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第七章 忍び寄る悪夢
219.慰労
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第052日―2
「実はな……」
そう前置きしてから話し始めたノルン様によると、皇帝ガイウスは、帝国と僕との強固な結び付きを内外に示すため、クレア様を皇帝陛下の養女――クレア様のお母さんは皇帝ガイウスの従姉妹だし、元々血縁関係にあるっていう事もあるのだろうけれど――にして、僕と結婚させようとしているのだという。
いきなり降って湧いたようなその話に、少しばかり当惑している僕の隣で、一緒に話を聞いていたメイが動揺したような声を上げた。
「カケルが、結婚しちゃう……」
「メ、メイ?」
見ると、彼女の両の瞳は滲み、大粒の涙がこぼれ落ちようとしていた。
そんなメイに、ノルン様が優しい口調で語り掛けた。
「安心せよ。カケルは結婚しない」
「だって今、クレアと結婚するって……」
「そういう話があるだけだ」
そう話すとノルン様は、僕の方に向き直った。
「カケル。そなたはクレアと結婚するつもりは、まだ無いのだろう?」
僕は即座に頷いた。
「結婚するも何も、クレア様とは元々、そういう関係では……」
僕の言葉を聞いたメイの顔が、一気に明るくなった。
「カケル、ホント?」
「ホントホント。だって、クレア様ってコイトスの王女様だよ? 僕なんかと結婚って話自体が、おかしいというか何というか」
メイが少し落ち着くのを待って、改めてノルン様が切り出した。
「ともかく、父上は計画を進めたがっている。延期ないし中止させるには、カケルに、既にクレア以外の想い人がいる事にするのが一番確実だ」
「想い人、ですか?」
脳裏に浮かぶのは、当然『彼女』の顔だ。
しかし彼女について説明する事は、すなわち、元女神、つまり『彼方の地』に封じられているはずの魔神について説明する事を意味してしまう。
当然ながらこんな形で、『彼女』の名前を出すわけにはいかない。
ちなみにメイは、『彼女』の存在を知っている。
僕との関係性については、単にあの世界での心許せる協力者――つまり、シャナと同じような立ち位置の存在――の一人、とだけ説明してある。
メイに“ちゃんと”説明しなかった理由?
それはまあ……自分の恋愛事情を親しい女の子にぺらぺら喋るのは、こっ恥ずかしいというか……
だってそれって、単に惚気ているだけに聞こえるよね?
それって、聞かされている側は“ハイハイ、ご馳走様”なわけで……
そんな事を考えていると、ノルン様が訝しそうな表情になった。
「カケル。もしかしてそなた、誰か想い人が……」
「え?」
ノルン様、そして何故かメイが物凄く食い入るような視線を向けてきている。
僕は“当然ながら”、首をぶんぶん横に振った。
ノルン様がホッとしたような感じで言葉を続けた。
「つまり特定の想い人はいない、という事だな?」
ここは思いっ切り首を縦に振った。
「そこで相談なのだが……」
ノルン様は一呼吸置く素振りを見せて、意外な提案を持ち掛けてきた。
「ここは一つ、ハーミルと恋人同士というのはどうだ?」
「「ええっ!?」」
……思わずメイとハモってしまった。
そしてノルン様の言葉を聞いたメイが、再び涙目になった。
「酷い……ノルンの事、せっかく本当の姉さんだって、思えてきていたのに……」
今度は、ノルン様が慌てたような感じになった。
「待て、メイ。方便だ。カケルとハーミルとで恋人同士のフリをする、という事だ。ハーミルなれば、父上もよく知っておるし、話も通しやすかろう、と。ただそれだけの話だ」
なるほど。
確かにそういう役回りを頼んで、皇帝ガイウスから違和感を抱かれない女性としては、ハーミルは最適かもしれない。
しかしメイは項垂れてしまった。
「……どうせ、私は日陰者。ノルンもやっぱり、幼馴染の味方だったのね……」
「違うぞ! メイ、そなたは日陰者などではないし、私はいつでもそなたの味方だ」
そこで言葉を切ったノルン様は、やおら僕に向き直った。
「カケル! この際、メイと恋人同士と言う事でどうであろう?」
「えっ?」
それだと、話の趣旨が大分違ってしまうのでは?
なにより、メイを“僕の彼女です~”なんて、皇帝ガイウスの前に連れて行くわけにはいかないし。
なんて事を考えている目の前で、メイがノルン様の胸元に飛び込んだ。
「お姉ちゃん!」
「メイ!」
二人は感極まったかの如く、がっしり抱き合い、姉妹の絆を確かめ合っている。
……
うん。
これ、しばらくかかる奴だな。
というわけで、約10分後、ようやく落ち着きを取り戻したらしいノルン様が、“計画”について改めて説明してくれた。
「……で、話を戻すとだな。私は今日、カケルを帝城に招き、慰労の宴を開く。宴と言っても軽い昼食会のようなものだ。その席で、私がカケルの想い人について触れるので、その場で適当に話を合わせてくれればよい」
ノルン様の話に、僕とメイは頷いた。
さらに少し打ち合わせをした後、ノルン様は帝城へと戻って行った。
昼前、僕は迎えの馬車に乗って、帝城を訪れた。
久し振りの帝城訪問。
帝城最奥の祭壇調査のため転移門を開いた時と異なり、やはり正門からこうして訪問すると、違った緊張感がある。
馬車から降りると、ノルン様が直々出迎えてくれた。
作法通りの挨拶を交わした後、僕はそのまま、宴の席へと案内された。
宴の参加者は10名程。
ノルン様、そして彼女の侍従長だという人物、他に留守居を預かる高官達や、ノルン様のお兄さんで皇太子でもあるテミス様も同席していた。
皆和やかに歓談しながら食事が進む中、ノルン様が“打合せ通り”僕に声を掛けてきた。
「それにしても、カケルの働きは比類ない。ボレア獣王国を戦わずして下し、敵の夜襲撃退にも多大な貢献を果たしてくれた。女子というものは、そのような英雄に惹かれるものだ。さぞかし言い寄られる機会も多いのでは無いかな?」
冗談めかしたその問い掛けに、僕はあらかじめ用意しておいた言葉を返した。
「私のような若輩者よりも魅力的な方々は、他にたくさんいらっしゃいます。それに、私には既に……」
「ほう、我等が英雄殿には、もう特定の想い人がいると見える」
「はい。彼女は今回の従軍の前から、私の支えとなり続けてくれました。彼女に命を救われた事も、一度や二度ではありません」
これは、僕の素直な気持ちでもあった。
マルドゥクの襲撃、魔王エンリルの虜となり、霊力砲の核にされた時……
ハーミルはいつだって自らの危険を省みる事なく、僕を助けるために行動してくれた。
恋愛感情の有無を抜きにしても、彼女は僕にとって、かけがえのない存在である事は確かだ。
一方、ノルンは周囲の人々の反応を秘かに確かめながら、カケルに言葉を返した。
「そうか。カケルにそこまで想われるとは、その者は果報者だな」
これで間接的に、カケルにはクレアでは無い想い人――何度もカケルの命を救った人物――がいる、と印象付けられたはず。
あとから父が出席者達に話を聞いたとしても、彼等は今日の事を証言してくれるであろう。
2時間後、僕は帝城を辞して、ハーミルの家に戻って来た。
玄関を開けると、僕の帰還を予め魔力で感知していたらしいメイが出迎えてくれた。
「おかえり、カケル」
「ただいま、アル」
僕はキースさんに、今日の宴の様子を簡単に報告した後、メイと二人、連れ立って彼女の部屋へと向かうことにした。
メイの部屋の中、並んでベッドの端に腰かけてから、僕はノルン様とのやりとりについて、メイに語って聞かせた。
「あとは、ノルン様が色々して下さると思うし、僕の結婚話もこれで終わりだと思うよ」
話を聞き終えたメイは、しかし少し複雑な表情になった。
「でも、これでしばらくは、ハーミルがカケルの彼女って事になるんでしょ?」
「ノルン様も仰っていたけれど、形だけだよ。まあ、あとでハーミルにお礼を言っとかないと」
「お礼? どうして?」
「多分、僕がまだ誰とも結婚する気が無いのを察したノルン様が、ハーミルに頼んでくれたんだと思うんだよね。恋人同士のフリするように。ハーミル、迷惑がってないと良いんだけど……」
メイは大きく目を見開いた後、噴き出した。
「えっ? えっ?」
ここって、笑う所……じゃないよね?
戸惑っていると、ようやく落ち着いたらしいメイが言葉を返してきた。
「ごめんね。ちょっと思い出し笑いしちゃっただけだから」
―――これならハーミルとの恋人“ごっこ”が、“本物”になってしまう可能性は無さそう……
「ねえ、それより、この後は予定無いんでしょ? どこかにまた、一緒に遊びに行きたいな」
「実はな……」
そう前置きしてから話し始めたノルン様によると、皇帝ガイウスは、帝国と僕との強固な結び付きを内外に示すため、クレア様を皇帝陛下の養女――クレア様のお母さんは皇帝ガイウスの従姉妹だし、元々血縁関係にあるっていう事もあるのだろうけれど――にして、僕と結婚させようとしているのだという。
いきなり降って湧いたようなその話に、少しばかり当惑している僕の隣で、一緒に話を聞いていたメイが動揺したような声を上げた。
「カケルが、結婚しちゃう……」
「メ、メイ?」
見ると、彼女の両の瞳は滲み、大粒の涙がこぼれ落ちようとしていた。
そんなメイに、ノルン様が優しい口調で語り掛けた。
「安心せよ。カケルは結婚しない」
「だって今、クレアと結婚するって……」
「そういう話があるだけだ」
そう話すとノルン様は、僕の方に向き直った。
「カケル。そなたはクレアと結婚するつもりは、まだ無いのだろう?」
僕は即座に頷いた。
「結婚するも何も、クレア様とは元々、そういう関係では……」
僕の言葉を聞いたメイの顔が、一気に明るくなった。
「カケル、ホント?」
「ホントホント。だって、クレア様ってコイトスの王女様だよ? 僕なんかと結婚って話自体が、おかしいというか何というか」
メイが少し落ち着くのを待って、改めてノルン様が切り出した。
「ともかく、父上は計画を進めたがっている。延期ないし中止させるには、カケルに、既にクレア以外の想い人がいる事にするのが一番確実だ」
「想い人、ですか?」
脳裏に浮かぶのは、当然『彼女』の顔だ。
しかし彼女について説明する事は、すなわち、元女神、つまり『彼方の地』に封じられているはずの魔神について説明する事を意味してしまう。
当然ながらこんな形で、『彼女』の名前を出すわけにはいかない。
ちなみにメイは、『彼女』の存在を知っている。
僕との関係性については、単にあの世界での心許せる協力者――つまり、シャナと同じような立ち位置の存在――の一人、とだけ説明してある。
メイに“ちゃんと”説明しなかった理由?
それはまあ……自分の恋愛事情を親しい女の子にぺらぺら喋るのは、こっ恥ずかしいというか……
だってそれって、単に惚気ているだけに聞こえるよね?
それって、聞かされている側は“ハイハイ、ご馳走様”なわけで……
そんな事を考えていると、ノルン様が訝しそうな表情になった。
「カケル。もしかしてそなた、誰か想い人が……」
「え?」
ノルン様、そして何故かメイが物凄く食い入るような視線を向けてきている。
僕は“当然ながら”、首をぶんぶん横に振った。
ノルン様がホッとしたような感じで言葉を続けた。
「つまり特定の想い人はいない、という事だな?」
ここは思いっ切り首を縦に振った。
「そこで相談なのだが……」
ノルン様は一呼吸置く素振りを見せて、意外な提案を持ち掛けてきた。
「ここは一つ、ハーミルと恋人同士というのはどうだ?」
「「ええっ!?」」
……思わずメイとハモってしまった。
そしてノルン様の言葉を聞いたメイが、再び涙目になった。
「酷い……ノルンの事、せっかく本当の姉さんだって、思えてきていたのに……」
今度は、ノルン様が慌てたような感じになった。
「待て、メイ。方便だ。カケルとハーミルとで恋人同士のフリをする、という事だ。ハーミルなれば、父上もよく知っておるし、話も通しやすかろう、と。ただそれだけの話だ」
なるほど。
確かにそういう役回りを頼んで、皇帝ガイウスから違和感を抱かれない女性としては、ハーミルは最適かもしれない。
しかしメイは項垂れてしまった。
「……どうせ、私は日陰者。ノルンもやっぱり、幼馴染の味方だったのね……」
「違うぞ! メイ、そなたは日陰者などではないし、私はいつでもそなたの味方だ」
そこで言葉を切ったノルン様は、やおら僕に向き直った。
「カケル! この際、メイと恋人同士と言う事でどうであろう?」
「えっ?」
それだと、話の趣旨が大分違ってしまうのでは?
なにより、メイを“僕の彼女です~”なんて、皇帝ガイウスの前に連れて行くわけにはいかないし。
なんて事を考えている目の前で、メイがノルン様の胸元に飛び込んだ。
「お姉ちゃん!」
「メイ!」
二人は感極まったかの如く、がっしり抱き合い、姉妹の絆を確かめ合っている。
……
うん。
これ、しばらくかかる奴だな。
というわけで、約10分後、ようやく落ち着きを取り戻したらしいノルン様が、“計画”について改めて説明してくれた。
「……で、話を戻すとだな。私は今日、カケルを帝城に招き、慰労の宴を開く。宴と言っても軽い昼食会のようなものだ。その席で、私がカケルの想い人について触れるので、その場で適当に話を合わせてくれればよい」
ノルン様の話に、僕とメイは頷いた。
さらに少し打ち合わせをした後、ノルン様は帝城へと戻って行った。
昼前、僕は迎えの馬車に乗って、帝城を訪れた。
久し振りの帝城訪問。
帝城最奥の祭壇調査のため転移門を開いた時と異なり、やはり正門からこうして訪問すると、違った緊張感がある。
馬車から降りると、ノルン様が直々出迎えてくれた。
作法通りの挨拶を交わした後、僕はそのまま、宴の席へと案内された。
宴の参加者は10名程。
ノルン様、そして彼女の侍従長だという人物、他に留守居を預かる高官達や、ノルン様のお兄さんで皇太子でもあるテミス様も同席していた。
皆和やかに歓談しながら食事が進む中、ノルン様が“打合せ通り”僕に声を掛けてきた。
「それにしても、カケルの働きは比類ない。ボレア獣王国を戦わずして下し、敵の夜襲撃退にも多大な貢献を果たしてくれた。女子というものは、そのような英雄に惹かれるものだ。さぞかし言い寄られる機会も多いのでは無いかな?」
冗談めかしたその問い掛けに、僕はあらかじめ用意しておいた言葉を返した。
「私のような若輩者よりも魅力的な方々は、他にたくさんいらっしゃいます。それに、私には既に……」
「ほう、我等が英雄殿には、もう特定の想い人がいると見える」
「はい。彼女は今回の従軍の前から、私の支えとなり続けてくれました。彼女に命を救われた事も、一度や二度ではありません」
これは、僕の素直な気持ちでもあった。
マルドゥクの襲撃、魔王エンリルの虜となり、霊力砲の核にされた時……
ハーミルはいつだって自らの危険を省みる事なく、僕を助けるために行動してくれた。
恋愛感情の有無を抜きにしても、彼女は僕にとって、かけがえのない存在である事は確かだ。
一方、ノルンは周囲の人々の反応を秘かに確かめながら、カケルに言葉を返した。
「そうか。カケルにそこまで想われるとは、その者は果報者だな」
これで間接的に、カケルにはクレアでは無い想い人――何度もカケルの命を救った人物――がいる、と印象付けられたはず。
あとから父が出席者達に話を聞いたとしても、彼等は今日の事を証言してくれるであろう。
2時間後、僕は帝城を辞して、ハーミルの家に戻って来た。
玄関を開けると、僕の帰還を予め魔力で感知していたらしいメイが出迎えてくれた。
「おかえり、カケル」
「ただいま、アル」
僕はキースさんに、今日の宴の様子を簡単に報告した後、メイと二人、連れ立って彼女の部屋へと向かうことにした。
メイの部屋の中、並んでベッドの端に腰かけてから、僕はノルン様とのやりとりについて、メイに語って聞かせた。
「あとは、ノルン様が色々して下さると思うし、僕の結婚話もこれで終わりだと思うよ」
話を聞き終えたメイは、しかし少し複雑な表情になった。
「でも、これでしばらくは、ハーミルがカケルの彼女って事になるんでしょ?」
「ノルン様も仰っていたけれど、形だけだよ。まあ、あとでハーミルにお礼を言っとかないと」
「お礼? どうして?」
「多分、僕がまだ誰とも結婚する気が無いのを察したノルン様が、ハーミルに頼んでくれたんだと思うんだよね。恋人同士のフリするように。ハーミル、迷惑がってないと良いんだけど……」
メイは大きく目を見開いた後、噴き出した。
「えっ? えっ?」
ここって、笑う所……じゃないよね?
戸惑っていると、ようやく落ち着いたらしいメイが言葉を返してきた。
「ごめんね。ちょっと思い出し笑いしちゃっただけだから」
―――これならハーミルとの恋人“ごっこ”が、“本物”になってしまう可能性は無さそう……
「ねえ、それより、この後は予定無いんでしょ? どこかにまた、一緒に遊びに行きたいな」
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