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第四章 すれ違う想い

80. 偽名

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第032日―1


ラキアさんがうずくまっている茂みは、まだ兵士達の捜索の手が及んでいない場所にあった。
しかし例え魔力での感知を逃れても、目視で発見されるのは時間の問題のように思われた。
兵士達の騒いでいる“獣人の密偵”とは、恐らくラキアさんの事だろう。

僕はハーミルとジュノに声を掛けた。

「ごめん、ちょっとここで待っていて」

ジュノは何かを言い掛けたけれど、僕の様子を察してくれたらしいハーミルにうながされ、しぶしぶ待機する事に同意した。

霊力を展開したまま、ラキアさんの方へゆっくりと近付きつつ、僕は彼の状況を再確認してみた。
感知できる範囲内では、ラキアさんは泥にまみれた衣装を身に着けているだけで、武器を所持してはいない。
そのまま二十メートル程まで近付いた時、こちらに顔を向けてきたラキアさんと目が合った。
咄嗟に人差し指を口に当て、付近で捜索に当たる兵士達に不審がられないよう、さらに慎重に近付いて行った僕は、ついにラキアさんのもとまで辿たどり着く事に成功した。

「ラキアさん! こんな所でどうしたんですか?」

彼の顔には、疲労の色が濃く浮き出ていた。

「……カケルか。おぬしこそ、こんな所で何をしている?」
「ちょっと事情がありまして、帝国軍に従軍しているんです」
「そうか、まあカケルに捕まるなら仕方ない。皇帝陛下も来ているのだろう? 私を皇帝陛下の所に連れて行くが良い」

そう話したラキアさんが諦め口調で立ち上がろうとするのを、僕は彼の手を引いて押し留めた。

「ちょっと待ってください。別にラキアさんを捕まえに来たわけじゃないですよ。何か事情があるんですよね?」

その時、捜索の兵士達が、こちらに近付いてくるのに気が付いた。

このままでは確実に見つかってしまう!

そう判断した僕は、ラキアさんの手を取ると、咄嗟に霊力を展開して転移を試みた。
軽い眩暈めまいのような感覚の後、目を開けると小高い丘の上にいた。
そこは夕陽に照らし出される、アルザスの街を遠望できる場所。
僕がこの世界に来た初日、謎のリュックを拾った場所でもあった。
幸い周囲に人影は無かった。
転移の成功にほっとする僕を他所よそに、ラキアさんは呆然と立ち尽くしていた。

「こ、これは一体!?」
「驚かせてすみません、ここはアルザスの街の近くです。兵士達が近付いてきていたので、咄嗟に転移しました」
「転移した!? こう易々と転移魔法を操る人間ヒューマンがいるとは……」

驚愕する“ラキア”さんに、僕は向き直った。

「出来れば、僕の力については内密にして頂ければ有り難いです、“ゲシラム”様」

まさか“本名”を呼ばれるとは思っていなかったのであろう。
ゲシラム様は大きく目を見開いた。

「知っていたのか?」
「今、ゲシラム様の手を取った時、“視えました”」
「見えた?」
「実は手に触れた対象の事が、ある程度分かる力を持っていまして」

霊力について詳細に語る訳にはいかない僕は、苦しい説明を試みた。

「そうか……いかにも、私は獣王国国王のゲシラムだ」

恰幅の良い獣人は、自身の身分を明かした。
僕は改めて彼に問いかけた。

「何故国王であるゲシラム様が、あのような所に?」
「全ては、一人の魔族が不思議な少女を連れて現れた事から始まった……」

十日程前、ナブーと名乗ったその魔族は、黒髪の少女を伴って、突然王宮に現れた。
ナブーは驚くゲシラム達に、魔王が帝国を圧倒する力を手に入れた事、その証明の為、今夜、ヴィンダの街を滅ぼす事、ボレア獣王国が魔王側に立つなら優遇する事等を一方的に告げてきた。
ゲシラムは配下に命じて、ナブーとその少女を捕えようとしたが、全ての攻撃は、その少女の不可思議な力により無効化された。
そして、ナブーとその少女は悠々と逃げ去った。

「直ちにヴィンダへ急報せんとしたのだが、やつらは逃走する際、転移の魔法陣を破壊していった。そこで、ヴィンダへ早馬を出したのだが、間に合わなかった」

ヴィンダへの急報の使者が持ち帰ったのは、ヴィンダが破壊され、廃墟と化したという報告であった。
ゲシラムは国を守るため、ナブーとその少女が再来した場合に戦う準備を始めた。
ところがいつの間にか、ヴィンダ壊滅にボレア獣王国がかかわっているとの噂が広まった。
さらに戦備を整えている事も、帝国に叛旗を翻そうとしている、と受け取られてしまった。
もしかすると、最初からナブー達が計算ずくで広めた噂だったのかもしれないけれど。

「歴史的経緯から、元々、この地域の人間ヒューマン達は、我等獣人族に対して快く思っていない者達が多い。故にそのような噂が簡単に広まったのであろう」

獣人達の側も、この地域の人間ヒューマン達に対して、不信感を持っていた。
彼等は噂の件もあって、精神的な余裕を無くしていった。
帝都から詰問使が到着した時、ゲシラムは自ら申し開きの為、帝都におもむこうとして重臣達に止められた。
それでも帝国との融和を説くゲシラムに対し、あろうことか、重臣達はクーデターを起こし、彼を幽閉した。
彼等は魔王と組み、帝国のくびきから獣王国を解き放つ道を選択した。

「私は数少ない味方に助け出され、街の外に脱出する事が出来た。故に陸路、身分を隠して、皇帝陛下に謁見するべく、帝都へ向かったのだ」

僕達に最初に出会ったのは、その途上での出来事であった。
しかし僕達と別れた後で、ガイウス自ら出陣し、ボレア獣王国を滅ぼそうと軍を進めている事を知った。
ゲシラムは、かつてガイウスが些細ささいな理由で、いくつかの傘下の王国、共和国を滅ぼして第57話きたのをこの目で見てきた。
そのため、事ここに至った以上、ガイウスに会っても獣王国は救われない、と判断した。

「私は、ならば今一度王宮に戻って実権を奪い返し、その上で私の命と引き換えに、王国を救おうと思い至ったのだ」

ゲシラム達がボレアに戻って来た時、運悪く、ガイウス率いる軍と行き会ってしまった。
ゲシラムの従者達は、ゲシラムを逃がすため盾となって戦い、全員命を落とした。
そしてゲシラムも進退きわまっていた所に、僕が現れた……

「私は今や文字通りの裸の王様。自分の無能さにつくづく呆れかえる」

ゲシラム様は話し終えると、自嘲の笑みを浮かべた。
僕は少し考えてから、彼に言葉を掛けた。

「ゲシラム様は、やはりボレアに戻られるべきです」
「分かっている。カケルよ、もし可能ならば、おぬしのその力で、私をボレアの王宮内に転移させてもらえないか?」
「すみません、行った事の無い場所への転移には自信が無いんです。あと、ボレアに戻れたとして、そのクーデターを起こした大臣達を取り押さえる算段ってついていますか?」
「それは、やつらと刺し違えてでも……!」

ゲシラム様は、ボレアに戻る事だけを考えていて、その先にはあまり考えが至ってはいないようだった。
追放された国王が戻っただけで、すんなり実権を取り戻す事が出来るものだろうか?
少なくとも、クーデターを起こした大臣達だけでも排除しないと、それこそゲシラム様が誰かと刺し違えて終わるだけだろう。
ゲシラム様を安全かつ確実に王宮内に連れ帰って、大臣達を最小限度の犠牲で排除……

あ!
ある!
この方法なら、理論上、それが可能になるはずだ。

「ちょっと僕に考えがあるのですが……」

ゲシラム様は、僕の計画を聞いて目を見開いた。

「そんな事が可能なのか?」
「まあ、ダメもとで」


僕はアルザスで必要な準備を行った後、ゲシラム様を連れて再びボレア郊外へと転移した。
日は沈み、あたりは既に暗くなっていた。
自分達に割り当てられている幕舎に戻ると、ハーミルとジュノが駆け寄ってきた。

「どこ行ってたの?」
「中々帰ってこないから、心配したぜ」

僕は霊力で周囲の状況を探り、近くに他に人がいないのを確認してから、ゲシラム様をハーミルとジュノに引き合わせた。

「ラキアさん!?」
「誰だ、そのおっさん?」

ハーミルとジュノは、ゲシラム様を見て驚いた。
僕は二人に、手短に、今、ゲシラム様が置かれている状況を説明した。
そして僕なりに考えた、状況を打開できそうな方策――ジュノも聞いている現状を考慮して、霊力を魔力に置き換えて――についても説明した。

「なんだか強引過ぎない?」

ハーミルは僕の計画を聞いて、若干呆れ顔をした。

「そうか? オレは面白そうだと思うぜ」

ジュノは逆にわくわくした顔をしている。

「そういう訳なんで、これから皇帝陛下に謁見してくるよ」

ゲシラム様を二人に任せた僕は、皇帝ガイウスの幕舎に向かった。

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