心の落とし物

緋色刹那

文字の大きさ
上 下
84 / 314
夏編②『梅雨空しとしと、ラムネ色』

第一話「雨は嫌い」⑶

しおりを挟む
「アジサイって、個人でも栽培出来るんですね。公園にしか植えられているものだと思っていましたよ」
 〈探し人〉の女性は屋上の庭を見て、感心した。表情には現れていないが、いくらかアジサイに興味を持ったらしい。
 由良はアジサイを通して雨を好きになってもらおうと、ここぞとばかりに力説した。
「綺麗ですよね、アジサイ。特に雨の日は花や葉が濡れて、一層艶やかに見えますし。種類によりますが、意外と手入れは難しくないんですよ。虫もつきにくいですし、切り花にすれば室内でも楽しめます。お客様も育ててみてはいかがですか?」
「……確かに綺麗ですけど、遠慮しておきます」
 女性は申し訳なさそうに言った。
「私、重度の花粉症なんです。花に近づくだけで、くしゃみと鼻水が止まらなくなってしまうんですよ」
「……そうなんですか。残念です」
(この作戦はダメ、と)
 由良は「アジサイから雨を好きになってもらおう作戦」を諦め、次なる作戦に向けて動いた。
「少々準備して参りますので、こちらの椅子に座ってお待ち下さい」
「は、はぁ」
 由良は女性をプラスチックチェアに座らせ、階段を下りていった。

 由良は二階の自宅からありったけの"雨を楽しむグッズ"を旅行用のリュックカバンに詰め、屋上へと戻った。
 女性は大人しくプラスチックチェアに座り、外の景色を眺めて待っていた。「戻ったらいなくなっているかもしれない」という由良の淡い期待は、簡単に裏切られた。
「お待たせしました」
「ずいぶん大荷物ですね」
 女性は振り返り、由良の大荷物を見て驚く。
 由良は「気がついたら増えていました」と苦笑いした。空いているプラスチックチェアの上にリュックを下ろし、ひと息つく。
「雨には雨にしか出来ない楽しみがありますからね。まずはこれです」
 そう言って由良がリュックの中から取り出したのは、シャボン玉を作る際に使うプラスチックの吹き棒と、シャボン玉液が入った蛍光色の小さなボトルだった。百均で売っているような安っぽいものだ。由良と〈探し人〉の女性の、二人分用意してある。
 由良は何食わぬ顔で「どうぞ」と女性に吹き棒とボトルを一つずつ差し出した。女性は訝しげに眉をひそめながらも、シャボン玉セットを受け取った。
「これ……シャボン玉を作る道具ですよね? まさか、これからシャボン玉を作って遊ぼうって言うんじゃ……」
「えぇ、そのまさかです」
 由良は吹き棒とボトルを持ったまま、塔屋から非常階段へ出た。
 吹き棒の先をボトルの中のシャボン玉液につけ、液がついていない方を口に咥える。そして空き地の上空に狙いを定めると、吹き棒に勢いよく息を吹き込んだ。
「ふーっ!」
 薄っすら虹色味を帯びた無数のシャボン玉達が吹き棒の先で一瞬で膨らみ、飛び立っていく。シャボン玉は降りしきる雨をもろともせず、ゆっくりと浮遊しながら空の彼方へ飛び去っていった。
「不思議ね。どうして割れないの?」
 その光景を塔屋の中から見ていた〈探し人〉の女性は、驚きのあまり椅子から立ち上がった。わずかでも衝撃を加えれば割れてしまうシャボン玉が雨の中を進むとは、思ってもいなかったのだ。
 由良はいたずらっ子のような笑みを浮かべ、女性を振り返った。
「シャボン玉って、意外と雨の日の方が割れにくくて、沢山飛ぶんです。晴れの日よりも雨の日の方が湿度が高いですからね。まぁ、これ全部うちの従業員からの受け売りなんですけど」
 ちなみに由良の家にシャボン玉セットを置いていったのも、その従業員こと、中林である。
 本当に雨でもシャボン玉が飛ぶのか試したいからと、先週シャボン玉セットを手に由良の家へ押しかけ、丸一日由良を付き合わせたのだ。最終的にシャボン玉が飛ぶと分かると、中林は「残りは添野さんにあげます」とシャボン玉セットを二つずつ、由良の部屋の置いて行った。
「お客様もやってみません? やってみると、案外楽しいですよ。庭だとアジサイにシャボン玉がくっついてしまうかもしれないので、こちらに来て吹いて下さい」
「……」
 女性は黙って由良の隣に立つと、シャボン玉液をつけた吹き棒を咥え、ゆっくりと息を吹き込んで膨らませた。
 大きく膨らんだシャボン玉はふよふよ揺れつつ、重力に逆らって灰色の空へと上昇して行った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

雪町フォトグラフ

涼雨 零音(すずさめ れいん)
ライト文芸
北海道上川郡東川町で暮らす高校生の深雪(みゆき)が写真甲子園の本戦出場を目指して奮闘する物語。 メンバーを集めるのに奔走し、写真の腕を磨くのに精進し、数々の問題に直面し、そのたびに沸き上がる名前のわからない感情に翻弄されながら成長していく姿を瑞々しく描いた青春小説。 ※表紙の絵は画家の勅使河原 優さん(@M4Teshigawara)に描いていただきました。

ユメ/うつつ

hana4
ライト文芸
例えばここからが本編だったとしたら、プロローグにも満たない俺らはきっと短く纏められて、誰かの些細な回想シーンの一部でしかないのかもしれない。 もし俺の人生が誰かの創作物だったなら、この記憶も全部、比喩表現なのだろう。 それかこれが夢であるのならば、いつまでも醒めないままでいたかった。

世界一可愛い私、夫と娘に逃げられちゃった!

月見里ゆずる(やまなしゆずる)
ライト文芸
私、依田結花! 37歳! みんな、ゆいちゃんって呼んでね! 大学卒業してから1回も働いたことないの! 23で娘が生まれて、中学生の親にしてはかなり若い方よ。 夫は自営業。でも最近忙しくって、友達やお母さんと遊んで散財しているの。 娘は反抗期で仲が悪いし。 そんな中、夫が仕事中に倒れてしまった。 夫が働けなくなったら、ゆいちゃんどうしたらいいの?! 退院そいてもうちに戻ってこないし! そしたらしばらく距離置こうって! 娘もお母さんと一緒にいたくないって。 しかもあれもこれも、今までのことぜーんぶバレちゃった! もしかして夫と娘に逃げられちゃうの?! 離婚されちゃう?! 世界一可愛いゆいちゃんが、働くのも離婚も別居なんてあり得ない! 結婚時の約束はどうなるの?! 不履行よ! 自分大好き!  周りからチヤホヤされるのが当たり前!  長年わがまま放題の(精神が)成長しない系ヒロインの末路。

とべない天狗とひなの旅

ちはやれいめい
歴史・時代
人間嫌いで悪行の限りを尽してきた天狗、フェノエレーゼ。 主君サルタヒコの怒りを買い、翼を封じられ人里に落とされてしまう。 「心から人間に寄り添い助けろ。これ以上悪さをすると天狗に戻れなくなるぞ」 とべなくなったフェノエレーゼの事情を知って、人里の童女ヒナが、旅についてきた。 人間嫌いの偏屈天狗と、天真爛漫な幼女。 翼を取り戻すため善行を積む旅、はじまりはじまり。 絵・文 ちはやれいめい https://mypage.syosetu.com/487329/ フェノエレーゼデザイン トトさん https://mypage.syosetu.com/432625/

あかりの燈るハロー【完結】

虹乃ノラン
ライト文芸
 ――その観覧車が彩りゆたかにライトアップされるころ、あたしの心は眠ったまま。迷って迷って……、そしてあたしは茜色の空をみつけた。  六年生になる茜(あかね)は、五歳で母を亡くし吃音となった。思い出の早口言葉を歌い今日もひとり図書室へ向かう。特別な目で見られ、友達なんていない――吃音を母への愛の証と捉える茜は治療にも前向きになれないでいた。  ある日『ハローワールド』という件名のメールがパソコンに届く。差出人は朱里(あかり)。件名は謎のままだが二人はすぐに仲良くなった。話すことへの抵抗、思いを伝える怖さ――友だちとの付き合い方に悩みながらも、「もし、あたしが朱里だったら……」と少しずつ自分を見つめなおし、悩みながらも朱里に対する信頼を深めていく。 『ハローワールド』の謎、朱里にたずねるハローワールドはいつだって同じ。『そこはここよりもずっと離れた場所で、ものすごく近くにある場所。行きたくても行けない場所で、いつの間にかたどり着いてる場所』  そんななか、茜は父の部屋で一冊の絵本を見つける……。  誰の心にも燈る光と影――今日も頑張っているあなたへ贈る、心温まるやさしいストーリー。 ―――――《目次》―――――― ◆第一部  一章  バイバイ、お母さん。ハロー、ハンデ。  二章  ハローワールドの住人  三章  吃音という証明 ◆第二部  四章  最高の友だち  五章  うるさい! うるさい! うるさい!  六章  レインボー薬局 ◆第三部  七章  はーい! せんせー。  八章  イフ・アカリ  九章  ハウマッチ 木、木、木……。 ◆第四部  十章  未来永劫チクワ  十一章 あたしがやりました。  十二章 お父さんの恋人 ◆第五部  十三章 アカネ・ゴー・ラウンド  十四章 # to the world... ◆エピローグ  epilogue...  ♭ ◆献辞 《第7回ライト文芸大賞奨励賞》

まずい飯が食べたくて

森園ことり
ライト文芸
有名店の仕事を辞めて、叔父の居酒屋を手伝うようになった料理人の新(あらた)。いい転職先の話が舞い込むが、新は居酒屋の仕事に惹かれていく。気になる女性も現れて…。 ※この作品は「エブリスタ」にも投稿しています

ボイス~常識外れの三人~

Yamato
ライト文芸
29歳の山咲 伸一と30歳の下田 晴美と同級生の尾美 悦子 会社の社員とアルバイト。 北海道の田舎から上京した伸一。 東京生まれで中小企業の社長の娘 晴美。 同じく東京生まれで美人で、スタイルのよい悦子。 伸一は、甲斐性持ち男気溢れる凡庸な風貌。 晴美は、派手で美しい外見で勝気。 悦子はモデルのような顔とスタイルで、遊んでる男は多数いる。 伸一の勤める会社にアルバイトとして入ってきた二人。 晴美は伸一と東京駅でケンカした相手。 最悪な出会いで嫌悪感しかなかった。 しかし、友人の尾美 悦子は伸一に興味を抱く。 それまで遊んでいた悦子は、伸一によって初めて自分が求めていた男性だと知りのめり込む。 一方で、晴美は遊び人である影山 時弘に引っ掛かり、身体だけでなく心もボロボロにされた。 悦子は、晴美をなんとか救おうと試みるが時弘の巧みな話術で挫折する。 伸一の手助けを借りて、なんとか引き離したが晴美は今度は伸一に心を寄せるようになる。 それを知った悦子は晴美と敵対するようになり、伸一の傍を離れないようになった。 絶対に譲らない二人。しかし、どこかで悲しむ心もあった。 どちらかに決めてほしい二人の問い詰めに、伸一は人を愛せない過去の事情により答えられないと話す。 それを知った悦子は驚きの提案を二人にする。 三人の想いはどうなるのか?

夜の声

神崎
恋愛
r15にしてありますが、濡れ場のシーンはわずかにあります。 読まなくても物語はわかるので、あるところはタイトルの数字を#で囲んでます。 小さな喫茶店でアルバイトをしている高校生の「桜」は、ある日、喫茶店の店主「葵」より、彼の友人である「柊」を紹介される。 柊の声は彼女が聴いている夜の声によく似ていた。 そこから彼女は柊に急速に惹かれていく。しかし彼は彼女に決して語らない事があった。

処理中です...