上 下
83 / 90
【第二部】魔王覚醒編

34)ただ、もう一度

しおりを挟む
「ぐ、ぅ……っふ……そんな、事が……許されるわけ……」

 泣きじゃくるグレンの顔が、見る間に真っ赤に染まっていく。それは怒りの色だ。

 最後に見るのがグレンの怒り顔、というのも悪くはないか、とドーヴィは目を閉じる。

 どんな表情でも、今回の契約主は最高に可愛いくて、最高に美味しい人間だった。図らずもタダ働きになってしまったが、タダ働きをしても構わないと思えるほどに、価値のある契約だった、とドーヴィは薄れゆく意識の中で思う。

 悪魔として死ぬのは久々だが、こうして契約主のぬくもりを感じながら死ぬのは悪くない。

――そう、まどろんでいたドーヴィに。衝撃が走る。

 がつん、と口元に何かがぶつかった感触に、目を見開けば。目の前には、グレンの顔がいっぱいに迫っている。

 目を一度瞬きして、ようやくドーヴィがグレンが自分の唇にキスをしていることに気が付いた。ずいぶんと下手くそで、血の味しかしないキスだ。

「ぷはっ! ドーヴィ! 今度の報酬は前払いだ!」
「っ、何を……」

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしたグレンが、ドーヴィの胸を掴んで、そう怒鳴りつける。怒りで赤く染まった顔を、さらに真っ赤にして。

「もう報酬は払った! 悪魔ならなんでもできる、契約は違えない、そう言ったな、ドーヴィ!」

 ドーヴィの顔を睨みつけ、グレンは怒鳴り続ける。心の底からの、激しい叫び。

「愛と性の悪魔ドーヴィ、もう一度この世界に戻ってきて、僕と契約しろ!」

 ……急速に、ドーヴィの意識が覚醒する。今、この可愛らしい契約主は、何と言った?

「グレン、お前」
「僕は! このグレン・クランストンは! お前に命じる! もう一度、再契約しろって!」

 そう言いながら、グレンは再度、ドーヴィの唇に自らの唇を押し付けた。それはやっぱり、死ぬほど下手くそで。キスだなんてもんじゃない、まるで殴り掛かるような、とても乱暴な口づけ。

 ドーヴィの頬を、ぶん殴るような、目の覚めるキスだった。

「……っは……ははっ……」
「ドーヴィ……っ!」

 堪えきれず、ドーヴィは笑いだす。口の端から、残っていた血が新たに噴き出し、血の匂いをさらに濃くした。

 が、そんなことは、どうでもいい。

「はーっはっはっは! お前! 俺に、命令するのか! この悪魔に!」
「! そうだ! 僕が、命じた!」

 ざら、とドーヴィの残っていた下半身が、砂になって形を崩していく。

「いいだろう、グレン・クランストン!」
「!」
「愛と性の悪魔、ドーヴィは! お前の命令を受け入れる!」

 ドーヴィの瞳はすっかり力を取り戻し。あの、召喚した時のようなぎらついた眼差しで、グレンをじっと見つめ返した。

 グレンもその瞳から視線を逸らさず、睨み返す。

 二人の視線が、確かに交わり。死にかけていた世界が、急速に命を取り戻していく。

 体が崩れていくのも、どうでもいい。それよりも、お互いに、その瞳をそれぞれの胸に刻み込むように、見つめ合い続ける。

「契約は成立だ! グレン! 俺は絶対に、戻ってくる!」
「約束しろ、ドーヴィ!」
「悪魔は契約を違えない――」

 それが、ドーヴィの最後の言葉だった。

 グレンの目の前、グレンの手の中で。

 ドーヴィはあっという間に頭のてっぺんまで砂になり、さらさらと指の隙間から落ちて行った。

「ドーヴィ……っ!」

 後には、ドーヴィがこちらの世界で入手した服や武器だけが残り。そのうち、ドーヴィだった砂も、世界からドーヴィという存在の痕跡を消去するかのように、跡形もなく消えていく。

「うっ、ううっ……あああっ……!」

 グレンはドーヴィの遺した服の上に上体を伏せ、号哭した。その泣き声は、木々の間を抜け、どこまでも響き渡るほどに。

 ドーヴィがいなくなるまで、ほんの一瞬だった。あっという間に、ドーヴィは、グレンの目の前で砂になってしまった。

「ああ……ああああ……ふ、ぅぅ……っ!」

 ずっと、泣いていたグレンは。歯を食いしばって、その涙を止めようとする。子供のように、両腕で涙を拭いながら、顔を上げる。


 ドーヴィは、『必ず戻ってくる』と言ったから。


 だから、グレンはいつまでも泣いていられない。またドーヴィに会えると信じて、立ち上がらなければならない。


 ドーヴィが、『泣くなよ』と言ったから。


 今度、ドーヴィが戻ってくるときには、とびきりの笑顔で出迎えてやらなければ。ドーヴィは自分の笑顔を、見たがっていたのだから。

 涙でぐちゃぐちゃに濡れた眼帯を撫でる。この眼帯の下には、ドーヴィに貰った金色の瞳がある。

 その瞳こそが、ドーヴィがこの世界に存在していた証であり、グレンとドーヴィの絆の証のようでもあった。

「はっ、ぁ……」

 止めても止めても止まらない涙で肩をひくつかせながら、グレンはよろよろと立ち上がった。

 そこに。

 金属同士が触れ合う音が響き、グレンはバッとその方向へ顔を向けた。

 音の主は、鎧を着こんだ騎士二人。その右胸にある紋章は、彼らが教会所属である事を表していた。

 思わず、グレンは後退る。普段であれば頼りになる教会も……今のグレンには、宿敵のように見えた。

「落ち着いてください。グレン・クランストン、ですね?」

 大男がゆっくりと、穏やかな声でグレンに話しかける。その声は傷つき、疲れた心に染み渡るようで。グレンは一瞬、教会への敵意を忘れて大人しく頷いた。

 が、すぐにはっと意識を取り戻し、堂々と胸を張って「そうだ、私がグレン・クランストンだ」と述べる。

 ……それは、ずいぶん痛々しい姿だった。涙の跡が残るどころか、まだ止まっていない、潤んだ瞳を一生懸命に立ち上がらせて。教会に負けぬよう、無理に意地を張って貴族としての姿勢を貫き通す。敵意こそ見えぬが、教会の下には入らないと主張するかのように。

 教会の騎士、天使二人はその様子を見て少しだけ顔を歪めた後に、そっとグレンの前に膝をついた。

「シルヴェザン元帥より、貴方の保護を依頼されております」
「! 兄上、が……!」
「以降は、我々が同行いたします。シルヴェザン元帥の下へ、参りましょう」

 グレンは鼻をすすった後に「わかった」と応えた。

 そして足元に散らばるドーヴィの遺品を見て……その中で、ドーヴィが身に着けていた、小さなペンダントだけをさっと拾う。これは、グレンが以前にドーヴィと城下町の視察に出た際に買ったものだ。

 いらねえ、と言うドーヴィにグレンが半ば押し付けたようなもの。ずっと、身に着けていてくれたらしい。

 ……天使二人は、グレンのその行動を見逃した。ドーヴィへの攻撃は禁止されているし、そもそも、対象となる悪魔はもう消滅しているのだから。悪魔がいないのであれば、人間がそこに落ちている物を拾ったとしても、別に天使として咎める必要は一切ない。好きにすればいいのだ。

「お体の方はいかがですか、体調が悪ければ、背負っていきますが」
「いや、それには及ばん。自分で歩ける……いや、待て、そもそもここはどこだ?」
「……道すがら、お話をお伺いしましょう」

 そう言って、教会騎士の男は持っていた通信機で後から追ってくる予定の味方へ『対象保護完了』の信号を送る。ドーヴィが見れば「ありゃモールス信号か」と言うであろうその通信機は、教会関係者のみが使用できる特殊な魔道具だ。


 教会騎士二人に挟まれ、グレンはゆっくりと歩きはじめる。ドーヴィの遺品を残して。



 それを見送った天使マルコは、大きく息を吐いた。まさか、グレンがドーヴィに再契約を望むとは……いや、それだけ、二人の間に強い絆がある事はわかっていたが、グレンという少年があれほどに力強く、ドーヴィを望むとは予想外だった。

 そして予想外だったのは、教会騎士である二人。まさか、何もなくグレンをそのまま保護するとは。いくら上位大天使様から、命令撤回とドーヴィへの攻撃禁止令が出されてたとは言え……悪魔と契約した人間であるグレン自体に対しては、何の命令も出ていなかったはずだ。

 それでも、グレンを『悪魔憑き』として引っ立てるでもなく。あの悪魔の瞳である片目も見なかったことにして。

 ……あの天使二人、9082048号と9087576号も、グレンとドーヴィのやり取りを見て感じるところがあったのだろう。

 もし、グレンに対して何か無体を働くようであれば、マルコも飛び込むつもりではあった。……そうなっていたら、間違いなく今度こそ任務妨害で討伐されていただろうが。

「……私情を、挟みすぎたかもしれませんね……」

 今のところ、上から何か言われてはいない。

 しかし、ここまで手を出してしまえば……処分、とまではいかずとも、配置換えぐらいはあるかもしれない。

 できれば、グレン少年の今後も見守りたかったが。ドーヴィだけでなく、自分も、ここまで、なのだろう。

 とりあえずこの顛末を自身の直属の上司である大司教に報告するため、天使マルコはその姿をクランストン辺境領の教会へと戻したのであった。



--

中途半端な長さ二話連続ですが、どうしてもおさまりが悪かったので
これを書くためだけに30話も費やした……

日曜は更新無いですよ!
なんかこう、この二話は皆さまお気に入りの感動曲を流しながら読んで欲しい感じのアレですアレ
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

踊り子は愛の欠片の夢を見る~宝石を生んだら領主に溺愛されました~

橘 華印
BL
第12回BL大賞に参加しています。応援よろしくお願いいたします! 俺たちは、年頃になると宝石を生むんだ――。 ●辺境の領主×旅の踊り子● 【あらすじ】 マリィシャは自慢の踊りを披露しながら旅をしていた。寝所に侍らせたがる男たちの手から逃れ、ある領にたどり着く。辺境の土地では稼ぐこともできないが、領民たちは優しい。恩返しがしたいなと思っていたら、マリィシャが宝石を生む「リュトス」という種族だと、領主であるアレクに知られてしまった。 「私がお前を愛してやろうか」 あからさまに金目当てだと分かる物言いに反発するマリィシャだが、民を想うアレクの本質に触れてしまい……? ◆某社小説大賞の最終候補に残った作品を改稿しました。

朝目覚めたら横に悪魔がいたんだが・・・告白されても困る!

渋川宙
BL
目覚めたら横に悪魔がいた! しかもそいつは自分に惚れたと言いだし、悪魔になれと囁いてくる!さらに魔界で結婚しようと言い出す!! 至って普通の大学生だったというのに、一体どうなってしまうんだ!?

転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる

塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった! 特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。

真面目系委員長の同室は王道転校生⁉~王道受けの横で適度に巻き込まれて行きます~

シキ
BL
全寮制学園モノBL。 倉科誠は真面目で平凡な目立たない学級委員長だった。そう、だった。季節外れの王道転入生が来るまでは……。 倉科の通う私立藤咲学園は山奥に位置する全寮制男子高校だ。外界と隔絶されたそこでは美形生徒が信奉され、親衛隊が作られ、生徒会には俺様会長やクール系副会長が在籍する王道学園と呼ぶに相応しいであろう場所。そんな学園に一人の転入生がやってくる。破天荒な美少年の彼を中心に巻き起こる騒動に同室・同クラスな委員長も巻き込まれていき……? 真面目で平凡()な学級委員長が王道転入生くんに巻き込まれ何だかんだ総受けする青春系ラブストーリー。 一部固定CP(副会長×王道転入生)もいつつ、基本は主人公総受けです。 こちらは個人サイトで数年前に連載していて、途中だったお話です。 今度こそ完走させてあげたいと思いたってこちらで加筆修正して再連載させていただいています。 当時の企画で書いた番外編なども掲載させていただきますが、生暖かく見守ってください。

都合の良いすれ違い

7ズ
BL
 冒険者ギルドには、日夜依頼が舞い込んでくる。その中で難易度の高い依頼はずっと掲示板に残っている。規定の期間内に誰も達成できない依頼は、期限切れとなり掲示板から無くなる。  しかし、高難易度の依頼は国に被害が及ぶ物も多く重要度も高い。ただ取り下げるだけでは問題は片付かない。  そういった残り物を一掃する『掃討人』を冒険者ギルドは最低でも一名所属させている。  メルデンディア王国の掃討人・スレーブはとある悪魔と交わした契約の対価の為に大金を稼いでいる。  足りない分は身体を求められる。  悪魔は知らない。  スレーブにとってその補填行為が心の慰めになっている事を。 ーーーーーーーーーーーーー  心すれ違う人間と悪魔の異種間BL  美形の万能悪魔×歴戦の中年拳闘士  ※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。※

魔王様の瘴気を払った俺、何だかんだ愛されてます。

柴傘
BL
ごく普通の高校生東雲 叶太(しののめ かなた)は、ある日突然異世界に召喚されてしまった。 そこで初めて出会った大型の狼の獣に助けられ、その獣の瘴気を無意識に払ってしまう。 すると突然獣は大柄な男性へと姿を変え、この世界の魔王オリオンだと名乗る。そしてそのまま、叶太は魔王城へと連れて行かれてしまった。 「カナタ、君を私の伴侶として迎えたい」 そう真摯に告白する魔王の姿に、不覚にもときめいてしまい…。 魔王×高校生、ド天然攻め×絆され受け。 甘々ハピエン。

【完結】父を探して異世界転生したら男なのに歌姫になってしまったっぽい

おだししょうゆ
BL
超人気芸能人として活躍していた男主人公が、痴情のもつれで、女性に刺され、死んでしまう。 生前の行いから、地獄行き確定と思われたが、閻魔様の気まぐれで、異世界転生することになる。 地獄行き回避の条件は、同じ世界に転生した父親を探し出し、罪を償うことだった。 転生した主人公は、仲間の助けを得ながら、父を探して旅をし、成長していく。 ※含まれる要素 異世界転生、男主人公、ファンタジー、ブロマンス、BL的な表現、恋愛 ※小説家になろうに重複投稿しています

神は眷属からの溺愛に気付かない

グランラババー
BL
【ラントの眷属たち×神となる主人公ラント】 「聖女様が降臨されたぞ!!」  から始まる異世界生活。  夢にまでみたファンタジー生活を送れると思いきや、一緒に召喚された母であり聖女である母から不要な存在として捨てられる。  ラントは、せめて聖女の思い通りになることを妨ぐため、必死に生きることに。  彼はもう人と交流するのはこりごりだと思い、聖女に捨てられた山の中で生き残ることにする。    そして、必死に生き残って3年。  人に合わないと生活を送れているものの、流石に度が過ぎる生活は寂しい。  今更ながら、人肌が恋しくなってきた。  よし!眷属を作ろう!!    この物語は、のちに神になるラントが偶然森で出会った青年やラントが助けた子たちも共に世界を巻き込んで、なんやかんやあってラントが愛される物語である。    神になったラントがラントの仲間たちに愛され生活を送ります。ラントの立ち位置は、作者がこの小説を書いている時にハマっている漫画や小説に左右されます。  ファンタジー要素にBLを織り込んでいきます。    のんびりとした物語です。    現在二章更新中。 現在三章作成中。(登場人物も増えて、やっとファンタジー小説感がでてきます。)

処理中です...