ぎんいろ

葉嶋ナノハ

文字の大きさ
上 下
1 / 16

プロローグ

しおりを挟む
多視点でお話が進みます。

+++



 黄色い絨毯に誘われて、その人を待ち続ける。葉を拾っては捨て、拾っては捨てて、思いを積み重ねていく。
 川の向こうに続く夕焼けは、いつの間にか紺色に包まれていた。

「……一月二十四日。十八時間もかかった」
 三十枚目に手を伸ばした時。
「まひる!」
 自転車が止まる音と同時に名前を呼ばれた。振り向くと私と同じ学校帰りの蒼太そうたが、土手の上からこっちを睨み付けている。
「もしかして、またやってんのか? 去年のやつ」
「うん」
 眉を寄せ、大きく溜め息を吐いた幼なじみは、自転車をその場に止めて鞄を手に持ち、私の方へ駆け下りてきた。
「俺も探す」
「いいよ」
「一人じゃ危ないだろ。もう暗いんだし」
 しゃがんだ蒼太は、私と一緒にそれを探し始めた。
 都市伝説になったとかならないとか、随分昔に広まったという噂を去年、もうほとんど葉が落ちてしまった頃に知った。
 樹齢なんてわからない大きな銀杏の樹が、土手の上に一本だけ植えられている。そこから落ちる葉は風に乗り、無数に辺りへ散らばっていた。その中のたった一枚。時間は夕方の五時から七時の間限定。
「言えよな」
「何を?」
「探すんだったら言えよ。メールでもいいんだし」
 制服の上にカーディガンを羽織っている蒼太は、鞄を草の上へ乱暴に置いた。
「髪伸ばしてんの?」
「悪い?」
「この間、下駄箱で告られてただろ」
「……なんで知ってんの」
「付き合うの?」
「蒼太だって一年生に告られてたじゃん」
 彼のズボンと同じ色のスカートへ、銀杏の葉が一枚くっついた。
「お前こそ何で知ってんだよ」
「私は付き合わないよ。蒼太は?」
 彼は顔を上げて私を無言で見つめた。いつの間にか、蒼太の背は前よりずっと伸びている。土手のすぐ後ろは車が頻繁に行き交う道路。外灯も並んでいるからそれほど暗いわけじゃない。
「……俺も」


 五回目の夕方。落ち葉はどんどん増えて、途方も無い数になっていた。
「四月八日。初めて声を出して笑った。かわいい、かわいい、かわいい」
「ねーよー。全然ねーよー。そっちあったー?」
 少し離れた場所で、幼なじみは大きな声を出した。
「お前、さっきから何ぶつぶつ言ってんの?」
「見つける為のおまじない」
 聞こえにくいと言って、蒼太は私の近くへやってきた。空を見上げたまま、ぽかんと口を開けている。
「なあ」
「……」
「なあって」
「なに?」
「ここってあの臭いやつ落っこちてないんだっけ? ほら茶碗蒸しに入ってる、ちっこい丸いの」
「ぎんなん?」
「そう、それそれ。俺、中学ん時踏んじゃってさ。それも、限定で買った俺のナイキくんをうう」
「この樹には生らないの。去年も言ったじゃん」
「そうだったっけ。じゃあ平気だな」
 蒼太は言い終わる前に、ごろりと土手へ寝転んだ。
「小学生の頃、お前さあ」
 気持ちよさそうにしてるから、私も静かに蒼太の横へ仰向けになってみた。
「やたら上の方、上の方にのぼりたがってたよな。ジャングルジムのてっぺんとか、登り棒の一番上とか、行っちゃいけないのに屋上出ようとして叱られてさ、先生に」
 蒼太の声が耳に心地よかった。
「お前の父ちゃんとお前と俺んちで、遊園地行ったじゃん? お前が何度も観覧車乗ろうっつってさ」
 彼が見ていた風景と、私が知っている思い出が、今上手く重なっているのかはわからないけれど。
「観覧車の頂上に来た時、俺ら皆、下の景色見てんのに、お前だけ……」
「……」
「まひるだけ、頂上よりもっと上の方見てた」
 銀杏の葉の上は、昼間の日差しの温もりがほんの少しだけ残っている。私の右手を蒼太が自分の左手でそっと握った。遠くの空には星が光ってる。
 蒼太は何も言わない。私だって、何も言わない。
 小さい頃はこうしてよく手をつないだけど、いつからだろう。恥ずかしくて、話もしなくなって、目も合わせなくなって、中学の時はずっとお互い知らん顔してた。同じ高校に入って、クラスも一緒になって、少しずつ昔みたいに笑えるようになって、いつの間にかまた、私のそばに蒼太がいる。
「……あのさあ」
「うん」
「もし本当に、お母さんが現れたら、お前何て言うの?」
 あれは、何ていう星なんだろう。
「ていうか、俺はなんて挨拶すればいい?」
「それ去年も私に聞かなかった? まだビビってんの?」
 わかってる。
「別に全っ然ビビってねーし」
 私だって本気になんかしていない。
「でもさ、間違えて俺のじーちゃんとか出てきちゃったらお前どうする?」
「空気読めって叫んでやる」
「うっわ、じーちゃんかわいそ」
 わかってるよ蒼太。これが馬鹿げていて、無駄なことだって、そんなこと初めからわかってる。だからって怖いものみたさとか、そういう軽い気持ちじゃないんだよ。
 昔のビデオや写真や思い出の品なんて見ても実感が湧かなくて、それがたまにとてつもなく寂しく思えた。だから何でもいいから理由を付けて、この気持ちを何とかしたかっただけ。
 黒い空に大きく光る星のそばに、消えそうな小さい星が寄り添ってる。
「何言ったらいいかなんて、わかんないよ、そんなの」
 ひらひらとまた一枚、銀杏の葉が落ちてきた。
「全然わかんない」
 繋いでいない方の手を伸ばしてその葉を掴む。
「でも会いたいの。一度でいいから会ってみたい」
 それは当たり前に鮮やかな黄色だった。
「会ってみたいんだよ」
 夢にすら出てきてはくれない人に、一度だけでもいいから。
「わかった。……ごめん」
 かさ、と葉の音がしたと同時に、手を放した蒼太は私のすぐそばに体を寄せた。私の頬を両手で押さえた蒼太は、前髪ごと私のおでこにキスをした。それは遠くに見える小さな星と同じくらいの消えそうな感触で、優しくて、今私たちが埋もれそうになっている銀杏の葉のように、ささやかな温かさだった。


 机の引き出しから一冊のノートを取り出してひらく。ガラガラやよだれかけ、小さなワンピに、ひらひらが付いている帽子なんかと一緒に段ボールから見つけたもの。

 五月二十一日。夜泣きが続いて眠れない。外を散歩する時、やすくんも一緒に来てくれた。まひるもご機嫌。お土産にねこじゃらしを一本取ってきた。
 六月二日。まひるをおんぶして買い物。スーパーで年配の人に今時珍しいと褒められた。まひるが可愛いと言われたのが一番嬉しい。
 六月十五日。毎日雨。でも今年はまひるがいるから退屈じゃない。ほっぺをつつくとにっこり笑った。お餅みたい。

 育児日記はここで途切れ、その後何も書き込まれることはなかった。


 雨の日も、木枯らしが吹く日も、蒼太は私に付き合ってくれた。手には必ずあったかいものを持って。今夜は蓋付きの缶に入っているミルクココア。
「夜じゃなきゃ駄目ってのがキツイよな」
「だって、昼間は出てこれないんじゃないの? 常識的に言って」
「常識ねえ」
「昼と夜の境目を過ぎた頃なんだよね」
「あのな、怖い言い方すんなよ」
 缶を口につけた蒼太が辺りを見回す。
「お前寒くないの?」
「大丈夫。蒼太は?」
「俺も全然平気」
 虫の声もだんだん聴こえなくなってきた。星だって、前よりずっとはっきり見える。
「あーあ。今日体育でさ、フジ先がいきなり校庭五週とか言いやがってさ。マジ疲れたわ」
 さっさと飲み終わった蒼太は、いつもみたいに、ごろりと横になった。
「最近機嫌悪いよね」
「あいつ絶対彼女にフラれたな」
 眠そうに瞼をこすった蒼太は、私が返事をする間もなく眠ってしまった。規則正しい寝息を聞いて、私まで眠気に襲われる。
 膝を抱えて座ったまま俯いた時、すぐ傍でかさと音がした。顔を上げると月明かりと外灯が目に眩しい。今夜は車も通らないせいか、土手全体がすごく静かだ。何だかあったかい。どこからか懐かしくていい匂いがする。とっても気持ちがいい。隣に座っている人が私へ言った。
「これ、まひるちゃんにあげる」
「え?」
「探してたんでしょ? 銀色の葉っぱ」
「あ、はい。でもなんで私の名前」
「ほら、手出して?」
 差し出されたハートの形をした葉が、星みたいに輝いてる。受け取ろうと手を伸ばすと、目の前いっぱいに星空が広がり、他は何も見えなくなった。

「今、いた!?」
 蒼太が飛び起きて大声を出すから、驚いた私まで同時に飛び起きた。飛び起きた? 今私、起きてたのに?
「今、そこにいたよな?」
 ぼんやりしている私の隣を蒼太が指差し、しばらくしてから呟いた。
「夢、だったかな」
「……うん」
 何も伝えられなかった。言いたいこと何一つ、言葉にできなかった。
「夢じゃないかもしれないけど、でもやっぱり……夢だよ」
 私はいつの間にか手にしていた銀杏の葉を、蒼太に見えないよう一人確かめた。
「そっか。でもまあ、とりあえず俺のじーちゃんじゃなくてホッとしたわ」
 蒼太が跳ねるように立ち上がる。私も慌てて腰を上げて、一度息を吸い込み、彼の名を呼んだ。
「蒼太」
 振り向いた蒼太の前に立ち、彼を見上げた。背も高くなって、体も男っぽっくなって、声も低くなって、でもちっとも変わらない目で私を見つめてくれる人。
「ありがとね」
「……何だよ、急に」
「蒼太、大好きだよ」
 笑ったつもりなのに涙が溢れて零れた。彼は一瞬驚いて、そのあとすぐに私の手元へ視線を送った。気付いた蒼太は私を引き寄せ、強く、とても強く抱きしめた。
「俺がいるからいいじゃん。な?」
 腕の中で私の顔を覗きこむ。髪と髪が触れ合ってくすぐったかった。蒼太の体からは、私の知らない男の子の匂い。
「俺がまひると、ずっと一緒にいる」
「……うん、うん」
「また来年も一緒に探してやるから。そしたらまた、会えるかもしれないじゃんか」
 蒼太の大きな手が私の頭をすっぽり包み、優しく慰めてくれた。
「来年は、蒼太のおじいちゃん?」
「ばーか」
 土手の後ろの道路を走る車の音。散歩をする人と犬の足音。自転車で通り過ぎる人。ふざけながらはしゃぐ女子高生たち。さっきはあんなに静かだったのに。
「でもまあ、それもいっか」

てのひらに残されていたのは、いつもと同じ、光ることのない黄色の葉だった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

東京カルテル

wakaba1890
ライト文芸
2036年。BBCジャーナリスト・綾賢一は、独立系のネット掲示板に投稿された、とある動画が発端になり東京出張を言い渡される。 東京に到着して、待っていたのはなんでもない幼い頃の記憶から、より洗練されたクールジャパン日本だった。 だが、東京都を含めた首都圏は、大幅な規制緩和と経済、金融、観光特区を設けた結果、世界中から企業と優秀な人材、莫大な投機が集まり、東京都の税収は年16兆円を超え、名実ともに世界一となった都市は更なる独自の進化を進めていた。 その掴みきれない光の裏に、綾賢一は知らず知らずの内に飲み込まれていく。 東京カルテル 第一巻 BookWalkerにて配信中。 https://bookwalker.jp/de6fe08a9e-8b2d-4941-a92d-94aea5419af7/

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

古屋さんバイト辞めるって

四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。 読んでくださりありがとうございました。 「古屋さんバイト辞めるって」  おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。  学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。  バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……  こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか? 表紙の画像はフリー素材サイトの https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。

神様のボートの上で

shiori
ライト文芸
”私の身体をあなたに託しました。あなたの思うように好きに生きてください” (紹介文)  男子生徒から女生徒に入れ替わった男と、女生徒から猫に入れ替わった二人が中心に繰り広げるちょっと刺激的なサスペンス&ラブロマンス!  (あらすじ)  ごく平凡な男子学生である新島俊貴はとある昼休みに女子生徒とぶつかって身体が入れ替わってしまう  ぶつかった女子生徒、進藤ちづるに入れ替わってしまった新島俊貴は夢にまで見た女性の身体になり替わりつつも、次々と事件に巻き込まれていく  進藤ちづるの親友である”佐伯裕子”  クラス委員長の”山口未明”  クラスメイトであり新聞部に所属する”秋葉士郎”  自分の正体を隠しながら進藤ちづるに成り代わって彼らと慌ただしい日々を過ごしていく新島俊貴は本当の自分の机に進藤ちづるからと思われるメッセージを発見する。    そこには”私の身体をあなたに託しました。どうかあなたの思うように好きに生きてください”と書かれていた ”この入れ替わりは彼女が自発的に行ったこと?” ”だとすればその目的とは一体何なのか?”  多くの謎に頭を悩ませる新島俊貴の元に一匹の猫がやってくる、言葉をしゃべる摩訶不思議な猫、その正体はなんと自分と入れ替わったはずの進藤ちづるだった

処理中です...