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【第一部】国家転覆編
18)王城と書いて地獄の入り口と読む
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「こほっ、三ヵ月、家を空けるだけでも埃はたまるものだな……」
「おいグレン、魔力寄越せ。魔法で片付ける」
「わかった」
さすがに慣れてきたのか、それともあまりの埃っぽさに早くドーヴィにどうにかして欲しかったのか。少しだけ屈んできたドーヴィの顔にグレンはすぐに唇を寄せた。
ここは王都にあるクランストン辺境伯のタウンハウス……と言っても、一般市民の住居を一回り大きくした程度のこぢまんりした屋敷だ。以前は使用人も常駐させてグレンの両親が王都滞在時に活用していたが……今は、使用人も全て引き上げさせ、3か月に1回の貴族会議のためにグレンが訪れるだけになっていた。
ドーヴィがグレンと仮契約をして、すぐに細やかな風の魔法を発動させる。その風は床や棚、天井に張られた蜘蛛の巣までをあっという間に絡めとって屋敷の外へと運んで行った。
それを見送ったグレンは「すごい精密操作だ……」と目を丸くしながら驚く。ドーヴィの魔法は本当に底が知れない。魔物を派手に蹴散らかしたかと思えば、今のように家具に傷一つ付けず埃だけを拾い上げる風も作れる。
「早めに着いて良かったが……会議は明日の午後だろう? 今日はゆっくり休むか?」
「ああ。姉上との面会は明日の午前中に予約してある」
持ってきた荷物を解きながらドーヴィが確認すれば、グレンは頷いた。
屋敷全体を保護する魔道具の魔力補充にグレンは出かけ、ドーヴィはその間に寝室の準備とキッチンの確認と。すっかりメイドの様な働きが板についてきた、とドーヴィが一人でぼやいている内にグレンも戻ってくる。
「グレン、夕食は?」
「……いや、今日は、食欲がなくて……」
グレンは気まずそうに言いながら、さらに口をもごもごと動かす。ドーヴィがキッチンの入り口に立ちすくんでいるグレンに歩み寄り、頭を撫でてやった。
「怒らねえしバカにしねえから言いたいこと、言ってみろよ」
「う……」
言いづらそうにしていたグレンにドーヴィが促すと、グレンはドーヴィが羽織ったままの旅装マントをぎゅうと握りしめて口を開いた。
「その、会議、が終わると……体調が悪くなって、戻してしまうことが多くて……なるべく、胃を空っぽにしていきたくて……」
王城で絨毯や壁を汚すと弁償しなければらないのだ、とグレンは慌てたように続けた。そういう言い訳を聞きたいわけじゃないんだけどな、とドーヴィは苦々しく思いながら、屈んで俯いたグレンの顔を覗き込む。
「なら、今日は具のないミルクスープだけにしておくか?」
「そ、そうしてくれると助かる……すまない……」
「気にするな。なら明日の朝食もなしでいいな? 仕込みはしないで、片付けを進めるか……」
グレン用の荷物をグレンに押し付け「荷解きしてこい」と言うと大人しく頷いてキッチンを出ていく。その小柄な後姿を見ながら、ドーヴィは深い深いため息をついた。
グレンに同行した経験のある護衛騎士たちが、半分キレながらドーヴィに「坊ちゃまをよろしく頼むぞ」としつこく言ってきた気持ちが全くもって身に染みる。
(……俺も今夜は夜なべでお守りでも作るかね……)
さすがに、加護は苦手だと言ってられなくなってきた。むしろ、いけ好かないとはいえあの天使マルコに加護のやり方でも聞いておけば良かったとすら、ドーヴィは思う。
明日は、長い一日になりそうだ。
☆☆☆
あくる日、貴族会議当日。普段、ラフな格好に魔術師としてのローブを羽織っていたグレンは、会議のために辺境伯当主として貴族の正装に身を包んでいる。これも、先にドーヴィがメイド長のばあやに着せ方を習っておいたものだ。
着せ替え人形よろしく、立ったままのグレンをドーヴィが手際よく仕上げていった。
「……これでよし、と」
クランストン辺境伯家の紋章が刻まれた黄金のボタンで首元を留めて、完成だ。ぐるり、とグレンの体を回し見て、ドーヴィは満足そうに頷く。普段の軽装も良いが、これはこれで華やかで良い。丁寧に縫われた金の刺繍も、少しだけ紫がかっている白色の上質な生地も、全てがグレンの良さを素晴らしく引き立てていた。黒い髪がよく映える。
「こうして見るとさすがにガキとも呼べねえな」
「当たり前だ、私は成人済みであるし、辺境伯当主であるぞ」
「へいへい」
この反発も慣れたもので……とは言え、ドラガド侯爵とのやり取りを目の当たりにした後だと、これがグレンの口癖になってしまっているのも、致し方ないことだとドーヴィは思えた。
グレンの着替えが終わった後、ドーヴィも仕立てて貰った新しい服に袖を通した。傭兵とは言え、護衛として王城に顔を出すならそれなりの格好をしなければならない。本来はクランストン辺境伯家の金で仕立てて貰う支給品だが、そこはドーヴィとしても申し訳なかったので本当に『傭兵』として適当に稼いできた小遣いで支払った。
グレンとお揃いにクランストン辺境伯家の紋章が刻まれたカフスボタンを留める。ベルトに使う予定のない飾りの剣を吊るせば、立派な護衛の完成だ。
「あー、堅苦しいのは嫌だねえ」
「今日一日の我慢だから……ドーヴィ、その」
首周りに指を入れて緩めようとしていたドーヴィはグレンの少しだけ上ずった声の呼びかけに振り向いた。……見れば、グレンは顔を真っ赤にしている。
「なんだ?」
「あの……えっと……すごく、かっこいい、と、思う」
「思うじゃなくてかっこいい、だろ」
揶揄われたと知ったグレンがムッと唇を引き結び、文句を言おうと口を再度開く――前に、ドーヴィはグレンを抱きしめた。そして驚いたグレンの顎を取り、くいっと上向かせる。驚きに丸くなった瞳を覗き込み、ドーヴィは不敵な笑みを浮かべて「お前も最高に可愛いぞ」と言った。
「~~~っ!」
「そうだな、今日は可愛いだけじゃなくて綺麗成分も入ってるな……お前、本当に最高だぜ、グレン」
何も言えずに口をはくはくと酸欠の金魚の様に戦慄かせるグレンに、舌をすっと差し入れ――ることもなく、ドーヴィは軽く口づけてから、額に鼻先に、と次々に口づけを降らせた。
甘ったるい口づけはゾクゾクもするし、ドキドキもする。だからと言って、グレンはその腕の中から逃げ出すよりももっとドーヴィにくっつきたいと思った。グレンの両腕がドーヴィの腰に回り、さらに密着するようにグレンは体を寄せる。
「ドーヴィも、最高に、かっこいい」
「だろ?」
それが当然だと言わんばかりに鼻で笑ったドーヴィは、グレンに自らの唇を指さした。それが意味することを察したグレンはこれまで以上に顔から耳まで全て真っ赤にしつつ……ドーヴィの体にもたれかかるようにして、一生懸命に背伸びをしてドーヴィの唇に口づけた。
「……いつまでこうしていたいが、そろそろ時間か」
「……うむ」
名残惜しそうにしつつ、グレンはドーヴィから離れる。火照った顔を冷ますために手で風を仰ぎ、襟元に指を差し込んでいる姿は、そこはかとなく色気が漂っている。
改めてドーヴィはやはり成人済みなのだから手を出しても良かったのでは? と天使マルコの顔を思い浮かべながら憮然とした気持ちを抱えたのだった。
☆☆☆
王城に着いた二人は、セシリアへの面会手続きを終えて面会室にてセシリアの到着を待っていた。差し入れの物品は既に検査済みで、テーブルの上に置かれている。
グレンが用意した本と、ドーヴィが用意した安物のブレスレット。……高級なものだと難癖をつけて取り上げられるから、とグレンにアドバイスをされ、道中の村で購入した見るからに平民が使う草で編まれたブレスレットだ。
かちゃり、と扉が開く音がする。椅子に座って俯いていたグレンはすぐに顔を上げて、セシリアの登場を待った。グレンが座る後ろ、護衛として立ったドーヴィも初めて会うことになるグレンの姉を待つ。
セシリアは体格の良い刑務官に前後を挟まれ、逃亡防止の腰縄と重々しい手枷を着けられて入室してきた。それ自体はいつもの光景であったが、グレンはセシリアの頬に残る青黒い痣にヒュッと息を飲む。
「時間は1時間。逃亡の意思を見せた場合は即座に斬り捨てる」
立会人がそう告げ、セシリアは椅子に座り手枷を外された。腰ひもは、セシリアが座った椅子に結び直される。
「久しぶりね、グレン」
「姉上も……その、顔の傷は、どうされたのですか」
震える声でグレンが尋ねた。セシリアはおっとりとしたように顔を傾け、小さく苦笑を零した。
「牢の中で家具に躓いて、床にぶつけてしまったの。大丈夫よ、痣だけで痕は残らないから。そのうち治るわ」
そうですか、とグレンは安心したような、セシリアの言葉を訝しがるような、複雑な声音で返事をする。真実であろうと嘘であろうと、立会人の前で詳しく聞こうとは思わなかった。セシリアが「聞かないで」と言うなら、グレンは大人しく飲み込むことにする。
頬の痣以外にも、セシリアは前回の面会よりもまたやつれたように見えた。貴族令嬢らしい白い肌は血色悪く、白いを通り越えて青白くなっている。唇は荒れ果て、テーブル越しのグレンからも皮が剥けているのがわかった。手枷を外された手首は、枯れ木の様に細く、骨が浮いている。
「グレンはなんだか前に比べるとふっくらしたみたいね?」
「う、うん。姉上は……また、痩せたような気がする……」
「……そうね。寒くなってきたから……少しだけ、食欲がなくて」
そう儚げに微笑むセシリアは、そのまま消えてしまいそうなほどであった。グレンの心臓がきゅうと縮む。労役を増やされなくても、このまま厳しい牢暮らしが続けば――姉は、この冬を超えられないかもしれない。
悪い想像が頭を巡り、グレンは泣きそうになった。ぐ、と出そうになる涙をこらえて、机に置かれた本を差し出す。
「姉上、これは僕からの差し入れです」
「まあ、ありがとうグレン。いつもいつも素敵な本を……」
「マルコ司教にもお願いして、加護を授けて貰っています。ぜひ手元に置いておいてください」
「ええ、もちろんよ。グレンの本を抱えて寝るとね、なんだか昔を思い出してしまって、あったかくなるのよ?」
セシリアはウインクを飛ばしながら茶目っ気たっぷりに言った。グレンもそれにつられて、強張りの取れた優しい笑いが顔に浮かぶ。
「それから……このブレスレットは、新しく護衛で雇ったドーヴィから」
名前が出されたドーヴィは、言葉を発さずに軽く会釈をした。ドーヴィを見上げたセシリアは目をぱちぱちとさせて、嬉しそうに微笑む。
「ドーヴィさん、どうもありがとう。グレンの事、これからもよろしく頼むわ」
「……はい」
グレンと同じ色の瞳で見上げられ、似たような顔立ちから似たような明るい笑顔を向けられて、少しだけドーヴィは居心地悪く身じろぎした。もちろん、セシリアはドーヴィが悪魔だとは知らないが……なんだか、全てを見透かされているような気がする。
「それでグレン、最近のみんなの事、教えて頂戴な」
「うん! じいやもばあやも元気にしていて、ああ、そうだ、補佐官のムトレーがついに奥さんを貰って――」
グレンは楽しそうに今のクランストン辺境領について語った。じいやのこと、ばあやのこと。補佐官や元・騎士達のこと。城下町から各村に至るまで、視察で見た領民の生活ぶりなど。時に、ドーヴィの話題も口から出る。
面会の1時間はあっという間に過ぎ、最後に1度だけ許された抱擁を交わして、セシリアは牢へと戻って行った。
グレンとドーヴィは面会室を出て、王城の中を歩く。次は昼食……だが、グレンはこれも食べるつもりなく、城の図書館で時間を潰し、貴族会議に臨む予定だ。
図書館へ向かう道すがら、グレンはぽつりと呟く。
「姉上は……もう、もたんかもしれん……」
……抱擁した時の、体の細さ。元から細身で華奢なセシリアであったが、回した手や腕が骨の硬さを感じるほどにやせ細った体は、異常だった。
「グレン」
「……ドーヴィ、僕は、お前に、姉上を――」
立ち止まったグレンは震える自分の手をもう片方で抑えるようにしながら、小さな声で言った。
そのまましばらく。言葉は続かず、グレンは廊下で立ちすくむ。ドーヴィも言葉の先を促さず、この幼き主人が決断を下すことをじっと待った。
「――いや、なんでもない。忘れてくれ」
「……そうか」
主人が下した決断にドーヴィは怒りすら覚えつつもそれらを全て飲み込む。契約した悪魔は主人の命令には絶対に従う。多少の抜け穴をつくことはあっても、「忘れろ」と言うなら、忘れるしかなかった。
グレンは顔を上げ、背筋を伸ばして王城の廊下を再び歩きはじめる。ドーヴィは護衛として、黙ってその後ろに付き従った。
「おいグレン、魔力寄越せ。魔法で片付ける」
「わかった」
さすがに慣れてきたのか、それともあまりの埃っぽさに早くドーヴィにどうにかして欲しかったのか。少しだけ屈んできたドーヴィの顔にグレンはすぐに唇を寄せた。
ここは王都にあるクランストン辺境伯のタウンハウス……と言っても、一般市民の住居を一回り大きくした程度のこぢまんりした屋敷だ。以前は使用人も常駐させてグレンの両親が王都滞在時に活用していたが……今は、使用人も全て引き上げさせ、3か月に1回の貴族会議のためにグレンが訪れるだけになっていた。
ドーヴィがグレンと仮契約をして、すぐに細やかな風の魔法を発動させる。その風は床や棚、天井に張られた蜘蛛の巣までをあっという間に絡めとって屋敷の外へと運んで行った。
それを見送ったグレンは「すごい精密操作だ……」と目を丸くしながら驚く。ドーヴィの魔法は本当に底が知れない。魔物を派手に蹴散らかしたかと思えば、今のように家具に傷一つ付けず埃だけを拾い上げる風も作れる。
「早めに着いて良かったが……会議は明日の午後だろう? 今日はゆっくり休むか?」
「ああ。姉上との面会は明日の午前中に予約してある」
持ってきた荷物を解きながらドーヴィが確認すれば、グレンは頷いた。
屋敷全体を保護する魔道具の魔力補充にグレンは出かけ、ドーヴィはその間に寝室の準備とキッチンの確認と。すっかりメイドの様な働きが板についてきた、とドーヴィが一人でぼやいている内にグレンも戻ってくる。
「グレン、夕食は?」
「……いや、今日は、食欲がなくて……」
グレンは気まずそうに言いながら、さらに口をもごもごと動かす。ドーヴィがキッチンの入り口に立ちすくんでいるグレンに歩み寄り、頭を撫でてやった。
「怒らねえしバカにしねえから言いたいこと、言ってみろよ」
「う……」
言いづらそうにしていたグレンにドーヴィが促すと、グレンはドーヴィが羽織ったままの旅装マントをぎゅうと握りしめて口を開いた。
「その、会議、が終わると……体調が悪くなって、戻してしまうことが多くて……なるべく、胃を空っぽにしていきたくて……」
王城で絨毯や壁を汚すと弁償しなければらないのだ、とグレンは慌てたように続けた。そういう言い訳を聞きたいわけじゃないんだけどな、とドーヴィは苦々しく思いながら、屈んで俯いたグレンの顔を覗き込む。
「なら、今日は具のないミルクスープだけにしておくか?」
「そ、そうしてくれると助かる……すまない……」
「気にするな。なら明日の朝食もなしでいいな? 仕込みはしないで、片付けを進めるか……」
グレン用の荷物をグレンに押し付け「荷解きしてこい」と言うと大人しく頷いてキッチンを出ていく。その小柄な後姿を見ながら、ドーヴィは深い深いため息をついた。
グレンに同行した経験のある護衛騎士たちが、半分キレながらドーヴィに「坊ちゃまをよろしく頼むぞ」としつこく言ってきた気持ちが全くもって身に染みる。
(……俺も今夜は夜なべでお守りでも作るかね……)
さすがに、加護は苦手だと言ってられなくなってきた。むしろ、いけ好かないとはいえあの天使マルコに加護のやり方でも聞いておけば良かったとすら、ドーヴィは思う。
明日は、長い一日になりそうだ。
☆☆☆
あくる日、貴族会議当日。普段、ラフな格好に魔術師としてのローブを羽織っていたグレンは、会議のために辺境伯当主として貴族の正装に身を包んでいる。これも、先にドーヴィがメイド長のばあやに着せ方を習っておいたものだ。
着せ替え人形よろしく、立ったままのグレンをドーヴィが手際よく仕上げていった。
「……これでよし、と」
クランストン辺境伯家の紋章が刻まれた黄金のボタンで首元を留めて、完成だ。ぐるり、とグレンの体を回し見て、ドーヴィは満足そうに頷く。普段の軽装も良いが、これはこれで華やかで良い。丁寧に縫われた金の刺繍も、少しだけ紫がかっている白色の上質な生地も、全てがグレンの良さを素晴らしく引き立てていた。黒い髪がよく映える。
「こうして見るとさすがにガキとも呼べねえな」
「当たり前だ、私は成人済みであるし、辺境伯当主であるぞ」
「へいへい」
この反発も慣れたもので……とは言え、ドラガド侯爵とのやり取りを目の当たりにした後だと、これがグレンの口癖になってしまっているのも、致し方ないことだとドーヴィは思えた。
グレンの着替えが終わった後、ドーヴィも仕立てて貰った新しい服に袖を通した。傭兵とは言え、護衛として王城に顔を出すならそれなりの格好をしなければならない。本来はクランストン辺境伯家の金で仕立てて貰う支給品だが、そこはドーヴィとしても申し訳なかったので本当に『傭兵』として適当に稼いできた小遣いで支払った。
グレンとお揃いにクランストン辺境伯家の紋章が刻まれたカフスボタンを留める。ベルトに使う予定のない飾りの剣を吊るせば、立派な護衛の完成だ。
「あー、堅苦しいのは嫌だねえ」
「今日一日の我慢だから……ドーヴィ、その」
首周りに指を入れて緩めようとしていたドーヴィはグレンの少しだけ上ずった声の呼びかけに振り向いた。……見れば、グレンは顔を真っ赤にしている。
「なんだ?」
「あの……えっと……すごく、かっこいい、と、思う」
「思うじゃなくてかっこいい、だろ」
揶揄われたと知ったグレンがムッと唇を引き結び、文句を言おうと口を再度開く――前に、ドーヴィはグレンを抱きしめた。そして驚いたグレンの顎を取り、くいっと上向かせる。驚きに丸くなった瞳を覗き込み、ドーヴィは不敵な笑みを浮かべて「お前も最高に可愛いぞ」と言った。
「~~~っ!」
「そうだな、今日は可愛いだけじゃなくて綺麗成分も入ってるな……お前、本当に最高だぜ、グレン」
何も言えずに口をはくはくと酸欠の金魚の様に戦慄かせるグレンに、舌をすっと差し入れ――ることもなく、ドーヴィは軽く口づけてから、額に鼻先に、と次々に口づけを降らせた。
甘ったるい口づけはゾクゾクもするし、ドキドキもする。だからと言って、グレンはその腕の中から逃げ出すよりももっとドーヴィにくっつきたいと思った。グレンの両腕がドーヴィの腰に回り、さらに密着するようにグレンは体を寄せる。
「ドーヴィも、最高に、かっこいい」
「だろ?」
それが当然だと言わんばかりに鼻で笑ったドーヴィは、グレンに自らの唇を指さした。それが意味することを察したグレンはこれまで以上に顔から耳まで全て真っ赤にしつつ……ドーヴィの体にもたれかかるようにして、一生懸命に背伸びをしてドーヴィの唇に口づけた。
「……いつまでこうしていたいが、そろそろ時間か」
「……うむ」
名残惜しそうにしつつ、グレンはドーヴィから離れる。火照った顔を冷ますために手で風を仰ぎ、襟元に指を差し込んでいる姿は、そこはかとなく色気が漂っている。
改めてドーヴィはやはり成人済みなのだから手を出しても良かったのでは? と天使マルコの顔を思い浮かべながら憮然とした気持ちを抱えたのだった。
☆☆☆
王城に着いた二人は、セシリアへの面会手続きを終えて面会室にてセシリアの到着を待っていた。差し入れの物品は既に検査済みで、テーブルの上に置かれている。
グレンが用意した本と、ドーヴィが用意した安物のブレスレット。……高級なものだと難癖をつけて取り上げられるから、とグレンにアドバイスをされ、道中の村で購入した見るからに平民が使う草で編まれたブレスレットだ。
かちゃり、と扉が開く音がする。椅子に座って俯いていたグレンはすぐに顔を上げて、セシリアの登場を待った。グレンが座る後ろ、護衛として立ったドーヴィも初めて会うことになるグレンの姉を待つ。
セシリアは体格の良い刑務官に前後を挟まれ、逃亡防止の腰縄と重々しい手枷を着けられて入室してきた。それ自体はいつもの光景であったが、グレンはセシリアの頬に残る青黒い痣にヒュッと息を飲む。
「時間は1時間。逃亡の意思を見せた場合は即座に斬り捨てる」
立会人がそう告げ、セシリアは椅子に座り手枷を外された。腰ひもは、セシリアが座った椅子に結び直される。
「久しぶりね、グレン」
「姉上も……その、顔の傷は、どうされたのですか」
震える声でグレンが尋ねた。セシリアはおっとりとしたように顔を傾け、小さく苦笑を零した。
「牢の中で家具に躓いて、床にぶつけてしまったの。大丈夫よ、痣だけで痕は残らないから。そのうち治るわ」
そうですか、とグレンは安心したような、セシリアの言葉を訝しがるような、複雑な声音で返事をする。真実であろうと嘘であろうと、立会人の前で詳しく聞こうとは思わなかった。セシリアが「聞かないで」と言うなら、グレンは大人しく飲み込むことにする。
頬の痣以外にも、セシリアは前回の面会よりもまたやつれたように見えた。貴族令嬢らしい白い肌は血色悪く、白いを通り越えて青白くなっている。唇は荒れ果て、テーブル越しのグレンからも皮が剥けているのがわかった。手枷を外された手首は、枯れ木の様に細く、骨が浮いている。
「グレンはなんだか前に比べるとふっくらしたみたいね?」
「う、うん。姉上は……また、痩せたような気がする……」
「……そうね。寒くなってきたから……少しだけ、食欲がなくて」
そう儚げに微笑むセシリアは、そのまま消えてしまいそうなほどであった。グレンの心臓がきゅうと縮む。労役を増やされなくても、このまま厳しい牢暮らしが続けば――姉は、この冬を超えられないかもしれない。
悪い想像が頭を巡り、グレンは泣きそうになった。ぐ、と出そうになる涙をこらえて、机に置かれた本を差し出す。
「姉上、これは僕からの差し入れです」
「まあ、ありがとうグレン。いつもいつも素敵な本を……」
「マルコ司教にもお願いして、加護を授けて貰っています。ぜひ手元に置いておいてください」
「ええ、もちろんよ。グレンの本を抱えて寝るとね、なんだか昔を思い出してしまって、あったかくなるのよ?」
セシリアはウインクを飛ばしながら茶目っ気たっぷりに言った。グレンもそれにつられて、強張りの取れた優しい笑いが顔に浮かぶ。
「それから……このブレスレットは、新しく護衛で雇ったドーヴィから」
名前が出されたドーヴィは、言葉を発さずに軽く会釈をした。ドーヴィを見上げたセシリアは目をぱちぱちとさせて、嬉しそうに微笑む。
「ドーヴィさん、どうもありがとう。グレンの事、これからもよろしく頼むわ」
「……はい」
グレンと同じ色の瞳で見上げられ、似たような顔立ちから似たような明るい笑顔を向けられて、少しだけドーヴィは居心地悪く身じろぎした。もちろん、セシリアはドーヴィが悪魔だとは知らないが……なんだか、全てを見透かされているような気がする。
「それでグレン、最近のみんなの事、教えて頂戴な」
「うん! じいやもばあやも元気にしていて、ああ、そうだ、補佐官のムトレーがついに奥さんを貰って――」
グレンは楽しそうに今のクランストン辺境領について語った。じいやのこと、ばあやのこと。補佐官や元・騎士達のこと。城下町から各村に至るまで、視察で見た領民の生活ぶりなど。時に、ドーヴィの話題も口から出る。
面会の1時間はあっという間に過ぎ、最後に1度だけ許された抱擁を交わして、セシリアは牢へと戻って行った。
グレンとドーヴィは面会室を出て、王城の中を歩く。次は昼食……だが、グレンはこれも食べるつもりなく、城の図書館で時間を潰し、貴族会議に臨む予定だ。
図書館へ向かう道すがら、グレンはぽつりと呟く。
「姉上は……もう、もたんかもしれん……」
……抱擁した時の、体の細さ。元から細身で華奢なセシリアであったが、回した手や腕が骨の硬さを感じるほどにやせ細った体は、異常だった。
「グレン」
「……ドーヴィ、僕は、お前に、姉上を――」
立ち止まったグレンは震える自分の手をもう片方で抑えるようにしながら、小さな声で言った。
そのまましばらく。言葉は続かず、グレンは廊下で立ちすくむ。ドーヴィも言葉の先を促さず、この幼き主人が決断を下すことをじっと待った。
「――いや、なんでもない。忘れてくれ」
「……そうか」
主人が下した決断にドーヴィは怒りすら覚えつつもそれらを全て飲み込む。契約した悪魔は主人の命令には絶対に従う。多少の抜け穴をつくことはあっても、「忘れろ」と言うなら、忘れるしかなかった。
グレンは顔を上げ、背筋を伸ばして王城の廊下を再び歩きはじめる。ドーヴィは護衛として、黙ってその後ろに付き従った。
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