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第五章 正義の意味
120. 幻影
しおりを挟む第042日―4
軽い眩暈のようなものを感じた後、僕達は、どこかの祭壇への転移に成功していた。
「ここが四百年前のあの時の祭壇と同じ場所のはずだけど……」
場所だけでは無く、時間まで移動していたらどうしようと、若干不安になる僕に、ハーミルが言葉を返してきた。
「ここ、宗廟の祭壇よ。私が2年前に来た時と同じ。ほら、あそこの祭壇の壁にナレタニア帝国の帝旗が掲げられているわ」
祭壇の様子は、四百年前の記憶の中のそれとは、すっかり様変わりしていた。
しかし僕は、この場所こそが、あの時の“触手”騒ぎの現場であることを何故か確信出来た。
ハーミルは少し懐かしそうに、そしてジュノは物珍しそうに、辺りを見回している。
とにかく、当初の目的――“触手”騒ぎの現場となった祭壇と、宗廟が同じ場所かどうかの確認――は、これで達成出来た。
とは言え、せっかく来たんだし、一応……
「じゃあ、ちょっと祭壇を調べてみるよ」
僕は二人にそう声をかけ、祭壇に歩み寄った。
そして祭壇に手を触れ、霊力を展開した。
しかし何も見えてこない。
僕は心の中に、四百年前のあの“触手”騒ぎの情景を思い描きつつ、さらに展開する霊力を増大させていった。
突然、僕の視界が……白く……
…………
……
気付くと僕は、虚無とも言うべき空間にいた。
上下左右も分からず、ともすれば、自分の存在そのものもあやふやになりそうな不思議な感覚。
突然、何者かの“声”が響いた。
―――ここへ入り込めるとは……お前は、一体何者じゃ?
魂そのものを凍えさせるような、凄まじい力を孕んだ“声”。
僕は“声”の方向を探ろうと懸命に首を動かそうと試みたけれど、何故かうまくいかない。
その内、体中の感覚が次第にあやふやになってきた
まるでこの空間そのものに、自分の存在が溶け込んでいくような……
『飲まれるな! しっかりしろ!』
またも別の“声”が聞こえた。
それは最初の“声”とは異なる、叱咤するような、しかし慈愛に満ちた声。
懐かしく、そして決して忘れる事の出来ない声!
「サツキ……?」
―――ほう……私に触れて、まだ自我を保ち続ける事が出来るのか
『あの声を聞いてはならぬ。霊力を展開してここから脱出するのだ!』
僕の呟きに、二つの“声”がほぼ同時に反応した。
僕は二番目の“声”の言葉通り、霊力を展開しようと試みた。
自身の深淵へと意識を集中し、光球を顕現した。
光球が燦然と輝く太陽の如く、僕自身の魂を煌々と照らしだした。
次第に自身の存在そのものが、はっきりと輪郭を取り戻していく。
―――覚えているぞ。お前のその忌々しい魂の色を。しかし……そうか、お前は“今から”だったな。ここでお前の自我を崩壊させる事が出来るのかどうか、試してみるのも一興か……
僕は若干、意味不明な物言いのその“声”の方向に顔を向けた。
今度は、“声”の主を視界に捉える事に成功した。
しかしなぜか、見えているはずのその姿を認識出来ない。
僕は“声”の主を認識しようと、さらに霊力を高めていった。
展開する霊力量と比例するかの如く、“声”の主の姿が、周囲の空間からにじみ出てくるように、ゆっくりと浮かび上がってきた。
その姿は、細身の女性を思わせた。
さらにその顔をはっきりと確認しようとした時、再び別の“声”が聞こえた。
『今はまだ見てはならぬ。戻れなくなるぞ』
同時に、僕は右腕に焼け付くような痛みを感じた。
見ると、右腕に嵌めている腕輪が、眩いばかりの輝きを放っていた。
視界がその輝きで埋め尽くされた瞬間、周囲の情景がいきなり切り替わった。
そこは先程まで僕がいた宗廟の祭壇であった。
祭壇の壁にはナレタニア帝国の帝旗が掲げられている。
しかし一緒に来たはずのハーミルとジュノの姿は無く、代わりに宝珠を顕現したメイが、夢遊病者のようにふらつきながら立っていた。
「メイ!」
慌てて彼女に駆け寄り、彼女の身体を支えようとして……
その身体をすり抜けた!?
一瞬、何が起こったのか混乱しかけたけれど、僕はすぐに、これが、かつて帝城最奥の祭壇で過去に行われていた儀式を“視た”時の感覚と同じである事に気が付いた。
恐らくこれは、メイが以前に宗廟の祭壇の封印を解きに来た時の情景に違いない。
と、祭壇から突如閃光が放たれて、メイの額の宝珠を貫いた。
メイの意識が落ち、いつぞやのように仰向けに横たわったまま、彼女の身体は中空に浮かび上がった。
そして彼女の額の宝珠から、触手のような怪しい力の揺らめきが立ち上った。
僕はこれが既に過ぎ去った過去の幻影である事を、頭では理解していた。
しかし思わず霊力を展開して、彼女をその呪縛から解き放とうと試みてしまった。
それに呼応するはずの無いメイが、唐突に目を見開いた。
彼女はゆっくりと首を僕のいる方向へと動かした。
彼女が一瞬怪訝そうな顔をした瞬間、再び僕の視界を白い光が覆い尽くしていく……
……
…………
「……ケル! カケル! しっかりして」
誰かが懸命に呼びかける声が聞こえてくる。
どうやら、この場でかつて起こった出来事を幻視して、いつのまにか気を失っていたらしい。
床に倒れた時にぶつけたのであろう、身体のあちこちが痛い。
呻きながら身を起こした僕に、ハーミルが抱き着いてきた。
「カケル!」
「ハーミル、苦しいよ」
「気分はどう? なんともない?」
「大丈夫だよ」
僕は彼女を安心させようと、抱きしめられたまま、動かせる範囲で腕を動かして見せた。
それを目にしてようやく安心してくれたのか、ハーミルが僕を解放した。
僕は改めて周囲に視線を向けてみた。
見た感じ、意識を失う前と、別段変化は無さそうだった。
僕は改めて二人に聞いてみた。
「えっと……気絶していた、んだよね?」
「ああ、ほんの数秒だけどな。突然ぶっ倒れて白目向くから、オレまで慌てたじゃないか」
ジュノが少し不貞腐れたような感じで、簡単に状況を説明してくれた。
それにしても先程の一連の情景は、数秒よりも、もっと長く感じられたのだが。
向こうで“視えた”時間は、こちらの世界の実時間とは、流れる速さにでも違いがあるのだろうか?
今“視えた”情景について思いを巡らそうとした時、ハーミルが問いかけてきた。
「ねえ、何が“視えた”の?」
僕は改めて、今“視えた”情景について、二人に説明した。
不可思議な空間で話しかけてきた謎の“声”。
唐突に“視えた”メイがこの場所で過去に行っていた儀式の情景。
特に、あの“声”は何だったのだろう?
聞こえた“声”のうち、一つは『彼女』に間違いないと感じられたけれど。
話し終えると、ジュノがいくつか質問をぶつけてきた。
ジュノはハーミルほど、僕の事情や霊力に詳しくない。
問われるがままに答えつつ、僕はハーミルに視線を向けてみた。
彼女はじっと物思いにふけりながら、自分の右耳に付けているピアスを触っていた。
時々やっているアレ、本人は気付いていないみたいだけど、癖なんだろうな……
そんな事を考えていると、何故か今回に限って、彼女が手を触れているそのピアスに違和感を覚えた。
その違和感の正体を確かめようとした僕は、彼女のピアスが霊力による仄かな光を放っている事に気が付いた。
なぜハーミルのピアスが、霊力を発しているのか?
不思議に思った僕は、彼女に声を掛けた。
「ハーミル、そのピアス?」
しかし彼女は眉根に皺を寄せたまま、僕の呼びかけに反応しない。
何か別の事に集中しているような?
僕はハーミルの目の前に回り込み、彼女の顔を覗きこむような姿勢で、もう一度声を掛けた。
「ハーミル?」
「ふぇあっ!?」
ハーミルが、素っ頓狂な声を上げて仰け反った。
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