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【第一部】国家転覆編

閑話1)グレン・クランストン

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物語が始まる前のグレンの話。


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 クランストン家の執務室。執務机の前で、辞表を提出した補佐官は90度に腰を折り曲げて悲鳴のように叫んだ。

「申し訳ありませんっ!」
「いやいや、気にすることはない。君が家の者に高く評価されているという事なのだろう? 喜ばしい事じゃないか」

 応じるのはクランストン辺境伯。とはいっても、まだまだ少年の域を出ないグレン・クランストンが補佐官の辞表を受け取り、うんうんと頷いているだけ。執務室の重厚さに比べると、グレンの存在は浮いて見えた。

「そう気に病むことはない」
「しかし……」
「なあに、私もまだまだ頼りない当主とは言え、じいや……アーノルドも、執務の補佐に入ってくれている。君が心配するほどではないよ」

 まだ言い募ろうとする補佐官を手で制して、グレンは首を振った。

「そうだな、そう心配するのであれば……退職金の一部を置いていって貰えないだろうか」
「! とんでもない、私は退職金を貰うつもりなどなく――」
「いやいやいや、君が貰わなければ他の者が困る! クランストン辺境家は退職金も出さないなどと言われてしまっては困るからな」

 そのような事は言いませんのに、と補佐官は心配そうに幼き当主、グレン・クランストンを見た。グレンはにこにことした笑みを浮かべて、補佐官の辞表を受け取って眺めている。

「それで、いつここを出発するのだ?」
「は……この後、すぐにでも、という話になっております。途中の町で実家からの迎えと落ち合うことになっておりまして……」
「おお、なるほど。一人で辺境領から君の実家まで旅をするのでは心配だったが、迎えが来るのなら大丈夫そうだな」

 グレンはまた深く頷くと、辞表の代わりに補佐官の退職を認める書類と、新しい紹介状を用意して彼に手渡した。

「向こうでも体調には気を付けるのだぞ」
「……はい」

 補佐官の青年は、グレンがこれ以上取り合わないということを察して悔しそうに唇を噛み締めた。そのまま「お世話になりました」と絞り出すように挨拶して、執務室を出ていく。

「……ふう。これで4人目、か……」

 一人になった執務室で、グレンは大きなため息を吐いた。

 不幸の相次いだクランストン辺境家からの人材流出が止まらない。特に子供であるグレンが当主に就いてからはなおさら。
 むしろ、これまで何とかクランストン辺境家を支えようと頑張ってくれていた補佐官が、実家からの要請で呼び戻される事態が相次いでいる。いくら上位貴族との繋がりを大事に、と言っても、没落の道を走るクランストン辺境家と縁付きたくはないのだろう。
 平民から取り立てた補佐官やメイドですら、転職する者も増えてきている。

 そしてみな、グレンに「力になれなくて申し訳ない」と真摯に頭を下げて、去って行くのだ。それが逆にグレンの心を抉る。

 自分がもっと領主教育をしっかり受けていれば。もっと大人であれば。もっと貫禄のある姿であれば。

 どれもこれも、無いものねだりであるからどうしようもない。少なくとも、あと数か月我慢すれば正成人である16歳には達する。そうすれば、領主として本格的に働くことができるようになるだろう。

 クランストン辺境家に親族の類はほとんどなく、遠く、顔も知らないどこかの伯爵が今は書類上の後見人になっていた。領地が遠いが故に、グレンが承認した書類の一部を確認してもらうためのやり取りですら数日、あるいは数週間かかってしまう。
 何とか、法律の穴を縫ってはできる限りグレンの力で辺境領の平和を保とうとはみな頭をひねってくれていた。それでも、やはり制限付きの当主というのは、不便にすぎる。

「だいじょうぶ、僕ももう大人になる……」

 執務机に置いてある暦帳を見て、指折り数えた。これほどまで誕生日が待ち遠しかったのは、幼少の頃の何も世間を知らず、辺境家で執り行われた誕生日パーティーを無邪気に楽しんでいた日以来である。

 よし、と自分に喝をいれてグレンは今日の書類仕事の続きに手を付けた。いつもならそばで一緒に執務をしてくれるじいやは、恐らく先ほどの補佐官の退職手続きに忙しいのだろう。

 人は減り続けるが、募集をかけても誰もここには来てくれない。辺境という地も、没落寸前の辺境伯という地位も、お飾りの領主も、全てが人を遠ざけた。

(……僕のいう事をちゃんと聞いてくれて、とても有能で、他の貴族に舐められないような……それで、すごい強くて、魔物とか一瞬で倒しちゃって……あとカッコ良くて、優しくて、頭も良くて……)

 集まってきた書類をまとめ直すために文字列を書き写しながら、ぼんやりとグレンは考える。

(そうだなーここに来たら、出ていかない人がいいなあ……契約したらずっといてくれる人……実家の都合で呼び戻されたりとかさ、しなくて……ずっと僕と一緒にクランストン辺境領を守ってくれる人……)

「いるわけないかー」

 文字を書き写し終えて、グレンはだらしなく執務椅子にもたれかかりながら乾いた笑い声とともに大きな声をあげた。防音のしっかりした執務室に一人、大声を出しても誰にも気づかれない。

 グレンが16歳になったら、婚姻もできるようになる。……もし、姉が釈放されて有能な婿を取れるというなら、別にグレンは自分が身売りとしてクランストン辺境家を守ってくれる貴族と婚姻を結んでも良かった。
 例えば、問題があって行き遅れの令嬢を嫁に貰い、その家から金銭援助を貰うであるとか。例えば、将来的に婿入りする前提で婚姻を結び、姉が戻るまでその親に執務を代行してもらうであるとか。

 残念ながら、いずれの案も一応検討はしたものの、それでも手を挙げる貴族がいなかった、ということでお流れになっている。
 唯一、年若い男の子を好む老公爵が「グレンを妾としてなら貰って良い」と声を掛けてきたが、それは執事のアーノルドが丁重にお断りしている。いくら金を積まれようが、その地位でクランストン辺境家を守ると言われようが、クランストン辺境家の直系男子を妾に出すだなんてとんでもない話だ。

 もちろん、グレンの耳に入る前にその話は執事を筆頭に補佐官達が全力で握りつぶした。今のグレンであれば「それは良い提案だ!」と喜んで受け入れてしまうだろう。妾になった先で、どんな扱いをされるかもわからぬと言うのに……いや、わかっていて、喜んで自分の身を差し出すだろう。
 自分の体一つでクランストン辺境領の皆が穏やかに過ごせるというなら、とグレンは間違いなく言う。それがわかっているからこそ、厳しい緘口令が敷かれ、グレンは何も知らずに今日も過ごしている。

 インクが乾いてから今日の分をまとめて書類をひもで綴じたグレンはそのまま伸びをした。身長ももっと伸びないかと毎日姿見とにらめっこしているが、成長期はまだまだらしい。せめて体だけでも大人になってくれれば、周りからも一目置かれそうなものだが……。

「ええっと今日の分は……うん、これで終わりか。他には……」

 山積みの書類や手紙の類を仕分けしつつ、確認する。どうやらグレンが手を出せるものは無くなった様だ。

 となれば、久々に空き時間になる。グレンは執事のアーノルドが戻ってくるまで、魔法の勉学を進めようと魔法書を取り出した。

 この世には様々な魔法がある。すでに体系だったものを習得するのはもちろんのこと、その魔法を改良してより使いやすくしたり、発展して新たな魔法を生み出したりするのも魔術師の仕事としては重要な事だ。
 今、グレンが挑戦しているのは失われた古代魔法の復活。時折、発掘される古代遺跡で見つかる魔法書の写しを手に入れたグレンはどれか領地の経営に役立つものはないかと、空き時間に必死になってページをめくっていた。

 古代語を読み解きながら、文字列を指でなぞり、欠けた魔法陣を別の紙に書き写して構成を確認し。使えそうなものであれば、魔法陣の修正を試みていた。
 とは言え、なかなか、グレンの目当てに合致したものは見つからない。だいたいが既に現在使われている魔法の下位互換か、法律で禁止されている精神作用の魔法ばかりであった。

「うーん……この魔法書はハズレか……」

 他人の夢に侵入する魔法や、狙った夢を見るための魔法。相手を魅了する魔法に、周囲に強制的に自らへの好意を持たせる魔法……いずれも、精神魔法に分類され、許可がなければ使用できないものばかりだ。

 難しい顔をしつつ、ページをめくる。その読書速度の速さは、グレンが魔術師としてかなりの腕前であることを示していた。古語をすらすらと読み解き、難解な言い回しを的確に理解。不完全な魔法陣も見れば何の魔法のものかすぐに判別できる。
 両親がグレンに魔術師としての大成を期待するのも理解できる、天性の才能だった。

「んん-……ん?」

 魔法書の最後の方、何やら仰々しい扉絵が描かれた最終章に手がかかる。そこには、『悪魔召喚の道筋』と書いてあった。

「悪魔召喚か……待てよ」

 悪魔召喚は法律で規制されていない。なぜなら、成功した人間がいないからだ。それどころか、おとぎ話の中でしか話題にならないほどに、非現実的なものであった。

 しかし。古代魔法の中には、たびたび悪魔を召喚する魔法が出てくる。どれもが高難易度であり、グレンですら難しいと感じるものであった。

「悪魔は……契約をすれば、契約主の命令には絶対服従……これだ!」

 いかに悪魔召喚が難しく、失敗すれば命にもかかわる危険なものであるかという警告文を流し読みして、その後の悪魔召喚の利点に目を向けたグレンは思わず本を両手に立ち上がった。

――グレンの言う事を確実に聞いて、契約がある限り辺境領を離れず、グレンと共に辺境領を守ってくれる人間より強くて賢い者

 グレンが欲しがった人材の全てが、そこに詰まっていた。

 興奮しながらグレンは魔法書を読み進める。ところどころ、読めない単語や言い回しは出てくるが、肝心の召喚術自体はなんとかなりそうだ。

「よし……よし、これだ! 僕は悪魔を召喚するぞ……!」

 誰にも聞かれぬ執務室で、グレンはそう宣言する。これを執事のアーノルドが聞いていたら全力で止めに入っただろうが、今は防音の執務室にグレン一人。

 こうして、グレンの悪魔召喚計画は動き出し――結果として、グレンが希望した通りの悪魔の召喚に成功することなる。



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詳しいあとがき(?)は後日、近況ボードの方で
本当は全部裏設定も盛り込めれば良いのですが、それをするとさすがに冗長すぎるのでカットです


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