めたらいきなり知らない老人に言われた私。どうやら私、妊娠していたらしい。 「だが!彼女と子供が出来るような心当たりは一度しかないんだぞ!!」 そして、子供を作ったイケメン王太子様との仲はあまり良くないようで――? そこに私の元婚約者らしい隣国の王太子様とそのお妃様まで新婚旅行でやって来た! っていうか、私ただの女子高生なんですけど、いつの間に結婚していたの?!ファーストキスすらまだなんだけど!! っていうか、ここどこ?! ※完結まで毎日2話更新予定でしたが、3話に変更しました ※他サイトにも掲載中

初恋の公爵様は僕を愛していない

上総啓
BL
伯爵令息であるセドリックはある日、帝国の英雄と呼ばれるヘルツ公爵が自身の初恋の相手であることに気が付いた。 しかし公爵は皇女との恋仲が噂されており、セドリックは初恋相手が発覚して早々失恋したと思い込んでしまう。 幼い頃に辺境の地で公爵と共に過ごした思い出を胸に、叶わぬ恋をひっそりと終わらせようとするが…そんなセドリックの元にヘルツ公爵から求婚状が届く。 もしや辺境でのことを覚えているのかと高揚するセドリックだったが、公爵は酷く冷たい態度でセドリックを覚えている様子は微塵も無い。 単なる政略結婚であることを自覚したセドリックは、恋心を伝えることなく封じることを決意した。 一方ヘルツ公爵は、初恋のセドリックをようやく手に入れたことに並々ならぬ喜びを抱いていて――? 愛の重い口下手攻め×病弱美人受け ※二人がただただすれ違っているだけの話 前中後編+攻め視点の四話完結です

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

運命の番はいないと診断されたのに、なんですかこの状況は!?

わさび
BL
運命の番はいないはずだった。 なのに、なんでこんなことに...!?

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

弱すぎると勇者パーティーを追放されたハズなんですが……なんで追いかけてきてんだよ勇者ァ!

灯璃
BL
「あなたは弱すぎる! お荷物なのよ! よって、一刻も早くこのパーティーを抜けてちょうだい!」 そう言われ、勇者パーティーから追放された冒険者のメルク。 リーダーの勇者アレスが戻る前に、元仲間たちに追い立てられるようにパーティーを抜けた。 だが数日後、何故か勇者がメルクを探しているという噂を酒場で聞く、が、既に故郷に帰ってスローライフを送ろうとしていたメルクは、絶対に見つからないと決意した。 みたいな追放ものの皮を被った、頭おかしい執着攻めもの。 追いかけてくるまで説明ハイリマァス ※完結致しました!お読みいただきありがとうございました!

処理中です...