死神の砂時計

蒼依月

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21話 12月28日(3)

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 レティが見下ろした深雪の表情は、レティの知っている深雪のものでは無かった。
 まるで生きていないような──。

「嘘。先生、嘘でしょう?ねぇ。目を開けてよ、先生」

 今の今まで、痛みに歪んでいた深雪の表情が、今は作られた無機質な人形のようだ。
 レティは目頭が急激に熱を持つのを感じた。
 視界がぼやけるのが煩わしくて、目尻を指で拭った。
 落ちた深雪の手を取る。また同じように指を絡めようとした。でも、それがレティの知っている深雪の手ではないように思えて、レティは反射的に握る手を止めた。
 涙がとめどなく零れ落ちる。死神にはあり得ない生理反応。でも、もう慣れた。
 静寂がレティを包み込む。
 砂時計の砂が落ちる音も、いつの間にかしなくなっていた。

「嘘よね?眠るだけって言ったじゃない。先生」

 喉がひきつる感覚がする。
 今、何かを口に出したら、一気に押さえていた感情があふれ出してしまいそうだった。
 もう、深雪の閉じられた瞼が開かれることは無い。
 彼女の双眸が、レティを写し細められることもない。
 彼女の唇が、レティの名前を紡ぐことも無い。
 彼女の手が、レティの頬に触れることもない。
 止められなかった死が、ただそこにあるだけだった。
 ふと、レティの視界に光が差し込む。
 その正体は深雪の魂だった。輪郭のはっきりしないその光が、深雪の赤く染った胸の上を浮遊している。
 その瞬間、レティの眼前が真っ暗な闇に閉ざされる。
 
「何?私に狩れっていうの?」

 はは、とレティは乾いた笑みをこぼした。

「無理に決まってるじゃない。それをしてしまったら、先生が戻ってこないかもしれない。先生はまだ眠っているだけなのよ。そう。眠っているだけ……」

 レティは深雪の頬に触れた。いつもなら、深雪は少し照れながら、「何?」と言って笑ってくれるはずなのに。今は触れても何の反応も返ってこない。
 淡い光の下で、役目を終えた砂時計が倒れている。砂は、落ちきった直後から見えなくなっていた。空っぽの砂時計。
 レティはそれを手に取って、胸に抱いた。その砂時計は、深雪の生きた証だった。その砂が流れていた間、深雪は確かに生きていたのだ。だがもう、ひっくり返しても時が進むことは無い。
 
「あ……うぅ…うわああああああああぁぁっ」

 今ほど、深雪の言葉が真実だったら良かったと、思った瞬間は無かった。
 彼女は言った。「砂時計は、ひっくり返せば何度でもやり直せる」と。でも、現実はそんなに簡単じゃなかった。
 ひっくり返しても、やり直せないこともある。何度でもなんて、そんな都合の良い世界は無い。
 レティの心はそんな容赦のない現実に、打ちひしがれそうだった。

「ああああああっ、うああああっ」

 レティの慟哭が、深雪の上に降り注ぐ。どこからこんなに感情があふれてくるのか分からなくなるくらい、泣きさけんだ。
 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。深雪がいなくなることがただ嫌だった。認めたくなかった。信じたくなかった。
 周りにいる者は、誰も彼女が人間の魂を狩る死神だなんて思わないだろう。レティの行動は、人間の反応そのものだった。

「おいおい。死神が聞いてあきれるぜ」

 突然背後から聞こえてきた声。ヘラのものだとすぐに分かった。けれど、レティは泣くことを止めなかった。今は構っている暇も余裕も無い。

「レティ」
「うう、ああああっ」
「レティ、泣き止めって。。気付かないのか」
「う、ふ、うう」

 それでも泣き止もうとしないレティに、ヘラは頭をかいた。ちらりと彼女が抱いている砂時計を見た。
 はあ、とひとつ雑にため息を漏らすと、ヘラはおもむろにデスロードを出した。
 
「ちんたらしてっと、俺がその魂狩っちまうぞ!」

 そう言って、ヘラがデスロードの両手剣を振りかざした。
 
 キィィィン、と鈍い金属音が響く。
 ヘラの両手剣は、深雪の魂を狩る直前で、大鎌の刃に阻まれた。レティのデスロードだ。
 凄まじいスピードで舞い上がった砂埃の合間から、ヘラはレティの殺気のこもった瞳を見た。銀色の双眸が、涙に濡れながらも殺意に煌めいている。ヘラはその恐ろしいまでの殺気に身震いしながら、口の端を釣りあげた。

「ははっ。愛しの先生の魂は誰にもやらねえってか!お前もやっぱり死神だな!」

 皮肉を込めて言った言葉は、レティにしっかりと届いた。
 レティは頬に涙を流しながら、大鎌を振るう。ヘラをとにかく深雪から遠ざけたいその一心で振り回した。
 戦闘中も、レティは消して深雪から離れようとしなかった。攻撃をしてくるヘラの両手剣を、大鎌で受け止め、避ける。ヘラのデスロードが深雪を傷付けないよう、最新の注意を払った。
 深雪の魂だけは、誰にも渡したくなかった。それは自分自身にもだ。深雪の魂は深雪だけのもの。誰にも狩らせない。
 でも。

「そうやっていつまでも狩らねぇと、今お前を監視している奴らに横取りされるのがオチだ。それでもいいのかよ!!」

 ヘラが怒号混じりに聞いてくる。
 そう。死んだ人間の魂を狩る、それが死神の存在意義。それは決められたルール。破ることは許されない。だから、レティやヘラのような死神に見つけられず死後も狩られない魂があった場合、死神団体が瞬時に狩りに来る。

「レティ!」
「分かってる!そんなこと分かってるの!でも」
「でもじゃねぇ!お前の大事なもんが奪われるかもしれねぇんだぞ!その先生だって、団体の奴らより、お前に狩られる方がいいって言うはずだ!」
「あなたに先生の何が分かるのよ!」

 レティはヘラに向けて大鎌を振り上げた。ヘラは顔を歪めつつも叫ぶ。

「わかんねぇよ!わかんねぇけど、少なくとも俺が見たそこの人間は、お前のことを信頼してた!」

 レティの大鎌が、その言葉に動きを止める。ヘラは続けた。

「お前のことが大切だって、全身でそう思ってるのが分かった。だから俺は引いたんだ。あの人間なら、お前に迷惑かけることもないかって。お前の願いは何となく気付いてた。それが叶っても叶わなくても、俺はどっちでも良かったけど、でも、最後まで守ったその人間を横取りされるお前なんか、見たくねぇんだよ!!そんなになるまで頑張ったなら、最後まで責任持って自分のものにしろ!それが出来ねぇなら、俺がもらう!団体の奴らなんかに渡してたまるか!」

 今まで溜め込んできた言葉を爆発させるかのように捲し立てるヘラは、眼前で停止するレティのデスロードを両手剣で思い切り弾き返した。
 レティは小さく呻いて、後退する。
 その一瞬の隙に、ヘラはレティと深雪の間に入った。
 レティはハッと顔を上げる。ヘラがデスロードを深雪の魂に向けて振り上げた。

「駄目!」

 ヘラの言葉と行動は、どこまでも死神の存在意義に起因するものだった。今だって、深雪の魂を狩ろうとしている。
 再び鈍い金属音がした。レティは間一髪のところで、深雪の魂を死守した。大鎌の刃部分を深雪の体の上に傘のように被せ、ヘラの攻撃を防いだ。
 2人の力は拮抗し、カチカチとデスロードが細かくぶつかり合う。
 レティがヘラを睨み上げた。視線の先で、ヘラは面白そうに口の端をつりあげていた。

「お前のその努力は今どこに向かってるんだ?何のためにその人間を守ってる?そいつは、もう死んでいるんだぞ」




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