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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
第四話「大通り蚤の市」⑴
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由良とナナコは恐る恐る、フェンスの隙間から地上を覗いた。
地面は、遥か下に広がっている。二人は残念そうに首を引っ込めた。
「……降りられそうにないですね」
「残念です。停留所はすぐそこなのに」
由良とナナコは屋上から屋上へ渡り、ついに商店街の終わりまでたどり着いた。
ところが、建物の中へ続くドアには鍵がかかっており、地上へ降りられそうな階段やハシゴも見つからなかった。
「どうやら、あの小屋を調べるしかなさそうですね」
由良は屋上の隅に建つ、怪しげなビニール小屋へ目を向けた。ナナコも怯えつつ、共に振り返る。
小屋は半透明で、中がどうなっているかは分からない。ただ、ブゥーンという不気味な音が絶えず聞こえていた。
「あの音、何なんですか?」
「さぁ? 見てみないことにはなんとも。誰か中にいらっしゃったら、助かるんですが」
由良はビニール小屋のチャックを開け、中を覗いた。
小屋の中は木箱がひとつ置いてあるだけで、他には何も無かった。人もいない。
一見、ただの使われていない物置に見える。だが、唯一置いてあった木箱が曲者だった。木箱の周りには、数匹の蜂が飛び回っていた。
「ッ!」
由良は声をかけようと開きかけた口を、キュッとつぐんだ。
反射的に、小屋のチャックを閉める。幸い、蜂は小屋の外には出てこなかった。
「びっっっくりした……」
「ど、どうしました?」
その時、建物内へ続くドアがひとりでに開いた。
中から四、五十代くらいの女性が現れ、怪訝そうに由良とナナコを見る。女性は六角形の金縁眼鏡をかけ、白い防護服を小脇に抱えていた。
「……どなた? そのビニール小屋に何の用?」
「すみません。地上へ降りたいので、階段かエレベーターを使わせてもらえませんか?」
事情を話すと、女性は納得してくれた。
この建物は商店街の出口に近いので、部外者が屋上から出入りするのは日常茶飯事らしい。ただ、ビニール小屋を覗いたのは由良が初めてだったので、つい警戒してしまったという。
「このドア、内開きよ。私も屋上の隅を間借りているだけだから、鍵なんて持ってないし」
「すみません、気づきませんでした。屋上から入ったのは初めてでして」
「いいのよ。私も変に疑ってごめんなさい」
「ところで、お姉さんはここで何を?」
女性は由良が覗いたビニール小屋を指差し、答えた。
「あそこで養蜂をやっているの。オリジナルの私の〈心の落とし物〉だったんだけど、こっちに来てからは私の趣味になったわ」
女性の主人には「趣味で養蜂をやりたい」という夢があった。ハチミツも蜜蜂も好きで、何より街中でも出来るのが魅力的だった。
その夢は一旦は実現した。使われていない建物の屋上を借り、そこで養蜂を始めたのだ。
しかし「蜂が集まっていて怖い」と近所の人からクレームが来たり、仕事が忙しくて思うように世話できないなど、トラブルが続出した。主人が来られない日は、〈探し人〉の彼女が代わりに世話をした。終いには、養蜂箱を置いていた建物が火事になり、箱も箱の中の蜜蜂も巣も、何もかも燃えてしまった。
女性の主人は悲しみから、意識的に養蜂のことを忘れた。忘れられた女性の〈探し人〉は、〈心の落とし物〉と化した養蜂箱と共に未練街へ送られた。皮肉なことに、天候や環境に左右されない未練街は養蜂に適していた。
「ここでは好きなように過ごしたらいいと言われたけど、他にやりたいことなんて思いつかなかった。この子達をほうって、自分だけ新しいことを始めるわけにもいなかったしね」
「ハチミツは蚤の市に出品するんですか?」
「売れるほどの量は取れないの。オリジナルはハチミツを作りたくて養蜂をやっていたわけじゃないから」
「せっかくだし、食べる?」と女性はハチの巣の一部を切り取り、由良とナナコに手渡した。
味は一般的なハチミツと変わらないが、ほんのり柑橘系の香りがする。よく目を凝らすと、うっすら黄緑色の光を帯びていた。
「巣蜜にも心果が含まれているんですね」
「そうみたい。どこに咲いているかは分からないけど、蜂達が心果の花の蜜を集めているの。戻ってきたばかりの子はうっすら黄緑色に光るのよ」
ハチの巣を見たことがないナナコは、巣蜜をおっかなびっくり受け取る。由良に倣い、恐る恐る口に含んだ瞬間、ハチミツの美味しさが分かったのか、
「んふふ」
と幸せそうに、顔がほころんだ。
地面は、遥か下に広がっている。二人は残念そうに首を引っ込めた。
「……降りられそうにないですね」
「残念です。停留所はすぐそこなのに」
由良とナナコは屋上から屋上へ渡り、ついに商店街の終わりまでたどり着いた。
ところが、建物の中へ続くドアには鍵がかかっており、地上へ降りられそうな階段やハシゴも見つからなかった。
「どうやら、あの小屋を調べるしかなさそうですね」
由良は屋上の隅に建つ、怪しげなビニール小屋へ目を向けた。ナナコも怯えつつ、共に振り返る。
小屋は半透明で、中がどうなっているかは分からない。ただ、ブゥーンという不気味な音が絶えず聞こえていた。
「あの音、何なんですか?」
「さぁ? 見てみないことにはなんとも。誰か中にいらっしゃったら、助かるんですが」
由良はビニール小屋のチャックを開け、中を覗いた。
小屋の中は木箱がひとつ置いてあるだけで、他には何も無かった。人もいない。
一見、ただの使われていない物置に見える。だが、唯一置いてあった木箱が曲者だった。木箱の周りには、数匹の蜂が飛び回っていた。
「ッ!」
由良は声をかけようと開きかけた口を、キュッとつぐんだ。
反射的に、小屋のチャックを閉める。幸い、蜂は小屋の外には出てこなかった。
「びっっっくりした……」
「ど、どうしました?」
その時、建物内へ続くドアがひとりでに開いた。
中から四、五十代くらいの女性が現れ、怪訝そうに由良とナナコを見る。女性は六角形の金縁眼鏡をかけ、白い防護服を小脇に抱えていた。
「……どなた? そのビニール小屋に何の用?」
「すみません。地上へ降りたいので、階段かエレベーターを使わせてもらえませんか?」
事情を話すと、女性は納得してくれた。
この建物は商店街の出口に近いので、部外者が屋上から出入りするのは日常茶飯事らしい。ただ、ビニール小屋を覗いたのは由良が初めてだったので、つい警戒してしまったという。
「このドア、内開きよ。私も屋上の隅を間借りているだけだから、鍵なんて持ってないし」
「すみません、気づきませんでした。屋上から入ったのは初めてでして」
「いいのよ。私も変に疑ってごめんなさい」
「ところで、お姉さんはここで何を?」
女性は由良が覗いたビニール小屋を指差し、答えた。
「あそこで養蜂をやっているの。オリジナルの私の〈心の落とし物〉だったんだけど、こっちに来てからは私の趣味になったわ」
女性の主人には「趣味で養蜂をやりたい」という夢があった。ハチミツも蜜蜂も好きで、何より街中でも出来るのが魅力的だった。
その夢は一旦は実現した。使われていない建物の屋上を借り、そこで養蜂を始めたのだ。
しかし「蜂が集まっていて怖い」と近所の人からクレームが来たり、仕事が忙しくて思うように世話できないなど、トラブルが続出した。主人が来られない日は、〈探し人〉の彼女が代わりに世話をした。終いには、養蜂箱を置いていた建物が火事になり、箱も箱の中の蜜蜂も巣も、何もかも燃えてしまった。
女性の主人は悲しみから、意識的に養蜂のことを忘れた。忘れられた女性の〈探し人〉は、〈心の落とし物〉と化した養蜂箱と共に未練街へ送られた。皮肉なことに、天候や環境に左右されない未練街は養蜂に適していた。
「ここでは好きなように過ごしたらいいと言われたけど、他にやりたいことなんて思いつかなかった。この子達をほうって、自分だけ新しいことを始めるわけにもいなかったしね」
「ハチミツは蚤の市に出品するんですか?」
「売れるほどの量は取れないの。オリジナルはハチミツを作りたくて養蜂をやっていたわけじゃないから」
「せっかくだし、食べる?」と女性はハチの巣の一部を切り取り、由良とナナコに手渡した。
味は一般的なハチミツと変わらないが、ほんのり柑橘系の香りがする。よく目を凝らすと、うっすら黄緑色の光を帯びていた。
「巣蜜にも心果が含まれているんですね」
「そうみたい。どこに咲いているかは分からないけど、蜂達が心果の花の蜜を集めているの。戻ってきたばかりの子はうっすら黄緑色に光るのよ」
ハチの巣を見たことがないナナコは、巣蜜をおっかなびっくり受け取る。由良に倣い、恐る恐る口に含んだ瞬間、ハチミツの美味しさが分かったのか、
「んふふ」
と幸せそうに、顔がほころんだ。
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