2 / 314
夏編①『夏の太陽、檸檬色』
第一話「ホンを探す男性」⑵
しおりを挟む
一ヶ月後、あの男性によく似た中年の男性がLAMPを訪れた。額の汗をハンカチで拭い、顔を扇ぐ。
その手には「言の葉の森」と書かれた、若葉色の膨らんだ紙袋があった。
「こんにちは」
男性は由良を置いて消えたことなど全く覚えていないようで、にこやかに声をかけてきた。
由良も全く気にしていない様子で微笑み、会釈する。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
男性はカウンター席へと腰を下ろし、紙袋をカウンターの上に置いた。
物珍しそうに、店内を見回している。
「素敵なお店ですね。いつから営業されているんですか?」
「昨年オープンしました。もうじき、一年になります」
男性はアイスコーヒーと、バニラアイスが添えられたワッフルを頼んだ。
由良は作り置きしておいた品をダークブラウンの木のトレーへ載せ、男性の前に差し出した。ワッフルは冷蔵庫に入れておいたので、よく冷えている。
「お待たせしました」
「やぁ、これは美味しそうだ。この暑い中、歩いて来た甲斐があった」
男性は注文の品を見て、嬉しそうに顔をほころばせた。
アイスコーヒーをひと口飲み、銀色のフォークとナイフを手にする。由良から教わった手順通り、ワッフルを小さく切り分け、バニラアイスを少し載せて食べた。
すると、よりいっそう顔がほころび、満足そうに何度も頷いた。
「これは旨い。私がここに住んでいた頃にも、こんな美味しいものが食べられたら良かったんだが」
「以前、この街に住んでいらっしゃったんですか?」
男性はワッフルを切り分けながら「えぇ」と頷いた。
「かれこれ二十年以上前でしょうか? 当時は大学生で、この街のアパートに住んでいたんです。自他共に認める本の虫で、アパートの近くにある商店街の古本屋へ毎日のように足を運んでおりました」
「……では、」
由良は男性がカウンターの上に置いた紙袋に目をやり、尋ねた。
「そちらの本も、その古本屋さんで購入したものなのですか?」
「えっ。よく分かりましたね」
男性は驚き、目を丸くした。
「実は、この本は私が大学生だった頃……お店の方に取り置きしていただいていたものなのです」
そう言うと、男性は件の本との出会いから購入に至るまでを語り始めた。
それは男性の半生とも重なる、数奇で温かな過去の思い出だった。
「大学生だった当時、私は実家からの仕送りで生活していました。必要最低限の額のみ受け取っていたので、高価な古書を購入するほどの余裕はありませんでした。交通費を切り詰め、食費を切り詰め、ギリギリの生活をしてやっと一冊買えました。手持ちがない日は、一日中店に居座り、本棚を眺めて満足する日もありました」
男性は当時を懐かしみ、紙袋越しに本を撫でた。我が子を愛おしむような、優しい手つきだった。
「この本は持ち合わせがない日に見つけたものでした。店長さんと交渉し、定価の半額を支払って取り置きしてもらいました。日本では出回っていない古い洋書だったので、どうしても手に入れたかったのです。私は一刻も早く本を手に入れたくて、大学の授業そっちのけで必死に働きました。ですが、一週間も経たないうちに、親に学校へ行っていないことがバレてしまい、強制的に実家へと連れ戻されてしまいました」
自業自得ですよね、と男性は自嘲気味に苦笑した。
男性は笑っていたが、その代償は大きかった。
「私は大学をサボっていたことを理由に、実家の旅館を継がさせられました。逃げられないよう監視の目が光る中、一日中仕事に明け暮れていました。取り置きしてもらっていた本のことを思い出した頃には、お店は潰れていました」
「その失われたはずの本が、どうして今お手元にあるんですか?」
由良は薄々答えに勘づいていながら、確認のために尋ねた。
すると男性は腕を組み、「それが……」と不思議そうに首を傾げた。
「昨日、ふと頭に浮かんだんです。知の蔵は数年前に移転して、今は言の葉の森という名前の店になっている、と。私は半信半疑で言の葉の森を訪れ、取り置きしていた本の在り処を尋ねました。すると、店員さんは『お待ちしておりました』と言って、あの本を出してくれたのです。なんでも先代の店長から言伝られ、保管していたそうです。本の表紙を目にした瞬間、私は年甲斐もなく泣いてしまいましたよ」
男性は照れ臭そうに笑うと、切り分けたワッフルを口へ運んだ。
「……それは、良かったですね」
話を聞いたことで、由良は男性の身に何が起こったのか察した。
しかしそれ以上は何も語らず、穏やかに微笑むばかりに留めた。
その手には「言の葉の森」と書かれた、若葉色の膨らんだ紙袋があった。
「こんにちは」
男性は由良を置いて消えたことなど全く覚えていないようで、にこやかに声をかけてきた。
由良も全く気にしていない様子で微笑み、会釈する。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
男性はカウンター席へと腰を下ろし、紙袋をカウンターの上に置いた。
物珍しそうに、店内を見回している。
「素敵なお店ですね。いつから営業されているんですか?」
「昨年オープンしました。もうじき、一年になります」
男性はアイスコーヒーと、バニラアイスが添えられたワッフルを頼んだ。
由良は作り置きしておいた品をダークブラウンの木のトレーへ載せ、男性の前に差し出した。ワッフルは冷蔵庫に入れておいたので、よく冷えている。
「お待たせしました」
「やぁ、これは美味しそうだ。この暑い中、歩いて来た甲斐があった」
男性は注文の品を見て、嬉しそうに顔をほころばせた。
アイスコーヒーをひと口飲み、銀色のフォークとナイフを手にする。由良から教わった手順通り、ワッフルを小さく切り分け、バニラアイスを少し載せて食べた。
すると、よりいっそう顔がほころび、満足そうに何度も頷いた。
「これは旨い。私がここに住んでいた頃にも、こんな美味しいものが食べられたら良かったんだが」
「以前、この街に住んでいらっしゃったんですか?」
男性はワッフルを切り分けながら「えぇ」と頷いた。
「かれこれ二十年以上前でしょうか? 当時は大学生で、この街のアパートに住んでいたんです。自他共に認める本の虫で、アパートの近くにある商店街の古本屋へ毎日のように足を運んでおりました」
「……では、」
由良は男性がカウンターの上に置いた紙袋に目をやり、尋ねた。
「そちらの本も、その古本屋さんで購入したものなのですか?」
「えっ。よく分かりましたね」
男性は驚き、目を丸くした。
「実は、この本は私が大学生だった頃……お店の方に取り置きしていただいていたものなのです」
そう言うと、男性は件の本との出会いから購入に至るまでを語り始めた。
それは男性の半生とも重なる、数奇で温かな過去の思い出だった。
「大学生だった当時、私は実家からの仕送りで生活していました。必要最低限の額のみ受け取っていたので、高価な古書を購入するほどの余裕はありませんでした。交通費を切り詰め、食費を切り詰め、ギリギリの生活をしてやっと一冊買えました。手持ちがない日は、一日中店に居座り、本棚を眺めて満足する日もありました」
男性は当時を懐かしみ、紙袋越しに本を撫でた。我が子を愛おしむような、優しい手つきだった。
「この本は持ち合わせがない日に見つけたものでした。店長さんと交渉し、定価の半額を支払って取り置きしてもらいました。日本では出回っていない古い洋書だったので、どうしても手に入れたかったのです。私は一刻も早く本を手に入れたくて、大学の授業そっちのけで必死に働きました。ですが、一週間も経たないうちに、親に学校へ行っていないことがバレてしまい、強制的に実家へと連れ戻されてしまいました」
自業自得ですよね、と男性は自嘲気味に苦笑した。
男性は笑っていたが、その代償は大きかった。
「私は大学をサボっていたことを理由に、実家の旅館を継がさせられました。逃げられないよう監視の目が光る中、一日中仕事に明け暮れていました。取り置きしてもらっていた本のことを思い出した頃には、お店は潰れていました」
「その失われたはずの本が、どうして今お手元にあるんですか?」
由良は薄々答えに勘づいていながら、確認のために尋ねた。
すると男性は腕を組み、「それが……」と不思議そうに首を傾げた。
「昨日、ふと頭に浮かんだんです。知の蔵は数年前に移転して、今は言の葉の森という名前の店になっている、と。私は半信半疑で言の葉の森を訪れ、取り置きしていた本の在り処を尋ねました。すると、店員さんは『お待ちしておりました』と言って、あの本を出してくれたのです。なんでも先代の店長から言伝られ、保管していたそうです。本の表紙を目にした瞬間、私は年甲斐もなく泣いてしまいましたよ」
男性は照れ臭そうに笑うと、切り分けたワッフルを口へ運んだ。
「……それは、良かったですね」
話を聞いたことで、由良は男性の身に何が起こったのか察した。
しかしそれ以上は何も語らず、穏やかに微笑むばかりに留めた。
1
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
とべない天狗とひなの旅
ちはやれいめい
歴史・時代
人間嫌いで悪行の限りを尽してきた天狗、フェノエレーゼ。
主君サルタヒコの怒りを買い、翼を封じられ人里に落とされてしまう。
「心から人間に寄り添い助けろ。これ以上悪さをすると天狗に戻れなくなるぞ」
とべなくなったフェノエレーゼの事情を知って、人里の童女ヒナが、旅についてきた。
人間嫌いの偏屈天狗と、天真爛漫な幼女。
翼を取り戻すため善行を積む旅、はじまりはじまり。
絵・文 ちはやれいめい
https://mypage.syosetu.com/487329/
フェノエレーゼデザイン トトさん
https://mypage.syosetu.com/432625/
わたし異世界でもふもふ達と楽しく過ごします! もふもふアパートカフェには癒し系もふもふと変わり者達が生活していました
なかじまあゆこ
ファンタジー
空気の読めない女子高生満里奈が癒し系のもふもふなや変わり者達が生活している異世界にトリップしてしまいました。
果たして満里奈はもふもふ達と楽しく過ごせるのだろうか? 時に悩んだりしながら生活していく満里奈。
癒しと笑いと元気なもふもふスローライフを目指します。
この異世界でずっと過ごすのかそれとも?
どうぞよろしくお願いします(^-^)/
マキノのカフェで、ヒトヤスミ ~Café Le Repos~
Repos
ライト文芸
田舎の古民家を改装し、カフェを開いたマキノの奮闘記。
やさしい旦那様と綴る幸せな結婚生活。
試行錯誤しながら少しずつ充実していくお店。
カフェスタッフ達の喜怒哀楽の出来事。
自分自身も迷ったり戸惑ったりいろんなことがあるけれど、
ごはんをおいしく食べることが幸せの原点だとマキノは信じています。
お店の名前は 『Cafe Le Repos』
“Repos”るぽ とは フランス語で『ひとやすみ』という意味。
ここに訪れた人が、ホッと一息ついて、小さな元気の芽が出るように。
それがマキノの願いなのです。
- - - - - - - - - - - -
このお話は、『Café Le Repos ~マキノのカフェ開業奮闘記~』の続きのお話です。
<なろうに投稿したものを、こちらでリライトしています。>
出雲の駄菓子屋日誌
にぎた
ホラー
舞台は観光地としてと有名な熱海。
主人公の菅野真太郎がいる「出雲の駄菓子屋」は、お菓子の他にも、古く珍しい骨董品も取り扱っていた。
中には、いわくつきの物まで。
年に一度、夏に行われる供養式。「今年の供養式は穏便にいかない気がする」という言葉の通り、数奇な運命の糸を辿った乱入者たちによって、会場は大混乱へ陥り、そして謎の白い光に飲み込まれてしまう。
目を開けると、そこは熱海の街にそっくりな異界――まさに「死の世界」であった。
辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します
潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる!
トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。
領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。
アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。
だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう
完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。
果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!?
これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。
喫茶うたたねの魔法
如月つばさ
ライト文芸
幼い頃から幽霊が見えるせいで周りとうまく馴染めない鷹取敦士が、唯一心休まる場所。
それは福井県・綾瀬の森公園の片隅にひっそりと佇む『喫茶うたたね』だった。
マスターのシンさんと、店を訪れる客。季節ごとに美しい色を魅せる綾瀬の森公園で出会う人々。
悲しみや寂しさを抱えつつも、自分の居場所、心の在処を探していく物語。
※福井県のとある場所をモデルとしたフィクションです。
登場人物・建物・名称・その他詳細等は事実と異なります。
JUN-AI ~身がわりラヴァーズ~
よつば猫
ライト文芸
婚約者を亡くしてから、3年。
憧子は淋しさを紛らわせる相手を漁るため、行きつけのクラブに赴き。
そこで響という男から、永遠の片思いをする同士として身代わりの恋人関係を持ちかけられる。
立ち直って欲しいという周りからのプレッシャーから逃げたかった憧子は、響の家にかくまってもらう事を条件に、その関係を承諾し。
次第に愛情が芽生え始めた2人だったが……
表紙は、とわつぎ様のフリーイラストをお借りしています。
雪蛍
紫水晶羅
恋愛
高梨綾音は、伯父と伯母が経営している『喫茶わたゆき』でバリスタとして働いている。
高校二年の冬に亡くした彼氏を未だに忘れられない綾音は、三十歳になった今でも独身を貫いている。
そんなある日。農道でパンクして途方に暮れている綾音を、偶然通りかかった一人の青年が助ける。
自動車整備工場で働いているというその年若い青年、南條蛍太に、綾音は次第に惹かれていく。
しかし南條も、心の奥底に仕舞い込んだ消せない闇を抱え続けて生きている。
傷を負った二人が織りなす、もどかしくて切ない恋の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる