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【第一部】国家転覆編
12)ラブが足りない気がしたのでラブしました
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グレンが祈りを終えて立ち上がり、振り返るとドーヴィが長椅子に座って暇そうに足を組んでいた。ドーヴィは祈らないのか、と聞こうと思って、そういえば悪魔だった……とグレンは思い直す。教会に来るのも嫌がっていたのだから、きっと神に祈ることはないのだろう。
「おう、用は済んだか?」
「ん、あとはマルコ司教に少しお願い事がある」
肩から下げていた鞄を開けてグレンは一冊の本を取り出した。それをマルコ司教に向かって恭しく差し出す。
「マルコ司教、できるのならばこの本にどうか姉・セシリアへの加護をお願いしたく……」
「……はい、承知しました信徒グレンよ。この本はお預かりいたします」
両手でグレンから本を受け取ったマルコ司教は、本を大切そうに抱えて創造神の像の前へと歩みを進める。
「何すんだ、あれ」
「姉上への差し入れの本に、加護をかけて貰うのだ。姉上が健やかに生を送れるように、と……」
「へえ」
気の抜けた返事をしたドーヴィだったが、マルコが本に対して祈りを捧げ始めたところで口をへの字に引き結んだ。
(なーにが贔屓はしませんだこの野郎。頼まれたからって理由つけてガッツリ加護与えてんじゃねーか)
マルコが本に施した加護をよくよく視てみれば、明らかに「気休め程度のおまじない」の域を超えている。毒物耐性に病魔耐性、自己治癒力強化、不運回避……持続時間が一ヵ月と短めに設定してあるから許されるのだろうか。
どことなく釈然としないものを感じつつも、グレンが嬉しそうにその本を受け取っていたのでドーヴィはマルコを睨みつけるに留めておいた。さすがにマルコもドーヴィの言わんとすることを視線で感じ取ったのか、気まずそうに顔を逸らしている。
「マルコ司教、世話になった! また近々、寄付金の方を――」
「ああ、いえ、そちらは大丈夫ですよ。幸いにして、市民の皆様のご厚意で十分に足りております。クランストン辺境伯におかれましては、お気持ちだけありがたく頂きます」
「……うむ、そうか」
マルコ司教の言葉に、グレンは一瞬悔しそうに唇を噛んだが、すぐにそれを苦笑いに切り替えて頷いた。本来であれば、加護を貰うにも教会への寄付金と言う支払いは必要なのだろう。
グレンのお小遣いであればとにかく、『クランストン辺境伯としての寄付金」となれば、かなりの金額になる。今のクランストン辺境家にそれをポンと払える財力がないことをマルコ司教はよくわかっていた。
「クランストン辺境伯が領民を手厚く守ってくださるからこそ、市民の皆様も教会に加護を貰いに参られるのです。厚意が巡り巡る、それだけのこと。今後とも、グレン様におかれましては人々を慈しむ心を忘れぬよう……」
「もちろんだ、マルコ司教。我がクランストン辺境家が領民を虐げるなどあってはならぬこと。……教会においても、我々の手の届かぬ民への数々の施し、誠に感謝申し上げる」
背筋を伸ばし、口上を述べたグレンはゆっくりとマルコ司教へ頭を下げた。本来、貴族は他人に頭を下げぬもの。その貴族である辺境伯当主が頭を下げるのだから、これは教会に対する最大限の敬意表明であった。
それをマルコ司教は微笑みながら頷き――ちらりとドーヴィに目を向けた後、小さく咳払いをした。
「では、グレン・クランストン辺境伯が邁進できますよう、僭越ながらお祈りを捧げさせて頂きます」
慣れたようにグレンはマルコ司教の前に跪いた。グレンの頭に手を置いて、マルコ司教が祈りの言葉を捧げる。
……その光景をドーヴィは不機嫌なオーラを全開にしながら見守っていた。なるほど、あれだけ心身に負荷がかかっているグレンがそれなりに生活できている理由はここにあったのだ。
マルコ司教が祈りを終わらせるとともに、ふわりとグレンの全身が明るく光る。加護が結ばれ、効果を発揮している証だ。恐らく、マルコとドーヴィの目にしか見えないだろう、上位存在からの加護の輝き。
「ありがとう、マルコ司教。……司教に祈って貰うと、いつも体が軽くなるのだ!」
「それは良かったです。どうぞ、お体にお気を付けくださいね」
「うむ!」
体が軽くなるのは気のせいではない、実際に疲労軽減や体力回復の加護を貰ったのだから。
明るい笑顔を浮かべて、グレンは教会を後にする。ちなみにドーヴィの方は死ぬほど不機嫌な顔をしていた。残念なことに、何でもできる万能悪魔のドーヴィでも、加護の分野は非常に苦手だ。加護自体はできないこともないが……天使マルコほどの繊細で優しい加護をグレンにかけることは難しい。
できたとして、グレンに危機が迫った時に自動で相手を呪い殺す加護ぐらいだろうか。もちろん、そんな物騒な加護をかけようものなら、マルコが飛んできてドーヴィをこの世界から追い出すだろう。
悔しいが、天使マルコの加護は確かにグレンとその姉には必要不可欠なものだ。それは認めざるを得ない。
「……ドーヴィ、難しい顔をしているが、何かあったのか?」
周囲の市民と挨拶を交わしつつ、ちらちらとドーヴィの事を気にしていたグレンが後ろを振り返ってドーヴィの顔を見上げた。
少しばかり不安そうな顔をしてドーヴィの顔色を伺うグレンを見ていると、加護の一つ二つでへそを曲げる自分が実に馬鹿らしく思えてくる。ドーヴィは小さく、減音の魔法を二人の周囲に張った。完全に音が消えるわけではないから話し声は周囲に聞こえるが、何を話しているかまでは聞き取れなくなる、内緒話のカモフラージュにぴったりの魔法だ。
ドーヴィは護衛としての位置からグレンの隣へと動く。そのまま、二人でゆっくりと歩きつつ、ドーヴィは口を開いた。
「そりゃあ、お前があの司教に加護なんて貰ってるからよ」
「?」
「お前は俺のモンなのに、他の人間の手垢がついたからイライラしてるって事。わかりやすく言えば……まあ嫉妬してるってところか、俺があの司教に」
「しっと……嫉妬??」
しばらくグレンは目をぐるぐると回してから、急に顔を真っ赤にして足を止めた。肩掛け鞄の紐を両手でぎゅっと掴んで俯いている。
「おー耳まで真っ赤真っ赤」
「なっ……ド、ドーヴィが変な事を言うから……っ!」
「へえ、変な事って? 俺が何を言ったって?」
往来の真ん中で立ち止まったグレンは非常に目立つ。ドーヴィは揶揄うように言いながら、グレンの肩をぐいと押して歩くように促した。躓くように足をもつれさせながらも、グレンは再び歩きはじめる。しかし、顔は俯いたままで、自分の靴を熱心に眺めているようだ。
「だ、だって、マルコ司教に嫉妬したって……つ、つまり、それって、ドーヴィは僕のこと……」
「好きに決まってんだろ。愛してるぜ?」
「~~~~~!?!?!?」
わざとグレンの肩を抱いて、俯いた耳に低い声で囁く。周囲からは体調が悪くなったグレンを護衛が支えて、調子を聞いているようにしか見えないだろう。少しだけ、城下町にざわりとざわめきが広がった。
ドーヴィは周囲の人々に頭を下げながら、すっかり固まってしまったグレンを引きずるようにして歩いていく。目的地は城下町の中心にある噴水公園。
公園にあった木製のベンチにグレンを座らせると、ドーヴィはグレンの目の前に跪いて体調を心配する護衛の様にグレンの顔を覗き込んだ。
グレンは唇をぎゅうと噛み締めて、頬から耳まで真っ赤なままだった。
「なんだよ、お前、俺がお前のこと気に入ったって言ったの嘘だと思ってたのか?」
「い、い、い、いや、それは、それは知ってる、けど、好きって……すき……」
ようやく開かれたグレンの口からは、動揺を隠せない支離滅裂な言葉がぽろぽろと漏れてきた。
(ほんと面白いし可愛いなあこいつ……)
……普通。普通、ドーヴィを召喚した人間と言えば、ドーヴィが愛を囁けば喜び勇んでドーヴィの手を取りベッドへと誘うと言うのに。いや、むしろ、ベッドの中でしか愛を囁いた事はないかもしれない。
好きと言われただけでこうも激しく反応して大混乱に陥る姿の何と新鮮で可愛らしいことか!
ドーヴィは思わず口笛を吹きそうになるのを必死に我慢して、グレンの頬に右手を添えた。途端、グレンは肩を盛大にびくつかせて、怯えたように目線を右往左往させる。
「ちなみに、好きってのは友人とか、家族とか。そういうのじゃねえから」
「~~~~っ!」
当然である、ドーヴィはインキュバスなのだから。ドーヴィの中で愛するというのは、愛欲を伴うものでしかないのだ。キスをしたいし体も繋げたい。それが、ドーヴィにとっての好き、ということ。
ドーヴィは恋をしない。好きだと思ったら絶対に手に入れるからだ。悪魔にとって、気に入った人間かそれ以外の人間か、の二択しかない中で、ドーヴィが気に入ったという事はそのまま愛に直結するのだ。
「俺はお前ともっとキスしてえし、それ以上のことだってやりてえ。……ま、その辺はお前が18歳になってから、だけどな」
ドーヴィの大きな手が、グレンの頬を包んだままするりと滑る。太い親指がグレンの唇をなぞり――グレンは体を大きくぐらつかせて、ドーヴィの顔を見た。
ドーヴィは、グレンにとって優しい兄のようなドーヴィは。金色の瞳を大きく開いて、口角をあげて、まるで獰猛な獣のようにグレンを見つめていた。
――その視線に、ゾクゾクする。今にも、ドーヴィが噛みついてくるのではないかと、ゾクゾクする。
グレンは知らなかった、こうして真正面から鋭い好意をぶつけられると、ゾクゾクすることを。両親や兄、姉達とも、じいやとばあやとも、補佐官や領民達とも全然違う、もっと熱くて恐ろしい『好き』というたった二文字の言葉。
「は、ぁ……ぼ、ぼくは……ぼくは……っ」
「ストップ」
ひきつった様な声を出すグレンの口を、ドーヴィは手でふさいだ。そして気障ったらしくウインクをする。
「なーに、今すぐお前の気持ちを聞きたいってわけじゃねえし、お前だってやらなきゃいけないことが山ほどあるんだろ? 俺と恋愛ごっこしてる暇だってないはずだ」
そう言いながら立ち上がったドーヴィは、グレンの頭をぽんぽんと撫でた。そうされてしまうと、グレンは何も言えなくなって口を噤むしかない。むしろ、何を言えばいいかわからない中で、口をふさいでくれた方がありがたかった。
ぬるく、穏やかな愛情しか知らなかったグレンには些か刺激が強すぎたな、とドーヴィは心の中でくつくつと笑う。
いつかはきっちり知らしめなければいけない事だ。ただ……夜でもない、日中で、人目のあるところで言うのはドーヴィとしては珍しい。まあ、そもそも、これまでの召喚者が軒並み夜のお付き合いしかしてこなかったというのもあるが。
あの食えない天使マルコに当てられて、ついつい、グレンを煽ってしまった。悪魔の独占欲は生半可なものではないとはいえ、ドーヴィは比較的人間の常識がある悪魔……だと自認していた。
にもかかわらず、思わず、でグレンに釘を差してしまうのだから、ドーヴィは自覚している以上にこの少年に溺れているようだった。……そのうち、この独占欲が抑えきれなくなってしまうかもしれない。
「……はー、俺もなんだかんだでガキかね」
ベンチに座ったまま、まだ固まっているグレンを見下ろしながらドーヴィはひっそりと吐き出した。
常に気の向くまま、自分のやりたいように振る舞う悪魔はある意味、永遠の子供だ。やりたいようにやる、欲望のままに生きる存在。
下手をしたら、ベンチでドーヴィの言葉を必死に咀嚼しているグレンよりも、ドーヴィは子供なのかもしれない。
そう思うと、少しだけ笑えて来てしまう。ドーヴィは喉奥で笑いながら、座り込んだままのグレンの腕を取って強引に立ち上がらせた。
「うわっ!」
「悩むならおうちに帰ってからにしな。そろそろ帰らないと、じいやが怒るしばあやが心配するぞ」
「お、おお……そ、そうだな、もうそんな時間だからな!」
慌てたように言うグレンは、ぎこちなく歩き出した。……右手と右足が同時に出ている。
器用に歩くなあ、とグレンを挑発したドーヴィ本人は呑気に思いながら、護衛としての立場に戻ってグレンの一歩後ろに付き従って歩いた。
---
BLしてなかったのでBLしました(そんな直球な……
この辺の話は近況ボードへ
「おう、用は済んだか?」
「ん、あとはマルコ司教に少しお願い事がある」
肩から下げていた鞄を開けてグレンは一冊の本を取り出した。それをマルコ司教に向かって恭しく差し出す。
「マルコ司教、できるのならばこの本にどうか姉・セシリアへの加護をお願いしたく……」
「……はい、承知しました信徒グレンよ。この本はお預かりいたします」
両手でグレンから本を受け取ったマルコ司教は、本を大切そうに抱えて創造神の像の前へと歩みを進める。
「何すんだ、あれ」
「姉上への差し入れの本に、加護をかけて貰うのだ。姉上が健やかに生を送れるように、と……」
「へえ」
気の抜けた返事をしたドーヴィだったが、マルコが本に対して祈りを捧げ始めたところで口をへの字に引き結んだ。
(なーにが贔屓はしませんだこの野郎。頼まれたからって理由つけてガッツリ加護与えてんじゃねーか)
マルコが本に施した加護をよくよく視てみれば、明らかに「気休め程度のおまじない」の域を超えている。毒物耐性に病魔耐性、自己治癒力強化、不運回避……持続時間が一ヵ月と短めに設定してあるから許されるのだろうか。
どことなく釈然としないものを感じつつも、グレンが嬉しそうにその本を受け取っていたのでドーヴィはマルコを睨みつけるに留めておいた。さすがにマルコもドーヴィの言わんとすることを視線で感じ取ったのか、気まずそうに顔を逸らしている。
「マルコ司教、世話になった! また近々、寄付金の方を――」
「ああ、いえ、そちらは大丈夫ですよ。幸いにして、市民の皆様のご厚意で十分に足りております。クランストン辺境伯におかれましては、お気持ちだけありがたく頂きます」
「……うむ、そうか」
マルコ司教の言葉に、グレンは一瞬悔しそうに唇を噛んだが、すぐにそれを苦笑いに切り替えて頷いた。本来であれば、加護を貰うにも教会への寄付金と言う支払いは必要なのだろう。
グレンのお小遣いであればとにかく、『クランストン辺境伯としての寄付金」となれば、かなりの金額になる。今のクランストン辺境家にそれをポンと払える財力がないことをマルコ司教はよくわかっていた。
「クランストン辺境伯が領民を手厚く守ってくださるからこそ、市民の皆様も教会に加護を貰いに参られるのです。厚意が巡り巡る、それだけのこと。今後とも、グレン様におかれましては人々を慈しむ心を忘れぬよう……」
「もちろんだ、マルコ司教。我がクランストン辺境家が領民を虐げるなどあってはならぬこと。……教会においても、我々の手の届かぬ民への数々の施し、誠に感謝申し上げる」
背筋を伸ばし、口上を述べたグレンはゆっくりとマルコ司教へ頭を下げた。本来、貴族は他人に頭を下げぬもの。その貴族である辺境伯当主が頭を下げるのだから、これは教会に対する最大限の敬意表明であった。
それをマルコ司教は微笑みながら頷き――ちらりとドーヴィに目を向けた後、小さく咳払いをした。
「では、グレン・クランストン辺境伯が邁進できますよう、僭越ながらお祈りを捧げさせて頂きます」
慣れたようにグレンはマルコ司教の前に跪いた。グレンの頭に手を置いて、マルコ司教が祈りの言葉を捧げる。
……その光景をドーヴィは不機嫌なオーラを全開にしながら見守っていた。なるほど、あれだけ心身に負荷がかかっているグレンがそれなりに生活できている理由はここにあったのだ。
マルコ司教が祈りを終わらせるとともに、ふわりとグレンの全身が明るく光る。加護が結ばれ、効果を発揮している証だ。恐らく、マルコとドーヴィの目にしか見えないだろう、上位存在からの加護の輝き。
「ありがとう、マルコ司教。……司教に祈って貰うと、いつも体が軽くなるのだ!」
「それは良かったです。どうぞ、お体にお気を付けくださいね」
「うむ!」
体が軽くなるのは気のせいではない、実際に疲労軽減や体力回復の加護を貰ったのだから。
明るい笑顔を浮かべて、グレンは教会を後にする。ちなみにドーヴィの方は死ぬほど不機嫌な顔をしていた。残念なことに、何でもできる万能悪魔のドーヴィでも、加護の分野は非常に苦手だ。加護自体はできないこともないが……天使マルコほどの繊細で優しい加護をグレンにかけることは難しい。
できたとして、グレンに危機が迫った時に自動で相手を呪い殺す加護ぐらいだろうか。もちろん、そんな物騒な加護をかけようものなら、マルコが飛んできてドーヴィをこの世界から追い出すだろう。
悔しいが、天使マルコの加護は確かにグレンとその姉には必要不可欠なものだ。それは認めざるを得ない。
「……ドーヴィ、難しい顔をしているが、何かあったのか?」
周囲の市民と挨拶を交わしつつ、ちらちらとドーヴィの事を気にしていたグレンが後ろを振り返ってドーヴィの顔を見上げた。
少しばかり不安そうな顔をしてドーヴィの顔色を伺うグレンを見ていると、加護の一つ二つでへそを曲げる自分が実に馬鹿らしく思えてくる。ドーヴィは小さく、減音の魔法を二人の周囲に張った。完全に音が消えるわけではないから話し声は周囲に聞こえるが、何を話しているかまでは聞き取れなくなる、内緒話のカモフラージュにぴったりの魔法だ。
ドーヴィは護衛としての位置からグレンの隣へと動く。そのまま、二人でゆっくりと歩きつつ、ドーヴィは口を開いた。
「そりゃあ、お前があの司教に加護なんて貰ってるからよ」
「?」
「お前は俺のモンなのに、他の人間の手垢がついたからイライラしてるって事。わかりやすく言えば……まあ嫉妬してるってところか、俺があの司教に」
「しっと……嫉妬??」
しばらくグレンは目をぐるぐると回してから、急に顔を真っ赤にして足を止めた。肩掛け鞄の紐を両手でぎゅっと掴んで俯いている。
「おー耳まで真っ赤真っ赤」
「なっ……ド、ドーヴィが変な事を言うから……っ!」
「へえ、変な事って? 俺が何を言ったって?」
往来の真ん中で立ち止まったグレンは非常に目立つ。ドーヴィは揶揄うように言いながら、グレンの肩をぐいと押して歩くように促した。躓くように足をもつれさせながらも、グレンは再び歩きはじめる。しかし、顔は俯いたままで、自分の靴を熱心に眺めているようだ。
「だ、だって、マルコ司教に嫉妬したって……つ、つまり、それって、ドーヴィは僕のこと……」
「好きに決まってんだろ。愛してるぜ?」
「~~~~~!?!?!?」
わざとグレンの肩を抱いて、俯いた耳に低い声で囁く。周囲からは体調が悪くなったグレンを護衛が支えて、調子を聞いているようにしか見えないだろう。少しだけ、城下町にざわりとざわめきが広がった。
ドーヴィは周囲の人々に頭を下げながら、すっかり固まってしまったグレンを引きずるようにして歩いていく。目的地は城下町の中心にある噴水公園。
公園にあった木製のベンチにグレンを座らせると、ドーヴィはグレンの目の前に跪いて体調を心配する護衛の様にグレンの顔を覗き込んだ。
グレンは唇をぎゅうと噛み締めて、頬から耳まで真っ赤なままだった。
「なんだよ、お前、俺がお前のこと気に入ったって言ったの嘘だと思ってたのか?」
「い、い、い、いや、それは、それは知ってる、けど、好きって……すき……」
ようやく開かれたグレンの口からは、動揺を隠せない支離滅裂な言葉がぽろぽろと漏れてきた。
(ほんと面白いし可愛いなあこいつ……)
……普通。普通、ドーヴィを召喚した人間と言えば、ドーヴィが愛を囁けば喜び勇んでドーヴィの手を取りベッドへと誘うと言うのに。いや、むしろ、ベッドの中でしか愛を囁いた事はないかもしれない。
好きと言われただけでこうも激しく反応して大混乱に陥る姿の何と新鮮で可愛らしいことか!
ドーヴィは思わず口笛を吹きそうになるのを必死に我慢して、グレンの頬に右手を添えた。途端、グレンは肩を盛大にびくつかせて、怯えたように目線を右往左往させる。
「ちなみに、好きってのは友人とか、家族とか。そういうのじゃねえから」
「~~~~っ!」
当然である、ドーヴィはインキュバスなのだから。ドーヴィの中で愛するというのは、愛欲を伴うものでしかないのだ。キスをしたいし体も繋げたい。それが、ドーヴィにとっての好き、ということ。
ドーヴィは恋をしない。好きだと思ったら絶対に手に入れるからだ。悪魔にとって、気に入った人間かそれ以外の人間か、の二択しかない中で、ドーヴィが気に入ったという事はそのまま愛に直結するのだ。
「俺はお前ともっとキスしてえし、それ以上のことだってやりてえ。……ま、その辺はお前が18歳になってから、だけどな」
ドーヴィの大きな手が、グレンの頬を包んだままするりと滑る。太い親指がグレンの唇をなぞり――グレンは体を大きくぐらつかせて、ドーヴィの顔を見た。
ドーヴィは、グレンにとって優しい兄のようなドーヴィは。金色の瞳を大きく開いて、口角をあげて、まるで獰猛な獣のようにグレンを見つめていた。
――その視線に、ゾクゾクする。今にも、ドーヴィが噛みついてくるのではないかと、ゾクゾクする。
グレンは知らなかった、こうして真正面から鋭い好意をぶつけられると、ゾクゾクすることを。両親や兄、姉達とも、じいやとばあやとも、補佐官や領民達とも全然違う、もっと熱くて恐ろしい『好き』というたった二文字の言葉。
「は、ぁ……ぼ、ぼくは……ぼくは……っ」
「ストップ」
ひきつった様な声を出すグレンの口を、ドーヴィは手でふさいだ。そして気障ったらしくウインクをする。
「なーに、今すぐお前の気持ちを聞きたいってわけじゃねえし、お前だってやらなきゃいけないことが山ほどあるんだろ? 俺と恋愛ごっこしてる暇だってないはずだ」
そう言いながら立ち上がったドーヴィは、グレンの頭をぽんぽんと撫でた。そうされてしまうと、グレンは何も言えなくなって口を噤むしかない。むしろ、何を言えばいいかわからない中で、口をふさいでくれた方がありがたかった。
ぬるく、穏やかな愛情しか知らなかったグレンには些か刺激が強すぎたな、とドーヴィは心の中でくつくつと笑う。
いつかはきっちり知らしめなければいけない事だ。ただ……夜でもない、日中で、人目のあるところで言うのはドーヴィとしては珍しい。まあ、そもそも、これまでの召喚者が軒並み夜のお付き合いしかしてこなかったというのもあるが。
あの食えない天使マルコに当てられて、ついつい、グレンを煽ってしまった。悪魔の独占欲は生半可なものではないとはいえ、ドーヴィは比較的人間の常識がある悪魔……だと自認していた。
にもかかわらず、思わず、でグレンに釘を差してしまうのだから、ドーヴィは自覚している以上にこの少年に溺れているようだった。……そのうち、この独占欲が抑えきれなくなってしまうかもしれない。
「……はー、俺もなんだかんだでガキかね」
ベンチに座ったまま、まだ固まっているグレンを見下ろしながらドーヴィはひっそりと吐き出した。
常に気の向くまま、自分のやりたいように振る舞う悪魔はある意味、永遠の子供だ。やりたいようにやる、欲望のままに生きる存在。
下手をしたら、ベンチでドーヴィの言葉を必死に咀嚼しているグレンよりも、ドーヴィは子供なのかもしれない。
そう思うと、少しだけ笑えて来てしまう。ドーヴィは喉奥で笑いながら、座り込んだままのグレンの腕を取って強引に立ち上がらせた。
「うわっ!」
「悩むならおうちに帰ってからにしな。そろそろ帰らないと、じいやが怒るしばあやが心配するぞ」
「お、おお……そ、そうだな、もうそんな時間だからな!」
慌てたように言うグレンは、ぎこちなく歩き出した。……右手と右足が同時に出ている。
器用に歩くなあ、とグレンを挑発したドーヴィ本人は呑気に思いながら、護衛としての立場に戻ってグレンの一歩後ろに付き従って歩いた。
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