悪夢症候群

緋色刹那

文字の大きさ
上 下
28 / 227
第1部 第3章「蓄積悪夢」

第1話『強欲はその身をも変える』前編

しおりを挟む
「マリ、今日までお疲れ様!」
 仕事終わり、マリは同僚から花束を渡された。他の同僚達も仕事の手を止め、温かい拍手を送る。
 マリは驚きを隠せず、両手で口を覆った。
「わぁ、ありがとう。すごく嬉しい」
 涙を浮かべ、花束を受け取る。
 今日はマリが最後に出社する日だった。来月結婚し、寿退社するのだ。
 オフィスに集まった男性陣は「残念だなぁ」と名残惜しそうに唸った。
「先にマリちゃんを狙ってたのは、俺だったのになぁ」
「明日からマリちゃんがいないなんて寂しいよ」
「仕方ないだろ。マリちゃんの旦那はIT系の若手社長なんだからさ。俺達じゃ、勝負にならないって」
「マリちゃーん! 永遠に愛してるー!」
 女性陣は「私達だっているんですけどー」と、冷ややかな視線を送る。マリだけは、男性陣に穏やかに微笑みかけていた。
「フフッ。皆さんにそんなふうに思ってもらえていたなんて、私は幸せ者ですね」
 マリは会社のアイドル的存在だった。
 清楚な黒髪美人で、誰に対しても穏やかに接する。
 家庭的かつ倹約家で、ブランドものや高価なアクセサリーは一つも持っていない。食事は毎日自炊しており、会社に持参する弁当も手作りだった。
 婚約者もそういった自然体の美しさに惹かれたのだろう。取引先で見初められ、交際を始めてから一ヶ月も経たない内に婚約が決まった。婚約者は若くして巨万の財を成しており、マリには「お金の不自由はさせないから」と退職を勧めた。
 まさに、勝ち組。マリの人生は輝いていた。



 その時、椅子がガターンッと大きく音を立て倒れた。一同をビクッと肩を震わせ、振り返る。
 椅子を倒したのは、眼鏡をかけた神経質そうな男性社員だった。血走った目でマリを睨み、大股で近づいてくる。骸骨のように痩せこけているのも相まって、とにかく不気味だった。
 そのただならぬ剣幕に、男性陣は彼とマリの間に割って入った。
「おい、お前! マリちゃんに何するつもりだ!」
「止めるな! 何も知らないくせに!」
 男は男性陣の顔と顔の隙間からマリを指差し、大声で非難した。
「このアバズレめ! 散々貢がせておいて、勝手に結婚するなんて許さないぞ! 俺は知っているんだからな! お前が大勢の男に結婚をチラつかせて、カネやらブランド品やら貢がせていたのをッ!」
 男は続けて、マリをかばっている男性陣や取り巻きの顔を一人一人見回した。
「お前らは騙されている! この女は、お前らが思っているような女じゃない! 現実を見ろ! 目を覚ませ!」
「……」
 一瞬、オフィスは静まり返る。
 しかしはた、と同僚達は冷静に問いかけた。
「ところで君、誰だっけ?」
「ここにいるってことは、うちの部署の人なんだよね?」
「マリのことよく知ってるみたいだけど、友達? それとも元カレ?」
「マリちゃん、こいつ誰だか知ってる?」
 マリは青ざめ、首を振った。
「……知らない。適当なこと言わないで」
「だよねー! 俺、マリちゃんの交友関係は把握済みだし!」
「きっしょ! でも、情報助かる」
 張り詰めていた空気が、瞬く間に弛む。
 男は「マリのことをよく知る告発者」から「マリとは無関係の世間知らず」に格下げになった。
「マリちゃんもこう言ってることだし、変な言いがかりはやめろよな」
「そもそも、マリちゃんがそんなことするわけないだろ? 人違いでもしてるんじゃないか?」
「そうそう。マリちゃんはブランド品なんか興味ないんだから」
「ほ、本当なんだ! 信じてくれよ!」
 男はなおも食い下がる。が、もはや誰も男の相手をしなかった。
「ラウンジまで連れてってやるからさ、そこでしばらく頭冷やしてこいよ」
「や、やめろー! 離せー!」
 男は男性陣に抱えられ、オフィスの外へ連れ出される。
 男の声が消えると、残った同僚達は安堵した。
「変な人もいたもんね。今まで気づかなかったのが不思議なくらい」
「ホント、ホント。部長に頼んで、あの人の部署変えてもらいましょうよ」
「賛成ー。せっかくのマリちゃんの退職記念日が台無しよぉ」
 ただ一人、マリだけは違った。
 怯えているように装いつつも、殺気立っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

同僚くすぐりマッサージ

セナ
大衆娯楽
これは自分の実体験です

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

処理中です...