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冬編②『行く年来る年、ぬくもりは紅玉(ルビィ)色』
第一話「燐寸と双子とルビー」⑴
しおりを挟む空気が冷え、暖房の赤が恋しくなる冬。
由良と同い年か、少し年下くらいの若い男性客がLAMPを訪れた。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
「アップルパイ。それと……か、懐虫電燈ブレンドをお願いします」
男性客は緊張した様子で"懐虫電燈"と口にする。
「かしこまりました。ミルクとお砂糖はどうされますか?」
「く、下さい」
「では、お好きな席でお待ち下さい」
「は、はい」
男性客はぎこちない足取りでカウンター席へと腰を下ろす。待っている間も落ち着きなく、キョロキョロと店内を見回していた。
「妙に挙動不審ですね。食い逃げでもしようとしているんでしょうか?」
中林も厨房から男性客を怪訝そうに覗き見る。
由良も懐虫電燈の名を出した時点では男性客が〈探し人〉かもしれないと疑っていたが、中林が彼の姿を認識できていると分かり、少し安心した。
「気になるなら、本人に直接聞いてみればいいじゃない」
「えー。気分悪くされて帰っちゃったらどうするんですかー」
「そうならないよう、上手く聞き出して」
「それなら店長が聞いて来て下さいよ。よく〈探し人〉と交渉してるんだから、得意ですよね?」
「よく、じゃないから。たまに、だから」
由良と中林は男性客に聞こえないよう、小声で「聞く」「聞かない」の押し問答を繰り広げる。
するとタイミングよく「あの、」と渦中の男性客がカウンターから身を乗り出し、由良に声をかけてきた。すかさず二人は営業スマイルを向ける。
「お待たせして申し訳ございません。ただいまお持ちいたしますので」
「あぁ、いや、そうではなくて……」
男性客は覚悟を決めた面持ちで由良が胸元につけている名札を一瞥し、尋ねた。
「勘違いだったらすみません。店長さん……添野さんとおっしゃるんですよね?」
「えぇ。そうですが」
「もしかして懐虫電燈の店長さんの親族の方ですか?」
「……そうですが、祖父に何か?」
男性客はパッと目を輝かせ「やはり!」と嬉しそうに声を上げた。
「実は僕、懐虫電燈の大ファンなんです。幼い頃、父を駅へ迎えに行った帰りによく寄らせてもらっていて、大きくなったら一人で訪れたいと憧れていました。昨年就職して、やっとその願いが叶えられると思っていたのに……まさか、とっくの前に閉店していたとは……」
後半になるにつれ、テンションが下がっていく。一人で懐虫電燈に行ける日を相当、楽しみにしていたらしい。
そのまま泣き出してしまいそうな雰囲気だったが、「しかし!」と再び瞳を輝かせた。
「こちらのお店の店長さんが同じ名字の方だと知って、希望を持ちました。親族の方ならば、懐虫電燈で売られていた商品をお持ちになっているかもしれない、と。そして不躾なお願いではありますが、なんとか譲っていただけないか、と」
「商品、ですか? 一体どんな?」
「マッチです。懐虫電燈の看板が箱に印刷されている……」
「あぁ……あれですか」
由良は幼い頃の光景を思い出し、頷いた。
由良の祖父が営んでいた喫茶店、懐虫電燈では、かつて喫煙者向けにマッチが売られていた。一匹の蛍がお尻の明かりで懐虫電燈の看板を黄緑色に照らしているという可愛らしいデザインで、通常のマッチとは違い、発火部分が赤ではなく黄緑に色付けされていた。
加えて、当時はマッチの需要が今よりも高く、煙草を吸わない客にも人気の商品だったらしい。実際、店を開ける前はいつもカウンターのカゴに山盛り置いてあったが、店を閉める頃にはほとんど売れてしまっていた。
「ご存じなんですか?」
「えぇ。私も何度か見たことがあります。ただ……」
「お願いします。ひと箱でいいので、譲ってもらえませんか? 大きくなって懐虫電燈を訪れたら、必ず手に入れたいと憧れていたんです。当時はまだ幼く、マッチを売ってもらえなかったので……湿気っていても、カビていても構いません。どうか!」
男性客は由良の言葉をさえぎり、懇願する。
彼の熱意に痛いほど伝わってきた。由良もそうしたいのは山々だったが、「すみません」と謝った。
「私も手元には持っていないんです。人気の商品だったので、在庫がほとんど残っていなくて……」
「そう、ですか」
男性客はあからさまに落胆する。
そこへ中林が注文された品をりんご柄のトレーに載せて運んできた。くすんだ赤色のマグカップの中で、コーヒーが黒く波打つ。アップルパイの皿も赤色で、ふちに描かれた星の蒔絵が可愛らしかった。
「お待たせしました。懐虫電燈コーヒーとアップルパイです」
「あぁ、どうも」
男性客は落ち着こうとコーヒーをひと口すする。途端に驚いた様子で、目を見開いた。
「これ……懐虫電燈で出されていたコーヒーじゃないですか?」
「えぇ。当時のレシピを再現したんです。私も子供の頃、よく飲んでいました」
「当時のレシピを? すごい!」
男性客はミルクと砂糖をコーヒーにたっぷり入れ、改めて味わう。コーヒーはみるみるうちになくなり、カップはカラになった。
「……懐かしい。よく、こうしてミルクと砂糖をたっぷり入れて飲んでいたんです。父には『そんなにミルクと砂糖を入れるなら、いっそカフェオレを頼んだらいいじゃないか』と言われていましたが、背伸びしたかったんでしょうね。いつもミルクと砂糖を別添えにしてもらっていました」
その後、男性客は何度かお代わりを頼み、アップルパイも綺麗に平らげ、LAMPを後にした。
「まさかもう一度、懐虫電燈コーヒーが飲めるなんて思ってもいませんでした。夢が叶って良かったです。また来てもいいですか?」
「ぜひ。お父様と懐虫電燈へかよっていた時のこと、もっと聞かせて下さい」
男性客の表情は朗らかだったが、由良は彼の本当の願いを叶えられずにモヤモヤしていた。できることなら彼に思い出のマッチを譲ってあげたいし、自分ももう一度マッチを見てみたい。
由良は悩んだ末、友人に電話をかけた。
「……珠緒、ちょっと探して欲しいものがあるんだけど」
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