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夏編③『水平線の彼方、青色蜃気楼』
第五話「花火大会の幻影」⑴
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お盆が過ぎ、夏も終わりに近づきつつあった。
その日、由良は中林と茅田にせがまれ、仕事終わりに車で花火を見に行くことになった。海沿いの会場で、屋台もたくさん出るらしい。常連客の真冬も海水浴を兼ねて、学校の友達と行くそうだ。
その場に居合わせた日向子も「私も行く!」と立候補した。
「ちなみに紅葉谷先生は〆切で缶詰になってるそうよ。残念だったわね、由良」
「……何で今、紅葉谷さんの名前が出るのよ?」
「べっつぃー?」
日向子はニヤニヤしながら、ブルーベリーのフルーツサンドにかぶりつく。
由良はお節介な友人にイラッとしながらも、内心では彼女の言う通り、紅葉谷が来られないことを残念に思っていた。
言わずもがな、由良と紅葉谷はLAMPの店長とその店に通う常連客という間柄である。親しくはなれど、結ばれることはない。店員と客の恋愛を禁止しているわけではないが、由良としては「仕事に支障が出るから」と、その辺の線引きをキチンとしておきたかった。
(でも……花火くらいは、一緒に見たかったな)
「いやー、花火楽しみですね! 添野さん!」
「……んん?」
仕事を終え、皆で車に乗り込んでいた時だった。
花火へ行くメンバーの中に、しれっと紅葉谷が紛れ込んでいたのだ。
紅葉谷は誰も座らない予定だった助手席に、平然と座っていた。紅葉柄の浴衣を纏い、ぱたぱたと団扇で顔を扇いでいる。シートベルトまで締め、出発の準備は万端だった。
由良は運転席に乗ったところで声をかけられ、思わず二度見した。シートベルトを締めようとしていた手が止まり、頭の中が真っ白になった。
「紅葉谷さん、何でいらっしゃるんです? 〆切は?」
由良の問いに、後部座席に座っていた日向子は眉をひそめた。
「何言ってんのよ、由良。紅葉谷先生は〆切で缶詰にされてるって言ったでしょ? 編集さんが見張ってるんだから、来られるわけないじゃない」
「でも、ここに……」
日向子は後部座席から身を乗り出し、助手席を確認する。中林と茅田も日向子の後ろから覗き込んだ。
その間、紅葉谷は平気な顔でニヘラヘラと笑っていた。三人のうち、一人は出版関係者だというのに逃げるそぶりすら見せない。れっきとした人間であるはずなのに、妙に作り物めいていた。
三人は目を細めたり座席の下を覗き込んだりしたのち、不思議そうに首をひねった。
「いないわよ?」
「本当に?」
「はい。紅葉谷先生どころか、誰も座っていません」
すると中林がニヨニヨしながら、こんなことを言い出した。
「由良さん、もしかして紅葉谷先生と花火に行きたすぎて、〈心の落とし物〉を見てるんじゃないですか?」
「なッ?!」
慌ててスマホを取り出し、紅葉谷にカメラを向ける。
三人の言った通り、スマホの画面には無人の助手席しか映っていなかった。紅葉谷の手や頬を触れてもみたが、生き物とは思えないほど体温が感じられなかった。
「嘘……」
「何です? 〈心の落とし物〉って」
「あー、芽衣ちゃんは気にしないで。ただの恋煩いだから……ブフォッ」
「笑うな!」
「良かったですね、由良さん! 紅葉谷さんと花火が見られますよ!」
「茶化すな!」
由良は羞恥心で顔を赤らめ、アクセルを踏む。
道中、中林と日向子が「紅葉谷先生、今何してるの?」と逐一聞いてくるので鬱陶しかった。幸い、紅葉谷の姿をした〈心の落とし物〉は特に動きはせず、ただニヘラと笑いながら団扇を扇いでいた。
その日、由良は中林と茅田にせがまれ、仕事終わりに車で花火を見に行くことになった。海沿いの会場で、屋台もたくさん出るらしい。常連客の真冬も海水浴を兼ねて、学校の友達と行くそうだ。
その場に居合わせた日向子も「私も行く!」と立候補した。
「ちなみに紅葉谷先生は〆切で缶詰になってるそうよ。残念だったわね、由良」
「……何で今、紅葉谷さんの名前が出るのよ?」
「べっつぃー?」
日向子はニヤニヤしながら、ブルーベリーのフルーツサンドにかぶりつく。
由良はお節介な友人にイラッとしながらも、内心では彼女の言う通り、紅葉谷が来られないことを残念に思っていた。
言わずもがな、由良と紅葉谷はLAMPの店長とその店に通う常連客という間柄である。親しくはなれど、結ばれることはない。店員と客の恋愛を禁止しているわけではないが、由良としては「仕事に支障が出るから」と、その辺の線引きをキチンとしておきたかった。
(でも……花火くらいは、一緒に見たかったな)
「いやー、花火楽しみですね! 添野さん!」
「……んん?」
仕事を終え、皆で車に乗り込んでいた時だった。
花火へ行くメンバーの中に、しれっと紅葉谷が紛れ込んでいたのだ。
紅葉谷は誰も座らない予定だった助手席に、平然と座っていた。紅葉柄の浴衣を纏い、ぱたぱたと団扇で顔を扇いでいる。シートベルトまで締め、出発の準備は万端だった。
由良は運転席に乗ったところで声をかけられ、思わず二度見した。シートベルトを締めようとしていた手が止まり、頭の中が真っ白になった。
「紅葉谷さん、何でいらっしゃるんです? 〆切は?」
由良の問いに、後部座席に座っていた日向子は眉をひそめた。
「何言ってんのよ、由良。紅葉谷先生は〆切で缶詰にされてるって言ったでしょ? 編集さんが見張ってるんだから、来られるわけないじゃない」
「でも、ここに……」
日向子は後部座席から身を乗り出し、助手席を確認する。中林と茅田も日向子の後ろから覗き込んだ。
その間、紅葉谷は平気な顔でニヘラヘラと笑っていた。三人のうち、一人は出版関係者だというのに逃げるそぶりすら見せない。れっきとした人間であるはずなのに、妙に作り物めいていた。
三人は目を細めたり座席の下を覗き込んだりしたのち、不思議そうに首をひねった。
「いないわよ?」
「本当に?」
「はい。紅葉谷先生どころか、誰も座っていません」
すると中林がニヨニヨしながら、こんなことを言い出した。
「由良さん、もしかして紅葉谷先生と花火に行きたすぎて、〈心の落とし物〉を見てるんじゃないですか?」
「なッ?!」
慌ててスマホを取り出し、紅葉谷にカメラを向ける。
三人の言った通り、スマホの画面には無人の助手席しか映っていなかった。紅葉谷の手や頬を触れてもみたが、生き物とは思えないほど体温が感じられなかった。
「嘘……」
「何です? 〈心の落とし物〉って」
「あー、芽衣ちゃんは気にしないで。ただの恋煩いだから……ブフォッ」
「笑うな!」
「良かったですね、由良さん! 紅葉谷さんと花火が見られますよ!」
「茶化すな!」
由良は羞恥心で顔を赤らめ、アクセルを踏む。
道中、中林と日向子が「紅葉谷先生、今何してるの?」と逐一聞いてくるので鬱陶しかった。幸い、紅葉谷の姿をした〈心の落とし物〉は特に動きはせず、ただニヘラと笑いながら団扇を扇いでいた。
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