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4 溝口陽太 12年前

32 修学旅行

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 もらった飴は食べずに、自室の棚の引き出しにしまった。しまった数分後に取り出して眺めた。溶けないように戻すが、再度、取り出す。
 コウちゃんと、会話した。
 またもや余計なことを聞きそうになったけれど、コウちゃんと穏やかに会話できた。
 約三年ぶりだ。会話できた。緊張しすぎて、心臓が破裂するかと思った……。
 一番陽太が恐れていたのは、幸平が自分を何と呼ぶかだった。
 同級生たちに倣って『溝口さん』に変わっていたら、その場で泣くか死ぬかの自信があった。でも、幸平は違った。
「陽太くん……」
 噛み締めるように、呟く。
 幸平は昔のようにそう呼んでいた。
「陽太、くん」
 昔のような、あどけない笑顔で。
 嬉しくて嬉しくて目が熱くなる。瞼を強く閉じて、喜びと興奮と感動でごった返しになる心を落ち着ける。深呼吸し、本と飴を握りしめた。
 この三年間で、今日の出来事が一番嬉しかったかもしれない。
 陽太くんと、呼んでくれた。
 陽太くん……。
 コウちゃん。



















「コウちゃん……」
 翌日、幸平のクラスであるB組の日誌をふと手にしたのは気まぐれだ。
 職員室に訪れた時、先生の机の上に置かれていたから。当然のように幸平が書いたページを探す。あった。
《皆、眠そうでした。》
 かわいい。字は幸平そのもので、少し丸っこい。棘がない。優しさが滲み出ている。
 視線を降下させる。
《修学旅行が楽しみです。》
 陽太は目を見開いた。
 微かに囁く。
「コウちゃん……行くんだ……」
「溝口、何してる」
 振り向くと、幸平の担任である数学教師が背後に立っていた。
 陽太の手もとを眺め下ろし、不思議そうにする。陽太は無言で日誌を机に戻し、一言だけ返した。
「修旅、スッゲェ楽しみっすね」
「ほう。そりゃよかった。悪さすんなよ」
「しません」
 何しに職員室へやってきたかは完全に忘れた。その場を立ち去り、改めて内心にする。
 悪さなんかするわけない。幸平が遂に、学校行事に参加するのだ。
 幸平が修学旅行へ行く。行くんだ。……やった。よっしゃ。行けるんだ。
 幸平がいるのに、それをぶち壊す行動なんかするものか。ずっとそうだ。同じ学校へ入学した時から、学校内では出来る限り『良い人』でいようと心してきた。
 幸平と、もう一度隣で話す関係に戻った時、幸平が嫌な目で見られないように。
 案の定「溝口さん怖い」と言われ出したが、これは想定した範囲内だ。だが、予想外にも「溝口さん女遊びえぐい」と噂されているのはよくわからない。
 女遊び、をした覚えなどないのに。噂が払拭される機会は訪れない。同時に幸平と仲良くなる機会もない。
 クラスも離れているしグループも違う。今の陽太が幸平に近づくのは、きっと迷惑だろうと考えて無闇に近付けなくなっていた。
 でもやっぱり、話がしたい。
 自分のせいで彼が悪く言われることだけは避けつつ、どうしても幸平に近づきたいのだ。
 だから、修学旅行。
 修学旅行で、絶対に話しかける。ブックカフェでは彼から声をかけてくれた。ならばきっと、陽太から話しかけても大丈夫。
 大丈夫だ。きっと。多分。いける。やれ。頑張れ。
 いけ。
「——コウちゃん、何してんの」
 夜の庭の片隅。
 夜風に揺れた黒髪がふわっと浮き上がり、その人がこちらに振り返る。
 目を丸くした彼が、動揺しながらも、
「……陽太くん」
 と呟いた。
 あたりにはポツポツと明かりが落ちている。柔らかい光に飾られた幸平は、やっぱり綺麗だった。
 陽太はまた胸が締め付けられて、言葉を奪われた心地になる。が、すぐに取り返す。
 何度も何度も頭の中で練習し、落ち着いて話すのだと、決意したのだ。
 話す。
 もう一度、コウちゃんと。
 陽太は何気ないみたいに口にした。
「こんなとこあったんだ——……」
 それから、同級生たちがやってきて幸平が逃げるように去るまでは二人きりで会話をした。
 脳内で幾度もシミュレーションしてきたのだ。今までとは決意と準備が違う。偶然を狙ったのではなく、陽太にとっては予定通りだ。幸平にとっては奇襲かもしれないけれど——……
 確かに、またしても余計なことを聞きそうになってゾッとした。温泉に入れない理由なんて分かりきっているのに、何故か訊ねてしまったのだ。
 人間何を言い出すか分からない。陽太は陽太を一番信用していない。慌てて取り繕ったので、幸平も気にした様子はなかったが、本当に大丈夫だったのだろうか……。
 だがそれ以外は概ね成功だ。勢い余って幸平にもらった饅頭をその場で食べ切ったのは百の失敗だったが、ゴミは捨てずに持ち帰ったのでヨシとする。
 幸平と話した。しかも彼の写真を(盗)撮れた。
 嬉しい。嬉しい。
 やった……。
 部屋に帰ってきてからは、一言も発さず余韻を一人きりで味わった。同じ室内の友人らも、陽太をそっとしてくれた。ベッドに横たわりつつ、彼の写真を見返す。期待に溢れかえる胸を抑える。
 次はもっと話せるかもしれない。
 次は文化祭だ。
 次こそは、二人で写真を。
 もっと、たくさん話がしたい——……






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