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1 森良幸平 20歳

3 陽太くんの好きな人?

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「そうですよ。高校の頃から、陽太さん、女子に告白されても振ってたから。振ってるだけですけどね。芹澤さん覚えてます? あの美女に告白されても頷かなかったんですよ。で、彼女押しが強かったんですけど、陽太さんウザがって「好きな奴いる」的なこと答えたらしいんです。あの女は自分が振られたことも正直に白状してたし、嘘はつかない。嘘はつかないけど性格悪いから俺らに漏らしたんですよ」
 息が止まる。
 幸平は咄嗟に目を逸らし、テーブルの真ん中を凝視した。
 乾いた唇から溢れた吐息が熱い。一瞬で思考が麻痺する。顔を見なくても、谷田が青ざめて幸平を凝視しているのが伝わってくる。
 声だけでも、室井がにこやかな笑みを絶やさないのが分かった。
「だから幸平先輩と関係持ったって聞いて、ああその女性を諦めたんだなって思いました」
 一瞬だけ声が遠のいた。『その女性を』の言葉が歪んで聞こえる。
 返事ができないでいると、室井はまた言った。
「陽太さんもいい加減、不毛な恋続けてたって仕方ないですしね」
「……ど、どうして?」
 ようやく返す。動揺なんか隠せない。陽太に……好きな人?
 好きな人?
 好きな女性がいた?
 幸平は必死に言葉を選んで、恐々と呟いた。
「俺もただ、その女の子たちと一緒だって思わない? 陽太くんに振られても、周りにいる人たちと同じだって」
「だって先輩は陽太さんの幼馴染だから」
 ごく、と息を呑む。
 一瞬でその意味を理解した。鼻の奥がツンと痛くなり、息ができなくなる。
 わかってる。普通じゃないって。
 室井は容赦なく続けた。
「さすがの陽太さんも、長年自分のことを好きだった幼馴染をセフレにしようなんか思わないと思ったんですけど。あの人はヤる男なんですね」
「……」
「幸平先輩は今までの女子とはタイプが違いすぎるし」
「陽太くんはまだその人のこと好きなままなのかな」
 乱れる心を出来る限り押し込めようとすると声が小さくなった。「誰か知ってる?」の声は、聞き取れないほどか弱くて、震えてしまう。
 室井は決して幸平の言葉を聞き落とすことなく、幸平の反応など見えていないように素知らぬ顔をした。
「さぁ。あ、でも」
 軽く宙に視線をやって、前を向いた室井が、横目だけ向けてくる。
「サクラだかユリだか、花の名前の人とよく電話してました」
「……」
 花の、名前……。
 返す言葉を遂に失った。黙り込む幸平と同じく、友人二人も絶句したかのように沈黙している。
 室井が不意に携帯を見下ろす。やってきた時と同じく、突如として立ち上がった。
「じゃ、先輩。質問小袋に投稿する文章なら僕も一緒に考えますよ」
 水をぐいっと飲み干し、軽く右手を上げた。
 昔から人気のスイートフェイスで微笑みを振り撒くと、あとは躊躇いなく去っていく。
 残された三人は数秒口を開かなかった。
 幸平が食事を再開すると、それが皮切りに谷田が口を開き、
「なんかムロくんって、お前に攻撃的すぎねぇか?」
 わかんない。首をちょこっと傾ける。
「わざと恋を邪魔しようとしてる感じ。今度来たら俺が追い払ってやる!」
「今だけだよ」
 中高の知り合いが大学にもいたから、懐かしくて寄ってきているだけだ。もう少し経てば興味も薄れるだろう。
「なぁ、幼馴染って本当なのか?」
 谷田は未だ信じられないのか繰り返した。なぜか幸平の代わりに時川が「二人は幼馴染だよ。とても絆の深い幼馴染」と答える。
「時川は無視するけど、幸平、お前からそんな話聞いたことねぇぞ。高校の時だって一緒にいんの見たことねぇ。二人で遊び行ったりしてんの?」
 幸平はふるふる首を横に振った。
 谷田は質問を変える。
「幼馴染ってさ、家が近いとかそういう?」
「そうだよ」
「だったら溝口さんの親とか知ってんの? やっぱヤクザ?」
「普通の人だよ」
 もう長いこと会っていない。綺麗なお母さんだった。
「お前らがそんな関係だったなんて……セフレでもなんでも、フレンドならさ、うちの大学に遊びにきたりとか、俺らに会ったりとかすんじゃん」
「そうじゃない場合もあるから」
 陽太は別の大学に通っている。高校が被ったのはただの奇跡だったのだ。
「いつ会ってんの? 夜?」
「お昼とかに」
「夜じゃねぇんだ」
 谷田は意外そうに目を丸くした。幸平は淡々と返した。
「夜は俺だってバイトある」
「じゃあ溝口さんは自由なんだな」
「……」
「セフレって……他にもいんだろ」
「俺は6番目」
 谷田は唖然とした。
 正確に言えば、『多分6番目』だ。
 曖昧になるのは幸平が把握しようとしていないから。他に何人と関係を持っているかなんて聞けるはずもない。
「……よりにもよって、何で溝口さんを好きになるんだ。つうか幸平、お前ってゲイだったのか?」
 今更な質問を向けてくるから、幸平は思わず笑った。
「分かんない。陽太くんしか好きになったことないし」
「……やっば」
「陽太くんは男の人だし、俺はゲイなんだろうね」
「女子の裸想像してムラムラしたりしねぇの」
 あくまで『見て』ではなく『想像して』と脳内の範囲なのが谷田らしい。
 幸平は「ないかも。でも男の人にもない」と呟いた。
 谷田はしばらく黙った。一度口を開いて、閉じたが、やはり堪え切れなかったのか、
「EDじゃん!」
「谷田くん。君は本当に良くない人間だと思う」
 お茶を啜っていた時川が真顔で言った。
 陽太との情事を浮かべた幸平は心の中ではっきりと否定する。曖昧に首を振って、ふと、携帯に通知が来ているのに気付いた。
「なぁ幸平」
 叱られて勢いを失った谷田は真面目な顔をしていた。
「本当にそのままでいいのか?」
 メッセージを確認する。
 陽太からだった。
《今から会える?》
 無意識に立ち上がる。
 生姜焼きはキャベツの千切りが残っている。申し訳なく思いつつも、鞄を肩にかける。
「ごめんもう行く」
「まさか溝口さん?」
 谷田の目にははっきりと恐れが滲んでいた。
 幸平は頷き、「うん」とトレーを手に取った。
「またね」
「幸平! 今日の飲み会来いよ!」
 歩き出すと谷田が叫んだ。幸平は肯定か否定か分からない角度で首を振った。逃げるように場を去る。食堂を出てからは駆け足で駅へ向かった。




























 会うのは専ら幸平の家だ。連絡を受けて急いで帰宅すると、アパートの部屋の前で、
「コウちゃん」
 と、しゃがみ込んでいた陽太が立ち上がる。
 残暑も終えて、近頃グッと寒くなっていた。長袖のトレーナーを着た陽太は、ジーンズを履いて、フラットな格好だ。
「陽太くん、ごめん遅れたね」
「そんなに待ってない」
 今朝まで雨が降っていたから今日は冷える。待たせていて寒くなかっただろうか。慌てて扉の鍵を差し込むと、陽太が、
「昼飯食べた?」
「うん」
「……そっか」
 扉を開く。歯切れの悪い反応を不思議に思って振り向く。
 陽太は紙袋を持っていた。
「どうして?」
 陽太は「いや」と部屋に入ってくる。
「腹減ってたらどうかなって」
「え? 持ってきてくれたの? それ……パン? ごめん、せっかく持ってきてくれたのに俺、」
「あ、大丈夫。大したもんじゃないし。押し付けられたやつだし」
 貰いものなのか。誰からだろう。
 昔から陽太は、まるで献上されるように何か貰っていることが多い。
「そっか。陽太くんは大学でも人気だね」
 玄関は狭い。先に靴を脱いで廊下に上がり、未だそこに突っ立ったままの陽太に笑いかける。
 陽太はじっとこちらを見つめて、突然、一歩踏み出してくると、腕を伸ばしてきた。
 ぐいっと頭の後ろを掴まれて、引き寄せられる。
 唇が重なった。
 背後で扉が閉まる。
 その近さのまま、唇が触れる距離で、陽太が呟く。
「食べる?」
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