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第壱章  循環多幸  壱之怪

第26話 自分に自信がある人間ほど専門用語を使いたがる

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 *9


 目の前に立っている着物姿の、心絵こころえと名乗った女の子は、もう十五分ぐらい無言でこちらを見ながら、僕のそばに居る。


 無論、会話が無いから──かなり気まずい。

 気まずいこと山の如しだ。

 いや、これは何も別に、山に登る入り口の前に居るから思いついた駄洒落だじゃれでは無い。

 そう──断じて!


 それにしても遅いな。

 灰玄かいげんの奴──いつになったら来るんだよ。

 まさか、あいつ道にでも迷っているのだろうか。


 それか──もしかして、遅れるとか自分で言っておいて……来るの忘れているんじゃ──



 「ごっめーん! 店で暴れてる連中がいたから、ちょっとお仕置きしてたら遅れちゃった」



 僕の背後から、まるで今から旅行にでも行くかのような、飛び跳ねて浮かれた口調の声が聞こえた。

 その声の主は──灰玄だ。

 つーかマジで来るの遅いっての!


 でも、その前に──



 「お仕置きってまさか……暴れた人の命を、奪ったのか?」

 「そんなことする訳無いでしょ。ちょっとビンタして、説教してただけよ」



 ビンタって……、こいつの力ならビンタ一発で、軽く数十メートルは吹っ飛ぶだろう。

 つまりそれは、説教じゃなくて折檻せっかんだぞ、灰玄。



 「ん? 誰よこの小娘は。鏡佑きょうすけの知り合い?」

 「いや違うよ。さっき始めて出会ったばかりだけど」



 僕が答えると、灰玄は「ふうん」と言って、心絵に近づきジロジロと品定めでもするように、心絵を見ている。

 と言うか──この場合は観察と言った方がいいのだろうか。

 しかし灰玄の奴、全身をめ回すように心絵を見ているが──まさか!?


 お前はそっちの趣味が──いやいや、それはいくら何でも考え過ぎか。


 僕が妄想──じゃなくて、深読みしていたら灰玄が心絵から離れて、僕の方にやって来た。

 と、同時に。灰玄に僕の腕を強い力で、グイっと引っ張られた。



 「お、おい痛いって。いきなり何するんだよ」

 「ちょっと鏡佑! なんでここに『もく思念法しねんほう使い』が居るのよ」

 「も、もく? なにそれ」



 それよりも灰玄──顔が近いよ。

 ていうか──胸が近いよ。


 あと、もう数センチ近づいたら、灰玄の巨大な胸が、僕の体に当たりそうなほどだ。

 僕は自分から少しだけ、それとなく灰玄の胸に近づこうか迷ったが。もし本当に、胸に当たってしまったら、灰玄から殺人級のお仕置きビンタをされると思ったので……ここはこぶしを強く握りしめて、我慢した。



 「『木の思念法使い』って言うのは、陰陽師おんみょうじのこと。その陰陽師が、どうしてここに居るのよ。アンタの知り合い?」

 「だから知り合いじゃ無いって。さっき、始めて出会ったばかりだって言ったじゃん。ていうか──そんなことよりも、ちょっと待ってくれ。陰陽師って、あの漫画とかアニメとか映画に登場する、陰陽師のこと?」

 「あれは──本当の陰陽師をしただけの、架空の陰陽師よ。本物とは違う。まあ、でも……ようの方の陰陽師なら、形式的と言うか──見た目的には似てるわね。でも全くの別物よ」

 「…………ちょっと分からないんだけど──もっと詳しく教えてくれよ」

 「まー、なんて言うか。いんの陰陽師と、陽の陰陽師がいて──陰の方は荒事あらごと専門の、裏の陰陽師のこと。歌舞伎かぶきとかで、荒事師あらごとしって言葉があるでしょ? あの荒事師っていうのは歌舞伎だけじゃ無くて、裏の陰陽師のことを表舞台で言えない時に、隠し言葉としてつかう場合もある。つまり裏は必ず裏でなくてはいけないってこと。日本の歴史を変えるような、大きないくさの時は、必ず裏の陰陽師が影で行動してるけれど、名前を残してはいけないのよ。もし、裏の存在がおおやけに知られてしまったら、自由に行動できなくなるから。それと──次は陽の方か。なんて言うか、陽の陰陽師は祭事まつりごと専門の、表の陰陽師ね。祭りって言っても、夏祭りとかの方じゃ無くて、今で言う所の政治みたいな感じかしら。アンタが言ってた映画とかに出て来る陰陽師は、簡単に言うと政治専門の表の陰陽師の方。それに、さっきも言ったけれど、表の陰陽師は形だけで、本当の陰陽師は裏の陰の方だから。あと──今の会話の内容は誰にも口外しないこと。アンタは口が軽そうだから何度も念を押すけれど、裏の陰陽師は荒事専門だから、決して表舞台に出て来て、知られてはいけないの。まあ、その分……特別待遇や特権階級もあるんだけど…………とにかく! 誰にも言わない! 分かったら返事!」

 「う、うん。分かった……それよりも、何で灰玄は、その陰陽師について詳しいんだ?」

 「あれ? 言って無かった? アタシも陰陽師だから。もちろん陰の方の」



 初耳だった。


 ていうかさあ……僕のことを口が軽いって思ってるなら、隠しとけばいいのに。

 自分が陰陽師だということを、自慢したいのだろうか。


 でもまあ、これが灰玄では無く、他の人から言われたら──急に陰陽師なんて言われて、すんなり信じることなんて、できなかっただろうな。


 ただの頭が中二病の人だと思うだけだ。

 しかし──灰玄が言うとなんだか信じてしまう。

 いや、逆に信じるしかないと思った。

 なぜなら、先の説明で今まで謎だった、こいつの怪物じみた強さの秘密が、少しだけ分かったからだ。


 なるほど──灰玄は殺人鬼では無く、殺人陰陽師というわけか。



 「っで。あの『木の思念法使い』の小娘は、いったい何でここに居るのよ。その前にアンタ──名前も知らないの?」

 「あっ。名前なら知ってる。心絵とかって言ってたけど」

 「こころえ……」



 僕が教えると、灰玄はあごに指を当てて、なにやら考えてるような素振そぶりを見せ──僕に質問してきた。



 「鏡佑。もしかして、その名前の漢字は──心変わりの『心』に、絵の具の『絵』で、心絵か?」

 「ああ、そうだけど」

 「ふうん、あの小娘は心絵家の人間だったのか。あの学者小僧の名を始めて知った時は、もしかして『木の流派』の者かと思ったけれど。あいつからは『木の思念』を全く感じなかったから、名前だけ・・・・だったのだが……まさか、こんな場所で心絵家の人間に出会うなんて──世間は広いようで狭いわね。まあ、いいわ。こちらに敵意は無いみたいだし。それに、『木の思念法使い』なら安心ね。逆に考えるなら鏡佑、アンタ運がいいわよ。それに、【波動思念法はどうしねんほう】の四大基本と呼ばれている『四大思念よんだいしねん』は、すでに体得しているみたいだし」



 ────四大基本ってなんだ?

 まっ。別にいいか。

 僕には関係の無いことだし。



 「『四大思念』って言うのは、『波動壮丈はどうそうじょう』。『波動烈堅はどうれっけん』。『波動爪牙はどうそうが』。『波動脚煌はどうきゃっこう』よ」



 僕がいてもいないのに、得意気な顔をしてベラベラと語り始める灰玄。

 「興味無いからいいよ」と、言おうとしたのだが、寸でのところで自分の口にブレーキをかけた。


 なぜなら、こいつの導火線が、どこにあるのか分からないからだ。

 今日の午前中だって、山に登る前に、僕がちょっと『鬼』って言っただけなのに、それだけで殺されそうになったからだ。


 なので、ここは灰玄の気が済むまで、語らせておくのが得策だろう。

 さわらぬ殺人陰陽師に殺生せっしょうなしである。



 「まあ、今言った【波動思念法】の『四大思念』が、【精神思念法せいしんしねんほう】の根幹こんかんになる四大基本ってわけ。アンタに分かりやすく説明するなら──まず『波動壮丈』からがいいわね。この『波動壮丈』が【精神思念法】の一番重要な基本で、肉体の持久力や、身体能力や、精神力や、生命力や、治癒ちゆ力を向上させて、【呪詛思念法じゅそしねんほう】による肉体への負担や疲労や精神力の消耗しょうもうを減らす。それと、老化もかなり遅くなるわね。そして、五感も向上する。動体視力や聴力や、まあ──その他もろもろあるけれど、修練すれば応用で気配を消したり、逆に周囲の気配を察知することもできる。つまり、何度も言うけれど『四大思念』の中で一番重要な基本でもあり、使い方次第で、一番応用力がある【波動思念法】よ」



 …………なんだか、頭が痛くなってきた。



 「次に『波動烈堅』。これは肉体を鋼のようにして、鉄壁てっぺきの守りが可能になる。説明するまでも無いけれど、肉体がはがねのようになるってことは、守りだけでは無くて、攻撃にも使える。感覚としては、手足や体全体が鋼のようになり、鋼みたいに堅い拳打けんだや蹴りが可能となる」



 淡々たんたんと話しながら説明している灰玄は──なんだか学校の先生みたいだ。

 服装も朝と同じだから、まさに先生そのものと言った感じである。


 でも、真っ白なワイシャツは、朝と同様にしわ一つ無い、今クリーニングしてきたばかりのように綺麗だから、きっとワイシャツは取り替えて来たのだろう。



 「三つ目が『波動爪牙』。これはちょっと、説明が難しいわね。なんて言うか……見た目は変わらないけれど、四肢ししが刃物になった感じよ。例えば、拳打や蹴りで相手を攻撃したら、それが斬撃になるってこと。つまり、『波動爪牙』で木や岩を殴ると、スパッと斬れる感じよ。それと、単純な打撃の破壊力も増すから、斬撃を出さなくても普通に鉄の壁とかを殴るだけで、破壊できるわね」

 「鉄の壁……。えっと──つまり斬るか殴るかは自分で選択できて、攻撃力が爆発的に上がるってことで──いいのか?」



 黙っていようと思っていたのに、いつものくせで軽く質問してしまった。



 「まあ、そんなとこ。でもその分、肉体に戻ってくる反動も強いから、『波動烈堅』で体を守らないと、その反動で自分の体が使い物にならなくなるけれどね」

 「使い物にって……」

 「そして最後の基本が『波動脚煌』。これは脚に力を集中させて、脚力と脚速きゃくそくを上げる。速く移動したり、脚力で地面を蹴って上空に飛んだり、応用で体全体の身体速度も上がるわね。例えば、拳打による打撃の速度も向上するから、脚速だけじゃなくて、拳速けんそくも上がるってこと。分かった?」

 「ま、まあ。分かったよ……」



 ていうか、分かるわけ無いだろ……。

 灰玄が口にした言葉だって、どのような漢字なのかも分からないのだから。


 やれやれ、これが陰陽師用語というやつか。

 僕にはえんが無いだろうから、どんな漢字なのかも興味無いけど。


 と言うか──逆に縁なんて持ちたく無い!



 「おい小娘。アンタ『木の思念法使い』だから、運がよかったわね」

 「────────」



 灰玄が心絵に向かって言った──だが、心絵はまるで石像のように微動だにせず、真っすぐ灰玄を見つめて黙っている。

 なので、代わりに僕が訊いた。



 「なんで運がよかったんだ?」

 「だって──もし、この小娘が『の思念法使い』だったら、この場ですぐに殺してたけど──『木の思念法使い』だから、殺したりはしないってこと。だから、運がよかったわねって言ったのよ」

 「……………………」



 陰陽師たちの間に、どんな因果いんが関係があるのかは知らないが──やれやれ、これが陰陽師事情というやつか。


 その前に灰玄よ。

 陰陽師の世界では、殺すという言葉が日常なのかもしれないが。


 日本の会話──いや、世界広しと言えど、殺すなんて言葉を日常会話のように平然と言う国なんて、どこにも存在しないぞ。


 そう。漫画やアニメや映画を見ていると、当たり前のような顔をして、登場人物たちが殺すと言う台詞せりふを、頻繁ひんぱんに口にしているから、殺すという言葉に対する感覚が麻痺まひしがちなのだが──なにも知らない子供にとっては悪影響でしかないのである。


 僕みたいに普通の生活をしている者は、会話の中に殺すなんて言葉は、例え頭の中で思っても決して口には出さないのだ。

 人間社会において、それが平和に暮らすための暗黙のルールなのだから。


 もし、匿名を使う某掲示板に、殺すなんて言葉を書き込んだとしたら、それは殺害予告とみなされて逮捕される可能性もある。

 つまり、社会から隔離かくりされるわけだ。


 それだけ、殺すという言葉は非常に重く、危険で、安易に会話などの中で遣ってはいけないのである。

 しかし、灰玄にそれを言っても意味がないと思うが──言うだけ、言ってみた。



 「なあ灰玄。僕にとって、お前の常識とかは分からないけれど、あまり殺すって言葉は安易に口に出さない方が、いいと思うぞ」

 「よし。それじゃあ車にせてる道具を取りにいくわよ」

 「僕の話しを聞いていない!?」



 言うなり、灰玄が午前中の時のように、僕の話しを無視して颯爽さっそうと歩き始めた。

 車はきっと、りずにまた、違法駐車してあるに違いない。


 にしても──心絵と名乗ったこいつは、いったい何なんだ?


 僕が歩くと、心絵も一緒に僕の後ろを歩き。

 僕が止まると、心絵も一緒に止まる。

 そしてまた、僕が歩き始めると、僕の後ろを心絵がついてくる。


 だから──訊いてみた。



 「なあ。お前もしかして──僕のことが好きなのか?」



 僕が心絵に訊いたら、無言で腹を殴られた。



 「お……お前……! なに……しやがる……!」



 なんだこいつは……女の子のパンチとは思えないほどの、怪力だぞ……!



 「ちょっと鏡佑に心絵家の小娘! さっさと来なさい!」
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