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冬編①『雪色暗幕、幻燈夜』
第三話「南極ザッハトルテ」⑶
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その時、頭上でドアが開く音が聞こえた。
見上げると、階段を下りてきた中林と目があった。
「あっ、店長! やっぱり、ここにいた!」
「中林さん……?」
由良は驚き、階段から立ち上がる。
北見と野際が何の反応も示さないのを訝しみ、振り向くと、二人はいなくなっていた。彼らがいた証拠に、カラになった皿と、先端にホワイトチョコレートがわずかに付着しているフォークと割り箸が、床に残されていた。
厨房の扉を開き、中を確認すると、元の厨房に戻っていた。
「どうやって中に入って来たの? ドアは閉まってたはずじゃ……」
すると中林は青ざめ、頭を下げた。
「すみません! うっかりドアの前に、宅配された荷物を置いてました!」
「お馬鹿」
中林が由良の不在に気づいたのは、話し込んでいた女子高生の客を見送った時だった。
いつもなら由良に会話を中断されるというのに、今回はそれがなかったのだ。おかげで思う存分、会話を楽しめたが、かえって不安になった。
「……由良さん、遅いなぁ。さては、アガルタまでザッハトルテを届けに行っているのでは?」
幻の地下都市にロマンを馳せつつ、厨房へ続くドアに向かった中林を待っていたのは、非情な現実だった。
「……というわけです。すみませんでした」
中林は由良を閉じ込めるまでの経緯を話し、再度謝る。
由良は「もう分かったから」と、中林を許しながらも、LAMPの店長としてハッキリと告げた。
「でも、次からは本当に気をつけて頂戴ね。あのまま中林さんが私のことを忘れて帰ってたら、たぶん凍死してたから」
「ひぃっ! ホンットすみませんでした!」
中林は悲鳴を上げ、震える。由良を殺しかけたことによる恐怖か、由良本人への恐怖かは定かではない。これに懲りて、客との長話を控えてくれればいいが、そう簡単に直せないのが中林の性分であった。
由良もそれは分かっていたが、「これ以上責めたら、仕事に支障が出るな」と判断し、中林を連れ立って店内に戻ることにした。
「ちなみに、その宅配物の中身って何だったの?」
「洋酒です。ドリンク用と製菓用のがいっぺんに来て、運ぶのが大変でした。全部ガラスのビンに入ってたので、一本も割らないよう慎重に運んだんですよ」
「……良かった。ドアを蹴り飛ばさなくて」
由良は割れたガラスの破片と膨大な量の洋酒が散乱する惨状を想像し、そうならなかったことに安堵した。
数日後、由良は第二回目のヒュッゲで、北見と野際の姿を再び目撃した。
「"南極で遭難し、後遺症に苦しむ調査隊員達"……ですって。店員さん、知ってます?」
「え?」
正確には、ヒュッゲ中にテスト勉強をしていた女子高生が机に広げていた教科書に、二人の写真が掲載されていた。前回のヒュッゲにも参加した女子高生で、今回は別の友人とその姉と共に来ていた。
写真の中の北見と野際は、一面銀世界の南極で、大勢の隊員達と共に満面の笑みを見せていた。店の地下で会った時と同じ、特徴のある防寒服を着ていた。
ちょうど、女子高生のテーブルにゆずティーを運びに来た由良は、写真を見て驚いた。危うくお盆を落としそうになったものの、なんとか耐えた。
「いえ……存じ上げないです。私が使っていた頃の教科書には、彼らのことは載っていませんでしたから」
「それじゃあ、私の勉強も兼ねて、教えてあげますね」
女子高生は教科書を見ながら、得意げに説明した。
「今から六十年ほど前、調査のため南極へ派遣された北見さんと野際さんはブリザードの影響で本隊とはぐれてしまい、遭難してしまいました。遭難して一週間後に運良く救出されたものの、寒さと飢えに苦しめられた当時の記憶は、二人にとって重いトラウマとなり、今なお後遺症に苦しめられているそうです。特に、空腹によるトラウマがひどく、常に満腹でないとパニックを起こしてしまうそうですよ」
「……そんな辛い過去があったんですね」
由良はザッハトルテを美味そうに食べていた二人の顔を思い出し、胸が苦しくなった。あの二人は本物の北見と野際のため、幻の南極で食糧を探していた「探し人」だったのだ。
せっかく食べてもらうなら、あんな冷えたザッハトルテではなく、出来立てのパンケーキを食べもらえば良かった、と由良は後悔した。
見上げると、階段を下りてきた中林と目があった。
「あっ、店長! やっぱり、ここにいた!」
「中林さん……?」
由良は驚き、階段から立ち上がる。
北見と野際が何の反応も示さないのを訝しみ、振り向くと、二人はいなくなっていた。彼らがいた証拠に、カラになった皿と、先端にホワイトチョコレートがわずかに付着しているフォークと割り箸が、床に残されていた。
厨房の扉を開き、中を確認すると、元の厨房に戻っていた。
「どうやって中に入って来たの? ドアは閉まってたはずじゃ……」
すると中林は青ざめ、頭を下げた。
「すみません! うっかりドアの前に、宅配された荷物を置いてました!」
「お馬鹿」
中林が由良の不在に気づいたのは、話し込んでいた女子高生の客を見送った時だった。
いつもなら由良に会話を中断されるというのに、今回はそれがなかったのだ。おかげで思う存分、会話を楽しめたが、かえって不安になった。
「……由良さん、遅いなぁ。さては、アガルタまでザッハトルテを届けに行っているのでは?」
幻の地下都市にロマンを馳せつつ、厨房へ続くドアに向かった中林を待っていたのは、非情な現実だった。
「……というわけです。すみませんでした」
中林は由良を閉じ込めるまでの経緯を話し、再度謝る。
由良は「もう分かったから」と、中林を許しながらも、LAMPの店長としてハッキリと告げた。
「でも、次からは本当に気をつけて頂戴ね。あのまま中林さんが私のことを忘れて帰ってたら、たぶん凍死してたから」
「ひぃっ! ホンットすみませんでした!」
中林は悲鳴を上げ、震える。由良を殺しかけたことによる恐怖か、由良本人への恐怖かは定かではない。これに懲りて、客との長話を控えてくれればいいが、そう簡単に直せないのが中林の性分であった。
由良もそれは分かっていたが、「これ以上責めたら、仕事に支障が出るな」と判断し、中林を連れ立って店内に戻ることにした。
「ちなみに、その宅配物の中身って何だったの?」
「洋酒です。ドリンク用と製菓用のがいっぺんに来て、運ぶのが大変でした。全部ガラスのビンに入ってたので、一本も割らないよう慎重に運んだんですよ」
「……良かった。ドアを蹴り飛ばさなくて」
由良は割れたガラスの破片と膨大な量の洋酒が散乱する惨状を想像し、そうならなかったことに安堵した。
数日後、由良は第二回目のヒュッゲで、北見と野際の姿を再び目撃した。
「"南極で遭難し、後遺症に苦しむ調査隊員達"……ですって。店員さん、知ってます?」
「え?」
正確には、ヒュッゲ中にテスト勉強をしていた女子高生が机に広げていた教科書に、二人の写真が掲載されていた。前回のヒュッゲにも参加した女子高生で、今回は別の友人とその姉と共に来ていた。
写真の中の北見と野際は、一面銀世界の南極で、大勢の隊員達と共に満面の笑みを見せていた。店の地下で会った時と同じ、特徴のある防寒服を着ていた。
ちょうど、女子高生のテーブルにゆずティーを運びに来た由良は、写真を見て驚いた。危うくお盆を落としそうになったものの、なんとか耐えた。
「いえ……存じ上げないです。私が使っていた頃の教科書には、彼らのことは載っていませんでしたから」
「それじゃあ、私の勉強も兼ねて、教えてあげますね」
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「今から六十年ほど前、調査のため南極へ派遣された北見さんと野際さんはブリザードの影響で本隊とはぐれてしまい、遭難してしまいました。遭難して一週間後に運良く救出されたものの、寒さと飢えに苦しめられた当時の記憶は、二人にとって重いトラウマとなり、今なお後遺症に苦しめられているそうです。特に、空腹によるトラウマがひどく、常に満腹でないとパニックを起こしてしまうそうですよ」
「……そんな辛い過去があったんですね」
由良はザッハトルテを美味そうに食べていた二人の顔を思い出し、胸が苦しくなった。あの二人は本物の北見と野際のため、幻の南極で食糧を探していた「探し人」だったのだ。
せっかく食べてもらうなら、あんな冷えたザッハトルテではなく、出来立てのパンケーキを食べもらえば良かった、と由良は後悔した。
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