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第1章
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イリス国。世界の魔法技術を牽引する、世界随一の魔法大国。
過去、異常な気候変動に見舞われたこの国で、1人の魔法使いが現れた。それまで魔法は異端として忌み嫌われていた中、その魔法使いは強大な魔力と自分の背よりも高い杖から放たれた強力な魔法で、滅びる寸前だったイリス国を見事救ってみせた。復興を進める中、王となった彼は3人の弟子に公爵の地位を与え、共に国の発展に貢献した。その栄光は今日まで続き、イリス国は魔法が物を言う世界でまれに見る、超魔法大国となった。
その国に1匹の三毛猫が今、足を踏み入れる。獣人には一層厳しく行われる検問を3時間かけてようやく潜り抜けた先で、「虹色の花のアーチ」が華々しく出迎えた。ペリドットの耳飾りを揺らす三毛猫は、憂い気に顔を上げた。彼の眼は耳飾りと同じ、薄い緑色をしていて、春の若葉を思い出させた。
「魔法で枯れないようにされているのか。君たちには心休まる日などないのだろうな」
汚れたフードを被るこの雄猫、名はミカエルといった。乾いた土色のフードを深く被り直してつぶやく彼の声は、まるで湿気で重くなった夏の夜のような、低く腹に響くようなバリトンだった。ミカエルは成人男性の半分ほどの身長で器用に後ろ足で目的の建物まで、石の道を歩いて進む。
目的地まで進む途中、定食屋の女店員に店へと誘われたが、ミカエルはそれをやんわりと断った。
「すまない。時間がないんだ。また機会をみて食べにくるよ。ありがとう」
「あら残念。それにしても…惚れ惚れしちゃう声の猫さんね!きっと来て。お母さんのご飯、全部おいしいんだから!」
「ああ」
きっとよ!といいながら、女はまた新しい人に声をかけている。ミカエルはまた静かに歩き始めた。日はもうとっくに陰っているはずの時間だが、この国の夜は明るい。
急ぎ足で歩みを進めて数十分、一際人の出入りが激しい店が見えた。あの建物のようだ。
ミカエルの目的地は仕事の紹介所、いわゆる「ギルド」だった。精霊のお茶会と書かれた看板が、照明に照らされている、終業時間までには間に合ったようだ。
ミカエルは人の波を何ともないように潜り抜け、受付の若い女に声をかけた。
「終業間際に申し訳ない。先日ここのギルドから仕事を依頼された者なんだが」
白とグレーの細いストライプのワンピースを着た受付の女は、にっこりと笑って
「お待ちください。確認いたします」
と言った。女が手元の端末を操作し、ミカエルに向き直って聞いた。
「身分証はお持ちですか?」
ミカエルは首に下げていた、魔法石が埋め込まれたカードを渡した。
「これでいいだろうか」
女は丁寧にお礼を言ってそれを受け取った後、端末にかざす。するとすぐにピコンと音がして、「依頼書の転送完了」の文字が端末に表示された。女が小さくえ、と声をもらした。周りの喧騒に掻き消されたそれを、人よりも何倍も敏感な聴覚を持つミカエルは、ハッキリと捉えていたが、反応は示さなかった。
「…はい。これでお仕事の依頼内容がお客様でも確認できるようになりました」
「ありがとう」
女がミカエルにカードを渡した。
「かなり大変そうなお仕事のようですね。内容はお客様しか確認できないようになっております。何か必要なものなどがありましたらお申し付けください。お客様には最優先でお渡しするようにと支配人より仰せつかっておりますので。今、何かご用意する物はございますか?」
カードを受け取って、ミカエルはそれを首に下げフードを被り直しながら、女にやさしく笑いかけた。
「いや、今は必要ない。世話になったな」
「お気をつけて」
ミカエルはコクンと頷いて、精霊のお茶会を後にした。宿はすでに手配済みであったので、仕事が終わるまではそこで寝泊まりすることになるだろう。ミカエルの足が、今度はその宿へと向かう。宿は精霊のお茶会からさほど離れていない場所にあったはずだ。
「さて、面倒な依頼でなければ良いのだが…」
ミカエルは夕飯も買わずに、真っ直ぐ宿の扉を叩いた。
□□□□□□□□
「ねえユナ、私、今日初めて秘匿任務の受付した…」
ぼんやりとそうつぶやくのは、つい半刻前にミカエルの受付をした、精霊のお茶会の受付係であるアクアだ。制服を脱いで普段着に着替える更衣室の中で、アクアと同じ受付係の同期、ユナは着替えるその手を止めた。彼女はポカンと口を開けたまま静止している。その顔には嘘でしょと書いてあるようだ。
「え、嘘でしょ…」
口にもしたその言葉に、しかしアクアは首を振る。彼女もまた、信じられないとでも言いたげな顔だった。
「いや、私もびっくりしたよ。端末にかざしても何も見えなくて、いつの間にか転送完了されてて」
「うわ、先輩に教えてもらった通りじゃん」
「うん…。でも秘匿任務なんてものがほんとにあるなんて。10年勤めてた先輩も一度もないって言ってたからさぁ」
都市伝説みたいなものかと思ってた、とアクアは腕だけを通していたセーターに頭を突っ込んで着る。
一方のユナは秘匿任務が来たことよりも、他に興味があるようで、アクアと距離をつめて声を潜めて問いかけてきた。
「ねぇねぇ、受付に来た人、どんな人だった?男?女?」
「男。それも三毛猫の獣人」
ユナは大きな目をさらに見開いた。
「猫の獣人?うわぁ、どんな魔法を使うんだろう。気になるー!!秘匿任務を請け負うってことは、かなり強い魔法が使えるってことでしょ?」
「当たり前でしょ。死んじゃうかもしれないくらい危険だって聞いたことあるよ。それに、秘匿任務を請けられるのなんて、初代国王と同じSSS級の魔法使いだけなんだから」
□□□□□□□□
この世界は、魔法が支配しているといっても過言ではない。仕事の紹介所であるギルドは今やどこの国にもあるが、中でもこのイリス国のギルドには高度な魔法でしか対処できない仕事が毎日舞い込み、報酬も他の国と桁違いに良い。そのため世界中から、腕に自信のある強力な魔法使いが集まってくるのだ。ある者はより強い敵を求めて、ある者はより高額な報酬を求めて、またある者は、国からの密命を受けて。
イリス国だけならず、この世のどこにでも光と影が絶妙なバランスで存在している。その均衡を保つ役目を担っている者こそ、SSS級の魔法使いであり、路地裏を少し探せばどこにでもいそうなこの三毛猫、ミカエルなのである。
*密命*
今日、SSS級魔法使いのミカエルに、下記任務を与える。
内容:ネイティア公爵家と隣国との密輸の証拠を探しだし、これを阻止せよ。
期間:下記にサイン後、1年間
報酬:1,000,000,000ルウ
備考:万が一公爵家に勘づかれるなど任務を履行出来なくなった場合、即刻これを放棄、報酬は応相談とのこと。また、この任務で得た情報を他方に漏らした場合、SSS級魔法使いの称号を剥奪、場合によって処罰の対象とする。
密命書の最後に、サイン欄がある。ここにサインすれば、仕事を承諾したことになる。
ひとつ小さな嘆息をこぼし、ミカエルはさも当然のようにサイン欄にサインをしたのだった。
過去、異常な気候変動に見舞われたこの国で、1人の魔法使いが現れた。それまで魔法は異端として忌み嫌われていた中、その魔法使いは強大な魔力と自分の背よりも高い杖から放たれた強力な魔法で、滅びる寸前だったイリス国を見事救ってみせた。復興を進める中、王となった彼は3人の弟子に公爵の地位を与え、共に国の発展に貢献した。その栄光は今日まで続き、イリス国は魔法が物を言う世界でまれに見る、超魔法大国となった。
その国に1匹の三毛猫が今、足を踏み入れる。獣人には一層厳しく行われる検問を3時間かけてようやく潜り抜けた先で、「虹色の花のアーチ」が華々しく出迎えた。ペリドットの耳飾りを揺らす三毛猫は、憂い気に顔を上げた。彼の眼は耳飾りと同じ、薄い緑色をしていて、春の若葉を思い出させた。
「魔法で枯れないようにされているのか。君たちには心休まる日などないのだろうな」
汚れたフードを被るこの雄猫、名はミカエルといった。乾いた土色のフードを深く被り直してつぶやく彼の声は、まるで湿気で重くなった夏の夜のような、低く腹に響くようなバリトンだった。ミカエルは成人男性の半分ほどの身長で器用に後ろ足で目的の建物まで、石の道を歩いて進む。
目的地まで進む途中、定食屋の女店員に店へと誘われたが、ミカエルはそれをやんわりと断った。
「すまない。時間がないんだ。また機会をみて食べにくるよ。ありがとう」
「あら残念。それにしても…惚れ惚れしちゃう声の猫さんね!きっと来て。お母さんのご飯、全部おいしいんだから!」
「ああ」
きっとよ!といいながら、女はまた新しい人に声をかけている。ミカエルはまた静かに歩き始めた。日はもうとっくに陰っているはずの時間だが、この国の夜は明るい。
急ぎ足で歩みを進めて数十分、一際人の出入りが激しい店が見えた。あの建物のようだ。
ミカエルの目的地は仕事の紹介所、いわゆる「ギルド」だった。精霊のお茶会と書かれた看板が、照明に照らされている、終業時間までには間に合ったようだ。
ミカエルは人の波を何ともないように潜り抜け、受付の若い女に声をかけた。
「終業間際に申し訳ない。先日ここのギルドから仕事を依頼された者なんだが」
白とグレーの細いストライプのワンピースを着た受付の女は、にっこりと笑って
「お待ちください。確認いたします」
と言った。女が手元の端末を操作し、ミカエルに向き直って聞いた。
「身分証はお持ちですか?」
ミカエルは首に下げていた、魔法石が埋め込まれたカードを渡した。
「これでいいだろうか」
女は丁寧にお礼を言ってそれを受け取った後、端末にかざす。するとすぐにピコンと音がして、「依頼書の転送完了」の文字が端末に表示された。女が小さくえ、と声をもらした。周りの喧騒に掻き消されたそれを、人よりも何倍も敏感な聴覚を持つミカエルは、ハッキリと捉えていたが、反応は示さなかった。
「…はい。これでお仕事の依頼内容がお客様でも確認できるようになりました」
「ありがとう」
女がミカエルにカードを渡した。
「かなり大変そうなお仕事のようですね。内容はお客様しか確認できないようになっております。何か必要なものなどがありましたらお申し付けください。お客様には最優先でお渡しするようにと支配人より仰せつかっておりますので。今、何かご用意する物はございますか?」
カードを受け取って、ミカエルはそれを首に下げフードを被り直しながら、女にやさしく笑いかけた。
「いや、今は必要ない。世話になったな」
「お気をつけて」
ミカエルはコクンと頷いて、精霊のお茶会を後にした。宿はすでに手配済みであったので、仕事が終わるまではそこで寝泊まりすることになるだろう。ミカエルの足が、今度はその宿へと向かう。宿は精霊のお茶会からさほど離れていない場所にあったはずだ。
「さて、面倒な依頼でなければ良いのだが…」
ミカエルは夕飯も買わずに、真っ直ぐ宿の扉を叩いた。
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「ねえユナ、私、今日初めて秘匿任務の受付した…」
ぼんやりとそうつぶやくのは、つい半刻前にミカエルの受付をした、精霊のお茶会の受付係であるアクアだ。制服を脱いで普段着に着替える更衣室の中で、アクアと同じ受付係の同期、ユナは着替えるその手を止めた。彼女はポカンと口を開けたまま静止している。その顔には嘘でしょと書いてあるようだ。
「え、嘘でしょ…」
口にもしたその言葉に、しかしアクアは首を振る。彼女もまた、信じられないとでも言いたげな顔だった。
「いや、私もびっくりしたよ。端末にかざしても何も見えなくて、いつの間にか転送完了されてて」
「うわ、先輩に教えてもらった通りじゃん」
「うん…。でも秘匿任務なんてものがほんとにあるなんて。10年勤めてた先輩も一度もないって言ってたからさぁ」
都市伝説みたいなものかと思ってた、とアクアは腕だけを通していたセーターに頭を突っ込んで着る。
一方のユナは秘匿任務が来たことよりも、他に興味があるようで、アクアと距離をつめて声を潜めて問いかけてきた。
「ねぇねぇ、受付に来た人、どんな人だった?男?女?」
「男。それも三毛猫の獣人」
ユナは大きな目をさらに見開いた。
「猫の獣人?うわぁ、どんな魔法を使うんだろう。気になるー!!秘匿任務を請け負うってことは、かなり強い魔法が使えるってことでしょ?」
「当たり前でしょ。死んじゃうかもしれないくらい危険だって聞いたことあるよ。それに、秘匿任務を請けられるのなんて、初代国王と同じSSS級の魔法使いだけなんだから」
□□□□□□□□
この世界は、魔法が支配しているといっても過言ではない。仕事の紹介所であるギルドは今やどこの国にもあるが、中でもこのイリス国のギルドには高度な魔法でしか対処できない仕事が毎日舞い込み、報酬も他の国と桁違いに良い。そのため世界中から、腕に自信のある強力な魔法使いが集まってくるのだ。ある者はより強い敵を求めて、ある者はより高額な報酬を求めて、またある者は、国からの密命を受けて。
イリス国だけならず、この世のどこにでも光と影が絶妙なバランスで存在している。その均衡を保つ役目を担っている者こそ、SSS級の魔法使いであり、路地裏を少し探せばどこにでもいそうなこの三毛猫、ミカエルなのである。
*密命*
今日、SSS級魔法使いのミカエルに、下記任務を与える。
内容:ネイティア公爵家と隣国との密輸の証拠を探しだし、これを阻止せよ。
期間:下記にサイン後、1年間
報酬:1,000,000,000ルウ
備考:万が一公爵家に勘づかれるなど任務を履行出来なくなった場合、即刻これを放棄、報酬は応相談とのこと。また、この任務で得た情報を他方に漏らした場合、SSS級魔法使いの称号を剥奪、場合によって処罰の対象とする。
密命書の最後に、サイン欄がある。ここにサインすれば、仕事を承諾したことになる。
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