心の落とし物

緋色刹那

文字の大きさ
上 下
262 / 314
最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』

第三話「ナナシのナナコ」⑶

しおりを挟む
 イムラは隣の建物の屋上を指差した。
「大通りまでは、商店街の屋上を伝って行くといいですよ。下を歩いていては、いつ着くか分かりませんからね」
 隣の建物とライムライトがある建物は壁がぴったりとくっついていた。その先の建物も同様で、確かに歩いて大通りまでたどり着けそうだった。
「勝手に屋上に入って怒られませんか?」
「怒りませんよ。商店街の建物は、商店街のものです。屋上は商店街の人間にとって、第四の道ですからね。まぁ、さすがに泥棒に入ってもらわれると困りますけど」
「第四って、あと三つは何ですか?」
「アーケード通り、裏路地、建物の中、ですね」
「建物の中を通るのはアウトでしょう」
「いやぁ、裏路地が通っていない場所だと、つい通ってしまうんですよね」
 一方、シトロンと客達はナナコがライムライトを出て行くと知り、名残惜しそうだった。
「もう行っちまうのかい?」
「寂しくなるねぇ」
「また忘れたら、いつでも戻ってきていいんだからね」
「なぁ、君も〈心の落とし物〉が見つからなかったら、ここの常連になりなよ」
 由良もついでに引き止められたが、
「せっかくのお誘いですが、常連にはなれません。私は諦めが悪いので」
 と、きっぱり断った。



 由良はナナコの手を引き、ライムライトから隣の屋上へ移る。フェンスなどの囲いはなく、本当に誰でも通れるようになっていた。
 建物と建物の間が広い屋上も、向こうへ渡るためだけに橋が架かっていた。大変便利だが、ところどころ錆びついており、一歩足を踏み出すごとに、ミシッと嫌な音が鳴った。
「添野さん! この橋、さっきから変な音鳴ってますけど、落ちないですよね?!」
「大丈夫ですよ。もし落ちたとしても、ナナコさんだけは助かるはずですから」
「なんてこと言うんですか! 私、一人で助かりたくないですー!」
 〈探し人〉は生き霊に近い。その気になれば、物をすり抜け、物理的なダメージを受けずに済むはずだ。もっとも、人間である由良は一溜まりもないが。
 幸い、橋は落ちず、二人は無事渡り切った。ナナコは橋を渡るのに集中していたのか、由良の失言に気づいていなかった。
 しばらく進むと、北半分がペントハウスに占められた屋上に行き着いた。もう半分はベランダで、いちメートル弱ほどの塀に囲われている。
 ベランダは植栽や物が多く、足の踏み場もない。通ろうとしたら、服に植物の枝やトゲが引っかかってしまいそうだ。由良は構わないが、ナナコは大事な服を傷つけたくはないだろう。
「どうやら、塀を進むしかなさそうですね」
「うぅ……添野さん、思い出しました。私、高所恐怖症かもしれません」
「仕方ないですよ。塀くらいしか、進めそうな道がないんですから」
 下からは、商店街を行き交う人達の楽しげな声が聞こえてくる。由良も高所恐怖症というほどではないが、高いところは苦手だった。アーケードの屋根がクッションになってくれたらいいが、突き破ったら大ごとになる。
 いつ行くかためらっていると、小さな黒い影が軽やかに塀へ飛び移った。路面電車からずっと由良について来ている、緑眼の黒猫だった。
「ニャア」
「あ、常連猫」
 黒猫は猫特有の身のこなしで、塀の上をやすやすと進む。
 塀を渡り切ると「お手本は見せたぞ」とばかりに振り向き、フンスと鼻を鳴らした。どこか渡来屋を思わせる、憎らしい態度だった。
「悪かったわね、簡単に渡れなくて」
「ニャア」
 由良は黒猫に倣い、四つん這いで塀を進む。塀の幅は見た目より太く、ゆっくり進めば落ちる心配は無さそうだった。
「添野さん、私行けないかも」
 ナナコは足がすくんで、動けない。
 由良は歩みを止めず、彼女を励ました。
「大丈夫、意外と行けますよ。私が向こうへ着くまで、そこで待っていてください」
 その時、
「うわっ!」
 と、ベランダから悲鳴が聞こえた。
 由良も「うわっ!」と声を上げる。体がアーケードの方へ傾き、危うく落ちかけた。なんとかその場で持ちこたえ、悲鳴がした方向を振り返る。
 そこには塀を歩く由良に向けて、天体望遠鏡が設置されていた。その後ろには神経質そうな男がのけ反っており、由良を見てひどく驚いている様子だった。
「だ、誰なんだ、君は! 何だってうちの塀を、猫と一緒に歩いているんだね?!」
「すみません。屋上を通らせて欲しかっただけなんです」
「ニャア」


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

とべない天狗とひなの旅

ちはやれいめい
歴史・時代
人間嫌いで悪行の限りを尽してきた天狗、フェノエレーゼ。 主君サルタヒコの怒りを買い、翼を封じられ人里に落とされてしまう。 「心から人間に寄り添い助けろ。これ以上悪さをすると天狗に戻れなくなるぞ」 とべなくなったフェノエレーゼの事情を知って、人里の童女ヒナが、旅についてきた。 人間嫌いの偏屈天狗と、天真爛漫な幼女。 翼を取り戻すため善行を積む旅、はじまりはじまり。 絵・文 ちはやれいめい https://mypage.syosetu.com/487329/ フェノエレーゼデザイン トトさん https://mypage.syosetu.com/432625/

ノイジーガール ~ちょっとそこの地下アイドルさん適性間違っていませんか?~

草野猫彦
ライト文芸
恵まれた環境に生まれた青年、渡辺俊は音大に通いながら、作曲や作詞を行い演奏までしつつも、ある水準を超えられない自分に苛立っていた。そんな彼は友人のバンドのヘルプに頼まれたライブスタジオで、対バンした地下アイドルグループの中に、インスピレーションを感じる声を持つアイドルを発見する。 欠点だらけの天才と、天才とまでは言えない技術者の二人が出会った時、一つの音楽の物語が始まった。 それは生き急ぐ若者たちの物語でもあった。

雪町フォトグラフ

涼雨 零音(すずさめ れいん)
ライト文芸
北海道上川郡東川町で暮らす高校生の深雪(みゆき)が写真甲子園の本戦出場を目指して奮闘する物語。 メンバーを集めるのに奔走し、写真の腕を磨くのに精進し、数々の問題に直面し、そのたびに沸き上がる名前のわからない感情に翻弄されながら成長していく姿を瑞々しく描いた青春小説。 ※表紙の絵は画家の勅使河原 優さん(@M4Teshigawara)に描いていただきました。

瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ
キャラ文芸
瀬々市愛、二十六才。「宵の三番地」という名前の探し物屋で、店長代理を務める青年。 右目に濁った翡翠色の瞳を持つ彼は、物に宿る化身が見える不思議な力を持っている。 御木立多田羅、二十六才。人気歌舞伎役者、八矢宗玉を弟に持つ、普通の青年。 愛とは幼馴染みで、会って間もない頃は愛の事を女の子と勘違いしてプロポーズした事も。大人になって再会し、現在は「宵の三番地」の店員、愛のお世話係として共同生活をしている。 多々羅は、常に弟の名前がついて回る事にコンプレックスを感じていた。歌舞伎界のプリンスの兄、そう呼ばれる事が苦痛だった。 愛の店で働き始めたのは、愛の祖父や姉の存在もあるが、ここでなら、自分は多々羅として必要としてくれると思ったからだ。 愛が男だと分かってからも、子供の頃は毎日のように一緒にいた仲だ。あの楽しかった日々を思い浮かべていた多々羅だが、愛は随分と変わってしまった。 依頼人以外は無愛想で、楽しく笑って過ごした日々が嘘のように可愛くない。一人で生活出来る能力もないくせに、ことあるごとに店を辞めさせようとする、距離をとろうとする。 それは、物の化身と対峙するこの仕事が危険だからであり、愛には大事な人を傷つけた過去があったからだった。 だから一人で良いと言う愛を、多々羅は許す事が出来なかった。どんなに恐れられようとも、愛の瞳は美しく、血が繋がらなくても、愛は家族に愛されている事を多々羅は知っている。 「宵の三番地」で共に過ごす化身の用心棒達、持ち主を思うネックレス、隠された結婚指輪、黒い影を纏う禍つもの、禍つものになりかけたつくも神。 瀬々市の家族、時の喫茶店、恋する高校生、オルゴールの少女、零番地の壮夜。 物の化身の思いを聞き、物達の思いに寄り添いながら、思い悩み繰り返し、それでも何度も愛の手を引く多々羅に、愛はやがて自分の過去と向き合う決意をする。 そんな、物の化身が見える青年達の、探し物屋で起こる日々のお話です。現代のファンタジーです。

喫茶店オルクスには鬼が潜む

奏多
キャラ文芸
美月が通うようになった喫茶店は、本一冊読み切るまで長居しても怒られない場所。 そこに通うようになったのは、片思いの末にどうしても避けたい人がいるからで……。 そんな折、不可思議なことが起こり始めた美月は、店員の青年に助けられたことで、その秘密を知って行って……。 なろうでも連載、カクヨムでも先行連載。

ユメ/うつつ

hana4
ライト文芸
例えばここからが本編だったとしたら、プロローグにも満たない俺らはきっと短く纏められて、誰かの些細な回想シーンの一部でしかないのかもしれない。 もし俺の人生が誰かの創作物だったなら、この記憶も全部、比喩表現なのだろう。 それかこれが夢であるのならば、いつまでも醒めないままでいたかった。

託され行くもの達

ar
ファンタジー
一人の少年騎士の一週間と未来の軌跡。 エウルドス王国の少年騎士ロファース。初陣の日に彼は疑問を抱いた。 少年は己が存在に悩み、進む。 ※「一筋の光あらんことを」の後日談であり過去編

狐狸の類

なたね由
ライト文芸
年に一度の秋祭り、神社に伝わるかどわかしの話。 ずっとずっと昔、いつだったか思い出せないほど遠くの昔に狐にさらわれた子供と、神様にされてしまった狐の二人暮らしのものがたり。

処理中です...