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春編③『緑涼やか、若竹の囁き』
第五話「密林書庫冒険活劇」⑵
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ジャングルと言っても、現実のそれとは似て非なるものだった。
本棚の形をした木から枝が伸び、大量の本が実っている。ひらひらと優雅に舞う蝶は、よく見ると真ん中で折れた栞だった。店内を旋回していた鳥は本棚の木の枝に留まり、こちらを見下ろしている。
「……ずいぶん個性的なデザインの書庫ですね」
「いやぁ、面目ない。掃除は昔から苦手でして。しかし添野さんも人が悪い。この有り様を個性的だなんて、そんな意地悪言わないでくださいよ」
どうも茅野倉が見えている書庫と、由良が見えている書庫とでは、様子が違うらしい。
茅野倉は拗ねたように言った。
「すみません、そんなつもりではなかったのですが」
「分かっています。添野さんなりに気遣ってくださったのでしょう? 分かっていますとも」
その時、店の入口のドアに取り付けられているベルが鳴った。客が来たのだ。
落ち込んでいた茅野倉は、ハッと我に返った。
「お客様だ! 添野さん、一旦戻りましょう。幸い、鳥はこの部屋には入っていないようですし」
茅野倉は書庫のドアを閉じようとする。
由良は「ちょっと待ってください」とドアをつかんだ。
「茅野倉さんがアルバイトさんに頼んでいた本、私が探してきましょうか? 今日は一日お休みをもらっているので、暇なんです」
「えっ、いいんですか?」
茅野倉は驚き、目を丸くする。
由良も最初は関わるつもりはなかった。アルバイトの女性のことも、消えた本のことも、警察に任せた方がいいだろう、と。
だが、実際に書庫を見てそうは言っていられなくなった。これはどう見ても、〈心の落とし物〉かそれに関連した何かだ。もしアルバイトの女性と本がここへ迷い込んだのだとしたら、他の人にはどうやっても見つけられないだろう。
それに先日、同じように〈心の落とし物〉に閉じ込められた由良には他人事とは思えなかった。
「困った時はお互い様ですから。茅野倉さんは接客に専念していてください」
由良は真意を隠し、微笑む。
何も知らない茅野倉は「助かります」と安堵した様子で礼を言った。
「探しているのは、"ひとりぼっちのティギー"という海外の絵本です。表紙に、檻に入れられたホワイトタイガーの絵が描かれていますよ」
「承りました」
由良は忘れないよう、タイトルと表紙の特徴をメモに書き記した。
「見つからなくても気に病まないでくださいね」
茅野倉はそう言い残し、店内へと戻った。
由良は彼の背中が見えなくなったのを確認し、ジャングルの書庫へと飛び込んだ。
書庫は明らかに言の葉の森の広さを超えていた。あるいは、洋燈町よりも広いかもしれない。
由良は目についた本を片っ端から確認した。木の実、花、雑草……ありとあらゆる植物が本で出来ており、気が遠くなる作業だった。道なき道を進むうちに、出口のドアは緑へ紛れ、気づけば見失っていた。
時折、名も知らぬ鳥や動物達の鳴き声がけたたましく響き渡る。そのたびに、由良はハッと顔を上げた。ここが曲がりなりにもジャングルならば、どんな猛獣がいてもおかしくない。ゾウ、サイ、ゴリラ、ライオン……考えるだけでゾッとした。
「こういうジャングルで冒険する話、昔読んだなぁ。冒険家の主人公がジャングルへ迷い込んで、そこに住んでる部族に捕まるの」
その時、近くの茂みからガサガサと音がした。何かがこちらへ近づいてきている。
由良は姿勢を低くし、息を殺す。今すぐにでもここを立ち去りたかったが、森本だったら置いては行けない。
やがて茂みから、大きなカゴを背負った渡来屋が現れた。
「あ、部族発見」
「誰が部族だ、コラ」
渡来屋は茂みを抜けると、カゴを地面へ下ろした。中には大量の本が詰まっている。このジャングルで集めたものだろう。
由良はカゴの本を見て、眉をひそめた。
「また泥棒?」
「泥棒じゃない、仕入れだ。本は〈心の落とし物〉になりやすい上に、需要が高いからな。あの本を読んでおけば良かった、買っておけば良かった、手放さなければ良かった、その逆も然り……故に、こうして〈未練溜まり〉が構成されるのだろう」
「〈未練溜まり〉?」
「忘れられた〈心の落とし物〉の溜まり場のことだ。お前も以前、落ちたことがあるだろう?」
「……」
あれか、と由良は当時の恐怖を思い出した。
由良は去年の夏、忘れられた〈心の落とし物〉によって、水溜りに引き込まれたことがある。その時は渡来屋に助けてもらって難を逃れたが、危うく〈心の落とし物〉と一緒にこの世から忘れ去られるところだったのだ。
「だから、早くここから出た方がいい。うろちょろしていると、また俺の手を借りることになるぞ」
本棚の形をした木から枝が伸び、大量の本が実っている。ひらひらと優雅に舞う蝶は、よく見ると真ん中で折れた栞だった。店内を旋回していた鳥は本棚の木の枝に留まり、こちらを見下ろしている。
「……ずいぶん個性的なデザインの書庫ですね」
「いやぁ、面目ない。掃除は昔から苦手でして。しかし添野さんも人が悪い。この有り様を個性的だなんて、そんな意地悪言わないでくださいよ」
どうも茅野倉が見えている書庫と、由良が見えている書庫とでは、様子が違うらしい。
茅野倉は拗ねたように言った。
「すみません、そんなつもりではなかったのですが」
「分かっています。添野さんなりに気遣ってくださったのでしょう? 分かっていますとも」
その時、店の入口のドアに取り付けられているベルが鳴った。客が来たのだ。
落ち込んでいた茅野倉は、ハッと我に返った。
「お客様だ! 添野さん、一旦戻りましょう。幸い、鳥はこの部屋には入っていないようですし」
茅野倉は書庫のドアを閉じようとする。
由良は「ちょっと待ってください」とドアをつかんだ。
「茅野倉さんがアルバイトさんに頼んでいた本、私が探してきましょうか? 今日は一日お休みをもらっているので、暇なんです」
「えっ、いいんですか?」
茅野倉は驚き、目を丸くする。
由良も最初は関わるつもりはなかった。アルバイトの女性のことも、消えた本のことも、警察に任せた方がいいだろう、と。
だが、実際に書庫を見てそうは言っていられなくなった。これはどう見ても、〈心の落とし物〉かそれに関連した何かだ。もしアルバイトの女性と本がここへ迷い込んだのだとしたら、他の人にはどうやっても見つけられないだろう。
それに先日、同じように〈心の落とし物〉に閉じ込められた由良には他人事とは思えなかった。
「困った時はお互い様ですから。茅野倉さんは接客に専念していてください」
由良は真意を隠し、微笑む。
何も知らない茅野倉は「助かります」と安堵した様子で礼を言った。
「探しているのは、"ひとりぼっちのティギー"という海外の絵本です。表紙に、檻に入れられたホワイトタイガーの絵が描かれていますよ」
「承りました」
由良は忘れないよう、タイトルと表紙の特徴をメモに書き記した。
「見つからなくても気に病まないでくださいね」
茅野倉はそう言い残し、店内へと戻った。
由良は彼の背中が見えなくなったのを確認し、ジャングルの書庫へと飛び込んだ。
書庫は明らかに言の葉の森の広さを超えていた。あるいは、洋燈町よりも広いかもしれない。
由良は目についた本を片っ端から確認した。木の実、花、雑草……ありとあらゆる植物が本で出来ており、気が遠くなる作業だった。道なき道を進むうちに、出口のドアは緑へ紛れ、気づけば見失っていた。
時折、名も知らぬ鳥や動物達の鳴き声がけたたましく響き渡る。そのたびに、由良はハッと顔を上げた。ここが曲がりなりにもジャングルならば、どんな猛獣がいてもおかしくない。ゾウ、サイ、ゴリラ、ライオン……考えるだけでゾッとした。
「こういうジャングルで冒険する話、昔読んだなぁ。冒険家の主人公がジャングルへ迷い込んで、そこに住んでる部族に捕まるの」
その時、近くの茂みからガサガサと音がした。何かがこちらへ近づいてきている。
由良は姿勢を低くし、息を殺す。今すぐにでもここを立ち去りたかったが、森本だったら置いては行けない。
やがて茂みから、大きなカゴを背負った渡来屋が現れた。
「あ、部族発見」
「誰が部族だ、コラ」
渡来屋は茂みを抜けると、カゴを地面へ下ろした。中には大量の本が詰まっている。このジャングルで集めたものだろう。
由良はカゴの本を見て、眉をひそめた。
「また泥棒?」
「泥棒じゃない、仕入れだ。本は〈心の落とし物〉になりやすい上に、需要が高いからな。あの本を読んでおけば良かった、買っておけば良かった、手放さなければ良かった、その逆も然り……故に、こうして〈未練溜まり〉が構成されるのだろう」
「〈未練溜まり〉?」
「忘れられた〈心の落とし物〉の溜まり場のことだ。お前も以前、落ちたことがあるだろう?」
「……」
あれか、と由良は当時の恐怖を思い出した。
由良は去年の夏、忘れられた〈心の落とし物〉によって、水溜りに引き込まれたことがある。その時は渡来屋に助けてもらって難を逃れたが、危うく〈心の落とし物〉と一緒にこの世から忘れ去られるところだったのだ。
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