悪夢症候群

緋色刹那

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第1部 第3章「蓄積悪夢」

第4話『後輩』⑵

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 彼女は土田つちだカオリ。
 ツネトキとは別の部署に所属している派遣社員らしい。光ヶ丘と年齢が近く、ツネトキからすると後輩に当たった。
「私は以前、光ヶ丘に好意を持っていました。優しくて仕事ができて、とてもハンサムだったから。でも……それは偽りの顔だったんです」
 土田は怒りに震えながらも、冷静を保とうとこらえていた。
「先月、思い切って告白しました。直接は恥ずかしかったので、手紙で。たとえフラれても、彼なら優しい言葉をかけてくれると期待していました。なのに、あの男は私の手紙を同僚の人達にも見せて、笑いものにしたんです。『今どき手紙とか重い』とか『ガキじゃん』とか『字が上手すぎて引く』とか……最後にはビリビリに破られて、窓から表の通りにばら撒かれました」
 土田の頬に涙が伝う。噛んだ唇から血が滲んだ。
「私、あの男を許せません! 周りの人にも相談しましたが、話をまともに聞いてくれないばかりか、そろいもそろって光ヶ丘の味方をするんです! 『ラブレターなんて時代遅れなものを送った、君の方が常識外れだ』って! もう貴方しか頼れる人がいないんです! お礼になんでもします! どんな方法でも構いません! 光ヶ丘を……断罪して下さい!」
「……」
 ツネトキは土田の話を聞きながら、マリに裏切られた時のことを思い出していた。
 力のことを知られたのはマズいが、同じ苦しみを味わった土田を放ってはおけない。何より、ツネトキも光ヶ丘を恨んでいた。
「最低なやつだとは思っていたが、そこまでだったとは……! 分かった。俺があいつを破滅させてやる!」
「本当に?」
 土田はホッと安堵した。
「……良かった。これでようやく報われるのね」
「その代わり、俺が妙な力を使えることは黙っていてくれ。目立ちたくないんだ」
「分かりました」
 念のため連絡先を交換し、土田と別れた。



「……出ないな」
 ツネトキは光ヶ丘を呼び出そうと、電話をかけた。しかしいくらかけても話し中で出ない。
 しびれを切らし、光ヶ丘が営業に行っていた会社の周辺を探した。
(先輩の電話に出ないってあり得ないだろ。どうせ、得意先の社長と飲んでるに決まってる)
 すると、ひと気のない路地の突き当たりでコソコソと電話をしている光ヶ丘を見つけた。
 いつもの堂々とした態度とは打って変わり、電話の相手に向かってペコペコと謝っている。取り巻きもおらず、ひとりだった。
「お願いします! 今月の返済は来週まで待ってもらえませんか?! やっと妹のドナーが見つかったんです! 手術ができるんです! 母も寝ずに働いてて……来週なら確実に返せるので待ってもらえませんか?!」
(返済? 手術? なんのことだ?)
 ツネトキは壁の後ろに隠れ、電話の内容を盗み聞く。
 どうやら、光ヶ丘は借金の返済を催促されているらしい。相手はなんとしてでも光ヶ丘に金を返させたいのか、全く譲らない。
 それでも光ヶ丘は説得を続けていたが、急に「ひッ!」と青ざめ、悲鳴を上げた。
「わ、分かりました! お金はなんとか今週中に用意します! だから、会社には来ないで下さい! うちと、妹の病室にもです!」
 今にも泣き出しそうな顔で電話を切る。
 光ヶ丘のあんな顔を見たのは初めてだった。ああいう顔を見たいと望んだことは何度もあったが、実際に目の当たりにすると、見てはいけないものを見てしまった罪悪感の方が上回った。
 光ヶ丘は深く息を吐き、項垂れる。ツネトキはたまらず声をかけた。
「おい、大丈夫か?」
「うわぁッ!」
 光ヶ丘は突然現れたツネトキに驚き、飛び上がった。
「い……いつからそこに?!」
「お前が『今月の返済は来週まで待って欲しい』って頼んでたあたりから」
「肝心なとこ、全部聴いてるじゃないですか! 人の電話を盗み聞きするなんて、どうかしてますよ!」
「電話に出ないお前が悪い」
「電話?」
 光ヶ丘は着信履歴を見て、「あぁ」と頭を抱えた。
「……サイアク。結局払わされるなら、電話なんかしなきゃ良かった」
「金、借りてるのか? さっきの電話は取り立て屋か?」
 光ヶ丘は力なく頷いた。
「妹が重い病気で、高額の治療費と手術代のために借りました。うちは父親がいなくて、俺と母で稼いで返済していたんですけど、その母が先月風邪で寝込んじまって、今月の返済ができなくなってしまったんです。だから期限を伸ばして欲しいって頼んだんですけど……逆に脅されました。払えなかったら、うちの会社に直接取立てに来るとか、妹に借金のことをバラすとか。無理なら、別のサラ金から借りて来いとも言われましたよ」
「肩代わりしてくれそうな知り合いはいないのか? お前がいつも連れてる取り巻きとか」
「言えるわけないでしょう。あいつらは俺を利用して這い上がろうとする、ハイエナのような連中ですよ? 相談なんかしたら、バラすに決まってる」
 光ヶ丘は乾いた笑いを浮かべる。その目には涙があふれていた。
 今、ツネトキの目の前にいるのは憎たらしい後輩ではない……理不尽な扱いに抗うことのできない、無力な青年だった。ツネトキには彼のような人間をいたぶる趣味はない。
「くそっ……!」
 ツネトキは小切手とペンを取り出し「いくらだ?」と尋ねた。
「え?」
「足りない分の借金だよ。いくらだって訊いているんだ」
「ひゃ、百万……」
 ツネトキは躊躇なく小切手に額を書き込むと、光ヶ丘に握らせた。「え? え?」と、光ヶ丘は小切手とツネトキの顔を交互に見た。
「な、何で?」
「お前がいなくなったら、会社の業績が下がるからな。居てもらわんと困る。その代わり、もう二度と俺や他の社員をバカにするなよ。次にやったら、マジで破滅させるからな」
 呆然とする光ヶ丘を残し、ツネトキは路地を出る。
 もはや、光ヶ丘への殺意は完全に消え失せていた。
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