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第七章 忍び寄る悪夢
228.呪詛
しおりを挟む第053日―5
クルトの声に応じて、複数の治療師達が駆け寄ってきた。
そしてすぐさま詠唱を開始した。
しかし……
「ダメだ。何かの呪詛を受けている!」
「どうする?」
「帝城にも連絡を!」
治療師達が懸命に詠唱を続けるものの、ナイアの傷が癒える気配は、一向に見られない。
不安になった僕は、クルトに声を掛けた。
「ナイアさん、大丈夫でしょうか?」
「分かりません。いざとなったら……」
クルトは声を潜めて、僕にだけ聞こえるように囁きかけた。
「あなたのお力を、お借りするしかないかもしれません」
「えっ?」
クルトの言葉の意図を図りかねて、彼の顔を見た。
しかし彼はすぐにナイアの方に向き直ると、再び治癒の詠唱を開始していた。
30分後、僕、メイそしてナイアの三人は、治療院の特別室にいた。
もっとも、ナイアは出血こそ止まったものの、意識はまだ戻っていない。
彼女は目を閉じたまま身じろぎもせず、ベッドに横たわっている。
彼女の状態を確認したクルトが、僕達に告げてきた。
「それでは、私は失礼します。“あと1時間は誰もここに来ない”ので、宜しくお願いします」
クルトが部屋を退出した後、僕はメイに聞いてみた。
「ナイアさんが目を覚まさないのは、さっき、治療師の方々が口にしていた呪詛のせいかな?」
カケルからの問い掛けに顔を強張らせたまま小さく頷いたメイは、改めてナイアの状況を確認した。
ナイアからは禍々しい“気配”が立ち上っていた。
これは、かつて自分がキースに投げかけたのと同じ、呪詛の類に間違いない。
ヒエロンに対し、冷静さを失っていたナイアは、自ら呪詛の罠に飛び込んでしまったのであろう。
そんな事を漠然と考えていると、カケルが再び口を開いた。
「呪詛なら……ノルン様なら、キースさんの時みたいに何とか出来るんじゃないかな?」
メイは思わずカケルの顔を見た。
ノルンならば、呪詛の術式が分かれば、或いは解呪可能かもしれない。
しかしキースの時は、メイ自身が組んだ術式をノルンに事前に伝えていた。
ノルンはその術式を、ただ解きほぐしただけであった。
今回、呪詛の術式を知るのは、恐らく組んだ本人、つまり父かヒエロンのはず。
彼等がその術式を明かす事は、考えられないであろう。
メイはおずおずと言葉を返した。
「ノルンでも……無理じゃないかしら? キースの時は、たまたまって言っていたし」
「そっか……」
メイの言葉は、僕を落胆させた。
しかし同時に、ふと気になる事を思い出した。
クルトは、こう話していなかったか?
―――いざとなったら、あなたのお力をお借りするしかないかもしれません
さらにこうも話していた。
―――あと1時間は、誰もここに来ない……
もしかして、クルトは僕が霊力を使用出来る事、そして霊力はその気になれば時を巻き戻し、死者すら復活させる事が可能な位、“融通が利く”事を知っている?
しかし僕のこの能力については、知っているのはごく少数のはずで、言い換えると、皇帝ガイウスに近侍(※そば近くで直接仕えている事)している訳でもなさそうな、一介の治療師のはずのクルトが知っているはずはないわけで……
クルトの言動には違和感が残るけれど、とにかく今、他に選択肢が無さそうななら“試してみる”価値はあるはず。
僕はナイアの手をそっと握った。
それを見たメイが、訝しげな表情になった。
「カケル?」
「大丈夫、僕が彼女を起こすよ」
メイにそう言葉を掛けた僕は、目を閉じた。
そして心の中で、呪詛を受ける直前のナイアの姿を思い浮かべた。
目を開けた時、僕の眼前には光球が顕現していた。
僕は光球にそっと手を伸ばした。
僕の手が触れた瞬間、光球は溶けるように消え去った。
同時に、ナイアの状態が、呪詛を受ける直前へと“巻き戻った”。
「うそ……」
メイが大きく目を見開く中、ナイアが少し呻いた後、目を開いた。
「こ、ここは?」
顔を顰めながら身を起こそうとしたナイアがふらついた。
僕は慌てて彼女の背に手を添えた。
「ここは帝都の治療院ですよ」
そして彼女に、状況を簡単に説明した。
「あの時、ナイアさんが呪詛を受けたので、ここへ転移して戻って来たんですよ」
僕の話を聞きながら、ナイアは確かめるように自分の手や足を動かした。
「呪詛って言ったね? 今、あたし的には、呪詛の影響を感じられないけれど……」
彼女が僕に探るような視線を向けてきた。
「あんたが解呪してくれたって理解で良いのかな?」
「正確には、解呪じゃ無いんですが……まあ、そんな感じです」
「そうかい。ありがとよ。あんたには借りが出来ちまったね」
「それは、良いんですけど。ちょっとお願いが……」
「何だい?」
「呪詛を治したのが僕だって話、ここだけにしといて貰えないですか?」
突然治療院のど真ん中に転移したのを、大勢に見られてしまっている。
これ以上目立つのは、絶対に得策ではない。
「分かったよ。まあ偶然、目が覚めた事にしとこうか。詳しく聞かれたら、勇者パワーでなんとかなったんじゃないの、って感じで説明しておくよ」
ナイアは若干おどけた感じで、僕の申し出を快く承諾してくれた。
「それにしても、霊力ってのは、便利だね。カケルは、前からこういう事、出来たのかい?」
「前は出来なかったんですよ。ただ、最近になって扱いに慣れてきたというか」
「なるほどね。それはあいつらの言っていた、あんたが、“あの世界で体験した何か”と関わっていそうだね」
「それは……」
口ごもる僕に、ナイアが笑顔を向けてきた。
「まあ、いいさ。別に無理矢理聞き出そうなんて思っちゃいないよ。誰にだって、話したくない話の一つや二つあるからね」
そう口にした彼女の表情は、しかしなぜか、とても寂しげだった。
僕は話題の転換も兼ねて、気になっていた事をたずねてみた。
「ところでナイアさんは、どうしてあんなに早く、魔王城にやって来る事が出来たのですか?」
ナイアがニヤリと笑った。
「誰かさん達が連れてってくれないから、他の人に頼んだのさ」
「他の人?」
「あんた達が出かけてすぐ、あたしはアルザスの街に転移した。そこでミーシアに会って、イクタスの爺さん連れてきてもらって、頼み込んだのさ」
「……そうだったんですね」
「ミーシアもイクタスの爺さんも、最初は嫌がっていたんだけどね。カケルとメイが心配で~って言ったら、“快く”協力してくれたよ」
僕は思わず苦笑した。
どうやらナイアは、どうやったかは分からないけれど、イクタスさん達を脅したりすかしたりして、魔王城に転移させて貰ったらしい。
「入り口から玉座の間まで、誰か敵には遭遇しなかったのですか?」
「そりゃ、うじゃうじゃいたさ。だけどこっちは、4日間も、魔王城と同じ構造した場所に閉じ込められていたからね。中の構造、目つぶっても歩ける位には、把握しちまったよ。だから適当にあしらいながら、玉座の間目掛けて、最短ルート駆け抜けるのは造作も無かったさ」
どうやらすっかりいつもの調子を取り戻したようだ。
ホッと一安心すると同時に、先程までの魔王城での出来事が、改めて思い起こされた。
「ところで、ヒエロンさん……本当にあの人は、勇者なのでしょうか?」
ナイアの表情が、忌々しげに歪んだ。
「あの時、あいつは間違いなく、聖具の力を解放していた。聖具は勇者のみが保持している。つまり、あたしらが幻惑の檻に閉じ込められている、とでも仮定しない限り、あいつは間違いなく勇者だよ」
彼女の言葉を受けて、僕は少し考え込んでしまった。
自分達が幻惑を見せられた可能性は、否定出来ない。
しかし霊力を操れる自分、魔力に関しては強力な使い手のメイも含めて、全員を欺くのは難しいようにも思える。
そうすると、ヒエロンはやはり勇者?
勇者ならば、魔神の呪いの影響で、魔王を必ず倒すという信念を与えられるのでは?
しかし彼は、“世界をあるべき姿”に戻そうと、魔王と手を組んでいる。
何らかの理由で魔神の呪いの影響を逃れているのか、それとも彼が得た“聖眼”が、彼に何かを視せたが故か?
ヒエロンは魔王エンリルと共に、何をしようとしているのだろうか?
もしや……?
心の中で、焦燥感が急速に膨れ上がってきた。
それを見透かすかのように、ナイアが声を掛けてきた。
「ヒエロンは危険だ。ある意味、魔王エンリルよりも危険な存在だ」
「どうして、そう思うのですか?」
「どうして? あんたも感じているんだろ?」
「何を……ですか?」
聞き返しはしたけれど、ナイアと僕は今、同じ考えに到達しているとの確信があった。
「あの男は、とんでもない事をやろうとしている、と。多分、銀色のドラゴンのいう禁忌に関わる事、或いは……」
ナイアが僕の反応を伺うような素振りを見せた。
「あんたが、“あの世界で成し遂げた何か”をぶち壊そうとしているのかも?」
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