174 / 314
夏編③『水平線の彼方、青色蜃気楼』
第二話「乙姫の心臓」⑷
しおりを挟む
秋色インク。実物こそ見たことはないものの、由良にとっては思い出深い一品だった。
その作り手が今、目の前にいる……紅葉谷が知ったら、さぞ驚くことだろう。
彼曰く、秋色インクの作り手は「個人で作っている」という事以外、謎に包まれているらしい。名前も、性別も、年齢も、何処に住んでいるのかも分からなかった。
「あの……」
由良が日向子顔負けの追求をかまそうとしたその時、
「ねぇ、」
と、それまで金魚に夢中になっていた常連客の少女が、由良の背中を後ろからぽんぽん叩いた。
「それ、カツオノエボシじゃないの?」
「カツオノエボシ?」
「お姉さん、さっき言ってたでしょ? 透明な袋に入った、青いぶよぶよの何かが浜辺にあったって」
「お嬢ちゃん、知ってるの?!」
女性は目を剥き、立ち上がる。
尋常でない彼女に動じることなく、少女は淡々と青い塊の正体を答えた。
「カツオノエボシはね、クラゲに似た猛毒の生き物なんだよ。触ると刺されるから、近づいちゃいけないんだって。"刺されたら、最悪死ぬぞ"っておじいちゃんが言ってた」
「……」
「……」
衝撃的な正体に、大人二人は絶句した。
互いに顔を見合わせる。危うく触りかけた女性に至っては、顔面蒼白になっていた。
「怒ってこられたおじさん、いい人だったんですね」
「……うん」
女性はショックが癒えぬまま、苦笑した。
「何はともあれ、本当の名前を知れて良かったです。教えてくれてありがとね、お嬢ちゃん」
「……」
女性は少女に礼を言ったが、当の本人は「話は終わった」とばかりに、金魚観察を再開していた。
「カツオノエボシかぁ……悪くはないけど、個人的には乙姫の心臓の方が気に入ってるんだよなぁ……」
「どちらの名前で売られているか、楽しみにしていますね。そちらのインクは、今年のオータムフェスでも売られるんですか?」
「えぇ、そのつもりです。何処のお店に置くかは秘密ですが」
「秘密、ですか?」
女性は「だって、」といたずらっぽく微笑んだ。
「オータムフェスは骨董市ですもの。お目当てのお宝は自分の足で探し当ててこそ、価値が生まれるでしょう?」
そう言い残し、女性はパッと消えた。
女性が机に広げていた持ち物も、一緒に消え失せていた。
「……お嬢ちゃんは、さっきのお姉さんが見えてたの?」
少女は不思議そうに首を傾げた。
「誰のこと? 私とお姉さんしかいないよ。カツオノエボシのこと、電話で誰かと喋ってたんでしょ?」
どうやら、少女は由良が今まで誰かと電話で話していたと思い込んでいたらしい。
由良は「変な人だと思われなくて良かった……」と内心、ホッとした。
「それにしてもお嬢ちゃんのおじいさんって、お魚に詳しいんだね。私もカツオノエボシなんて知らなかったよ」
「まぁね。それがお仕事だから」
少女は得意気にニンマリと笑った。
「魚に詳しい仕事……お魚屋さん?」
「ううん、金魚屋さん。商店街で金魚楼ってお店やってんの」
「……なるほど」
(どうりでしっかりしてると思った)
金魚楼の主人は相手が子供であろうと、言わなければならないことははっきり言う。金魚を購入してから何度か金魚楼へ足を運んだが、叱られて泣いている子供を何度か見た。
由良は少女の大人びた物言いと態度の理由に、納得がいった気がした。
「将来は絵本作家と金魚楼の社長です」
「頑張れー」
少女は今日の分の絵日記を描き終えると、他のお客が来るまで人魚姫の絵本を金魚に読み聞かせていた。凝った絵の絵本で、ところどころがラメで輝いていた。
金魚達は興味深そうに、絵本に描かれた人魚の絵をジッと見つめている。「また人魚に変わらないか」と由良は冷や冷やしながら、その様子を見守っていた。
例のインクが「カツオノエボシ色」という名前で売られたか、はたまた「乙姫の心臓色」なる名前で売られたかは、秋のお楽しみということで。
(夏編③『水平線の彼方、青色蜃気楼』第三話へ続く)
その作り手が今、目の前にいる……紅葉谷が知ったら、さぞ驚くことだろう。
彼曰く、秋色インクの作り手は「個人で作っている」という事以外、謎に包まれているらしい。名前も、性別も、年齢も、何処に住んでいるのかも分からなかった。
「あの……」
由良が日向子顔負けの追求をかまそうとしたその時、
「ねぇ、」
と、それまで金魚に夢中になっていた常連客の少女が、由良の背中を後ろからぽんぽん叩いた。
「それ、カツオノエボシじゃないの?」
「カツオノエボシ?」
「お姉さん、さっき言ってたでしょ? 透明な袋に入った、青いぶよぶよの何かが浜辺にあったって」
「お嬢ちゃん、知ってるの?!」
女性は目を剥き、立ち上がる。
尋常でない彼女に動じることなく、少女は淡々と青い塊の正体を答えた。
「カツオノエボシはね、クラゲに似た猛毒の生き物なんだよ。触ると刺されるから、近づいちゃいけないんだって。"刺されたら、最悪死ぬぞ"っておじいちゃんが言ってた」
「……」
「……」
衝撃的な正体に、大人二人は絶句した。
互いに顔を見合わせる。危うく触りかけた女性に至っては、顔面蒼白になっていた。
「怒ってこられたおじさん、いい人だったんですね」
「……うん」
女性はショックが癒えぬまま、苦笑した。
「何はともあれ、本当の名前を知れて良かったです。教えてくれてありがとね、お嬢ちゃん」
「……」
女性は少女に礼を言ったが、当の本人は「話は終わった」とばかりに、金魚観察を再開していた。
「カツオノエボシかぁ……悪くはないけど、個人的には乙姫の心臓の方が気に入ってるんだよなぁ……」
「どちらの名前で売られているか、楽しみにしていますね。そちらのインクは、今年のオータムフェスでも売られるんですか?」
「えぇ、そのつもりです。何処のお店に置くかは秘密ですが」
「秘密、ですか?」
女性は「だって、」といたずらっぽく微笑んだ。
「オータムフェスは骨董市ですもの。お目当てのお宝は自分の足で探し当ててこそ、価値が生まれるでしょう?」
そう言い残し、女性はパッと消えた。
女性が机に広げていた持ち物も、一緒に消え失せていた。
「……お嬢ちゃんは、さっきのお姉さんが見えてたの?」
少女は不思議そうに首を傾げた。
「誰のこと? 私とお姉さんしかいないよ。カツオノエボシのこと、電話で誰かと喋ってたんでしょ?」
どうやら、少女は由良が今まで誰かと電話で話していたと思い込んでいたらしい。
由良は「変な人だと思われなくて良かった……」と内心、ホッとした。
「それにしてもお嬢ちゃんのおじいさんって、お魚に詳しいんだね。私もカツオノエボシなんて知らなかったよ」
「まぁね。それがお仕事だから」
少女は得意気にニンマリと笑った。
「魚に詳しい仕事……お魚屋さん?」
「ううん、金魚屋さん。商店街で金魚楼ってお店やってんの」
「……なるほど」
(どうりでしっかりしてると思った)
金魚楼の主人は相手が子供であろうと、言わなければならないことははっきり言う。金魚を購入してから何度か金魚楼へ足を運んだが、叱られて泣いている子供を何度か見た。
由良は少女の大人びた物言いと態度の理由に、納得がいった気がした。
「将来は絵本作家と金魚楼の社長です」
「頑張れー」
少女は今日の分の絵日記を描き終えると、他のお客が来るまで人魚姫の絵本を金魚に読み聞かせていた。凝った絵の絵本で、ところどころがラメで輝いていた。
金魚達は興味深そうに、絵本に描かれた人魚の絵をジッと見つめている。「また人魚に変わらないか」と由良は冷や冷やしながら、その様子を見守っていた。
例のインクが「カツオノエボシ色」という名前で売られたか、はたまた「乙姫の心臓色」なる名前で売られたかは、秋のお楽しみということで。
(夏編③『水平線の彼方、青色蜃気楼』第三話へ続く)
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
とべない天狗とひなの旅
ちはやれいめい
歴史・時代
人間嫌いで悪行の限りを尽してきた天狗、フェノエレーゼ。
主君サルタヒコの怒りを買い、翼を封じられ人里に落とされてしまう。
「心から人間に寄り添い助けろ。これ以上悪さをすると天狗に戻れなくなるぞ」
とべなくなったフェノエレーゼの事情を知って、人里の童女ヒナが、旅についてきた。
人間嫌いの偏屈天狗と、天真爛漫な幼女。
翼を取り戻すため善行を積む旅、はじまりはじまり。
絵・文 ちはやれいめい
https://mypage.syosetu.com/487329/
フェノエレーゼデザイン トトさん
https://mypage.syosetu.com/432625/
ノイジーガール ~ちょっとそこの地下アイドルさん適性間違っていませんか?~
草野猫彦
ライト文芸
恵まれた環境に生まれた青年、渡辺俊は音大に通いながら、作曲や作詞を行い演奏までしつつも、ある水準を超えられない自分に苛立っていた。そんな彼は友人のバンドのヘルプに頼まれたライブスタジオで、対バンした地下アイドルグループの中に、インスピレーションを感じる声を持つアイドルを発見する。
欠点だらけの天才と、天才とまでは言えない技術者の二人が出会った時、一つの音楽の物語が始まった。
それは生き急ぐ若者たちの物語でもあった。
雪町フォトグラフ
涼雨 零音(すずさめ れいん)
ライト文芸
北海道上川郡東川町で暮らす高校生の深雪(みゆき)が写真甲子園の本戦出場を目指して奮闘する物語。
メンバーを集めるのに奔走し、写真の腕を磨くのに精進し、数々の問題に直面し、そのたびに沸き上がる名前のわからない感情に翻弄されながら成長していく姿を瑞々しく描いた青春小説。
※表紙の絵は画家の勅使河原 優さん(@M4Teshigawara)に描いていただきました。
瀬々市、宵ノ三番地
茶野森かのこ
キャラ文芸
瀬々市愛、二十六才。「宵の三番地」という名前の探し物屋で、店長代理を務める青年。
右目に濁った翡翠色の瞳を持つ彼は、物に宿る化身が見える不思議な力を持っている。
御木立多田羅、二十六才。人気歌舞伎役者、八矢宗玉を弟に持つ、普通の青年。
愛とは幼馴染みで、会って間もない頃は愛の事を女の子と勘違いしてプロポーズした事も。大人になって再会し、現在は「宵の三番地」の店員、愛のお世話係として共同生活をしている。
多々羅は、常に弟の名前がついて回る事にコンプレックスを感じていた。歌舞伎界のプリンスの兄、そう呼ばれる事が苦痛だった。
愛の店で働き始めたのは、愛の祖父や姉の存在もあるが、ここでなら、自分は多々羅として必要としてくれると思ったからだ。
愛が男だと分かってからも、子供の頃は毎日のように一緒にいた仲だ。あの楽しかった日々を思い浮かべていた多々羅だが、愛は随分と変わってしまった。
依頼人以外は無愛想で、楽しく笑って過ごした日々が嘘のように可愛くない。一人で生活出来る能力もないくせに、ことあるごとに店を辞めさせようとする、距離をとろうとする。
それは、物の化身と対峙するこの仕事が危険だからであり、愛には大事な人を傷つけた過去があったからだった。
だから一人で良いと言う愛を、多々羅は許す事が出来なかった。どんなに恐れられようとも、愛の瞳は美しく、血が繋がらなくても、愛は家族に愛されている事を多々羅は知っている。
「宵の三番地」で共に過ごす化身の用心棒達、持ち主を思うネックレス、隠された結婚指輪、黒い影を纏う禍つもの、禍つものになりかけたつくも神。
瀬々市の家族、時の喫茶店、恋する高校生、オルゴールの少女、零番地の壮夜。
物の化身の思いを聞き、物達の思いに寄り添いながら、思い悩み繰り返し、それでも何度も愛の手を引く多々羅に、愛はやがて自分の過去と向き合う決意をする。
そんな、物の化身が見える青年達の、探し物屋で起こる日々のお話です。現代のファンタジーです。
喫茶店オルクスには鬼が潜む
奏多
キャラ文芸
美月が通うようになった喫茶店は、本一冊読み切るまで長居しても怒られない場所。
そこに通うようになったのは、片思いの末にどうしても避けたい人がいるからで……。
そんな折、不可思議なことが起こり始めた美月は、店員の青年に助けられたことで、その秘密を知って行って……。
なろうでも連載、カクヨムでも先行連載。
ユメ/うつつ
hana4
ライト文芸
例えばここからが本編だったとしたら、プロローグにも満たない俺らはきっと短く纏められて、誰かの些細な回想シーンの一部でしかないのかもしれない。
もし俺の人生が誰かの創作物だったなら、この記憶も全部、比喩表現なのだろう。
それかこれが夢であるのならば、いつまでも醒めないままでいたかった。
託され行くもの達
ar
ファンタジー
一人の少年騎士の一週間と未来の軌跡。
エウルドス王国の少年騎士ロファース。初陣の日に彼は疑問を抱いた。
少年は己が存在に悩み、進む。
※「一筋の光あらんことを」の後日談であり過去編
狐狸の類
なたね由
ライト文芸
年に一度の秋祭り、神社に伝わるかどわかしの話。
ずっとずっと昔、いつだったか思い出せないほど遠くの昔に狐にさらわれた子供と、神様にされてしまった狐の二人暮らしのものがたり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる