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【第一部】国家転覆編
21)どろどろ、とけてきえる?
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――あったかい。
グレンが最初に思ったのは、それだった。なんだか、すごく暖かいものに包まれている。真冬のベッドで、毛布に包み込まれているみたい。毛布だけじゃない、父と母が一緒にベッドにいて、大好きな兄も姉も一緒に寝てて、じいやとばあやがちょっと遠くでおやつの準備をしている、そんな感じがする。
――すごくあったかい。きもちがいい。
なんだか、自分がどろどろ溶けてなくなってしまう気がする。でもそれは別に怖い事じゃない。こんなに気持ちよくてあったかい中に溶けていけたら、たぶんそれが幸せなんだろうと思う。
「グレン」
誰かが自分を呼んでいる。呼ばれた瞬間、自分がどろどろするのが止まった気がした。溶けなくなった自分を不思議に思う。そのまま溶けてしまった方が良かったんじゃないの?
「グレン。溶けるなよ、馬鹿」
その口ぶりに、自分に話しかけているのがドーヴィだと気が付いた。
――ドーヴィ! とってもかっこよくて、やさしくて、すごくたよりになる、ぼくのだいすきなひと!
「おお、そうだとも。俺がドーヴィで、お前がグレン。俺はお前のことが大好きだし、お前は俺の事が大好き」
うん、だいすき。そう思ったら、ただのあったかいの中からぐつぐつと熱いものが湧いてくる。その熱いものは、どろどろしてる暇なんてないぞ、というようにグレンの体中を駆け巡って、手足を作った。
――わ、わ!
「そうだぞグレン。抱きしめたかったら両手が欲しいし、一緒にデートしたかったら足が欲しい。キスがしたけりゃ口が欲しいし、俺の顔を見たけりゃ目が欲しい」
歌うように言うドーヴィの声に合わせて、どろどろ、溶けつつあった自分が戻っていく。ドーヴィの言う通りだ。ドーヴィの事抱きしめたいし、デートもたくさんしたいし、ちゅーもしたい、ドーヴィのかっこいい顔もいっぱい見たい。全部やったらきっととても楽しい。
でも。
――でも、どろどろするの、あったかいよ?
グレンがそう思った瞬間、また自分の体はどろりと溶けてなくなった。そしてまた、とてもあったかいものに包まれでふわふわと漂う。きもちがいい。
「だぁぁぁ! 馬鹿!! なーんでそこで溶ける!?」
――だってあったかくてきもちいいもん
なんだかとても眠くなってきた。このまま意識を失って溶けてなくなってしまいたい。
「この野郎、俺本体よりそっちを取るってか……!? おい、グレン! 起きろ!」
――んー……
「馬鹿、お前なぁ……俺がもっとあったかくて気持ちいいこと教えてやるから」
――んー?
ちょっとだけ、興味がある。これよりもっとあったかくてきもちいいこと、だって。ドーヴィが教えてくれるなら、気になる。ふわふわ漂ってどろどろ、溶けていた意識がまたふらふらと集まってきて形になり始める。
「眠かったらもう少し寝ててもいい。だけど、溶けるのだけはやめろ、マジで」
――でも、どろどろ、きもちいいよ?
ちょっとだけ、ドーヴィが静かになった。何も音がない。音がないから、集まったグレンの意識がまた端からぽろぽろと崩れて、あったかいものに漂い始めた。ぽろぽろ、ぽろぽろ、グレンが崩れていく。
「……あのな」
――なに
「お前はあったかくて気持ちいいかもしれねえけど、俺が寒くてつまんねーだろうが」
――?
「グレン。お前が溶けていなくなったら、俺は誰と手を繋げばいい? 誰と一緒にデートに行けばいい? 誰と一緒にキスをして……もっとあったかくて気持ちいいことを一緒にすればいい?」
――!!
グレンはびっくりした。ドーヴィが、自分以外の人と手を繋いで、デートして、キスして、なんかあったかくて気持ちいいことするんだって! ぼく以外と!
途端、あちこちに散らばっていたグレンの欠片が集まってくる。さっきの熱いぐつぐつが、もっと熱いぐつぐつになってあっという間にグレンの体を作っていく。いそげ、いそげ、ドーヴィが誰かに取られちゃう! たいへんだたいへんだ!
「俺は、お前と一緒に生きたいんだよ。てめえ、勝手に一人で溶けやがって。俺は、許さねえからな」
――ぼくも、ドーヴィじゃなきゃ、やだ! ドーヴィがぼくいがいと、ちゅーするのも、やだ! やだやだ!
「だろ? だから、ちゃんと手を作れ。足も作れ。全部元に戻して、また俺に抱きしめさせろ」
――うん。そうする!
「よーし、いい子だ。ちゃんと約束だぞ」
できたばかりの頭を、ドーヴィが撫でてくれる気がする。これ、すごくきもちいいからすき。そう思ったら、あったかくてきもちいいどろどろより、体があった方がやっぱり便利かもしれない。
――ドーヴィ、ねむい。ねえ、ぼくがねてるあいだに、どこかいったりしない? だれかと、でーとしたり、きすしたり、しない?
「どこにも行かねえよ、ずっと一緒にいる。デートはグレンとしかしないし、キスもグレンとしか絶対やらない。俺の体は、最初からお前専用だよ」
――そっか。じゃあ、ぼく、ねてもいい?
「いいぞ。ずっとそばにいてやるから。お前が溶けて消えそうになったら、すぐ起こしてやる」
――やった! ぼく、このあったかくてきもちいいのも、すき。ドーヴィもすき。りょうほう、すき!
「ははっ、お前な……そうだな、お前は死ぬほど頑張ったんだから、それぐらいご褒美があってもいいよなぁ……。両方、お前にプレゼントしてやるよ。お前が望むなら、俺は何だってしてやれる」
ドーヴィが楽しそうに笑ってる。ドーヴィが楽しそうにしていると、僕も嬉しくなる。なんだか気持ちがふわふわしてきて、ぽかぽかする。
「さあ、おやすみグレン。よーく眠って、魂を休めるんだぞ」
たましいをやすめる、の意味はわからないけど、ドーヴィの「おやすみグレン」を聞くとすごく眠くなる。最初から眠いのに、もっと眠くなる。僕は暖かくて気持ちがいいものに包まれて、意識を手放した。
☆☆☆
あの日から……グレンが死んだ日から、3日が経過した。
「……よし」
ベッドの上で、グレンを自分に寄りかからせるようにしてドーヴィは後ろから抱きしめていた。3日間。ドーヴィは一時もグレンを手放すことなく、ずっとグレンを抱きしめ続けている。
3日目の夜にようやく、グレンと意思の疎通ができた。その幸せを噛み締めてドーヴィは息を吐く。
あの時、ドーヴィが作った加護は無事に発動した。魔晶石に魔力を吸い取られ死んだグレンの命は、あの二人の騎士たちによって奪われたとこの世界の理は判断したらしい。おかげさまで、天使相手に大立ち回りをしなくて済んだ。
とは言え、奪った命を取り戻したとしても枯渇した魔力は戻らない。
心臓の鼓動が戻ってから、すぐにドーヴィはグレンを抱きしめて全身の魔力回路を探った。……どこも完全に焼き切れて、まともに動く気配がない。これでは、戻った命もまたすぐに体から出て行ってしまうだろう。
そこで、ドーヴィは決断する。悪魔から人間へ、魔力の譲渡をすることに。
魔力の譲渡は人間同士の間でもそれなりに技術は確立されている。言ってしまえば、輸血と同じだ。魔力の波長が合った人間同士でなら比較的スムーズに、そうでなければ拒絶反応が起きて苦しむ羽目になる。
ドーヴィはグレンの魔力を『美味』だと感じていたから、恐らく波長の方は問題ない。問題があるとすれば、それは悪魔と人間の魔力量の差が大きすぎる事だった。
人間がコップ一杯分の魔力を持つとすれば、悪魔は海に匹敵、いや、場合によっては惑星まるごとと同レベルの魔力を持っている。山よりも高い巨人が蟻よりも小さい小人へ自らの食料を分けるのが、そう簡単なことではないということだ。下手をすれば、巨人は小人を潰してしまうかもしれない。
ドーヴィはゆっくり、時計の針が進むよりもゆっくり、丁寧に、グレンに魔力を注ぎ始めた。
(拒絶反応、なし。容量、問題なし)
案の定、グレンの体はドーヴィの魔力を拒絶することなくすんなりと受け入れる。それどころか、足りない分を補う事に悦びを感じているのか貪欲にドーヴィの魔力を貪り食うほどだった。おかげさまで、ドーヴィはこの3日間、人生ならぬ悪魔生で最も神経を使う羽目になる。
……だが、ドーヴィは、グレンのためなら何だってできるし何だってやってやれる。繊細な作業に苛立つ本能を理性で戒め、終わりの見えない張り詰めた神経を放り出したくなるのを鋼の意思で押さえつけ、一切意識を逸らすことなく3日間。
その成果が、先ほどのグレンとの意思疎通であった。いや、明確に疎通できてたかは若干の疑問が残るものではあったが……それでも、グレンはドーヴィの呼びかけに明確に返事をし、会話は成り立っていた。
「はぁー……マジでハラハラしたわ……」
一段落ついたことで、ドーヴィは大きく息を吐く。
まさか、魔力の相性が良すぎてグレンが「とける」事になるとは。
本来、人間の命は魂と言う紐で肉体と繋がっている。この魂が魔力の根源だ。魔力なしと言われる平民ですら、その魂は持っている。グレンが聞いた、体の中で何かが削られる音というのは、命そのものではなく、命と肉体を結ぶ魂が壊れていく音だったのだ。
神が『牧場』を作る際に作ったシステム。肉体は脆く、再利用ができない。しかし、命は洗浄と軽いメンテナンスをすれば何回でも繰り返し使うことができる。故に、魂という楔で肉体と命を結び、肉体が利用限界を迎えたら魂を消して命だけを取り出し、別の『牧場』へと再利用していた。非常にエコで合理的な仕組みである。
今回のグレンの場合、魔力の根源である魂が肉体より、命より先に限界を迎えてしまった。非常に稀なパターンである。魂が壊れたことにより、命と肉体は離れ離れになり、命は天使の元へ、肉体はそのまま朽ちていく……はずだった。そこをドーヴィが作った加護の力で命をつなぎ留め、さらにドーヴィが魔力譲渡をすることで『疑似魂』を作り、グレンを生き返らせた、ということになる。
そこまでは順調だった。問題はその後の、疑似魂をグレンのものへと徐々に定着させていく間に起きた。そう、魔力の相性が良すぎて、グレンが溶けてしまったのだ。
命に宿るグレンの意識、あるいは精神体。それらが、ドーヴィお手製の疑似魂に懐きすぎて形を維持できなくなってしまったのである。グレンと言う個人の消失、つまり、自我の崩壊であった。
グレンが言っていた「あったかくてきもちいい、どろどろしたい」はそういうことである。自分で意識を保つよりも、ドーヴィが作った疑似魂の中に溶け込んでしまった方が、「きもちがいい」とグレンは思ってしまった。自分が自分であることを放棄して、ドーヴィの一部になろうとした。
よほどのことが無ければ、他者のものに自らなろうなどとはならない。それだけ、グレンはドーヴィのことが好きだった。自分を捨ててドーヴィの一部になることが「きもちいい」と思えるほどに。
(いやぁ、それだけ好かれてるってことは嬉しいけどよ)
照れ臭さとグレンを失う恐怖とワガママな契約主への怒りと呆れ、様々、複雑な感情をドーヴィは覚える。危うく、命を取り戻しても肝心のグレンがいない空虚な肉人形が出来上がるところだった。
グレンへの魔力供給は続けつつ、その量を減らしていく。疑似魂の定着率も半分を超えた。ここまでくれば、そろそろグレン自身の体で魔力を生み出せるようにはなるはずだ。
魔力回路の再生にはもっと時間がかかる。それを考えれば、まだまだドーヴィの魔力供給は必要だろうが……それでも、とりあえずの危機的状況は脱したと言っても過言ではない。
(さて……明日、いや、明後日には辺境領に移動するとするか……)
いつまでも悪意渦巻く王都にはいられないし、こんな汚い場所にグレンを寝かせておきたくない。今のところ、王城から何かしらのクレームが来た気配もないが……まあどちらにしても、そんなものが来たらまたドーヴィが記憶を操作して適当に追い返すだけだが。
やはりグレンには、辺境の穏やかな空気と優しい人々に囲まれて、寝息を立てながら昼寝をするのが似合っている。ドーヴィは目を閉じたままのグレンを見下ろしながらそう思った。
---
陰鬱不穏モードはだいたい終わりです。お疲れさまでした。
いろいろ設定をその場の思い付きで考えて書いてるので矛盾多い気がしますが目を瞑って頂きたく……
グレンくんがんばったね!!と思って頂けたら、投票・お気に入り登録などよろしくお願いします。
グレンが最初に思ったのは、それだった。なんだか、すごく暖かいものに包まれている。真冬のベッドで、毛布に包み込まれているみたい。毛布だけじゃない、父と母が一緒にベッドにいて、大好きな兄も姉も一緒に寝てて、じいやとばあやがちょっと遠くでおやつの準備をしている、そんな感じがする。
――すごくあったかい。きもちがいい。
なんだか、自分がどろどろ溶けてなくなってしまう気がする。でもそれは別に怖い事じゃない。こんなに気持ちよくてあったかい中に溶けていけたら、たぶんそれが幸せなんだろうと思う。
「グレン」
誰かが自分を呼んでいる。呼ばれた瞬間、自分がどろどろするのが止まった気がした。溶けなくなった自分を不思議に思う。そのまま溶けてしまった方が良かったんじゃないの?
「グレン。溶けるなよ、馬鹿」
その口ぶりに、自分に話しかけているのがドーヴィだと気が付いた。
――ドーヴィ! とってもかっこよくて、やさしくて、すごくたよりになる、ぼくのだいすきなひと!
「おお、そうだとも。俺がドーヴィで、お前がグレン。俺はお前のことが大好きだし、お前は俺の事が大好き」
うん、だいすき。そう思ったら、ただのあったかいの中からぐつぐつと熱いものが湧いてくる。その熱いものは、どろどろしてる暇なんてないぞ、というようにグレンの体中を駆け巡って、手足を作った。
――わ、わ!
「そうだぞグレン。抱きしめたかったら両手が欲しいし、一緒にデートしたかったら足が欲しい。キスがしたけりゃ口が欲しいし、俺の顔を見たけりゃ目が欲しい」
歌うように言うドーヴィの声に合わせて、どろどろ、溶けつつあった自分が戻っていく。ドーヴィの言う通りだ。ドーヴィの事抱きしめたいし、デートもたくさんしたいし、ちゅーもしたい、ドーヴィのかっこいい顔もいっぱい見たい。全部やったらきっととても楽しい。
でも。
――でも、どろどろするの、あったかいよ?
グレンがそう思った瞬間、また自分の体はどろりと溶けてなくなった。そしてまた、とてもあったかいものに包まれでふわふわと漂う。きもちがいい。
「だぁぁぁ! 馬鹿!! なーんでそこで溶ける!?」
――だってあったかくてきもちいいもん
なんだかとても眠くなってきた。このまま意識を失って溶けてなくなってしまいたい。
「この野郎、俺本体よりそっちを取るってか……!? おい、グレン! 起きろ!」
――んー……
「馬鹿、お前なぁ……俺がもっとあったかくて気持ちいいこと教えてやるから」
――んー?
ちょっとだけ、興味がある。これよりもっとあったかくてきもちいいこと、だって。ドーヴィが教えてくれるなら、気になる。ふわふわ漂ってどろどろ、溶けていた意識がまたふらふらと集まってきて形になり始める。
「眠かったらもう少し寝ててもいい。だけど、溶けるのだけはやめろ、マジで」
――でも、どろどろ、きもちいいよ?
ちょっとだけ、ドーヴィが静かになった。何も音がない。音がないから、集まったグレンの意識がまた端からぽろぽろと崩れて、あったかいものに漂い始めた。ぽろぽろ、ぽろぽろ、グレンが崩れていく。
「……あのな」
――なに
「お前はあったかくて気持ちいいかもしれねえけど、俺が寒くてつまんねーだろうが」
――?
「グレン。お前が溶けていなくなったら、俺は誰と手を繋げばいい? 誰と一緒にデートに行けばいい? 誰と一緒にキスをして……もっとあったかくて気持ちいいことを一緒にすればいい?」
――!!
グレンはびっくりした。ドーヴィが、自分以外の人と手を繋いで、デートして、キスして、なんかあったかくて気持ちいいことするんだって! ぼく以外と!
途端、あちこちに散らばっていたグレンの欠片が集まってくる。さっきの熱いぐつぐつが、もっと熱いぐつぐつになってあっという間にグレンの体を作っていく。いそげ、いそげ、ドーヴィが誰かに取られちゃう! たいへんだたいへんだ!
「俺は、お前と一緒に生きたいんだよ。てめえ、勝手に一人で溶けやがって。俺は、許さねえからな」
――ぼくも、ドーヴィじゃなきゃ、やだ! ドーヴィがぼくいがいと、ちゅーするのも、やだ! やだやだ!
「だろ? だから、ちゃんと手を作れ。足も作れ。全部元に戻して、また俺に抱きしめさせろ」
――うん。そうする!
「よーし、いい子だ。ちゃんと約束だぞ」
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――ドーヴィ、ねむい。ねえ、ぼくがねてるあいだに、どこかいったりしない? だれかと、でーとしたり、きすしたり、しない?
「どこにも行かねえよ、ずっと一緒にいる。デートはグレンとしかしないし、キスもグレンとしか絶対やらない。俺の体は、最初からお前専用だよ」
――そっか。じゃあ、ぼく、ねてもいい?
「いいぞ。ずっとそばにいてやるから。お前が溶けて消えそうになったら、すぐ起こしてやる」
――やった! ぼく、このあったかくてきもちいいのも、すき。ドーヴィもすき。りょうほう、すき!
「ははっ、お前な……そうだな、お前は死ぬほど頑張ったんだから、それぐらいご褒美があってもいいよなぁ……。両方、お前にプレゼントしてやるよ。お前が望むなら、俺は何だってしてやれる」
ドーヴィが楽しそうに笑ってる。ドーヴィが楽しそうにしていると、僕も嬉しくなる。なんだか気持ちがふわふわしてきて、ぽかぽかする。
「さあ、おやすみグレン。よーく眠って、魂を休めるんだぞ」
たましいをやすめる、の意味はわからないけど、ドーヴィの「おやすみグレン」を聞くとすごく眠くなる。最初から眠いのに、もっと眠くなる。僕は暖かくて気持ちがいいものに包まれて、意識を手放した。
☆☆☆
あの日から……グレンが死んだ日から、3日が経過した。
「……よし」
ベッドの上で、グレンを自分に寄りかからせるようにしてドーヴィは後ろから抱きしめていた。3日間。ドーヴィは一時もグレンを手放すことなく、ずっとグレンを抱きしめ続けている。
3日目の夜にようやく、グレンと意思の疎通ができた。その幸せを噛み締めてドーヴィは息を吐く。
あの時、ドーヴィが作った加護は無事に発動した。魔晶石に魔力を吸い取られ死んだグレンの命は、あの二人の騎士たちによって奪われたとこの世界の理は判断したらしい。おかげさまで、天使相手に大立ち回りをしなくて済んだ。
とは言え、奪った命を取り戻したとしても枯渇した魔力は戻らない。
心臓の鼓動が戻ってから、すぐにドーヴィはグレンを抱きしめて全身の魔力回路を探った。……どこも完全に焼き切れて、まともに動く気配がない。これでは、戻った命もまたすぐに体から出て行ってしまうだろう。
そこで、ドーヴィは決断する。悪魔から人間へ、魔力の譲渡をすることに。
魔力の譲渡は人間同士の間でもそれなりに技術は確立されている。言ってしまえば、輸血と同じだ。魔力の波長が合った人間同士でなら比較的スムーズに、そうでなければ拒絶反応が起きて苦しむ羽目になる。
ドーヴィはグレンの魔力を『美味』だと感じていたから、恐らく波長の方は問題ない。問題があるとすれば、それは悪魔と人間の魔力量の差が大きすぎる事だった。
人間がコップ一杯分の魔力を持つとすれば、悪魔は海に匹敵、いや、場合によっては惑星まるごとと同レベルの魔力を持っている。山よりも高い巨人が蟻よりも小さい小人へ自らの食料を分けるのが、そう簡単なことではないということだ。下手をすれば、巨人は小人を潰してしまうかもしれない。
ドーヴィはゆっくり、時計の針が進むよりもゆっくり、丁寧に、グレンに魔力を注ぎ始めた。
(拒絶反応、なし。容量、問題なし)
案の定、グレンの体はドーヴィの魔力を拒絶することなくすんなりと受け入れる。それどころか、足りない分を補う事に悦びを感じているのか貪欲にドーヴィの魔力を貪り食うほどだった。おかげさまで、ドーヴィはこの3日間、人生ならぬ悪魔生で最も神経を使う羽目になる。
……だが、ドーヴィは、グレンのためなら何だってできるし何だってやってやれる。繊細な作業に苛立つ本能を理性で戒め、終わりの見えない張り詰めた神経を放り出したくなるのを鋼の意思で押さえつけ、一切意識を逸らすことなく3日間。
その成果が、先ほどのグレンとの意思疎通であった。いや、明確に疎通できてたかは若干の疑問が残るものではあったが……それでも、グレンはドーヴィの呼びかけに明確に返事をし、会話は成り立っていた。
「はぁー……マジでハラハラしたわ……」
一段落ついたことで、ドーヴィは大きく息を吐く。
まさか、魔力の相性が良すぎてグレンが「とける」事になるとは。
本来、人間の命は魂と言う紐で肉体と繋がっている。この魂が魔力の根源だ。魔力なしと言われる平民ですら、その魂は持っている。グレンが聞いた、体の中で何かが削られる音というのは、命そのものではなく、命と肉体を結ぶ魂が壊れていく音だったのだ。
神が『牧場』を作る際に作ったシステム。肉体は脆く、再利用ができない。しかし、命は洗浄と軽いメンテナンスをすれば何回でも繰り返し使うことができる。故に、魂という楔で肉体と命を結び、肉体が利用限界を迎えたら魂を消して命だけを取り出し、別の『牧場』へと再利用していた。非常にエコで合理的な仕組みである。
今回のグレンの場合、魔力の根源である魂が肉体より、命より先に限界を迎えてしまった。非常に稀なパターンである。魂が壊れたことにより、命と肉体は離れ離れになり、命は天使の元へ、肉体はそのまま朽ちていく……はずだった。そこをドーヴィが作った加護の力で命をつなぎ留め、さらにドーヴィが魔力譲渡をすることで『疑似魂』を作り、グレンを生き返らせた、ということになる。
そこまでは順調だった。問題はその後の、疑似魂をグレンのものへと徐々に定着させていく間に起きた。そう、魔力の相性が良すぎて、グレンが溶けてしまったのだ。
命に宿るグレンの意識、あるいは精神体。それらが、ドーヴィお手製の疑似魂に懐きすぎて形を維持できなくなってしまったのである。グレンと言う個人の消失、つまり、自我の崩壊であった。
グレンが言っていた「あったかくてきもちいい、どろどろしたい」はそういうことである。自分で意識を保つよりも、ドーヴィが作った疑似魂の中に溶け込んでしまった方が、「きもちがいい」とグレンは思ってしまった。自分が自分であることを放棄して、ドーヴィの一部になろうとした。
よほどのことが無ければ、他者のものに自らなろうなどとはならない。それだけ、グレンはドーヴィのことが好きだった。自分を捨ててドーヴィの一部になることが「きもちいい」と思えるほどに。
(いやぁ、それだけ好かれてるってことは嬉しいけどよ)
照れ臭さとグレンを失う恐怖とワガママな契約主への怒りと呆れ、様々、複雑な感情をドーヴィは覚える。危うく、命を取り戻しても肝心のグレンがいない空虚な肉人形が出来上がるところだった。
グレンへの魔力供給は続けつつ、その量を減らしていく。疑似魂の定着率も半分を超えた。ここまでくれば、そろそろグレン自身の体で魔力を生み出せるようにはなるはずだ。
魔力回路の再生にはもっと時間がかかる。それを考えれば、まだまだドーヴィの魔力供給は必要だろうが……それでも、とりあえずの危機的状況は脱したと言っても過言ではない。
(さて……明日、いや、明後日には辺境領に移動するとするか……)
いつまでも悪意渦巻く王都にはいられないし、こんな汚い場所にグレンを寝かせておきたくない。今のところ、王城から何かしらのクレームが来た気配もないが……まあどちらにしても、そんなものが来たらまたドーヴィが記憶を操作して適当に追い返すだけだが。
やはりグレンには、辺境の穏やかな空気と優しい人々に囲まれて、寝息を立てながら昼寝をするのが似合っている。ドーヴィは目を閉じたままのグレンを見下ろしながらそう思った。
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陰鬱不穏モードはだいたい終わりです。お疲れさまでした。
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