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第壱章 循環多幸 壱之怪
第26話 自分に自信がある人間ほど専門用語を使いたがる
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目の前に立っている着物姿の、心絵と名乗った女の子は、もう十五分ぐらい無言でこちらを見ながら、僕のそばに居る。
無論、会話が無いから──かなり気まずい。
気まずいこと山の如しだ。
いや、これは何も別に、山に登る入り口の前に居るから思いついた駄洒落では無い。
そう──断じて!
それにしても遅いな。
灰玄の奴──いつになったら来るんだよ。
まさか、あいつ道にでも迷っているのだろうか。
それか──もしかして、遅れるとか自分で言っておいて……来るの忘れているんじゃ──
「ごっめーん! 店で暴れてる連中がいたから、ちょっとお仕置きしてたら遅れちゃった」
僕の背後から、まるで今から旅行にでも行くかのような、飛び跳ねて浮かれた口調の声が聞こえた。
その声の主は──灰玄だ。
つーかマジで来るの遅いっての!
でも、その前に──
「お仕置きってまさか……暴れた人の命を、奪ったのか?」
「そんなことする訳無いでしょ。ちょっとビンタして、説教してただけよ」
ビンタって……、こいつの力ならビンタ一発で、軽く数十メートルは吹っ飛ぶだろう。
つまりそれは、説教じゃなくて折檻だぞ、灰玄。
「ん? 誰よこの小娘は。鏡佑の知り合い?」
「いや違うよ。さっき始めて出会ったばかりだけど」
僕が答えると、灰玄は「ふうん」と言って、心絵に近づきジロジロと品定めでもするように、心絵を見ている。
と言うか──この場合は観察と言った方がいいのだろうか。
しかし灰玄の奴、全身を舐め回すように心絵を見ているが──まさか!?
お前はそっちの趣味が──いやいや、それはいくら何でも考え過ぎか。
僕が妄想──じゃなくて、深読みしていたら灰玄が心絵から離れて、僕の方にやって来た。
と、同時に。灰玄に僕の腕を強い力で、グイっと引っ張られた。
「お、おい痛いって。いきなり何するんだよ」
「ちょっと鏡佑! なんでここに『木の思念法使い』が居るのよ」
「も、もく? なにそれ」
それよりも灰玄──顔が近いよ。
ていうか──胸が近いよ。
あと、もう数センチ近づいたら、灰玄の巨大な胸が、僕の体に当たりそうなほどだ。
僕は自分から少しだけ、それとなく灰玄の胸に近づこうか迷ったが。もし本当に、胸に当たってしまったら、灰玄から殺人級のお仕置きビンタをされると思ったので……ここは拳を強く握りしめて、我慢した。
「『木の思念法使い』って言うのは、陰陽師のこと。その陰陽師が、どうしてここに居るのよ。アンタの知り合い?」
「だから知り合いじゃ無いって。さっき、始めて出会ったばかりだって言ったじゃん。ていうか──そんなことよりも、ちょっと待ってくれ。陰陽師って、あの漫画とかアニメとか映画に登場する、陰陽師のこと?」
「あれは──本当の陰陽師を模しただけの、架空の陰陽師よ。本物とは違う。まあ、でも……陽の方の陰陽師なら、形式的と言うか──見た目的には似てるわね。でも全くの別物よ」
「…………ちょっと分からないんだけど──もっと詳しく教えてくれよ」
「まー、なんて言うか。陰の陰陽師と、陽の陰陽師がいて──陰の方は荒事専門の、裏の陰陽師のこと。歌舞伎とかで、荒事師って言葉があるでしょ? あの荒事師っていうのは歌舞伎だけじゃ無くて、裏の陰陽師のことを表舞台で言えない時に、隠し言葉として遣う場合もある。つまり裏は必ず裏でなくてはいけないってこと。日本の歴史を変えるような、大きな戦の時は、必ず裏の陰陽師が影で行動してるけれど、名前を残してはいけないのよ。もし、裏の存在が公に知られてしまったら、自由に行動できなくなるから。それと──次は陽の方か。なんて言うか、陽の陰陽師は祭事専門の、表の陰陽師ね。祭りって言っても、夏祭りとかの方じゃ無くて、今で言う所の政治みたいな感じかしら。アンタが言ってた映画とかに出て来る陰陽師は、簡単に言うと政治専門の表の陰陽師の方。それに、さっきも言ったけれど、表の陰陽師は形だけで、本当の陰陽師は裏の陰の方だから。あと──今の会話の内容は誰にも口外しないこと。アンタは口が軽そうだから何度も念を押すけれど、裏の陰陽師は荒事専門だから、決して表舞台に出て来て、知られてはいけないの。まあ、その分……特別待遇や特権階級もあるんだけど…………とにかく! 誰にも言わない! 分かったら返事!」
「う、うん。分かった……それよりも、何で灰玄は、その陰陽師について詳しいんだ?」
「あれ? 言って無かった? アタシも陰陽師だから。もちろん陰の方の」
初耳だった。
ていうかさあ……僕のことを口が軽いって思ってるなら、隠しとけばいいのに。
自分が陰陽師だということを、自慢したいのだろうか。
でもまあ、これが灰玄では無く、他の人から言われたら──急に陰陽師なんて言われて、すんなり信じることなんて、できなかっただろうな。
ただの頭が中二病の人だと思うだけだ。
しかし──灰玄が言うとなんだか信じてしまう。
いや、逆に信じるしかないと思った。
なぜなら、先の説明で今まで謎だった、こいつの怪物じみた強さの秘密が、少しだけ分かったからだ。
なるほど──灰玄は殺人鬼では無く、殺人陰陽師というわけか。
「っで。あの『木の思念法使い』の小娘は、いったい何でここに居るのよ。その前にアンタ──名前も知らないの?」
「あっ。名前なら知ってる。心絵とかって言ってたけど」
「こころえ……」
僕が教えると、灰玄は顎に指を当てて、なにやら考えてるような素振りを見せ──僕に質問してきた。
「鏡佑。もしかして、その名前の漢字は──心変わりの『心』に、絵の具の『絵』で、心絵か?」
「ああ、そうだけど」
「ふうん、あの小娘は心絵家の人間だったのか。あの学者小僧の名を始めて知った時は、もしかして『木の流派』の者かと思ったけれど。あいつからは『木の思念』を全く感じなかったから、名前だけだったのだが……まさか、こんな場所で心絵家の人間に出会うなんて──世間は広いようで狭いわね。まあ、いいわ。こちらに敵意は無いみたいだし。それに、『木の思念法使い』なら安心ね。逆に考えるなら鏡佑、アンタ運がいいわよ。それに、【波動思念法】の四大基本と呼ばれている『四大思念』は、すでに体得しているみたいだし」
────四大基本ってなんだ?
まっ。別にいいか。
僕には関係の無いことだし。
「『四大思念』って言うのは、『波動壮丈』。『波動烈堅』。『波動爪牙』。『波動脚煌』よ」
僕が訊いてもいないのに、得意気な顔をしてベラベラと語り始める灰玄。
「興味無いからいいよ」と、言おうとしたのだが、寸でのところで自分の口にブレーキをかけた。
なぜなら、こいつの導火線が、どこにあるのか分からないからだ。
今日の午前中だって、山に登る前に、僕がちょっと『鬼』って言っただけなのに、それだけで殺されそうになったからだ。
なので、ここは灰玄の気が済むまで、語らせておくのが得策だろう。
さわらぬ殺人陰陽師に殺生なしである。
「まあ、今言った【波動思念法】の『四大思念』が、【精神思念法】の根幹になる四大基本ってわけ。アンタに分かりやすく説明するなら──まず『波動壮丈』からがいいわね。この『波動壮丈』が【精神思念法】の一番重要な基本で、肉体の持久力や、身体能力や、精神力や、生命力や、治癒力を向上させて、【呪詛思念法】による肉体への負担や疲労や精神力の消耗を減らす。それと、老化もかなり遅くなるわね。そして、五感も向上する。動体視力や聴力や、まあ──その他もろもろあるけれど、修練すれば応用で気配を消したり、逆に周囲の気配を察知することもできる。つまり、何度も言うけれど『四大思念』の中で一番重要な基本でもあり、使い方次第で、一番応用力がある【波動思念法】よ」
…………なんだか、頭が痛くなってきた。
「次に『波動烈堅』。これは肉体を鋼のようにして、鉄壁の守りが可能になる。説明するまでも無いけれど、肉体が鋼のようになるってことは、守りだけでは無くて、攻撃にも使える。感覚としては、手足や体全体が鋼のようになり、鋼みたいに堅い拳打や蹴りが可能となる」
淡々と話しながら説明している灰玄は──なんだか学校の先生みたいだ。
服装も朝と同じだから、まさに先生そのものと言った感じである。
でも、真っ白なワイシャツは、朝と同様に皺一つ無い、今クリーニングしてきたばかりのように綺麗だから、きっとワイシャツは取り替えて来たのだろう。
「三つ目が『波動爪牙』。これはちょっと、説明が難しいわね。なんて言うか……見た目は変わらないけれど、四肢が刃物になった感じよ。例えば、拳打や蹴りで相手を攻撃したら、それが斬撃になるってこと。つまり、『波動爪牙』で木や岩を殴ると、スパッと斬れる感じよ。それと、単純な打撃の破壊力も増すから、斬撃を出さなくても普通に鉄の壁とかを殴るだけで、破壊できるわね」
「鉄の壁……。えっと──つまり斬るか殴るかは自分で選択できて、攻撃力が爆発的に上がるってことで──いいのか?」
黙っていようと思っていたのに、いつもの癖で軽く質問してしまった。
「まあ、そんなとこ。でもその分、肉体に戻ってくる反動も強いから、『波動烈堅』で体を守らないと、その反動で自分の体が使い物にならなくなるけれどね」
「使い物にって……」
「そして最後の基本が『波動脚煌』。これは脚に力を集中させて、脚力と脚速を上げる。速く移動したり、脚力で地面を蹴って上空に飛んだり、応用で体全体の身体速度も上がるわね。例えば、拳打による打撃の速度も向上するから、脚速だけじゃなくて、拳速も上がるってこと。分かった?」
「ま、まあ。分かったよ……」
ていうか、分かるわけ無いだろ……。
灰玄が口にした言葉だって、どのような漢字なのかも分からないのだから。
やれやれ、これが陰陽師用語というやつか。
僕には縁が無いだろうから、どんな漢字なのかも興味無いけど。
と言うか──逆に縁なんて持ちたく無い!
「おい小娘。アンタ『木の思念法使い』だから、運がよかったわね」
「────────」
灰玄が心絵に向かって言った──だが、心絵はまるで石像のように微動だにせず、真っすぐ灰玄を見つめて黙っている。
なので、代わりに僕が訊いた。
「なんで運がよかったんだ?」
「だって──もし、この小娘が『土の思念法使い』だったら、この場ですぐに殺してたけど──『木の思念法使い』だから、殺したりはしないってこと。だから、運がよかったわねって言ったのよ」
「……………………」
陰陽師たちの間に、どんな因果関係があるのかは知らないが──やれやれ、これが陰陽師事情というやつか。
その前に灰玄よ。
陰陽師の世界では、殺すという言葉が日常なのかもしれないが。
日本の会話──いや、世界広しと言えど、殺すなんて言葉を日常会話のように平然と言う国なんて、どこにも存在しないぞ。
そう。漫画やアニメや映画を見ていると、当たり前のような顔をして、登場人物たちが殺すと言う台詞を、頻繁に口にしているから、殺すという言葉に対する感覚が麻痺しがちなのだが──なにも知らない子供にとっては悪影響でしかないのである。
僕みたいに普通の生活をしている者は、会話の中に殺すなんて言葉は、例え頭の中で思っても決して口には出さないのだ。
人間社会において、それが平和に暮らすための暗黙のルールなのだから。
もし、匿名を使う某掲示板に、殺すなんて言葉を書き込んだとしたら、それは殺害予告とみなされて逮捕される可能性もある。
つまり、社会から隔離されるわけだ。
それだけ、殺すという言葉は非常に重く、危険で、安易に会話などの中で遣ってはいけないのである。
しかし、灰玄にそれを言っても意味がないと思うが──言うだけ、言ってみた。
「なあ灰玄。僕にとって、お前の常識とかは分からないけれど、あまり殺すって言葉は安易に口に出さない方が、いいと思うぞ」
「よし。それじゃあ車に載せてる道具を取りにいくわよ」
「僕の話しを聞いていない!?」
言うなり、灰玄が午前中の時のように、僕の話しを無視して颯爽と歩き始めた。
車はきっと、懲りずにまた、違法駐車してあるに違いない。
にしても──心絵と名乗ったこいつは、いったい何なんだ?
僕が歩くと、心絵も一緒に僕の後ろを歩き。
僕が止まると、心絵も一緒に止まる。
そしてまた、僕が歩き始めると、僕の後ろを心絵がついてくる。
だから──訊いてみた。
「なあ。お前もしかして──僕のことが好きなのか?」
僕が心絵に訊いたら、無言で腹を殴られた。
「お……お前……! なに……しやがる……!」
なんだこいつは……女の子のパンチとは思えないほどの、怪力だぞ……!
「ちょっと鏡佑に心絵家の小娘! さっさと来なさい!」
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