悪夢症候群

緋色刹那

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ミッドデイアパート 第一話『プライバシーの侵略者』

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 朝、歩夢がゴミ出しにエントランスへ降りると、二人の若い母親が出入り口の前で喋っていた。
「てか昨日さー、街で斉藤が彼氏連れて歩いてたんだけど」
「えー、あの不倫女ぁ? この前、幼稚園の体育の先生と浮気してたばっかじゃーん。もう新しい彼氏、作ったの?」
「すっげー、若かったよ。しかもペアルック! キモくない?」
「キモーい! ペアルック着ちゃうくらい、うちらアツアツでーす!ってか? 全然懲りてねぇな」
「ね。あれでまだ態度改めらんねーって、すげぇよな。脳味噌腐ってんじゃないの?」
「その彼氏が被害に遭う前に、私達で斉藤を潰しとこうよ。他のママにも頼んで、斉藤の子供をもっといじめさせてさー」
 どうやら子供を同じ幼稚園に通わせているママ友の陰口を叩いているらしい。歩夢がいることにも気づかず、大声で口汚く罵っている。
 歩夢は知らなかったが、彼女達は広実ひろみ話子わこという、近所の幼稚園のママ友カーストのツートップだった。日々、他のママ友達を監視しており、気に入らないママ友がいれば、幅広い人脈と情報網を駆使し、場合によってはそのママ友の子供を幼稚園から追放するという「慈善活動」に興じていた。

 二人の話題は尽きることがなく、斉藤の話を終えると、今度は自分達の家族の近況について話し出した。
「そういえば今度の日曜日、デブリーランドに行くんだよねー。アタシは興味ないんだけど、子供が行きたいって五月蝿くてさぁ」
「マジでぇ? うわめんどくさー。うちの子供も行きたがってるんだけど、何が楽しくてあんなとこ行きたがるのか分かんないよねー」
「ホントは旦那の親も来る予定だったんだけど、町内会の旅行と被ったから来られないって連絡来て、ラッキーって感じ。旦那と子供でいっぱいいっぱいなのに、これ以上荷物増えたら、マジ萎えだったわ」
「分かるー! うちも旦那の母親が勝手にホームパーティーに乱入してきて、最悪だったわー。手作りのクソ不味い漬物とパン持って来て、一気に白けたから」

 その後も二人の話は一向に終わらず、出入口から離れようともしなかった。
 歩夢は夢花以外の住人となるべく関わりたくはなかったが、とうとう痺れを切らし、二人に話しかけた。
「すみません、通らせてもらえますか?」
「え?」
 二人は「いたの?」と言わんばかりに驚き、歩夢を凝視する。
 歩夢の頭から爪先まで観察し、どんな人間か見定めると、
「あら、ごめんなさいね」
「もしかしてずっといたの? 早く言ってくれれば良かったのにー」
 と先程までの口調とは打って変わり、猫撫で声で出入口の前から退いた。
「ありがとうございます」
 歩夢は軽く会釈し、エントランスから外へ出る。
 自動ドアが閉まる寸前、背後から二人の舌打ちが聞こえた。
「あいつ、絶対アタシ達の話聞いてたよね?」
「だよね? 確か、最近404号室に越して来た引きこもりでしょ? アタシ達に気があるんじゃない?」
「きっもー! でも、そこそこイケメンだし、ちょっと遊んであげちゃう?」
 その声を聞き、歩夢は一切の感情を消した顔でボソッと呟いた。
「貴方達のような下品な畜生には、微塵も興味ありませんよ」

 彼の目には明確な殺意が宿っていた。
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