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第1部 第3章「蓄積悪夢」
第1話『強欲はその身をも変える』前編
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「マリ、今日までお疲れ様!」
仕事終わり、マリは同僚から花束を渡された。他の同僚達も仕事の手を止め、温かい拍手を送る。
マリは驚きを隠せず、両手で口を覆った。
「わぁ、ありがとう。すごく嬉しい」
涙を浮かべ、花束を受け取る。
今日はマリが最後に出社する日だった。来月結婚し、寿退社するのだ。
オフィスに集まった男性陣は「残念だなぁ」と名残惜しそうに唸った。
「先にマリちゃんを狙ってたのは、俺だったのになぁ」
「明日からマリちゃんがいないなんて寂しいよ」
「仕方ないだろ。マリちゃんの旦那はIT系の若手社長なんだからさ。俺達じゃ、勝負にならないって」
「マリちゃーん! 永遠に愛してるー!」
女性陣は「私達だっているんですけどー」と、冷ややかな視線を送る。マリだけは、男性陣に穏やかに微笑みかけていた。
「フフッ。皆さんにそんなふうに思ってもらえていたなんて、私は幸せ者ですね」
マリは会社のアイドル的存在だった。
清楚な黒髪美人で、誰に対しても穏やかに接する。
家庭的かつ倹約家で、ブランドものや高価なアクセサリーは一つも持っていない。食事は毎日自炊しており、会社に持参する弁当も手作りだった。
婚約者もそういった自然体の美しさに惹かれたのだろう。取引先で見初められ、交際を始めてから一ヶ月も経たない内に婚約が決まった。婚約者は若くして巨万の財を成しており、マリには「お金の不自由はさせないから」と退職を勧めた。
まさに、勝ち組。マリの人生は輝いていた。
その時、椅子がガターンッと大きく音を立て倒れた。一同をビクッと肩を震わせ、振り返る。
椅子を倒したのは、眼鏡をかけた神経質そうな男性社員だった。血走った目でマリを睨み、大股で近づいてくる。骸骨のように痩せこけているのも相まって、とにかく不気味だった。
そのただならぬ剣幕に、男性陣は彼とマリの間に割って入った。
「おい、お前! マリちゃんに何するつもりだ!」
「止めるな! 何も知らないくせに!」
男は男性陣の顔と顔の隙間からマリを指差し、大声で非難した。
「このアバズレめ! 散々貢がせておいて、勝手に結婚するなんて許さないぞ! 俺は知っているんだからな! お前が大勢の男に結婚をチラつかせて、カネやらブランド品やら貢がせていたのをッ!」
男は続けて、マリをかばっている男性陣や取り巻きの顔を一人一人見回した。
「お前らは騙されている! この女は、お前らが思っているような女じゃない! 現実を見ろ! 目を覚ませ!」
「……」
一瞬、オフィスは静まり返る。
しかしはた、と同僚達は冷静に問いかけた。
「ところで君、誰だっけ?」
「ここにいるってことは、うちの部署の人なんだよね?」
「マリのことよく知ってるみたいだけど、友達? それとも元カレ?」
「マリちゃん、こいつ誰だか知ってる?」
マリは青ざめ、首を振った。
「……知らない。適当なこと言わないで」
「だよねー! 俺、マリちゃんの交友関係は把握済みだし!」
「きっしょ! でも、情報助かる」
張り詰めていた空気が、瞬く間に弛む。
男は「マリのことをよく知る告発者」から「マリとは無関係の世間知らず」に格下げになった。
「マリちゃんもこう言ってることだし、変な言いがかりはやめろよな」
「そもそも、マリちゃんがそんなことするわけないだろ? 人違いでもしてるんじゃないか?」
「そうそう。マリちゃんはブランド品なんか興味ないんだから」
「ほ、本当なんだ! 信じてくれよ!」
男はなおも食い下がる。が、もはや誰も男の相手をしなかった。
「ラウンジまで連れてってやるからさ、そこでしばらく頭冷やしてこいよ」
「や、やめろー! 離せー!」
男は男性陣に抱えられ、オフィスの外へ連れ出される。
男の声が消えると、残った同僚達は安堵した。
「変な人もいたもんね。今まで気づかなかったのが不思議なくらい」
「ホント、ホント。部長に頼んで、あの人の部署変えてもらいましょうよ」
「賛成ー。せっかくのマリちゃんの退職記念日が台無しよぉ」
ただ一人、マリだけは違った。
怯えているように装いつつも、殺気立っていた。
仕事終わり、マリは同僚から花束を渡された。他の同僚達も仕事の手を止め、温かい拍手を送る。
マリは驚きを隠せず、両手で口を覆った。
「わぁ、ありがとう。すごく嬉しい」
涙を浮かべ、花束を受け取る。
今日はマリが最後に出社する日だった。来月結婚し、寿退社するのだ。
オフィスに集まった男性陣は「残念だなぁ」と名残惜しそうに唸った。
「先にマリちゃんを狙ってたのは、俺だったのになぁ」
「明日からマリちゃんがいないなんて寂しいよ」
「仕方ないだろ。マリちゃんの旦那はIT系の若手社長なんだからさ。俺達じゃ、勝負にならないって」
「マリちゃーん! 永遠に愛してるー!」
女性陣は「私達だっているんですけどー」と、冷ややかな視線を送る。マリだけは、男性陣に穏やかに微笑みかけていた。
「フフッ。皆さんにそんなふうに思ってもらえていたなんて、私は幸せ者ですね」
マリは会社のアイドル的存在だった。
清楚な黒髪美人で、誰に対しても穏やかに接する。
家庭的かつ倹約家で、ブランドものや高価なアクセサリーは一つも持っていない。食事は毎日自炊しており、会社に持参する弁当も手作りだった。
婚約者もそういった自然体の美しさに惹かれたのだろう。取引先で見初められ、交際を始めてから一ヶ月も経たない内に婚約が決まった。婚約者は若くして巨万の財を成しており、マリには「お金の不自由はさせないから」と退職を勧めた。
まさに、勝ち組。マリの人生は輝いていた。
その時、椅子がガターンッと大きく音を立て倒れた。一同をビクッと肩を震わせ、振り返る。
椅子を倒したのは、眼鏡をかけた神経質そうな男性社員だった。血走った目でマリを睨み、大股で近づいてくる。骸骨のように痩せこけているのも相まって、とにかく不気味だった。
そのただならぬ剣幕に、男性陣は彼とマリの間に割って入った。
「おい、お前! マリちゃんに何するつもりだ!」
「止めるな! 何も知らないくせに!」
男は男性陣の顔と顔の隙間からマリを指差し、大声で非難した。
「このアバズレめ! 散々貢がせておいて、勝手に結婚するなんて許さないぞ! 俺は知っているんだからな! お前が大勢の男に結婚をチラつかせて、カネやらブランド品やら貢がせていたのをッ!」
男は続けて、マリをかばっている男性陣や取り巻きの顔を一人一人見回した。
「お前らは騙されている! この女は、お前らが思っているような女じゃない! 現実を見ろ! 目を覚ませ!」
「……」
一瞬、オフィスは静まり返る。
しかしはた、と同僚達は冷静に問いかけた。
「ところで君、誰だっけ?」
「ここにいるってことは、うちの部署の人なんだよね?」
「マリのことよく知ってるみたいだけど、友達? それとも元カレ?」
「マリちゃん、こいつ誰だか知ってる?」
マリは青ざめ、首を振った。
「……知らない。適当なこと言わないで」
「だよねー! 俺、マリちゃんの交友関係は把握済みだし!」
「きっしょ! でも、情報助かる」
張り詰めていた空気が、瞬く間に弛む。
男は「マリのことをよく知る告発者」から「マリとは無関係の世間知らず」に格下げになった。
「マリちゃんもこう言ってることだし、変な言いがかりはやめろよな」
「そもそも、マリちゃんがそんなことするわけないだろ? 人違いでもしてるんじゃないか?」
「そうそう。マリちゃんはブランド品なんか興味ないんだから」
「ほ、本当なんだ! 信じてくれよ!」
男はなおも食い下がる。が、もはや誰も男の相手をしなかった。
「ラウンジまで連れてってやるからさ、そこでしばらく頭冷やしてこいよ」
「や、やめろー! 離せー!」
男は男性陣に抱えられ、オフィスの外へ連れ出される。
男の声が消えると、残った同僚達は安堵した。
「変な人もいたもんね。今まで気づかなかったのが不思議なくらい」
「ホント、ホント。部長に頼んで、あの人の部署変えてもらいましょうよ」
「賛成ー。せっかくのマリちゃんの退職記念日が台無しよぉ」
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怯えているように装いつつも、殺気立っていた。
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