心の落とし物

緋色刹那

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夏編②『梅雨空しとしと、ラムネ色』

第三話「映画館雨宿り」⑶

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 扇が投げたビー玉はカメラのレンズを貫通し、スクリーンを突き破って客席へ飛んできた。
「うわっ」
「きゃっ」
 他の客達は驚き、悲鳴を上げる。
 幸い、ビー玉は客には当たらず、劇場の通路の床へと叩きつけられ、粉々に砕けた。
 ビー玉によってカメラのレンズは割れ、映像に細かなヒビが入る。はずみでカメラがひっくり返ったのか、映像は上下逆さまのまま、元に戻らなかった。
『私は彼から贈られたビー玉と一緒に、彼への想いも捨てました。どんな宝石よりも美しく見えたビー玉はあの頃の輝きを失い、くすんで見えました』
 画面は逆さまのまま暗転し、扇の独白を最後にエンドロールが流れた。
 「女優:扇華恋」のテロップの後に、延々と「水無月涼馬」の名前が続く。彼は監督をはじめ、カメラマンや脚本など、ほとんどの役職を担当しており、扇の相手役と思われる「彼」なる人物も演じていた。
 知人というわけではないが、由良はその名前に心当たりがあった。
(水無月涼馬って、「桜花妖」の監督の? この頃にも一緒に撮影してたんだ)
 春に洋燈町で撮影をしていた、扇の主演映画「桜花妖」。その監督も水無月涼馬だったのだ。
 「桜花妖」では演者として参加していなかった分、この映画でどのような演技をしていたのか、由良は興味を持った。

 上映が終わり、客達は続々と外へ出て行く。
 由良も彼らの後に続いて、ホールへと戻った。
「すごい仕掛けだったねぇ」
「どうやってスクリーンからビー玉が出て来たんだろう?」
「魔法?」
 客達は階段を下りると、その足で回転扉へと向かい、帰っていく。皆、満足そうに映画の感想を語らっている。
 ホールで待機していた支配人は回転扉のそばに立ち、彼らを見送っていた。
「本日はまことにありがとうございました。次回の上映は十分後、二時間上映致します。お時間が合いましたら、ぜひお立ち寄り下さい」
 由良は次に上映する映画の内容を支配人に確認しようと、階段を下りて彼の元へと向かった。
「次の映画も、さっき上映していたものと同じ映画ですか?」
 支配人は穏やかに微笑み、頷いた。
「えぇ。ジューンブライドは人気作ですからね、わざわざ遠方から観に来られるお客様もいらっしゃるんですよ。その次は五分後に、翌朝四時までオールナイト上映を行います。そちらでは今月上映している全ての映画を上映致しますよ」
「どうしようかな……」
 由良は最初からジューンブライドを観ようか、迷った。
 おそらく過去に上映されていた映画であるため、普通の映画館では上映していないだろう。遠方から客が来るということは、かなり珍しい映画なのかもしれない。今を逃せば、もう二度と観られないような気がした。
 しかしふと、回転扉の向こうから雨の音がしないことに気がついた。
「すみません、また来ます」
「えぇ、いつでもどうぞ」
 由良は支配人に断り、回転扉を押して外へ出た。
 案の定、あれだけ降っていた雨がピタリとやんでいた。空は曇ったままなため、いつ降り出してもおかしくない。
「今のうちに帰らないと、また足止めされちゃう」
 由良は路地を駆け抜け、慌てて帰宅した。
 不思議なことに路地は無人で、今しがた映画館から出ていったはずの他の客達は何処にもいなかった。商店街も閑散とし、静まり返っていた。

 家に着いたのは映画が終わった十分後で、外では堰を切ったように大量の雨が降りしきっていた。
「危なかった……もう少しで濡れるところだったわ」
 由良は雨音を聴きながら、商店街で購入した品物をそれぞれの収納へ整理していった。
 作業を進めるうちに、由良はある偶然に気づいた。
「そういえば、次の上映時間も十分後だって言ってたっけ」
 思わず手が止まる。
 同時に、紅葉谷が話していた噂を思い出した。
『洋燈商店街には、雨にしか営業していない映画館があるそうですよ。大手の映画館では観られない、貴重な映画を上映しているとか。運が良ければ、扇華恋のデビュー作が観られるかもしれませんね。あれは小規模の映画館数館でしか上映されていない、幻の映画ですから』
「……まさかね」
 由良は単なる偶然だと自分に言い聞かせつつも、つい壁掛け時計に目がいった。
 月を模したデザインの壁掛け時計で、文字盤の色が黄色や紺に変化することで、時刻と共に月の満ち欠けも報せてくれる。帰宅してからさほど時間が経っていないため、針はほとんど動いてはいなかった。
「二時間上映して、五分後に朝四時までオールナイトか……」
 今夜は満月だそうだが、支配人の言葉が正しければ、見えそうもなかった。
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