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4 溝口陽太 12年前

19 わかんない

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【4 溝口陽太 12年前】











 給食を食べ終えた子から、昼休みが始まる。クラスで一番ひょろりと背の高い陽太は、直ぐに食べ終えた。次第にクラスが騒ついてくる。甲高い声まで聞こえてくると、すっかり昼休みの始まりだ。
「溝口くんって、かみ、くるくるしてるよね」
 視線を上げると、同じクラスの女子が目の前にいる。
 陽太の机の前にやってきた三人は時折目を見合わせながら、なぜか嬉しそうに喋り始めた。
「どこから来たの?」
「何でかみ、くるくるしてるの?」
「はだ、白いね」
 陽太は答えずに、机に両腕を乗せて顔を伏せた。ちょうど耳に届く程度で男子の声が聞こえてくる。
「あいつ、目の色変だよな」
「日本人じゃねぇんじゃねーの」
「あいつん家、ヤクザいるんだって」
「ヤクザ! こわっ!」
「みぞぐちはいいよ。ドッジしようぜ」
「みぞぐちくーん、ねちゃうの?」
「ねむいのー?」
 耳を覆う代わりに目をギュッと閉じる。男子たちが教室から出ていく音がした。女子は机のそばから離れない。陽太は嫌になって、すくっと席から立ち上がり、歩き出した。
 教室を出て行こうとする陽太を、女子たちは「みぞぐちくんかっこいいよね」「どこから来たんだろ」とわざとらしく噂するだけで、追ってくることはない。陽太は下駄箱へ一直線に向かうと、真新しい上履きから靴へ履き替え、校庭にいるクラスメイト達に見つからないよう裏庭に回った。
 裏庭には、野菜や花を育てる花壇などがある。十月は特に植えるものもないらしく、夏休みに持ち帰られず置き去りにされた朝顔の植木鉢がいくつか残されているだけだった。
 夏休み明けにクラスメイトとして新しくやってきた自分に、学年中の生徒が興味を示しているのは強く感じている。
 朝も昼も放課後も、周りにいる生徒はみんな陽太の噂をしている。ただ転校してきただけなのに、どうして皆してこちらを見るのだろう。
 背がクラスで一番高いから? 目の色が薄くて、肌が白いから? 髪がくるくる、してるから。
 そのどれもが正解で、そのどれもが不正解のような気がした。
「やくざ……」
 陽太はとぼとぼと花壇までやってくる。雑草が鬱蒼と茂っていた。見下ろしながら、頼りなく呟く。
「なんで、ヤクザ?」
 よく分からないが、そんな人間は出入りしていない。
 もしかして、母の仕事仲間でもある男の人のことを言っているのだろうか。
 彼の名前は『スミレ』で、花の名前なのだと自慢していた。腕が太くて身体にはタトゥーが沢山描かれている、一見「怖いお兄さん」のスミレが花の名前であるという事実に、陽太は大いに笑ったものだった。
 すると、反対側から一人の少年がやって来るのが見えた。
 その姿を認めて、陽太は思わず顔をパッと明るくする。
「コウちゃん!」
 駆け寄ると、俯きがちに歩いていた幸平が顔を上げる。
 彼は立ち止まり、小さく微笑みを浮かべた。
「陽太くん」
 首を傾けて、柔らかい笑い方をしてくれる。ノートとえんぴつを持った幸平は、「今日あったかいね」と言った。
 幸平は、近くのアパートに住む同い年の男の子だ。クラスは隣だが、家が近いために放課後に遊ぶことが多々ある。
 幸平はいつも天気を気にしている。会うたびに「おはよう」より前に「あったかいね」「さむいね」「雨がふってるね」などと、天候に関して口にするのだった。
 決して、陽太の容姿には触れてこないし、どこから来たのか、なぜくるくるしてるのか、好きな子はいるのかなども訊ねない。
 初めからそうだった。
 放課後の幸平はいつも、この花壇付近にいる。じっと座り込んでぼうっとしていたり、図書室の本を呼んだりしている。そんな幸平を何度か見かけ、四度目に目にした時、話しかけたのは陽太の方だ。
 彼は陽太が転校生であり、近くの家に引っ越してきていたことも把握していた。だが、根掘り葉掘り質問してくる同級生達とはまるで違う。
 最初の会話でも幸平は、「今日は雨が降ってなくていいね」と笑っていた。
 天気を把握している割に彼の姿はそれに適していないことがある。今だって、随分と冷え込んできているのに、薄っぺらいシャツを着ていた。
 対して陽太は、スミレから貰った上着を羽織っている。コウちゃんは寒そうだなぁと心配になりながらも、枯れた朝顔の植木鉢の前に座り込んだ幸平の隣に、陽太も同じようにしゃがんだ。
 幸平はノートを開いた。指全部で覆うような、少し変な握り方で鉛筆を走らせる。
「なにしてるの?」
「あさがお、おいてった子の名まえかいてるの」
 幸平の横顔は真剣だった。
 陽太はこてん、と首を傾げる。
「なんで?」
「先生がそうしてほしいって」
 変なの。陽太は頬を膨らませる。幸平の言う『先生』は、いつだって幸平のクラスの担任教師を指し、いつだって幸平はあの女の先生の言いなりで動いてる。
 それってパシリ、ってやつなんじゃないか。陽太はいじけたように言った。
「なんでそんなこと、コウちゃんがやんの?」
「係だから」
「ふぅん……」
 幸平はお花の係だと以前に聞いたのを思い出す。花が好きなの? と聞くと、無言で首を振っていた。
 じゃあ何が好きなの。陽太はそう訊ねた。
 幸平は答えずに、ぼうっとブランコを漕ぎ、自分でも不思議そうに呟いた。
 ――『わかんない』
「コウちゃん、こっち、三組のミヤシタだって」
「ありがとう」
 役に立ちたくて、一番端の鉢に書かれた名前を読み上げる。幸平はふんわりと笑ってくれた。
 それほど数はない。すぐに書き終えた幸平はノートを閉じて、でも、しゃがみ込んだまま立ち上がらなかった。何かと思えば、花壇の土を触っている。幸平の指が途端に汚れた。爪が伸びすぎている、気がする。
 陽太は鉢にも花壇にも興味はない。土を眺めている幸平の横顔ばかり見つめて、無邪気に笑いかけた。
「コウちゃん、コウエンのはなし、きいた?」
「コウエン?」
 こちらに目を向けてくれるのが嬉しくて、陽太は更に声を明るくした。
「えんそくで行くやつだよ」
「公園……うん」
「コウちゃん、いっしょにお弁当たべようよ。クラスがちがくてもたべていいよって、先生いってた」
「そうなんだ。うん。そうしよう」
「コウエン楽しみだね」
「うん」
 陽太は幸平の足に視線を落とす。先生が教室で言っていたのは、「沢山歩くから沢山歩く靴で来いよ」だ。
 幸平の靴は汚れていて、元の色が何色かも把握できない。クラスメイト達の靴は色とりどりで鮮やかだ。でも、幸平は違う。
 いつだって幸平は、皆んなとはちょっと違う。
「公園行ったことある?」
 と訊ねてみる。幸平はこくんと一度頷いた。
 遅れて、「一年の時行った」と去年の話をしてくれた。
 入学当初に、クラスの皆を先生が連れて行ってくれたらしい。公園はただの公園ではなく、入場料がかかる広大な敷地の公園らしい。
 花畑もあると先生は言っていた。花係の幸平だが、去年の春に訪れたらしい公園の思い出を語る口調に興奮はない。来週に予定されている遠足ではコスモスの花畑へ行くらしいが、それを楽しみにしている気配も彼の「うん」からはちっとも感じられなかった。
 なぜだろう。いつだって花壇にいるのに。
 夏休みの途中で引っ越してきた陽太は、はじめてこの学校へ訪れた時、丁度ここで幸平を見かけた。
 夕方だった。2本だけ育った、のっぽなヒマワリの下で、幸平は『弟』と一緒にいた。
 夏休みが明けてからは朝顔に水をやっていた。もう花がない今だって、ここにいる。
 土を触っては手を汚す。その幸平が花を好きではないと言うなら、何が好きなのだろう。
 えんそくが楽しみではないのは、なぜだろう。
 陽太は不思議で一杯で、幸平を知りたくて仕方ない。
 ――それから、遠足が好きではない理由は、何となく分かった。
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