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春編①『桜花爛漫、世は薄紅色』
第四話「夜桜周遊」⑶
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「……私、そろそろお暇します。元いた場所に返して下さい」
「あら、そう? 残念だわ」
桜世は屋根の下の宴会場をちらっと一瞥すると、困った様子で頬に手を当て、小首を傾げた。
「久しぶりのお客様だと思って、腕によりをかけてお料理をご用意したんですのよ。ここで降りられると仰るなら、あれらは廃棄するしかありませんわね」
「食べます」
由良は即答した。
窓越しに、豪勢な料理が並んでいる宴会場の様子が見えてしまった。
これはこういう商法なのではないか、と考えついた頃には、既に料理の大半を食べ尽くしてしまっていた。
ふきのとうの煮物、山菜の天ぷら、タケノコご飯、カツオの刺身盛り、桜エビの茶碗蒸し、桜鯛のお吸い物、桜餡の餡団子……春を存分に堪能出来る品々に、考える前に手が伸びた。どれも〈心の落とし物〉による幻だと思えぬほど美味で、ついには「もうどうにでもなれ」と諦めた。
「お味は如何ですか?」
そばに控えていた桜世が尋ねてくる。
彼女は由良が食べている間、ずっと正座して待っていた。何もしないわけではなく、味を尋ねたり、茶碗が空いたと見るや「お代わりは如何です?」と伺い、米をお櫃から木製のシャモジでよそって差し出したりと由良の世話をしていた。今の桜世は芸者というよりも、小料理屋のおかみさんのような雰囲気だった。
「悔しいくらい美味しいです。全部、貴方が作られたんですか?」
「えぇ。皆さんに喜んで頂きたくて。酒だけでは物足りませんものね」
ふと、由良は酒と聞いてLAMPから持ってきたある物の存在を思い出した。
「せっかく持ってきたので、これも食べますか。良かったら、桜世さんもどうぞ」
「私も?」
由良は紙袋から土産物を取り出すと、プラスチックのスプーンと一緒に桜世に渡した。
それは桜色の層と白い層、透明な層の三層が重なったゼリーだった。上には塩漬けの桜が載り、彩りを添えている。ゼリーが入ったプラスチックの容器には手書きの桜の絵が描かれていた。
桜世はカップを目線の高さまで持ち上げ、綺麗に三色に分かれたゼリーをじっと見つめていた。
「綺麗……」
「上から桜、甘酒、日本酒が入ったゼリーになっています。お酒が入っているからか、売れ残ってしまったんですよ」
桜世は慣れない手つきでゼリーをスプーンですくい、口へ運んだ。
桜の香りと酒の深い味わいが口の中で混ざり合う。全体的に甘さ控えめで、大人の味だった。桜世にとっては好みの味だったらしく、一口味わっただけで顔を綻ばせた。
「美味しい……お酒の甘味なんて、初めて食べましたわ」
「ありがとうございます。お酒が苦手なお客様にも食べて頂けるよう、甘酒は牛乳、日本酒は桜のエキスに改良しようかと思っているんですけどね」
「まぁ、そちらも美味しそうですね。ぜひ食べてみたいですわ」
酒の入っていない桜ゼリーを想像し、桜世はうっとりとする。
すかさず由良は交換条件を提示した。
「いいですよ。その代わり、ここでのお代はチャラということでお願いします」
「チャラも何も、もとよりお金を取るつもりなどないんですけれど」
由良の言葉に、桜世は不思議そうに小首を傾げる。
由良も〈心の落とし物〉と約束することに意味などないことは分かっていたが、そうでもしないと「いつか取り立てに来るのでは」と気が気でなかった。
「後から請求書出されても困りますからね。釘を刺しておかないと」
「承知致しました。では、そのように」
言質を取ったところで、由良は「これ、呑んでもいいですか?」と料理と一緒に置かれていた日本酒を指差した。「美桜」のラベルに相応しい、澄んだ桜色の酒瓶に閉じ込められており、水面には本物の桜の花びらが浮いていた。
「お注ぎしますわ」
桜世は桜色のお猪口を由良に握らせ、酒を注ぐ。一緒に、桜の花びらも数枚注がれ、お猪口に浮かんだ。酒自体は透明で、ほんのりと桜の香りがした。
由良はお猪口をぐいっと傾け、一気に飲み干す。すっきりとした味わいで、持参した桜ゼリーと味がよく似ていた。
「……明日が定休日で、良かった」
由良は偶然の巡り合わせに感謝しつつ、「もう一杯いいですか?」と桜世にお猪口を差し出した。
「あら、そう? 残念だわ」
桜世は屋根の下の宴会場をちらっと一瞥すると、困った様子で頬に手を当て、小首を傾げた。
「久しぶりのお客様だと思って、腕によりをかけてお料理をご用意したんですのよ。ここで降りられると仰るなら、あれらは廃棄するしかありませんわね」
「食べます」
由良は即答した。
窓越しに、豪勢な料理が並んでいる宴会場の様子が見えてしまった。
これはこういう商法なのではないか、と考えついた頃には、既に料理の大半を食べ尽くしてしまっていた。
ふきのとうの煮物、山菜の天ぷら、タケノコご飯、カツオの刺身盛り、桜エビの茶碗蒸し、桜鯛のお吸い物、桜餡の餡団子……春を存分に堪能出来る品々に、考える前に手が伸びた。どれも〈心の落とし物〉による幻だと思えぬほど美味で、ついには「もうどうにでもなれ」と諦めた。
「お味は如何ですか?」
そばに控えていた桜世が尋ねてくる。
彼女は由良が食べている間、ずっと正座して待っていた。何もしないわけではなく、味を尋ねたり、茶碗が空いたと見るや「お代わりは如何です?」と伺い、米をお櫃から木製のシャモジでよそって差し出したりと由良の世話をしていた。今の桜世は芸者というよりも、小料理屋のおかみさんのような雰囲気だった。
「悔しいくらい美味しいです。全部、貴方が作られたんですか?」
「えぇ。皆さんに喜んで頂きたくて。酒だけでは物足りませんものね」
ふと、由良は酒と聞いてLAMPから持ってきたある物の存在を思い出した。
「せっかく持ってきたので、これも食べますか。良かったら、桜世さんもどうぞ」
「私も?」
由良は紙袋から土産物を取り出すと、プラスチックのスプーンと一緒に桜世に渡した。
それは桜色の層と白い層、透明な層の三層が重なったゼリーだった。上には塩漬けの桜が載り、彩りを添えている。ゼリーが入ったプラスチックの容器には手書きの桜の絵が描かれていた。
桜世はカップを目線の高さまで持ち上げ、綺麗に三色に分かれたゼリーをじっと見つめていた。
「綺麗……」
「上から桜、甘酒、日本酒が入ったゼリーになっています。お酒が入っているからか、売れ残ってしまったんですよ」
桜世は慣れない手つきでゼリーをスプーンですくい、口へ運んだ。
桜の香りと酒の深い味わいが口の中で混ざり合う。全体的に甘さ控えめで、大人の味だった。桜世にとっては好みの味だったらしく、一口味わっただけで顔を綻ばせた。
「美味しい……お酒の甘味なんて、初めて食べましたわ」
「ありがとうございます。お酒が苦手なお客様にも食べて頂けるよう、甘酒は牛乳、日本酒は桜のエキスに改良しようかと思っているんですけどね」
「まぁ、そちらも美味しそうですね。ぜひ食べてみたいですわ」
酒の入っていない桜ゼリーを想像し、桜世はうっとりとする。
すかさず由良は交換条件を提示した。
「いいですよ。その代わり、ここでのお代はチャラということでお願いします」
「チャラも何も、もとよりお金を取るつもりなどないんですけれど」
由良の言葉に、桜世は不思議そうに小首を傾げる。
由良も〈心の落とし物〉と約束することに意味などないことは分かっていたが、そうでもしないと「いつか取り立てに来るのでは」と気が気でなかった。
「後から請求書出されても困りますからね。釘を刺しておかないと」
「承知致しました。では、そのように」
言質を取ったところで、由良は「これ、呑んでもいいですか?」と料理と一緒に置かれていた日本酒を指差した。「美桜」のラベルに相応しい、澄んだ桜色の酒瓶に閉じ込められており、水面には本物の桜の花びらが浮いていた。
「お注ぎしますわ」
桜世は桜色のお猪口を由良に握らせ、酒を注ぐ。一緒に、桜の花びらも数枚注がれ、お猪口に浮かんだ。酒自体は透明で、ほんのりと桜の香りがした。
由良はお猪口をぐいっと傾け、一気に飲み干す。すっきりとした味わいで、持参した桜ゼリーと味がよく似ていた。
「……明日が定休日で、良かった」
由良は偶然の巡り合わせに感謝しつつ、「もう一杯いいですか?」と桜世にお猪口を差し出した。
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