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【第二部】魔王覚醒編

1)クラスティエーロ王国の平和的な日常

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 悪しき王と配下の貴族たちが民を虐げていたガゼッタ王国は崩壊し、新たに若き王を迎え入れて心機一転新たな船出となったのはクラスティエーロ王国。

 若き王アルチェロと共に若き宰相として弱冠16歳にしてその役職に就いたグレン・クランストンは――当人の期待も空しく、今日も宰相の仕事をバリバリとこなしていた! 繋ぎの役割ですぐに宰相にふさわいしい人が来ると思ってたのに! 結局、旧ガゼッタ王国の生き残った貴族達の中でグレン以上に宰相の仕事ができる人材がいなかったのだ! なんということだ!

「アンドリュー! 南部地方の予算編成についてだが……」

 宰相付きの政務官の中でも筆頭政務官と言われる、いわゆるリーダーの様な立場の男性を呼ぶ。アンドリューはグレンが宰相になる前から政務官として働いていた、経験豊富で頼りになる男だ。

 呼ばれたアンドリューがグレンと共に宰相の執務机で軽く打ち合わせをしている横を颯爽と通り過ぎていくのは、同じく筆頭政務官のマリアンヌ。女傑と呼ぶにふさわしい、貴族子女でありながら持ち前の頭脳と胆力で筆頭政務官にまで上り詰めた逸材である。

 軍部や諸外国との外交方面を一手に担うのがアンドリュー。そして、国内の法律に関する調整や福祉関連を担当するのがマリアンヌ。この二人を右腕と左腕として、グレンは年少ながらも立派に宰相としての仕事をこなしていたのだった。

「……ふう」
「閣下、お疲れのようですね。ちょうど良い時間ですから休憩なさってはいかがでしょうか?」

 打ち合わせが一段落したところで、アンドリューがにこやかにそう言った。そう言われてグレンもは顔を上げて執務室にある大きな壁時計を確認した。宰相用の、時刻にあまり狂いが出ない非常に高級で精巧な壁時計だ。壁時計の針が示すのは、いつもの『おやつタイム』。

「む、そうだな……では茶菓子の用意をお願いできるだろうか」

 そう! 何を隠そう、この史上最年少宰相閣下には『おやつタイム』が設けられているのだ! なんということだ!

 とまあ、外の人間が聞けば目を白黒させるような制度であるが……これは宰相であるグレンがどうにも病弱であるがゆえに、執務の合間に休憩を必要とするためであった。

 アンドリューの指示によって、城のメイドが優雅にクランストン宰相閣下の執務机に茶菓子を用意する。ホットミルクと、今日は小さなチェリーパイだ。

 チェリーパイを一口、さくりとした感触にグレンは目を見開いた後に嬉しそうに顔を緩ませる。

「相変わらず城のシェフは腕がいい。アンドリュー達も休憩にすると良い。このチェリーパイは焼きたてだぞ」

 グレンはニコニコとした顔をそのままに、部下へとそう告げた。

 さて、そう言われた部下の面々(もちろん宰相閣下より軒並み年上)は……嬉々として、メイドが用意したワゴンから各々がチェリーパイを掴み、口に運び入れる。

 サクサクのパイ生地に、ほんのり熱を持ったチェリーのフィリングが口の中を楽しませてくれる。クランストン宰相閣下用、ということでブランデーの類を一切使わず、代わりに砂糖を増やしたその味は甘すぎると言えばその通りだった。だが、頭脳労働で疲れた体にはこの甘さがよくよく染み渡る。

「うめえ……」

 一人の政務官から思わず、と言った形で声が漏れた。何しろ、これだけの砂糖を豊富に使った料理となれば、そう簡単に手が出るものでもない。それこそ、王族や上位貴族でなければ口にすることも無かっただろう。

 ところが、こうしてクランストン宰相閣下のおこぼれを貰う事で、下っ端である自分ですら一生に一度しか食べられないような高級な茶菓子をたびたび口にできている。

 これが以前の宰相であれば、おこぼれどころか休憩すら取らせて貰えなかった。休憩も休暇もなく、何かあっても手当てがあるどころか逆に無茶苦茶な理由で罰金と称して金品を巻き上げられる始末。些細なミスはもちろん、むしろ何もしていなくても「下賤な愚図どもめ」と罵られる毎日。かといって、政務官を辞めたいと言っても許可がおりず……と、恐ろしいほどの労働環境であったのだ。

 それが今や、昼食休憩以外に『おやつタイム』が設けられ、高級な茶菓子を食べることもできれば休暇も自由取得可能、さらに叱責の言葉よりお褒めの言葉の方が格段に増えたという真っ白ホワイトな労働環境に。

 このクラスティエーロ王国の政務室は、実に素晴らしい職場であった。……他の部署から異動希望が殺到するほどには。

 最初こそグレンという年若い少年宰相に不信感を覚える者や侮る姿勢を見せる者もいたが、それも昔のこと。今ではすっかり右も左もクランストン宰相閣下万歳三唱の嵐である。特に直轄の部下である政務官一同はクランストン宰相過激派と言って差し支えないほどに、信奉しているのだとか。

 もちろん実際にクランストン宰相閣下の部下になるためには、並大抵の実力では無理な事だ。まず、アンドリューとマリアンヌという圧倒的ハードルがある。その二人のお眼鏡に適ったとして、乗り越えるハードルはまだまだ多い。

 何より。

 クランストン宰相閣下の護衛兼秘書官であるドーヴィという青年のお眼鏡に適う必要がある、という時点で、そのハードルは雲よりも高くなっているのであった。

「ちょうど休憩の時間でしたか」

 聞き慣れた声にグレンはぱぁっと顔を輝かせて顔を向ける。ちょうどこの政務室に入ってきたのは、噂の青年、ドーヴィ。

 いつもなら「美味そうなモン食ってんな」ぐらいの勢いでグレンの相手をするところだが、ここは残念ながら職場であり公の場である。いくらグレンが信頼を寄せる秘書官という特別な立場であっても、平民の身分であるドーヴィが上位貴族であるグレンに対して気さくに声を掛けることは外聞も悪かった。

 そういうわけでドーヴィはすました顔で、貴族に対する一般的な礼儀をもってグレンに接している。

「ドーヴィ、お前も食べるといい! 今日のチェリーパイは焼きたてが一番美味しいぞ!」

 机に近づいてきたドーヴィにグレンがしたことと言えば、子犬よろしく尻尾をぶんぶんと振り回すぐらいの勢いで、ドーヴィの口に向けてチェリーパイを差し出すことだった。平民に対する態度とはいったい。

 それに対してドーヴィはすました顔のまま一瞬フリーズする。アンドリューがそっと顔を反らして肩を震わせているのは、チェリーパイに咽ただけだと信じたい。他の政務官達も皆が揃いも揃って顔を俯かせてぷるぷると小刻みに震えているのは、全員同時にチェリーパイに咽ただけだと信じたい。 

 ではドーヴィが静かにグレンにその態度を「貴族らしくありませんよ」と指摘するかと言えば――できなかった! なぜならグレンがあまりにも目をキラキラとさせて期待に満ちた眼差しでドーヴィを見るものだから!

 貴族に対する一般的な礼儀を諦めたドーヴィは、グレンに差し出されたチェリーパイを大きな口でぱくりと食べた。ふむ、美味しいのはグレンの言う通りだ。

 もごもごと口を動かしながらドーヴィは「美味しゅうございます」と丁寧に微笑んだ。グレンはそれを見て、さらに顔を輝かせて、嬉しそうに頷いた。

 自分の好きなものを自分の好きな人が同じように美味しいと言ってくれるのが嬉しい。グレンの全身からそんなピュアなオーラが出ているのをドーヴィは感じて、何やら自分の中の悪魔的な部分が急速に浄化されていくのを感じていた。

 さすが、愛と性の悪魔という二つ名から性の部分を消し去るほどの威力である。今回の契約主が常日頃からコレであるから、自分がインキュバスであるというアイデンティティが最近揺らぎに揺らぎまくっているドーヴィであった。

 インキュバスを召喚したからにはそれはもうめくるめく官能の世界が待っているはずだったのだが……おかしい。どうしてこうなった。

 ……いや、ドーヴィが未成年であるグレンと契約した時から、それは始まっていたのだった。それを思い返して、ドーヴィは美味しいチェリーパイを咀嚼しながら少し遠い目をする。

 ちなみに政務官達もこの手の事態には慣れたもので、早くも気を取り戻して静かにチェリーパイを胃袋に納め、お淑やかに茶を嗜んでいる。無論、この件が他言無用であることも重々承知しており、誰もが口を一文字に引き結んで他所には一切漏らさないという心意気もばっちりだ。

 政務室だけでみられる、至って平和的なクラスティエーロ王国の日常だった。

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連載再開です
前章以上にボーイズラブが消えてブロマンスになりそうですがどうぞよろしくお願いします

最初の数話は間に挟まってたR15編の振り返りみたいな感じになるご予定
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